こだわりとカスタマイズの功罪

「自分の手に合う道具」という言葉にグッと来る男性は多いらしい。まあ、実際にどのくらいの割合の人間が道具にこだわっているかは知らないが、「こだわり」を語る人間に出会うことは多いので、珍しくはないくらいにはいるのだろう。かくいう僕もその類の人間だ。特に仕事柄、文章を書く環境にはこだわってしまうので、つまりはパソコン上でのソフトウェアにはあれこれ考えてしまう。その現れの一つがこのWEBページなわけだが。

 しかし最近、道具にこだわるのも善し悪し、というか悪しの面が多いなあと感じている。理由は「継続性」だ。

 僕の場合、文章を書くにはWZ Editor 4.0、日本語IMEはATOK16だ。どちらもメジャーといっていいソフトなので「どこがこだわっている?」と聞かれそうだが、まあ、一般性のあるものを選ぶこと=こだわっていないということではない。特にエディタに関しては、かなりのものを試した結果、現在はWZに落ち着いているわけで。

 エディタの場合、細かなカスタマイズやマクロによる機能拡張が僕にとって欠かせない。WZはカスタマイズできる部分の多さとマクロの高機能さが良くてつかっているわけである。しかし、近々バージョンアップを控えている(2003年9月現在)WZだが、過去にマクロなどの互換性を犠牲にしてバージョンアップをしてきた経緯があるのだ。また、細かな仕様変更の結果、ユーザーが公開している有益なマクロが使えなくなる(あるいは修正が必要になる)という局面がしばしば見られてきた。これがストレスなのだ。「ああ、使えなくなってる!」と思ってから対応版が出るまでの間の我慢。対応版が出ればまだましで、そのまま使えずと言うことになることすらある。なお、この文章を書いている時点でβテストが行われているWZ5.0だが、やはり設定等はやり直しが必要だ。設定移行ツールも正式版までには装備されるそうだが、完全な移行はたいていの場合期待できない。

 もっとも新規開発や機能見直しで機能も向上するものであるから、古い仕様があまり足かせになるのも問題である。

 IMEもそうだ。僕は実はA.I.ソフトのWXシリーズをMS-DOSの時代から使ってきたのだ。しかしWXG4を最後にフェードアウト…(このやりかたはA.I.ソフトにおおいに文句を付けたいがそれはまた別の話)。もともとATOKライクのキー割付で使っていたので、ATOKに戻るのはそれほど難しくはなかったが、それでも細かい使い勝手の差違が気になる。

 もっと話を広げれば、パソコン操作全般のキー割付もそうだ。もともとVZエディタ使いだった僕は、Windows環境に移行する時も、VZライクな割付ができるエディタでないと使いづらくて仕方なかった。しかしWindowsの標準的なキー割付(カットがCtrl+Xだとか)に慣れないと、自分のパソコン以外で仕事をしなくてはいけない時や、自分のパソコンでも他のソフトを使う時などに、ストレスがたまるのだ。なのである時期、自分の身体をWindows標準にならしたわけである。

 つまり、けっきょく操作性のオリジナリティを追求しない方が幸せなのだ。標準的な環境や作法に慣れておけば、他のソフトや環境に移行する時にもなんとかなる。

 たとえば万年筆などであれば、比較的長期間同一製品があるのでそれほど移行の必要がなく、また他の万年筆でも違和感はともかく書き続けることはできるだろう。しかしソフトウェアの場合、そういった機会がやってくる間隔が短すぎるし、操作性の違いが大きすぎるのだ。

 標準的なソフト環境でなんとかなる人がうらやましい。でもやめられない道具の追求。なんだかんだ言って、ちょこっと自分の好みに合わせるだけで、ぐっと楽しくなるのだ。「自分の道具」という、この満足感…。

 本当はエディタのマクロにしても、そもそもアプリケーションにしても、自分で作れるスキルがあればいいんだよな。これこそ究極のカスタマイズだ。しかし本業と関係ないところで時間をかけられる余裕は、どんどんなくなっていく。やれやれ。

(2003/09/03)