日 記 ど う ?




◆平成17年3月の日記どう◆

2005年3月31日(木)
禿頭ファイブ

山伏仲間で鎌倉ツアーでした。勉強で、です。遅かれ早かれ、お寺の一翼を担う立場となり、責任や発言を求められるようになる。多くのお寺を見聞しとくにこしたことはないだろう、というわけで。
1. 覚園寺
文化財に指定されている萱葺きの本堂、移築された古民家は様子がいい。巷の喧騒などどこへやら。物言わぬ槙の古木に圧倒されました。
2. 瑞泉寺
いいんですよねぇ山寺。後ろに山を構えていると雰囲気が断然違うこと。傾斜を利用した境内の様子は粋。今だったら重機で平らにしちゃうかねぇ、土地の有効利用とかいって。
3. 称名寺
駐車場が…。そもそも観光寺院ではないからだろうけど。なので山門を眺めるのみ。また後日。
4. 定泉寺(田谷の洞窟)
何回来たろか。地元、山下小学校への通学路に防空壕があった。立ち入り禁止だったけど。「ダメだ」と言われりゃ、余計気になるわけで。比較的聞き分けが良かった当時は、中には入らず首だけ入れて中を覗いたっけ。ここの洞窟が気に入ってるのは、そんな気持ちになるからかも。
 〜番外〜 「龍門」(大鳥居駅)
    言わずと知れた餃子の名店。まずは、ラー油のみを餃子にかけて食すべし。「ご飯を食べるんだったら餃子をおかわり」するね、個人的に。

2005年3月30日(水)
マクラx6

常楽院さん(板橋区前野町)でご詠歌。初めてお邪魔したのが5年ぐらい前。その頃から13001600まで時間を貰ってた。今回から「1時間増やして〜」ということで13001700まで。4時間っすよ。有難いことで。おかげで、身体・脳ミソが、勝手にクールダウン。
話材に事欠かない世間様の様相をもってすれば、「どんな話をしようかしらん?」と悩むことはないんでしょう。タネは種々雑多なニュースから拾える、問題は“展開”と“オチ”。どうしても、一個人が拾い集めて、弄くっていくのでありきたりのパタ〜ンになってしまう。「面白さ」も好き好きである以上、如何ともし難いのだから、「面白い」と思えるものを拾ってきゃあいいのでしょうけど。ただ、「またコレかよぉ」と突っ込みを入れてくる内なる声が気になってくるのですよ。
それが、空っ欠になると良いようで。とっ散らかった机の上をザァ〜ッと大雑把に片付けるように頭の中がスッカリ片付く感じ。何も無いと何か出てくるんですな。片付いたとこへ、違うものを置いていくみたいに。

2005年3月27日(日)
粗忽な遺伝子

 朝方、南蔵院さんへ向かう前に野暮用で実家の極楽寺へ。父、アニキと顔を合わして二言三言。「それじゃ」と出かける間際、母の姿が見えない。聞くと「肩の骨にヒビが入って全治三週間」とか。細かなことは聞かないまま慌しく出かけた。
 「思えばいつまでも迷惑かけてしるなぁ」などと車中で。疲れもあったのだろうと、お寺の手伝いが終わり次第お見舞いすることを思い立つ。
 母は南蔵院の大奥さんの姪。退院してから「実は入院してまして…」じゃ具合が悪い。内緒にしている必要もなし。一仕事を終えて打ち明ける。「しばらく入院でもして休んだほうが身体にもいいし」と。同感。
 入院先を確認するため実家に電話をいれる。なかなか出ない。「いつものことか」と待っていると、済ました声で母。
 「もしもし?」
 「なんだ入院してんじゃないの?」
 「…何だ。アンタ何をバカいってんの。ヒビが入ったことは入ったけど。入院するほど大袈裟じゃないの。今日ご詠歌もあるし早く帰ってらっしゃい」
 肩が骨折(ヒビ)+全治三週間→入院となっちゃったのね。我ながらそそっかしいことで。呆れるやらホッとするやら。電話をきろうとしたら
 「オバサンに「入院した」と言っちゃったんでしょ?…やっぱり。電話いれと
くから」
見舞いの申し出+南蔵院の帰り→叔母に伝わった、と判断した母。「お詫びしといて。悪いね」と携帯を切るとまた電話。見ると実家から。
 「もしもし」とまたも済ました声で母。。
 「何よ?」
 「…なんだ。南蔵院さんにかけたつもりが間違えちゃった。じゃぁねぇ〜」
 本当にそそっかしいことで。

2005年3月26日(土)
狼オトコ

 久々にウォーキングしました。南蔵院さん(豊島区高田)で一仕事終えてからジョギングするつもりが夕飯をとってしまったので。
 恩田川の川原っぷちを十日市場方面へ。歩く場合は駅に向かわず上流を目指す。246をくぐり、田園都市線田奈駅を通過。町田線をわたりこどもの国線をくぐる。浄水場脇を抜けて成瀬に入る。ここで折り返し。しめて2時間のコース。
 帰りしな芽吹き始めた桜並木の高みに朧の満月。その場に腰を落ち着けてお月見でもしたいほどいいもんです。潮の干満があるのだから、身体の多くを水分で拵えてる私たちが影響を受ける筈。志の輔さんの『満月の会』はこんなことではじまったとか。
 話の種がなかなか見つからないときにブラリ出かけるときに通ったお決まりのコース。満月だったので自然アタマがそのようになったのか、話の種を一つGetです。

2005年3月25日(金)
「堀の内」といえば

 南蔵院さん(豊島区高田)お檀家さんで93歳で逝かれたTさんとこの御爺さん。高円寺の斎場でお弔い。前日のO先生と引き続いてなので「不思議と続くもの」が今回は当て嵌まったようです。
 早めに斎場へ到着。仏様へお線香を手向け『般若心経』を捧ぐ。控え室でどのような生き様だったのやら想像を膨らませる。どんな声やら話し振り、箸の持ち方や歩く姿は等々。ご遺族の立ち居振る舞いは故人を偲ぶ何よりの便だろうと。
 堀の内の火葬場でお施主さんがたとお話。地域によっては同行されないお坊さんもいるようですが、個人的にこの時間は有り難い。日頃ご無沙汰をしてしまうお檀家さんとの距離を確実に近くできますもんね。
 手洗いを済ませて控え室へ。係りの方に案内されるままに席に着く。ご親戚の方が大振りの急須を持ってきてくださった。目の前の湯飲みにお茶を淹れてくれながら「ジュンちゃん(何年か前に自己紹介したもので…)、よろしくね」とニッコリ。ん〜近すぎでしょうか。

2005年3月24日(木)
その後の「されど○○」

 南蔵院さん(豊島区高田)の役員さんでいらしたO先生の葬儀で宝仙寺。お立場上お参りの方が大勢さんでした。弔辞も三本(“本”で単位はあってるのかな?とりあえず)。急逝を惜しむ気持ちのこもる言葉に貰い泣きをしそうになりました。
 「坊さんたるもの感情を動かしてはならん」こんな気持ちがあります。ご縁があってご供養をさせて頂くのだから、心は平静を保って必要なことをしっかりとお伝えする。坊さんが泣いちゃって「お経が読めませんでした」じゃ。「あの坊さん、何しに来たんだ」と言われても仕方ないし。
 「お経が有り難いのはワケがわからないから」という言葉があります。個人的には“お坊さんにとっても”と加えたいところ。だってね、もしお経の文句が悲しみを助長するような感動的な言葉で綴られていたとしたら、泣いちゃってどうにもならないでしょう、お坊さんだって。
 O先生のお嬢様が出棺前に会葬御礼。気持ちがないと出てこない言葉に打たれ、またもや人知れず貰い泣き。涙腺が弱くなっただけなのか、共感ができるようになったのか。そういった姿はお坊さんとして好ましい傾向なのか、律すべき行いなのか。世の中わからないことだらけ。

2005年3月23日(水)
頼りになる人

東福寺さん(中野区江原町)でご詠歌。講員さんのEさんに助けてもらいました、というかEさんサマ様。「困ったときの神頼み」よろしく、何かっていうときにEさんに振ると笑いが起きる。
 忙しい合間をぬってご詠歌に来てくださるのだから、任された2時間でいかばかりでも気持ちが変わってもらえればと。「今日は面白かった」でお帰り頂くのも良し。目的は成していたのかもしれません。…ただね、今回の「Eさん頼み」はいうなれば“客いじり”なんだよなぁ。次回こそは。
 終えてから宝仙寺さんへ。南蔵院さん(豊島区高田)の役員さんでらしたO先生のお通夜。現役の某国立大学教授というお立場上、多くの会葬者が予想されるので。
 南蔵院さんで年に何度か催される大きな法要では大概黒子役。勝手知ったるところで、手伝いに来てくれる若手にアレコレ指示も出す。大勢さんが参列されるなかでピッと手伝いの小僧さんへ指示を出す、そんな時。決まってO先生とは目が合った。「観察なすってたのかな?」などと緊張を覚えたもの。目をつぶったっきりで身じろぎもしないお爺様方と対照的なその姿勢に、頼もしいなぁ、と。こんな気持ちの方に意見を求めればきっと何か教えてくれるだろうから。O先生の訃報を受けて、こんなことがふと。

2005年3月22日(火)
「甘ったれんな!オレ」

南蔵院でのお彼岸手伝いも終了。大勢さんがお参りでした。温かい気持ちで彩られたお墓は心地が良いこと。お墓は都内のオアシスですな。この時期は特に。
高戸橋にあるデニーズで高校時代の仲間、“追い込み人生Kちゃん”と“12年ぶりMちゃん”と待ち合わせ。歯科医、薬剤師としてバリバリ活躍している彼等の近況報告込みの話は刺激的で面白いこと。異業種交流会といったところ。違う世界で同じだけ時間を使っているのに、かくも。帰りの道中、会話を反芻しつつ回しをギリギリ締めなおした次第。
にしても、「日記に書き連ねよう」などと考えもしないほどの情報量でした。あやうくシャットダウンするところでした。
…独身男三人がファミレスで素面のまま5時間。そりゃ店員も寄り付かない。

2005年3月20日(日)
「花粉症」は公害認定されないか

週に一度のお楽しみ『報道2001』。今回は大人しかったな。パネリストがちゃんとした理論を展開。粛々とした濃密な時間でした。喋り手が冷静で理論にスキがないと観てるコチラも頭に血が上ったりしないのだろか。少子化は確かに問題。サービスを受ける数も、働いて国を支える数も減っているのだから。都内では学校の統廃合も実際あるし。少子化で公共性の高い病院なんかも影響出るだろね。既婚者のみなさん頑張れ。
南蔵院さんでの、お彼岸手伝い3日目。お中日だけあって花粉にも負けず大勢でした。コチラも花粉症であることは請合うのだけれども、猛者来訪。ひどい嗄れ声、涙目、赤味が差す鼻の下は、間違いなく花粉症患者。話を聞くと「花粉症で熱が出ちゃって寝込んでた…」。
サナダムシのお世話になるにはまだ症状が軽いようです。

2005年3月19日(土)
三つ子の魂

知ってます?“ひょうそう”。巻き爪だと爪の端っこが切りにくい。切っ先みたいな残った部分が、爪の脇の肉をグリグリ傷つけるんでジュクジュク膿んじゃう。中学にあがった頃に症状がでた。中3の頃に、ようやく手術。
膿み混じりの血が靴下を汚すものの辛い痛みじゃない。“気になる”という程度だったので3年ほっといた。厳密にいうと直そうとはしてた。ひょうそう仲間に「限ナシBちゃん」がいて、彼のはランボーがかってた。幹部を太い待ち針でブスブスさして膿をギュ〜と搾り出す。その後ライターで真っ赤に焼いた待ち針で「ジュ〜」…。「こうやりゃ治るよ」だって。治るでしょうよ、痛い患部をグイグイ搾り込んで極めつけの「ジュ〜」やれば。ていうか無理です。アサシンの訓練受けてませんし。
妙計を思いつきました。麻酔=シビレている麻痺状態、ということは、シビレていれば、患部グイグイも待ち針ジュ〜も可能だろうと。だって「痛くない」のだから。正座に慣れていない当時のことでしたから、20分ぐらい座をったでしょうか。同時進行でライター&待ち針と消毒用マキロンを準備。「イテテ」と足のしびれもイイ感じになり、シビレの取れない今のうちだ!!と。これで靴下の汚れとも、イヤな膿の臭いともオサラバだ、と。隙間から光がこぼれる幸福の扉に手を伸ばすがごとく、患部に手を伸ばしはしました。
シビレてて、触るどこじゃありませんでした。
 とにかく花粉症で眼が痒い、鼻がむず痒い。『心頭滅却〜』ではないけれど、「オレは花粉だ、花粉になりきるんだ」とイメージを膨らませつつ恩田川へジョギング。花粉と友好関係を結び、仲のいいトコを体に認知させれば、アレルギー反応による花粉症の症状に悩まされることもないだろうと。花粉舞い散る川原っぷちへ突入したのは良かったのですが、
 …やっぱり妄想でした。

2005年3月18日(金)
水が違うんだろね

サントリーホールで東京フィルのコンサート。読売交響楽団の機関紙編集に携わるY.K.さんからチケットを貰って。超熟発酵T坊ちゃんと。
 シェスターコヴィチは初めて。正直面白かったです。旋律を食っちゃうようなフレーズが「ここでくるかぁ」と。今までの浅い知識を裏切られっぱなしの不思議な時間でした。
 終えてから六本木の『刀削麺 西安』へ。店内ゴッタ返しで賑やかだこと。2130をまわってたと思うけど、「まだまだぁ〜」のノリ。1800過ぎぐらいの雰囲気かなぁ。客層は同世代もしくは低めのサラリーマンorOLさん。「皆さん、終電とかいいの?」などという余計な心配事を麺すすりながら。
恐ろしいところです。六本木。

2005年3月17日(木)
想像力豊かな作家とかけまして…

 『邪馬台国はどこですか?』、『新・世界の七不思議』(ともに鯨統一郎著ね)。面白かった。物事はかくも多角的に眺められるものかと。短編仕立てなので読みやすいうえに、思わず唸ってしまうストーリー展開。なかでも強烈なのが信長の話。だってさ、「本能寺の変」は信長の“自作自演”だった、ですもん。史料(状況証拠)をもとに、推理していくさまがソリャもう、お見事!!(気になる方は本屋さんへGo)
 横山光輝さんの『三国志』(コミック本ね)は、男なら誰しもが(?)通る歴史関門でしょうか。そもそも国名、年号、出来事、人物、膨大な固有名詞を無意味に暗記するようで嫌で嫌で、日本史や世界史が苦手だった。そうも言ってられないので手にしたのが『伊達政宗』(横山光輝さんのコミックね)。それの面白いこと。登場人物それぞれの思惑と立場、国の置かれている環境と損益…複雑にこんがらがったものが、一方向へ集約されて内政や外交に現れる。てんでばらばらだと思い込んでたパーツは実は繋がってんじゃん、と。こんなに面白いのなら…で手当たり次第読みましたねぇ、コミック本だけですが。
 何かの統計で、若い世代は我が国に誇りを持たない(持てない)と出たそうな。統計そのものを“まやかし”程度に受け止めているから、気にしていないけれども。ただ、その原因は何かなぁ、と。櫻井よしこさん(だったかな?)が「歴史の勉強は先祖を見つめなおすことからはじめたほうがいい」。同感。それなら人物、出来事、年号等の暗記ワードが繋がりやすいものね。「ウチの爺ちゃんはどんな生活してた?」が入口で当時の出来事への探求が始まり、多くの資料にあたることで多角的な視野を育むでしょうと。
 お彼岸突入です。南蔵院さん手伝いでした。足元が悪いのにお墓参りの方がいつもより。墓石の前で手を合わす。これも「家の先祖は何してた?」歴史を学び、多くを考えるきっかけ。

2005年3月14日(月)
ダメにんげんだもの

 『天使と悪魔:上・下巻』(ダン・ブラウン著)。面白かったなぁ。当たり前のことだけれども、読み進めるにつれて左手の厚みが薄くなってくる。最後のほうなんか「終わらないでくれ〜」なんて名残を惜しんだり。『ダヴィンチ・コード』に引き続いて良く練られている小旅行を堪能させて頂きました。
 南蔵院さんで一仕事してから、地元青葉台のフィリアホールでコンサート鑑賞。木下順子さんのピアノとヴァイオリンのデュオ。木下さんは十年来のお付き合い“クサレ縁”T坊の高校時代の同級生。「この歳になるといろんな人がでてくるよなぁ」などと。そういや井本どうしたかな。
 演奏会を終えてからT坊とその仲間たち(キクちゃん夫婦とキクちゃんの義姉)と「紅虎餃子坊」で食事。キクちゃんがお坊さんと結婚した後輩の披露宴での話をしてくれた。
 ひと通り話を聞いて「う〜ん、お坊さんの中には場慣れしてる方もいるからね…」愚にも付かない返答をようやく。諸先輩方の努力のおかげで「ピシッとしている」イメージを抱いてくれている方の多いことよ。だけに反動もそれなりですな。
 「坊さんといえども人間だから」と身近に思ってくれる方がいる一方、眉間に皺を寄せる方が確実にいる。「坊さんといえども人間だから…されど坊さんだよねぇ?」で時間を使えれば、と。これから「されど坊さん」・「されど○○」などとズッーと入れ代わり立ち代りしていくんでしょうけども。
 かけがえのない時間の多くを推理小説の世界に没頭することに使った今日、ですか?「…されど人間」でしょうか、不本意ながら。

2005年3月13日(日)
もぎもぎもぎもぎ蓬もぎ

『ダヴィンチ・コード:下巻』を読み終えました。不思議と眠くない。というのも、日曜は朝から『報道2001』(フジテレビ)、昼は『日曜日の秘密基地』(TBSラジオ)、夜は隔週で極楽寺でのご詠歌だし。刺激盛りだくさんで楽しいからねぇ。
今朝も冴えてたなぁ桜井さん。日中関係の諸問題についていくらかの討論。以前桜井さんにバッサリやられた中国の学者さんが再登場でした。「こりゃ面白くなりそうだ」と、胸が高鳴ること。今回は相手も知恵をつけてきたのか討論の時間が終わる頃に、それを見越したかのようなダラダラ喋り作戦。「ちょっと黙って」などと発言を遮って反論をしたら、逆効果となりそうな雰囲気づくりは老獪でしたな。傍らの副大臣がフルフルきてるのに、桜井さんときたら表情を変えずに一言ズバッ!!と迎撃、でCM、だもんな。「強さにはしなやかさが伴う」とは当意即妙だこと。
南蔵院さんの仕事を終えてから極楽寺でのご詠歌。昨日、お檀家のオバちゃんから頂いた草餅が残ってた。塩をチョイ利かした薄甘の黄な粉をタップリつけて。それとお新香とおみおつけで夕飯。ここんとこ起き抜けの冷やし甘酒が朝食がわり。だからかねぇ、固形物の食事が美味しいこと。
そういえば草餅を食べるときって、最後の一個は黄な粉との名残を惜しむように取り皿へグイグイ押し付けて、薄く引き延ばして食べたくならないいっすか?

2005年3月12日(土)
『モナリザ』は何で『モナリザ』か?

『ダヴィンチ・コード:上巻』を読み終えて「来た来た〜っ」大変に盛り上がってまいりました。ワクワクして下巻に手をだしたところ。ところが…やってくれる、フ○テレビ。『ダヴィンチ・コード』の特番をゴールデンで組んじゃって。(意地でも観ないからな〜観たいけど)
「世界中で大絶賛!!」などと見聞きすると、「…ハイハイ」とソッポを向いてしまうもんで、『ダヴィンチ・コード』も対象外。ほっといた。それが、ここんところ推理小説を読み漁り始めまして。『魔術師』・『コフィン・ダンサー』(共にジェフリーディーヴァーね)を読み終えて「そんなに面白いんなら上巻だけでも」で試してみたら、面白いの面白くないの。物語に出てくる『最後の晩餐』の絵解きをしたくて、ネットで『最後の晩餐』探して確認したくなるほど興味深いのですよ。それを○ジテレビめ〜再放送しないと許さないからな〜(バカ)

2005年3月11日(金)
食べるラジオ

『志の輔ラジオ』(<http://www.joqr.co.jp/shinosuke/>)には、志の輔さんが小林カツ代さんに簡単料理を教えて貰うコマ“志の輔BAKARI”がありまして、それがまことに簡単で美味しそう。何より「これならやってみよう」と思えるほど手間要らず。「いつかは…」の本懐「白菜とツナ缶のドカン」を本日遂げさせていただいたわけでございます。いや旨かった。ツナ缶の油なんか殆ど飛んでるし。白菜が残ってるから明日また、ぐらい旨い。アイデアなんですな。つまるところ。
番組内の初回で、作業場が一般家庭にあるキッチンに志の輔さんが驚いてた。料理研究家であれば、広いキッチン、高カロリーのコンロ、豊富な調理器具…だろうと。
「だって多くの主婦はそんなもの使わないじゃない」
だって。こういった想像力があるから秀逸な簡単料理が思いつくんでしょうね。
念頭に置いている“つもり”の世間様の思いと暮らし。少しでも意識を近づけられたら坊さんとして素敵だぁ、などと。

2005年3月10日(木)
ゲームの達人

豊山派と新義真言宗と智山派の3つ共同で催しごとしたりして、仲良くお付き合いをしてる。当番幹事だかでポスター製作をするんだとか。流山のプリンコさんから声をかけて貰って「面白そうで」で即答。ポスター委員(ほかHさんの3人ね)3回目の会合がお疲れ会。プリンコさんとHさんにおんぶに抱っこ、肩車までして貰って。
Hさんは若手芸術家として、すでに個展を開いており強烈な個性の作品をこさえてらっしゃる。軽はずみな言葉しか思い当たらないけど抽象的な雰囲気なのです。だからパッと見て「?」で「ワケ分からん」と感想を抱くかもしれない。けどもね、そこで思考停止じゃ、Hさんの想像力の足元にも及んでないことを自分で認めることになりますけど。『連想ゲーム』の仲間にも入れて貰えない。“ガ○ツ”以下ということになりますが…
ワタシ?考えても殆ど解けなかった。(ワタシ≦ガ○ツ決定。トホホ)
 慰労会の席でHさん種明かし。
 「曼荼羅の中には動物の上に座っている仏さまもいる。真ん中のライオンもそのつもりでね。獅子座に座るものもあるのに誰も気づいてくれないんだもんなぁ…」
 Hさんが曰く「単にワケのわからないものじゃ、今は通用しなくなってる。ちゃんとしたメッセージがないと認めて貰えない」とのこと。
 なるほど。しかと受け止めましたぞい。しばらく現代美術の鑑賞して脳ミソ鍛えなおしてきます。
 

2005年3月9日(水)
♪ホントに悪気はないんだよ〜

東福寺さん(中野区江原)でのご詠歌どうを終えて新宿。東京と神奈川のご詠歌仲間で催した大会の打ち上げ並に反省会。皆さん忙しかったらしく集まりが悪く4名。「この人数じゃ…」と誰が言うともなく、オカタイ話はナシ。他愛もない言葉遊びに興じましたとさ。
向かいに座ったのは同級生Nさん。ちょっと前の風の噂じゃ結婚したらしい。そのNさんが何だかイロイロと気を使ってくれるのよ。ごくごく薄目の焼酎お湯割り(お坊さんは昔から『般若湯』と嘯いて何某かのチエを頂けるもんじゃわい、などと…)がなくなったグラスにスッと同じ濃さでぐらいでお酌してくれた。「ありがとう」というのも照れ臭いので茶化しちゃった。
 「サスガ既婚者、こうした所にも家庭円満のコツが染み付いてる」
 「別に普通じゃんか」
 仲良し家庭を築いているようで。関心関心。
  やり取りをみていたN先生。
 「そういった気遣いは「いつも有り難う」って意識がないとでしょ?」
 「イエ、無意識にしてる…というか体に染み付いてるみたいで」
 おそらくは嘘のない、オノロケ意識もない即答ぶり。一同またも関心。
 「エッ!?それって条件反射ってこと?犬がベル鳴らされてヨダレ出てくるみたいな…」
 …我ながら何とも。

2005年3月8日(火)
忘れないうちに

話の寺子屋の予定でしたが、肝心の村上さんが入院。で中止。“落語断ち”解禁の取っ掛かりにと思ってたので残念至極。今回「このことを言ってたんですね?」と確認したかったものを一つ。
村上さんが仰った中に「初めてマイクの前に立ったときのドキドキを忘れちゃいけない」があります。意外だったので印象強く残っています。というのも「半分納得」だったもので。
どんなに経験を積んでも奢っちゃいけない。万全な準備なんてない。「初心忘れるべからず」でぶつかるしかない。これは納得した半分。
時間が掛け替えのないものであることは、聞き手も同じ。いくらかの時間を任されたのならば、それなりの話材を集め、適当な言葉を煮詰め、しかるべく準備をするのが、時間を委ねられたものの義務だろうと。冷静でも実力がだせるかどうかわからんのに「ドキドキ」してちゃぁ無理じゃん。無責任じゃんか、て。
知多のお参りの車中では、お泊り・巡礼初体験の新人ガイドさんとでマイクを担当。ハタと気づいたのは、ひたむきに喋るガイドさんのたどたどしい言葉に皆が聞き耳を立ててるという事実(正直、完敗でした)。
万全に用意された気持ちの篭りにくい話(話し手の力量にもよりますが)よりも、ひたむきなでストレートな気持ちの篭るたどたどしい話を多くの人が好んで聴く。であれば頂いた時間を満足できるのはどっちなんだと。立て板に水で簡潔明瞭もいいけども、念頭におくのは気持ちだということ。少々の「てにをは」の違いは、気持ちの有無の前では些事。
申し訳ないけども村上さんの「初めてのドキドキ…」には、↑があったので初めて納得できたんですよ。
生涯忘れちゃいけない大切なものを見っけたということにもなりますが。

2005年3月7日(月)
鍵を持ちながら鍵を探す?

極楽寺でのご詠歌どう(昼の部)でした。但し課外研修で横浜にぎわい座での『玉川演芸会』(芸名が“玉川”で始まる芸人さんの催しね)。お察しのとおり玉川福太郎さん狙いでした。福太郎さんのお弟子さんで玉川美穂子さん〜福太郎さん〜玉川スミさんで中入り。イエス玉川〜玉川カルテット。適当なことをパーパー言うだけでなしに、ちゃんとした芸を見せて貰えました。ご詠歌のオネエタマともども大満足。楽しかったうえに¥3000の木戸銭はお得です。
「楽しいことは?」と聞かれ絶句。挙句に「楽しいこと?ないかなぁ…」とツマラナイ人間の気の利かない模範解答をしたことが。その時には唐突な質問に言葉足らず。ここでの“楽しさ”には“子供の頃のような”が伴うのね。ドロケイや缶ケリ、往来に穴を掘っちゃダンボールで蓋をして土をかぶせているときのような。バカバカしくも純粋な楽しさを、味わってないということ。人目なぞ眼中にもないし「親にみつかったら怒られる」なんて考えてもいない。人目や、その後の影響力なんか気にも留めないし毛ほども考えない。無邪気というかバカそのものの心持ちに、ここ何年なってない。
物事をいろんな角度で眺めよう、などという自己満足スローガンを掲げユルユル回転する頭を使い始めたからか、ムダに冷めた人間になってるような。「無我夢中」で楽しむ時間もないとバランスを崩したりしかねないものと。お喋りや落語、ご詠歌などでも似た楽しさにはなるのですが、短いんだよなぁ。
失くしてみないと有難みには気付かないのですな。今になって考えるほど分からないし、手に届きそうで届かない「無我夢中」の心持ち。「どうしたら?」って、今晩も寝付けなさそうです。
…そうか。寝てるときには既に“なってる”のだから気にするこたないか。

2005年3月5日(土)
水の泡

 文化放送『志の輔ラジオ土曜がいい』(これは落語じゃないでしょう)冒頭での志の輔さんが学生落語の審査員を請け負った話をしてた。
 審査対象の中でも“ちんちん亭しんじゅ(漢字は聞き逃しました)”という芸名の学生さんがとりわけ印象的だったと。既に地元の放送局で仕事をしているという、しんじゅさん。某放送局だけが芸名を理由に出演を断ったとマクラ。「そこは『水戸黄門』は放送してるのに〜納得いかない」だって。…気を取り直してお品良く続けます。
 南蔵院さんで仕事をしていると「カミサンがぎっくり腰しちゃって、今晩の役員会が終わるまで残ってくれる?」住職より残業依頼。「ハイ、よろしくお願いします」。と返答。「させて頂く」気持ちなしでは到底出てこない言葉。遍路効果てきめんです。
中座して下落合のお寺さんへ。月2回の習字教室にここんとこね。「お坊さん」と聴くと「字が上手い」と条件反射のように連想する方がいらっしゃいますけど、筆と硯に怖じ気づくお坊さんもいるのです。「このままじゃマズイ」でようやく取り掛かった次第。帰り際、お仲間から「随分良い字を書くようになったね」と褒められた。「皆様のおかげで…」と淀みなくスッ。驚きましたねぇ我ながら。だって言葉に先立つのは気持ちや考えごとですよ。ということは、「イエイエ、私なんかはまだまだ」などといった照れ隠しよりも皆さんへの感謝が先立ってたことになるでしょうから。イヨッ!!お遍路効果。
 上機嫌で南蔵院さんに戻り、住職があらかた仕事をしてくれていたのでアッサリと残業終了。心持ちの変化を反芻しつつの帰りしな代官町ランプで危ない割り込み車が。無事にやり過ごしたものの「危ないなぁ、ったく〜。これだから土日は〜」
…お遍路効果消滅

2005年3月4日(金)
話のチカラ

 無事に知多新四国88札所巡礼を結願しました。終わりが近づくにつれて無事に終えることへの安堵&(アンド…)4日間頑張ったことの達成感、旅の終わりに付きまとう寂しさなんかが、綯い交ぜになって感動的に終わる、筈だった。今回はその環境が整っていなかったようで(詳細は控えます。気になる方は知多四国へGo)。
住職に許されているわがままの中に、境内を「らしく」整備するがあるでしょうか。今回のお遍路では60件近くのお寺をお参りしながら勉強をしてきました。お寺が置かれている環境により、構えや様子もそれぞれ。ただ、言えることは、やっぱりお寺の雰囲気づくりは住職の裁量次第ということ。とても参考になりました。
 お参りを終えたのにも関わらず車内に漂うドッチラケの空気。これをガラッと変えてくれたのは、三重交通の新人ガイドぴょんぴょん。旅の終わりで気持が昂ったんでしょう、感情を抑えきれず涙、涙で締めのご挨拶(女性は理由無しに泣けるもんじゃ、と意地悪な方はいいますがね)。声を震わせ健気に話す姿に車内はもらい泣き。どんなベテランガイドさんでも、ここまで聴く人の気持を動かすことは出来ないでしょう。気持ちの篭った言葉のもの凄さを見せつけられました。おかげで一同温かい気持ちのまま帰れました。「終わりよければ全て良し」とは良く言ったもの。良かった、良かった。
 旅は良いですねぇ(“良い”が多いな今回)。非日常空間の連続に慣れてきた頃にサッパリと終わる。寂しさと未練が伴うのも何ともいえない。秋口に四国のお遍路かぁ。どんな刺激を頂いてこれるやら。今から気持ちが高ぶること。
 日頃の暮らしも、目をむけてみれば興味深げな刺激で満ち溢れてる。それを拾えれば楽しいし、ボーッとして拾えわきゃつまらない。拾う努力を怠ると退屈になるんでしょうな、きっと。

2005年3月3日(木)
夜更かしの原因

 知多の巡礼最後の夜は奮発して長島温泉『花水木』別館に泊。館内には大浴場、露天風呂×2、檜風呂(ジャグジー)、サウナ。これだけでも充分なうえに、併設してある「湯あみの島」(スーパー銭湯のデラックス版のような)。ここにも男女に大浴場、そのうえが男湯は黒部峡谷、女湯は奥入瀬渓流をイメージした大露天風呂(転寝しちゃっていってない、残念)。にしてもこの大きな施設に一泊じゃ無理があるよなぁ。そもそもが少ない持ち時間だから、それだけのお風呂に入りきれないもの。加えてベゴニアガーデンやら、テーマパークが立ち並んでるし。ここの温泉廻りだけで2泊ぐらいは…そもそも、そういうお客さん狙いか。なるほど。
 夜中手洗いに起きて床に戻る。目をつむった途端「全国に名勝地があるのに黒部峡谷と奥入瀬を選んだのは、なぁんでだ?」と“何故ナニ坊や”が降臨。「黒部は雄雄しいイメージだから男湯で、奥入瀬は清楚なイメージだから女湯。…にしても、そもそものイメージを黒部と奥入瀬にしたのは何でだろう?」地元にある篠島や日間賀島だっていいだろうに。松島や瀬戸内の様子だって捨てたもんじゃないだろうに。そういえば、宿へ向かう途中の車内で「こんな大きなものをよく建てましたねぇ、どこが出資してるんです?」などと余計なことを聞いたら。「長島観光開発」という個人的に第三セクターくさい響きの言葉。空港も出来た、第二東名も繋がってる。どこかで黒い金が動いている筈…妄想はとまらず。添乗員のNさんがホテルの方に聞いてくれた。「そんなこと(黒い金)はありません」ですって。そういう回答を聞くとますます怪しいって…ヘンでしょうか?

2005年3月1日(火)
♪ドドンがドン

 南セントレア市の騒動で多くの方が知るところとなった愛知県知多半島にある88札所参り初日。極楽寺、常楽院のご詠歌どうのオネエタマ達と。今回で2回目となる知多参りですが34日の行程で88札所と番外札所全てのお参りを済ませる予定。おかげさまで今回を終えると結願(全部参り終えたということね)。
 各地にある霊場参りの中から知多新四国88札所を選んだのは、多くの候補を取り上げ厳密な調査をした結果…でなく、たった一言によります。大東観光Nさんの「食事は抜群にいいです」。お遍路さんに限ることなく満足度というのはつまるところ食事の良し悪しに尽きるのではないかと。「先立つのは食い意地っすか?」とご指摘があるかもしれません。けどね縁あって同じ方向へ歩いている同志が、ゴールできっちりと「らしさ」が出来あがれば、それもよろしいかと。
 海岸沿いの宿「美舟」で出してくれた海鮮三昧夕食は美味。全ての食材が東京へ集まるものの地魚料理は別なんですかね?鮮度溢れる品々に舌鼓を打ちましたです。ご馳走さま(噛むほどに旨みが増す蛸にはやられましたな)。
※お参りの様子は“ご詠歌どう?”で改めて。