「人の心に寄り添う」ことはできるのか?
仕事柄、人と話す機会が多い。その人の話す内容は頭に入ってくるが、心(気持ち)が僕の心に伝わってこない。という経験が最近増えた、ような気がする。昔は、伝わってきた気になっていただけかもしれない。
素直に相手の気持ちが伝わったと思った時、一緒にいて安心できる、と言われた。
振り返っても、どうしてそうなったかが説明できない。
説明できるようになりたい。分かりたい。
そんなことから、カウンセリング関係の学校に一年間通った。
今年は、仕事の関係で休学しているが、一つ区切りがつくのに4年間必要なので、いつか達成したいと思う。
このページは、その学校生活の中で気になったこと(エピソード1)や、日常生活で体験したこと(エピソード2)を書いてみようと思う。
エピソード1
カウンセリングって?
最初の講義から驚きの連続だった。「自分はカウンセリングに向いていないんじゃないか。」という所から出発せざるを得なかった。
最初の先生のお話。カウンセラーの資質の中心は、自分を十分に知り、その自分を受け入れていること。・・・ここからしてもうダメだよ。
次の先生のお話がまたのっけからすごい。
「相手の世界にどっぷりつかる自分。後でその経験をちょっと引いて考える自分。その人と向かい合っている時の自分の心を読む。」そんなのできない。と、内心の悲鳴。
そして、技法のコツの1つ(応答の仕方・明瞭化)。
「ここの責任者は誰だ!」に対して、「はい私が店長です。」ではだめで、「何か不都合でも?」「東京ってどっち?」に対して、「あっち。」ではなく、「さびしくなったの?」「カウンセリングで本当に人間の性格が変わるんでしょうか?」に対して、「変わらないと思っているんですね。」・・・言われてみればなるほどなのだけれど、うーん。むずかしい。
・・・先生曰く、「よい応え(中身)ではなく、そう問わざるを得ない気持ちを受け止められること。」
パーソナリティ
パーソナリティの話しもなかなかむずかしい。入り口の話の中で、面白かったのは、パーソナリティとキャラクターの比較。
パーソナリティは「人格」と訳し、ラテン語のpersona(ペルソナ=仮面)が語源で変化しやすいものというイメージ。それに対して、キャラクター(芯、彫りつけたもの)は、変化しないものというイメージを持ち、「性格」と訳されている。
フォーカシング
自分の中の「感じ」にじっと目を向けるというか、耳を傾ける姿勢を大切にしたアプローチ。
このアプローチで最終的に至る、“フェルトセンス”の境地については、興味はあるのだけれど、しっくりと「腑に落ちる」ことはできなかった。これからの課題だ。
実習で持った「感じ」は、真っ暗で大きな洞窟のような中で、中空に浮いているような自分の感じ。上にも下にも当たるものがない。力が抜けていくようないい感じだった。(説明になってない)
芸術療法
芸術療法は、てらいのある大人には向いてない、という噂を聞いていた。
その学習は、当然実習的なものが多いだろうと予想。恥ずかしがり屋の自分は途中で逃げ出すのではないか、ということで不安だった。
始まってみると、予想通り、グループでのセッション。自己紹介も言葉だけでなく、楽器を叩きながらリズムに乗って・・・・。恥ずかしい、が正直なところ。
しかし、次第に緊張も解けてきて、グループの人たちの顔が自然に見えるようになってきた。そこに持ってきてみんなで歌。大声で歌っていると実に気持ちが楽になってくる。小さいときからいろいろな機会に歌って来たが、療法という視点でとらえてみるとこんなに意味があるものなのか、と実感した。
グループの人たちの人柄が見えはじめ、グループ対抗でポイントを競うことでメンバーの連帯感が出てきた。
この研修で、印象的なセッションの一つ。絵「雨の中の私」。もともと絵を描くのが好きな方なので、抵抗感はない。今日は台風、昼休みに外に出たとき傘がお猪口になった。そのことを思い出していると、壊れた傘を捨てて駆け出す自分がイメージされた。ネクタイもズボンもびしょびしょで・・・・。松井先生の分析基準のお話で印象的だったのは、
左を向いているのは、過去にこだわる。
雨をはっきり描くのは、ストレスが強い。
の二点。質問すればよかった、「傘を投げ捨ててるのは何か意味がありますか?」
今、職場で能力もなく威張るだけの上司にストレスを感じている。仕事自体は好きなので、今はじっと我慢(来年で上司は定年)。
もう一つ印象的なのは、二重投影法のセッション。先生に指名され、同じグループの人と二人で、「山中湖畔の研修の夜、話しかける」設定で無言演奏を経験した。言葉でなく気持ちを楽器に込めるというのはなかなかおもしろい。実は、研修でロールプレイをやったことがあるので、突然の設定(指示)でも”役”に入るのは簡単だった。架空の人物になりきるのは、実に楽しい。相手の出方で自分もどう展開するのか分からないのがおもしろかった。
TA(交流分析)とエゴグラム
“I am OK. You are OK.”の思想
TA(交流分析)の講義で、まず私の心に飛び込んできたフレーズが、この言葉である。古来日本人の美徳は、「人のためにせよ。」「自分のことは二の次。」という言葉に表れている。日本人は黙って人に譲る。他人を尊重する。それは、「敬語」のひとつの「謙譲語」の働きに象徴的に示されている。自分を低めることで、相対的に相手の人を持ち上げ敬意を表す。ところが、TAでは、まず自分がOKでなければいけない。それで初めて相手もOKになる。自分が「自己一致」していなければ、相手と有効な話ができない。
エゴグラム(「自我状態分析」の方法)
まず自己知ることをTAでは訴える。自我状態の機能を分析するのに、エゴグラムが利用される。自我状態のP(Parent「親」)・A(Adult「成人」)・C(Child「子ども」)の強弱は、エゴグラムを実施したときの状況に応じて変化する。講義の中でエゴグラムを体験したが、Aが22点と最も高く、次に、CP(批判的親)とNP(養育的親)が18点で同点、FC(自由な子ども)とAC(適応した子ども)が13点で同点であった。冷静に現実的な判断ができるということなのか。しかし、不思議なのは、「批判的な親」と「養育的な親」が同じ点であるのはどういうことであるのか?同じく「自由な子ども」と「適応した子ども」も低いところで同点。ともかく「親」の部分が「子ども」の部分より強い(点が高い)のはうなずけることである。
先生のお話で印象的だったのは、最近あちこちで起きている少年犯罪に関して。これらの犯罪が、幼いときから親の言いつけを良く守っていた子どもの持つRC(反抗的子ども;ACの部分の内部に存在)が表出した結果だ、という点である。
裏面交流(「やりとり分析」の三概念の一つ)
相補交流、交叉交流、裏面交流の中で、裏面交流の例が印象的だった。
「課長今何時ですか?」「五時」(表面上。A同士の会話)
「もう仕事終わりにしませんか。」(裏面。C同士)
ストロークの重要性
「心の栄養」ストロークは、日常生活において大変重要なものであることが分かった。私は、家庭では、夫として父親として、相手(妻、子ども)にたくさんの声かけをしているが、ストロークとして有効に働いているのかはなはだ疑問である。常日頃「ストローク」として意識しながら使うことでよりスムーズな関係がとれるのだろう。もうひとつ、“自分へのストローク”というのは、意外と意識されていない発想で、これも今後の生活で実践していきたいところである。
「人生を振り返ってタイトルを付ける」
このワークでは、私は「順風満帆」というタイトルを付けた。
物語は、大きな山も谷もない平凡な人生。
主人公は、無難に過ごしてきた、普通の性格。
終わり方は、ドラマティックな結末を夢見つつ平凡に死んで行く。
これは、私自身の実感であり、「順風満帆」は自慢して言っているのではない。何でも無難にこなしてるとも言えるが、冒険ができない点が歯がゆいのでもある。そんな自分が好きだった(あこがれの)物語が「タイガーマスク」というアニメーションである。まさに波瀾万丈の物語である。
このワークとTAのつながりが理解不十分なのであるが、これが「ラケット感情」なのかも知れない。私の話を聞きながら、グループの人はフォローし、励ましてくれた。ストロークが欲しいためのラケット?
非構成的エンカウンター・グループ
参加する前に不安がいっぱいで、というのは、以前参加した人が、「これはただごとではない」と言っていたので。C.ロジャーズが考え出したもので、BEG(ベーシック・エンカウンター・グループ)と言う。初めて出会った人々が、特に司会を置かずに、自分を語り、その話しに耳を傾ける。簡単そうだが、これが結構大変。まずは、どうしたらいいか分からないのでしばらく沈黙が続く。それに我慢しきれない人が語り出す。でも、自分の感情を語る、というのは、世間話をダラダラすることではない。実のない(?)世間話・雑談があまり続けば、講師がストップをかける。そのうち、自分を語り出す人が出始め、そのグループの雰囲気が出来上がっていく。聞く人は、「聴かなければ」いけない。その人の感情に寄り添ってあげる。これが実に難しい。今回は初めてでぎこちない面もあったが、これははまる。またこのメンバーでもっと感情の交流を深めて・・・なんて言おうと思っていたら、講師から「これは一期一会です。研修が終わったら、すべて忘れましょう。」だって。日常に戻るのに結構苦労した!これ実感。
ウィークリーのエンカウンターグループ
学校では、週一回、2時間半のグループを経験した。8人のメンバーにファシリテーターが一人付く。最低限の注意点は説明されるが、基本的にはここでこのとき偶然出会った8人が創り上げていくものだということ。以下は、一年間を終えて書いた文章である。
この一年を振り返ってみると、自分の変化にかなり驚いている。それは、感情の動きの捉え方についての変化だ。
物事に触れて、あるいは人に接して、私のこころの中に浮かんでくる感情は同じかも知れない。それの捉え方が変わってきた。例えば、怒りの感情。街中で行儀の悪い人を見かけたとき、あるいはそういう人に接したとき、強い怒りの感情が湧いてくる。以前であれば、私は、その怒りを表面に出す。つまり、言葉に出してその人にぶつけたり、行動に移してしまう。行儀の悪い行為は決して許してはいけない、というイラショナルなビリーフが私を行動に駆り立てた。例えば、電車の降り乗りのマナーの悪さなどである。
しかし、最近の私は、そういう場面で「やり過ごす」ことを覚えた。そして、憐れむまなざしを投げかける、というふうになった。ときには、きっとこの人は急いでいたり、何かむしゃくしゃすることがあるんだろうな、などと考えることもある。第一、「行儀の悪い人」という言い方自体、以前の私なら使わないだろう。
この変化の理由について考えてみた。それはまさにエンカウンターグループにある。木曜の夜のコースでグループを重ねてきた。造り上げてきた、と言ってもいい。はじめ見ず知らずの人が集まり(私は一年間休学しているので皆初対面だった)、手探りの日々が続いた。グループは、はじめ沈黙が多く、それ自体は居心地は悪くなかったが、皆がどのような思いでそこにいるか掴めなかった。
しかし、夏を過ぎる頃から皆の発言の数が増えると共に、感情のやりとりが見えるようになって、メンバーの個性も分かってきた。いろいろな波、緊張感漂う場面もあって、皆がつながっていく感じが強まってきた。木曜のこの「空間と時間」の共有がとても心地よくなってきた。一週間の生活の中で、大切なものになってきた。日常の生活でいかに真剣に人の話を聞くことの少ないことか。ふだん家族や同僚には話せないことを話して聞いてもらうのはなぜか。それは、信頼感だ。安心した環境で互いに支え合う連帯感だ。
そのことは、合宿でさらに実感した。秋の合宿では、それぞれ自分で選んだ別々のグループに参加した。それでも、ふだんのグループのつながりを背後に、あるいは隣に感じながら時間が過ぎた。支え合っている感じが伝わってきた。この感じは、他のメンバーからも聞くことができた。ウィークリーのグループのメンバー間にあるのは、いわゆる愛情とは違う。凭れ合っているわけではない。
私自身は合宿中、ある種の孤独感を味わっていた。一般に言う「一人で寂しい」というのとは違う。孤独であることはいいことだ。合宿以来孤独感は持続している。いつでも自分の深いところへ潜っていける態勢が整っている感じだ。そういう意味で、孤独ではあるけれど、安心していられる。孤独であるからこそ人のことを分かろうとすることができる。他のメンバーもそういう意味で孤独だから分かり合おうとしているのではないか。
合宿の後、いよいよロールプレイで「話す」「聞く」体験が始まった。やはり、「聞く」方が何倍も難しい。一生懸命聞こうと臨んだ「聞き手」体験。私は教員なので、仕事柄人の話は聞き慣れているはずだった。生徒や保護者の相談にはよく乗るので、それなりに話を聞くのは上手なつもりだった。しかし、実際にやってみると勝手が違う。人(壁や影)から見られていることもあったかもしれない。
発見したことが四つある。
まず第一に、話の内容の深刻さに圧倒されてしまう自分がいること。私自身がその内容に感動してしまい、話し手がその話にどのような思いを込めているのか、を感じる余裕がなかった。
第二に、話をまとめたがる癖の自分がいること。そして聞いているうちに、何か言いたくなってしまう自分。どれも、話し手の「話」を聴いていない。
学校の面談において、教員は、限られた時間で、生徒にある種のまとめを提示しなくてはいけない。生徒の話を聞いて、それを分析・整理し、まとめアドバイスしあげる、という段取りをたどることが多い。まとめたがり、話したがる自分は、そういうところから来るのだろう。
第三に、相づちや頷きの重要性。他の人のロールプレイを見ていて気づいたことだが、頷き・相づちの強弱があった。相手の感情の動きに合わせて、頷きや相づちの強弱をつけることは、大変有効だと思った。私自身はできなかった。話し手が間隙なく話していたこともあるが、ほとんど一本調子で頷くだけだった。ただ、話し手のリズムに私のからだのリズムを合わせて時を過ごす、という感じで聞いていた。
しかし、ロールプレイの後の話し手の感想に驚いた。こちらは、よく聞けていなかったと思っていたのに、相手は気持ちよく話せたという感想を言ってくれたことだ。なぜそういうことになったのだろうか。今はそのズレについて、私自身うまく説明がつかない。私の今後の課題だ。
第四に、身体が反応するということ。自分ではまったく気づいていなかったが、話がポイントにさしかかった時に私の足が動いたそうだ。後の感想のところで影の人から指摘されたことだが、私の癖なのか。この点もこれからの課題となる。
人のロールプレイを見ていて、言葉以外の視覚的な要素の重要性は強く感じた。話し手と聞き手の距離、向き合う角度、姿勢の取り方。それら次第で話し手の話しやすさを導き出すことがよく分かった。
今ようやく「人の話を聴く」という段階の入り口に立っている。いろいろな問題点が見つかった。これからもっと見つかるかもしれない。ともかく、学びはじめの今は、一生懸命聞くこと以外にないと思った。その繰り返しの後、自分の癖をよく把握して、直すべきは直し、生かすべきは生かす。そして、今の私は、話し手としても聞き手としても、影や壁(メンバー)に支えられて「話せたり」、「聞けたり」できているんだ、という実感を持てたことを忘れないようにしたい。そのことがこの一年間の最大の成果なのだから。
この一年の体験は僕の一生の中で大きな位置を占めることになるだろう。これで、次はさらに難しい研修段階に進む。ベーシックエンカウンターで至った“I’m OK”の状態を前提に「人の話を聞く体験」「聞いてもらう体験」を繰り返す。ロールプレイを録音して、テープ起こしなどもするので、かなり大変なようだ。(先輩がぼやいていた)
エピソード2
ロールプレイング
ロールプレイングとは、実は十年以上の付き合いだ。モレノという人がフロイトの講義を聴いた後で、言ったそうな。「あなたは夢を分析しようとしたけれども、私は夢を再現しようと思う。」外林大作先生が日本に輸入して、その弟子川幡政道先生が受け継いでいる。ロールプレイングで学んだことは多く、これを通して知り合った友人も多い。僕の人生のメルクマールであることは間違いない。
自分をあらゆる別の人間に変えてみる。舞台の上では僕はなんにでもなれる。この体験が今の僕を作っている、といっても言い過ぎではない。いろいろな状況で、いろいろな人と付き合う中で、どのようにも対応することができるような自分がいる。
SCT(文章完成法テスト)
これも、何年か学んでいるが、なかなか奥が深い。
短い書き出しに続けていくつかの文を作ってもらい、そこから、クレッチマーの気質分類に基づく、三分類(S型;分裂性気質、Z型;循環性気質、E型;粘着性気質)に諸要素を加味して、性格の分析をしようというテストである。思うままに書いて下さい、と言われると、ウソを書こうとする人もいるかもしれないが、数多くの文章を書いていると自然とその人らしさが出てくる。内容だけでなく、筆圧や字の形・大きさなども参考になる。
因みに、三つの型は、以下のようになる。(佐野勝男『性格の診断』より引用)
S型;一番の関心は、「自分自身の内的な世界」に向けられており、・・・一人でいてもあまり寂しさを感じないほうである。・・・「敏感な面」には、すこしでもふれると鋭い反応がみられるが、「ぬけている面」は泥足でふみこんでも、知らん顔をしていることがある。
Z型;多くの人に囲まれ、楽しく話しをする「同調」の傾向を持っている。・・・「ひとと共に生きる」といった、人間的暖かさをもっている。・・気分や感情に周期がある場合が多い。
E型;この気質の一番の特徴は、「粘り強い」ことである。・・・馬力はだんだんと尻上がりに調子が出てくるような粘りのある馬力である。・・・要領が悪かったり、正直で頑固すぎるところが出てきたりする。
ブリーフセラピー
短期療法と日本語で言う。教育現場での実用性は高いと言われているが、一般にはあまり知られていない。日本で「解決志向ブリーフセラピー」を主張する人の講演を聴いた。理屈はきわめてシンプルで、目の前で生き埋めになっている人が助けを求めているのに、私たちはなぜその人が生き埋めになったのだろうと首をかしげてはいない。まず、ガレキをどかそうとするだろう。それが、解決志向だ、というのだ。この理論は、クライエントに解決への能力があるのだ、それがリソース(資源)だ。そこをカウンセラーは見つけてあげるのだ。ということらしい。子供を預かるのが中学、高校は3年間という期限がある。その中で短期の解決を志向する、というのは、ある意味で教師が日々やっていることだ。そこを意識して、教師自らどう再構築していくか。そこが問題だ。
引きこもり;私は45歳で引きこもっています。
横浜で開かれた、とあるグループ主催の、「ひきこもり」についてのディスカッションに参加した。前半は、引きこもりを罪悪のように言うのはやめよう。ひきこもったっていいじゃないか、という、引きこもりのルポルタージョを本にした新聞記者の講師のことばが印象的だった。休憩時間に質問のある人は、メモ用紙に書いて出して下さい。パネラーの方が読んで、後半の部でお答えします。・・・後半になってそれが次々と披露されていった。その中に、「私は45歳で今も引きこもっています。今日は何かに引っ張られるように家をやっとの事で出てきました。中学の時に引きこもり始めて、今45歳になりました。」・・・ショックだった。自分と同年代の人が引きこもっている。自分はその人ともしかしたら、ふすま一枚の隣にいるような、つまり大差のない条件にあったのではないか。少し時間をかけてこの問題には関わる必要があると思った。
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