お馴染みの仏教用語〜若僧風味〜


 南無大師遍照金剛D 

青年大師(この頃には「如空」「教海」「無空」などと名乗っていたとか)に一族が寄せる立身出世の期待は、それを成し得るだろう大師の能力と周囲の評価でより高まっていったと想像します。

当時の我が国にあった三つの教え(儒教・道教・仏教)を比較した著作『三教指帰』(さんごうしいき)に、24歳となった大師の超人的な才覚がうかがえます。

巧みな運筆と流暢な漢文体で編まれ、しかも圧倒的な漢詩・漢籍の素養と儒教・道教・仏教の深い理解に裏打ちされており、現代においても文化的価値の高い作品です。

――政府高官を目指す――その年限は25歳だったといいます。『三教指帰』は出仕期限を目前にしての出家宣言でした。

大師の一族は有力な豪族に仕える家柄、両親も親戚と同じく政府役人となることを願っている。仏道修行に打ち込む大師には、「親不孝」「不忠(臣の道に背くこと)といった非難が寄せられました。

両親に尽くすことは大切だけれども、その両親が住む世の中が豊かになるよう尽くすことも大切。一人の役人として国に尽くすことも大切だけれど、「もっと国に尽くせる良い手段はないか」と考えることも大切

 後の行動は、まさに世のため人のためにと尽くされ、1200年以上経った今でも大師は僧俗を問わず慕われています。……さすがに「親不孝」とは言われないでしょうねぇ。

 さて次回は、気になる『三教指帰』の内容をザックリいきます!


 南無大師遍照金剛C 

 青年 真魚(まお:お大師さん)は、一族の繁栄と結びつく学門での立身出世に、多くの期待が寄せられていることを理解していました。しかし、そうした視線に背を向けて、山での修業に打ち込む道を選びます。

周りの大人からのプレッシャーに辛抱たまらず、ヤケでも起こしたように見えますが、歩むべき道と決断したうえでの選択でした。
 後になって、このように述懐しています

  大学で学ぶことは古人の知識の絞りカスのようなもので

   何の役にも立たない

貴重な時間は有意義に使いたい

 いかに中国の故事や政治を学ぼうとも、その知識は今の暮らしとかけ離れている。「何のための勉強なのか」そんな問いへの答えが、見いだせなかったのかもしれません。

 真面目に勉強をしていた筈の我が子が、いきなり「大学をやめる」「やりたいようにやらせくれ」などと言いはじめたら、世の親御さんはどんな反応をするでしょう?真魚青年にも、大人から必死の説得が続いたであろうことは想像に難くありません。

 猛反対一色で染められた家族と決裂することなく、堂々と自己主張をおこない、ことを丸く収めてしまいます。

世の大人のみならず、後世のお坊さんをアッと言わしめた青年大師の主張は、次号へと続きます!


 南無大師遍照金剛B 

延暦10年(791年)、都(長岡京)の大学入りを果たした18歳の真魚(まお:お大師さんネ)でしたが、都(長岡京)での勉強をよしてしまい、山林での修行に打ち込んだようです。
 こう聞くと、
「勉強に嫌気が指したうえ、気分転換で山登りですか?」なんてイジワルな想像をしてしまうんですけど……

お大師さんの述懐によると、実はその逆。中国の故事(勉強を続けるために、冬の夜中じゅう雪の照り返しで書物を読み進めたり、眠気を覚ますために腿に錐を刺したりした)を引きながら、「これよりもっと勉強した」といった趣旨の言葉を残されています。

お大師さんの猛勉強は、学問で身を立てることができれば一族に繁栄をもたらせる…、教え導いてくれた阿刀おじさんにも恩返しをしたいもの…などの気持ちでしっかり支えられていたと考えられます。自分だけの興味や都合で勉強を続けていたわけじゃなく、誰かのための努力だったんでしょう。
 それにしても、部屋に籠もって中国の歴史や漢詩などを勉強してばかりいたのに、藪から棒に「山へ修行に入る」と仰ったのは何故なんでしょうねぇ?

飛行機や新幹線のない当時でしたが、すでに都を中心に街道(五畿ごき:都周辺の5国)七道しちどう:東海・東山・北陸・山陰・山陽・南海・西海の7つ))が整えられていました。
 実家のある讃岐を含め都まで伸びていた
南海道。この道を大学に入るまでに、何度も往復したであろうことは想像に難くありません。
 突然に山での修行を思い立つきっかけは、道すがら紀州(和歌山県:熊野)・大和(奈良県:大峯)・伊予(愛媛:石鎚)で、山での修行に励む行者さんを目の当たりにしていたことによるのでしょう。

これからがもっと面白いのですが、この続きは次回ということで!


 南無大師遍照金剛A 

延暦7年(788年)、15歳になった真魚少年(お大師さんネ)は、母方の伯父阿刀大足(あとのおおたり)から、学問の手ほどきを受け、18歳で大学に入学しました。

当時の学問は、私たちが学校で教わったような国語・算数・理科・社会…ではなく、儒教に支えられていた頃の中国()の歴史にはじまり政治や法律、漢詩や漢文などだったようです。

学校といっても、いきなり大学から。しかも、身分の高い貴族を優先というハードルが入学資格に設けられていました(実はお大師さんでも3年待ち)。

国を治めるにもを手本としていたため、学問は自身の出世に直接影響するもので、どの貴族も繁栄をもたらす優秀な後継者を育てるのに躍起だったとか。また、不平等な入学資格も、権力を握る一族の地位を保つ仕組みとして機能したようです。

さて、お大師さんに学問のイロハを仕込んだ阿刀おじさんは才人で、桓武天皇(第50代 在位781〜806)の第3子、伊予親王(?〜807)の家庭教師を務めるほどの学識を備えていました。

早い時期に良い師と出会っていたことが、今に伝わるお大師さんの活躍を支えていきますが、そのお話は次号からということで。


 南無大師遍照金剛@ 

真言宗を開いた弘法大師を讃えるお馴染みの言葉です。およそ1200年前に活躍された大師の足跡をザックリと辿ります。

 宝亀5年(774年)、讃岐国多度郡(香川県善通寺市)の豪族佐伯直田公(さえきあたいたぎみ)と玉依(たまより)御前は珠のような男子を授かりました。真魚(まお)と名付けられたこの子こそ、後の弘法大師です6月15日が誕生日とされています。お寺によってはこの日にあわせて『青葉まつり』が行われています)。

大師は後に、少年時代のことを述懐されています。たびたび蓮の花に座って多くの仏さまと語り合う夢をみていたことや、両親から「あなたは、インドの偉いお坊さんが胎内に入る夢を見たときに懐妊して授かった。きっと前世はお坊さんだったのだろうから、将来も……」などと聞いたこと。のみならず、自身で建てたお堂に泥で拵えた仏像を祀ったりしていたなど、なみなみならぬ仏縁深さを感じられる話が満載です。

さて、現在とは違い医療や科学が未発達な当時、僧侶のなかには為政者に付き添って病気快復や立身出世などのために加持祈祷をこらしたり、ときに政治的な意見を求められたりするものがいました。 

こうした立場にいて権勢をふるった道鏡(700?〜772)が、政変に破れ失脚(先の女帝、孝謙天皇と通じていたとか、皇位を狙い陰謀を企てたとか諸説あり)したことは、少なからずお坊さんに対する貴族の目を変えたことだろうと想像します。もっとも依然として尊敬を集めるお坊さんも多かったのでしょうが。

大師さんが誕生するホンの少し前に、お坊さんの起したスキャンダルが天皇家を中心とする貴族社会に影を落としていたのかも……
 こう考えると、大師が僧侶として歩む道のりは順風満帆とはいかなかったんでしょうねぇ。
  


 釈迦(お釈迦になる) 

使い物にならなくなったり作り損ねたものなどをお釈迦になる・お釈迦にするなどとも言います。これらは、お陀仏(南無阿弥陀仏を唱え往生すること。死んでしまう〜ダメになるへ転じましたから連想された言葉と考えられています。

阿弥陀さまの像を鋳造したはずなのに、出来あがりはお釈迦さまに。江戸訛り(「ひ」「し」が同じ発音)で「火が強かった(しがつよかった)」と「四月八日(しがつようか)」とを洒落たといいますが……なんともビミョウな話ですねぇ。

 お釈迦さまはシャカ族の王子としてお生まれになり、ゴータマ(最上の牛の意)・シッダールタ(目的を達した者の意)と名づけられました。35歳のときにブッダガヤの菩提樹のもとで悟りを開かれると仏教を広めるべく布教活動を開始します。

いつしか呼び習わされるようになった釈迦牟尼(しゃかむに:シャカ族の聖者の意)通称が、馴染み深いお釈迦さまの語源です。

お釈迦さまは、この世での役割を終える間際まで悩みや苦しみに迷う人々を案じ、誰もが正しく暮らせる手立てを思い浮かべておられました。

お釈迦さまのご苦労をお釈迦にしないように、精進を心がけたいものです。




兎角(兎に角・兎も角)

「いずれにせよ」「ともすれば」などの意味合いで使われる兎角ですが、そもそも「あれこれと」「何やかや」を意味するとにかくにそのようにかくこのように)という言葉でした。

かの文豪 夏目漱石が、「兎に角」「兎角」と当て字して作品中に多用したことで、広く用いられるようになったといいます。とはいえかくに字を当てるのであれば、戸・都・土…、各・核・確…でもいいでしょうにねぇ。なぜを選んだのかは今もって謎のままです。

中国の古文書に、有り得ないことの例えで「大亀、毛を生じ、兎、角を生ず」が登場します。広い彼の国のことですから、非現実的な話であれば幾らでもありそうですが。「ヘソで茶を沸かす」「目でおせんべいを噛む」「紙で食べ物を作る」なんて。

「角を生やした暴力ウサギを発見!」
とか「寒がりな剛毛ガメを見た!」と騒ぎ立てた方がいたんですョ、きっと。


我が国のお坊さんも「兎角亀毛」という言葉を用いましたが、あくまでも不毛な議論や有り得ないことの例えとして。となると矢張り、兎角とにかくには、単なる当て字として結びつけられた言葉なんでしょう。

「兎に角」の産みの親でもある漱石は、兎角とにかくにの意味が違うことを知っていたんですかねぇ?もし其の疑問を漱石本人にぶつけることができたとしても、はぐらかされてしまうんでしょうねぇ。「兎にも角にもそんな話は兎角亀毛な議論だから止しときましょう」なんて。



猫も杓子も

誰も彼も」を意味する「猫も杓子も」は、仏教と関係が薄いような気もしますが、実はこの言葉にも仏教が潜んでいます。

「猫も杓子も」語源には諸説あります。

@    禰子(ねこ:神主)も釈子(しゃくし:釈尊の弟子、僧侶)
   ……もっとも有力とされる「神主も僧侶も」説です。
      連想できる言葉に「神も仏も無い」もありますし。

A    女子(めこ)も弱子(じゃくし:子供の意)
   ……「女も子供も」説。あまり良い意味で使われないような。
      『天保水滸伝』では「甘酒なんかは女子供の飲むもので
ございます」なんて。

B    (飼い猫)も杓子(シャモジは主婦が使う、転じて主婦)
   ……「飼い猫も主婦も」という家族総出説。この解釈は苦しいかも。

C    (どこにでもいる動物)も杓子(毎日使う道具)
   ……“身の回りにあるもの”が膨らんだ「日常ありふれたもの」説。
      ここまでくると連想ゲームのようです。

一休禅師が詠んだ「生まれては 死ぬるなりけりおしなべて 釈迦も達磨も 猫も杓子も」(「誰も彼も死んじまう」だけではない、「死ぬまでどう生きるか」を考える歌と考えています)。

限られた持ち時間で経験する全てを、心の栄養にできたら素敵ですよねぇ。それこそ、喜びも悲しみも、失敗も成功も、「猫も杓子も」





四苦八苦

 苦労することや苦しい時に、「四苦八苦する」などと言い表します。
 苦を「思い通りにならないこと」「どうにもならないこと」などと置き換えると、言葉の意味合いも和らぐような。

 仏教では、私たちが「どうにもならないと感じること」の根っ子にあるものを
  @生
(しょう:生まれ、生きること)
  A老(ろう:老いること)
  B病
(びょう:病気になること)
  C死
(し:死んでしまうこと)と考え四苦と呼び習わします。


 より具体的な内容を以下にあげます。
  D愛別離苦(あいべつりく:大切な人と別れなければならない)
  
E怨憎会苦(おんぞうえく:嫌いな人とも会わなければならない)
  F求不得苦
(ぐふとっく:欲しいものが手に入らない)
  G五陰盛苦
(ごうんじょうく:その他の思い通りにならないこと)
   ※宗派により解釈が異なることがあります。
 これらと四苦をあわせた8つが四苦八苦です


 10年前に行なった歩き遍路で、室戸岬(高知県)を手前にして、右ふくらはぎを激痛が襲いました。経験したことのない凄まじい痛みは、「骨折かもしれない」「ガンかもしれない」などの不安を煽りました。とうとう我慢できず、通りすがりの救急病院で診てもらうことにしました。

「ただの疲労ですね」、レントゲンを見ながらニッコリ笑うお医者さん。専門家の口から安心できる言葉を聴いて気持ちが楽になったのか、嘘のように痛みが消えてしまったことを、今でも思い出します(その後の気まずさったらありませんでした)。

痛みが何であるのか、ハッキリしただけなんですがねぇ。

クヨクヨ悩んでしまう、そんな時。

四苦八苦を思い浮かべてみてください。
ニッコリ微笑んだお釈迦さんが「アナタの苦しみは、求不得苦と言いまして…」なんてネ。






【玄関(げんかん)】 

寺院にある建物の出入り口を、仏のおしえの入り口に例えて、「玄妙(奥深く微妙なこと。また、その道や技の意味)の道に入る関門」と称しました。お寺の書院造りが、一般の建物にも普及したことから、建物の出入り口を玄関と広く呼び習わすようになりました。

 玄は、“(よう)(細かくかすかな糸の意味)+“()(細い糸の先端が一線の上から少しのぞく様子を表したもの)で構成される文字で、よく見えない、よく分からないことをあらわしています。

関(關)は、(かん)+()(幼女の髪をあげ巻きにして、左から右にカンザシを通した様子)+門(両側に扉を描いた象形文字)で、両扉の穴にカンヌキを指して門を閉じることをあらわします。

 お寺の顔ともいえる場所の名称であれば、「気持ちが楽になることをあらわす」などを意味する言葉であってほしいですよねぇ。

無上甚深微妙の法は 
百千万劫に遭い遇うこと難し 
我今見聞し受持することを得たり 
願わくは如来の真実義を解したてまつらん

と唱える開経偈は、仏さまの教えに出会えた奇跡を喜ぶものです。

仏さまや其の教えと出会う確率は、僅かなものだったかもしれません。ですが、出会ってみると身近に感じませんか?

玄関という言葉には、こうした心境も含まれているのかもしれませんネ。



 内証(ないしょう)内緒(ないしょ)

「コレ、他の人にはネ…」などと、大切にしておきたい秘め事を表すときなどに使われます。他所さまに大っぴらにしないことばかりが取り上げられ、家の中の様子や妻などをも意味する内緒ですが、実はコレも仏教用語。

自身の胸の内での悟り(わだかまりのない心持ち、とでも申しましょうかネ)を指す自内証(じないしょう)という言葉が、内証内緒へと転じました。悟りは言葉では言い表せない境地ですから、当の本人のみが承知できること。他人様が伺い知れよう筈もありません。

己が内面を観つめるお坊さん同士で、こんなやりとりがあったかも

ここんとこ晴れ晴れとしてんだよねぇ。もしかしたら悟っちゃったかも」

「へぇ。ソレってどんな気持ちよ?」

「……う〜ん。うまいこと表現できねえや、ゴメン」

「教えてくれたって減るもんじゃなし。このシミッタレっ」

…こんな言葉遣いの坊さんが居たとも思えませんけども。
それにしても厄介なのは、言い表せない心持ちというもの。傍目にはわからないうえ、自分でも説明できないんですから。やっぱり自身で感じ取るほかないんでしょうねぇ

仏さまと同じく悟った方であれば、仏縁で結ばれている私たちへ何がしかの働きかけがきっと在る。そういったご利益やご加護のお力を外用(げよう)と言って、合わせて内証外用と呼び習わしました。

「オカゲサマで」心がけて、自身の心に磨きをかけていると、いつか周りから「仏様みたいな人だ」と聴こえてくる。その時の心持ちは、きっと自内証(じないしょう)

今やれることと言えば、温かい気持ちの出来る範囲でのお裾分け、でしょうかね。




山川草木 悉有仏性

作家の吉川英治さん(故人 『宮本武蔵』・『太閤記』など著書多数)の座右の銘だったこともあり有名な言葉となっているようです。

身のまわりにあるもの全てに仏となる可能性があると釈されます。とはいうものの、仮に道端のタンポポを目の前に突き出され、「このタンポポは仏さまだ」と怪しい目付きのお坊さんに言われたとしてもねぇ…どう答えたら良いものか考えて口をパクパクするか、ただボ―ッとしてしまうのが関の山でしょうか。

個人的に身のまわりにあるもの全てに仏さんのおしえが宿っていると受けとめたほうがしっくりきます。

美空ひばりさんが歌った『川の流れのように』(2番の歌詞)で、考えてみます。

 ♪〜生きることは 旅すること 終わりのない この道
  愛する人 そばに連れて 夢 探しながら
  雨に降られて ぬかるんだ道でも
  いつかは また 晴れる日が来るから 
  
  ああ 川の流れのように おだやかに この身を まかせていたい

  ああ 川の流れのように 移り行く 季節 雪どけを待ちながら〜♪

♪〜雨に降られて ぬかるんだ道でも…という歌詞を、「思うようにコトが運ばなくても、きっとうまくいくから頑張って」という励ましと受けとめられる方もいらっしゃるでしょうか。その方は、歌詞にはない何かを感じ取ったといえます。言うなれば、心のアンテナを張っていらっしゃったと言い換えられます。

 もの言わぬ自然から多くのことを感じ取る心のアンテナ。これを「出来るだけ張っていよう」と心掛けることが、「山川草木 悉有仏性」がを理解することにつながると思います。

 身のまわりのものから何某かを感じ取る心掛けを早く身につけて

母の小言から,多くのやさしさを感じ取れるといいんですけど。



【 どっこいしょ 】

深山幽谷での修行も厭わない修験者が、道すがら唱えたという「六根清浄ろっこんしょうじょう」。この六根清浄どっこいしょに変化したと考えられています…多少のムリを感じつつ話を進めます。

六根清浄の六根は、眼根(視覚)・耳根(聴覚)・鼻根(臭覚)・舌根(味覚)・身根(触覚)に、心持ちを足した六つ。これらを清らかにすることが悟りへの近道と考えられました。

「感覚と心持ちを清らかに」と聞いたところで、どんな心がけなのかピンときませんが、個人的には六根の感度をあげることと置き換えています。

視覚障害を持つ方への理解と共感を目的にした真っ暗闇の中での催し『ダイアログ・イン・ザ・ダーク』。世界の主要都市でしばしば開催される、チケット入手が困難なイベントでもあります。 

 暗闇では、利かない視覚を補うように他の感覚が鋭くなるそうです。言わば六根の感度があがった状態をもってすれば、日ごろ口にするビールも「体中の細胞一つ一つで飲んでいるような感じ」で味わえるそうな。

 六根清浄の心持ちであれば、いつもの梅干とご飯を食べるだけで、黄金色に輝きながら風に揺れる稲穂、朝露で肌を濡らした青梅の瑞々しさを思い浮かべられるのかもしれません。

六根清浄を心がけるための相応しい言葉は?」ですか。

ソリャどっこいしょでしょう。「よっこいしょ」じゃ意味が違ってくるもの



お盆

 お盆逆さづりを意味するウランバーナ(インドの古い言葉)を音写した盂蘭盆(うらぼん)が語源といいます。

 お釈迦さまの弟子の目連という方が、他人様の迷惑をかえりみずに我が子を可愛がったばかり、地獄で逆さづりの苦しみを受けている亡き母の姿を観じました。お釈迦さまに相談をし、その言いつけを守り、亡母の苦しみを除くための法要を行なって供養を捧げたという話がお経にあります。

 逆さづりの苦しみを受けたのも、我が子だけが可愛いいという、いうなればワガママ(ならぬワガ子ママ)が原因と言えます。
親子だから当然じゃない?」という気もしますが…

 混み合う電車の中で、通路に靴底を向け車窓からの眺めを楽しむ子供を目の当たりにした、とします。傍らに母親らしき女性が腰を掛け、その子となにやら話しをしている。「仲良く話なんかして…」などという、ケチのつけられない微笑ましい光景。
ですが、多くの方が、その親子の前に立つのは差し控えることでしょう。靴底で服を汚されちゃかなわないからです。映画館やレストランなどで無邪気にはしゃぐ子供達。傍らでポップコーンをパクつくだけの親御さんに〔叱って欲しい〕と思ったことはありませんか?こうしたワガ子ママが原因となる迷惑ごとは、比較的身近にもある筈です。大勢さんと共生してることを、念頭に置いておきたいものですねぇ。

 意に反して「他人様を不愉快にしてしまった」「思い通りにコトが運ばなかった」という時には、自分勝手な視点だけでものごとを考える、ワガママがその原因にきっとある筈です。いろんな視点でものごとを捉える心掛けを、せめて逆さづりのお盆の間だけでも持ちたいものです。

 こうしたことを「アナタは出来るのか?」って?

「年中出来てたら〔いろんな視点で…〕とは心がけないでしょう」
と言う他ないんですが。



億劫 】

「何をするにも億劫で…」などと面倒くさくて気が進まないときに用いられる言葉ですが、コレも仏教用語。億の劫こう:長い時間の単位)という、極めて長い時間をさします。

エベレスト山(8840m)をはるかに凌ぐ大きな岩山(約21600m)のてっぺんを、100年に1度天女がその身にまとった羽衣でスッと撫でて天上へ戻る。
この100年1度・・・」を続けたところ、とうとう岩山が磨り減って無くなった。これに費やされた気が遠くなるような時間が1劫です。

「岩山が磨り減るまで実際にどれだけの時間がかかるのか?」という興味もありますが、「何の必要があって極めて長い時間があるなどと考えなきゃならなかったのか?」が気になります。

 当初の仏教では「私たち人間は罪深いので、長い間修行したとて悟ることはできない」と考えられていました。けれども、お釈迦さまは悟ってしまわれた。そこで、「なかなか悟ることはできない(極めて長い時間修行に打ち込むなどをすれば話しは別)」として、は考えだされたんでしょうねぇ。

 お釈迦さまの真似をして、行い・言葉・心持ちを正しくすれば、お釈迦さまみたいな人になれる筈。“他人の嫌がることをせず喜ぶことをしたいもの”と心がけ、観音さま(『西光寺だより』5号に掲載。ご要望でしたらメールをば)みたいな人を目指しましょうか。エッ!?「そりゃ億劫だ」ですか?

…仏さまですから、私たちがその気になるまで待ってくれるでしょう。億劫がらずに億劫はネ。



功徳 】
 「ファイトォ!! イッパ―ツ!!」でお馴染み『リポビ○ンD』のCMで功徳を考えてみましょう。

 この『リ○ビタンD』では、「肉体疲労時の栄養補給にリポ○タンD!!」という以前から変わらないナレーションが使われています。 

 ここではリポ○タンを飲む→栄養が補給される→疲労が回復するということが伝えられています。これを使って功徳を考えてみます。

 功徳は良い性質のものと釈されます。とはいえ、功徳は見えるものでも、聞こえるものでも、触れるものでもなく、感じ取るものという位置付けです。

そこで身体は心に、リポ○タンは功徳(良い性質のもの)に置き換えたうえで、「身体に起こることが心にも同じ様に…」と考えるならば、心が疲れた時に功徳→心に良い性質のものが補給される→心の疲労が回復すると考えることもできるでしょうか。

 お墓をお参りすると気持ちがスッとする、周りの人にやさしくすると気持ちが晴々する、ほとけの前で手を合わせると気持ちが落ち着く。こんな体験をしたことはないでしょうか。

これらのことは、良く考えてみると謎だらけです。というのも「何が・どうしたら・そうなるのか」が、はっきりと見えてこないからです。

 実をいうと、気持ちがスッとするなどの行ないの多くは、功徳を積む手段・仏道修行のひとつである布施(この言葉については後日)そのものと言えます。
修行をすることで心へ栄養補給をしていたのですから、当然の結果、でしょうかねぇ。

 少々クサイ言い方かもしれませんが、功徳を心の栄養として覚えておくと、心掛けやすいかもしれません。


菩 提 】

ボーデイ(インドの古い言葉)を音写したもので、ほとけを求めるこころと釈されます。ほとけを求めるこころと言われても、抽象的でワケがわかりません。

 本尊さんや辻々のお地蔵さんなどのほとけさま、仏像というだけあって「こりゃ人間じゃなさそうだ」という姿かたちをしています。
だからかもしれませんが、お線香・花、祈りが手向けられたとしても、「ほとけさまだから当然じゃん」とそれほどの違和感は覚えません。

 考えてみれば、弘法大師や興教大師など多くの人を導いたお坊さんも、仏像さながらの供養を受けている…。仏さまでも仏像でもない、私たちと同じ人間なのにどうして?

元人間の仏像になっているお坊さんが、ほとけさまと同じ供養を受けている仕組みが、ほとけを求めるこころを理解するヒントとなりそうです。

 このお坊さん達は、「多くの人々を導きたい」という心がけを実行し続け、その生涯を閉じています。お坊さんの生き仏さながらの行動に感動し、救われた方や励まされた人もいたことでしょう。
そうした方の中には、お坊さんが亡くなっても手を合わせた方もあったはず。

「他人様のお役に立つような良い人間になりたい」という了見で行動する→周りの人が〔生き仏みたいだ〕と感動する→ほとけさまと同じ供養が向けられるという仕組みが見えてくるのではないでしょうか。

 ほとけさまは究極の人格とも言い表します。
人格ですから、どのような心持ちで日々を過ごしているか、と言い換えることも出来るでしょうか。
何だか、満ち足りた人生を送ることと、菩提を失わず生涯を閉じることは、同じに思えてなりません。

どんな了見でいると、菩提を失うことはないんでしょうかねぇ。

他人様のお役に立ちたい〕という気持ちをとったら気を失っちゃう

…言い過ぎですかネ






無縁さま
『日本語に関する世論調査』(文化庁が6月19日発表)に、慣用句の「流れに棹(さお)さす」や「役不足」「確信犯」の意味を、60l前後の人が誤って理解しているとあります。

「流れに棹さす」は勢いが増すような行ないをすること。「役不足」は役そのものが、役者に対して不足していること、「確信犯」は信念に基づき正しいと信じてなされる行ない、犯行ですってねぇ(ワタシャ誤ってました)。

 後継者がいない、宗旨替えをしたなどの事情で、お身内に供養してくれる人がいない仏さまを無縁さま(無縁仏)と呼び習わします。
「誰も供養してくれないんじゃお気の毒」、思わず同情を寄せてしまう、可哀想な仏さまと理解している人が多いようです。
無縁は、縁が無いとスッと読めるうえに、身内、親類関係などの縁が無いという意味も含まれています。これらから、仏さまのお仲間入りをしたとしても、誰も手を合わせてくれないじゃん、などという、もの悲しいイメージばかりが目につきます。

 血縁関係が無いのは、確かにさびしいことです。
ですが、私たちは、身内や親類のほか、多くの友人や知人とのお付き合いがあって、暮らしを豊かにしてきた筈です。そして、友人・知人それぞれを、個人的に面識がない多く方が支えています。 

 身内・親類のご縁は、ややもすると無くなることがあるかもしれません。大して、仏さまのご縁は、オカゲサマという言葉がぴったり当てはまる方々とのご縁、仏さま同士が取り持つ大きなご縁ですから、無くなることがありません。

 無縁は、「(まったく、誰とも)縁が無い」という意味合いの他に、「(身内や親類という限られた)縁は無い」とも釈されます。
このように受けとめておくと、無縁さまに手を合わせて気持ちを寄せることができるうえに、〔オカゲサマで…〕という感謝の心持ちも長く保っていけるのかもしれませんネ。