日 記 ど う ?


◆平成17年5月の日記どう◆

2005年5月31日(火)
コレでしょうな今のところ

午前中“前倒しで拝み倒し(お勤めをまとめてすることね)”。今しかないとばかりに護摩のお作法を4連チャン。
総本山 長谷寺(奈良県桜井市)いた頃に、仲間で「ボンヤリしてる時間を拝もう」なんて声があがった。良くも悪くも、頭よりも身体が動く性質なもんで、言いだしっぺのSさんと二人でやり始めた。その当事六畳一間に野郎2人。当然、同室の相方とはプライバシーなどという上等なものはなし。黙っててもお互いの行動はわかっちゃう。時間外、役目のほかに袈裟を着けて出てく姿にルームメイトが
「そんなことやって意味あるの?」
「そんな(了見)で、何で坊さんやってんの?…」
全部言う前に顔色が変わったからね。お互い様だけども。
こんなやり取りがあったら多くの場合は絶縁状態になるじゃない?不思議に彼とはお互い顔をみれば「よお」「やあ」で話が出来る。彼の了見の広さと話の続きを言わなかったからだろな。
 「“そんなこと”をやらない人は果たして坊さんと言えるのかね?」この衝動でお坊さんとして随分貯金をさせて貰いました。
 明確に素敵なお坊さんの“目安”なんてものは無いだろうけど、個人的には。今のところは「どこを切っても仏教が滲み出てくる」。これでしょう、正直憧れます

2005年5月30日(月)
出所

久しぶりに拝み三昧。7月・8月はお盆月だから朝のお勤めも無理なことがあるもんで。まとめてワーッと拝み倒すわけです。「やりゃいいってもんじゃないっしょ?」とご指摘を頂きましたが、こういうのは習慣でしょうから。「やらないと何か気持ちが悪い」というやつです。この「気持ち悪い」が身にきゃ儲けもの。怠け心を義務や理屈で支えなくても「気持ち悪い」でいけちゃうんだから。
いいですね『習慣』。「とにかく“習うより慣れろ”なんだ」という。ヘンな説得力に脱帽ですなぁ。
お坊さんのお説教と聞くと「何だか難しそう」と身構えられてしまうのは、どういったワケなんでしょうね?逆に言えば、お坊さんの話=小難しいが習慣になるには、どれだけの時間が費やされたんですかね?もっと言えば、どんな内容の話が原因で「小難しい」なんてレッテルが貼られることになったんすかね?…こんなハナシかも

2005年5月29日(日)
囲碁将棋倶楽部ってのはどうです?

西光寺での護摩でした。南蔵院さんで一仕事終えてから追い越し車線の流れに乗って戻る。先進諸国を席捲しているというエコ・カーなのにエンジンを回す回す。『鉄砲は人を殺さない。殺すのは銃を取り扱う人間だ』なんてね。あまり関係ないか。
ハンドルを握りながらやってることといえばラジオを聴きながらの考えごとでしょうかね。ご詠歌でお邪魔するときにはご詠歌の歌詞を膨らまして話を考えつつ。法話でお邪魔するときはボリューム大きめでラジオを聴きながら話をまとめる。今回は婦人部のオバチャン達が忙しく立ち働く姿、本堂や受付の支度の残像を手繰り寄せつつ忘れ物のチェック。やってみるものです。錫杖(お地蔵さんがお持ちの杖を短くしたもの)を実家の極楽寺に忘れたのを思い出しました。細々とした不備はあったものの、つつがなく5月の護摩法要もクリアー。
疾風怒涛の1週間もひとまず。

2005年5月28日(土)
何時までも あると思うな 時間、体力

南蔵院さんから玄国寺さんでの護摩法要お手伝い。西光寺での護摩法要を最終日曜日に動かすことにしたのでお邪魔することが出来ました。法要の前にクラリネットとピアノのコンサート。木管楽器の音色は穏やか。いいもんです。演奏を聴いてて千葉のご詠歌講習へお邪魔したときの話を思い出しました。歌謡の特徴に音程が高くなるとき音量は小さく、低くなるときは大きく、というもの。クラリネットの奏でるものもこんな印象。心地よく聴こえるわけだと一人で納得。演奏しながら楽器を片付けていく曲も傑作でした。
19:00過ぎに西光寺へ戻り護摩法要の準備並びに札書き。本尊さんの花、婦人部、お坊さんへの御礼のお菓子の手配をしつつ。お札も書いてない、座敷・本堂の掃除もまだ。何もやってない。
花屋の旦那と軽口を叩きながら見送りつつ「さてと…」と独りごつ。「座敷は明日の朝にでも拵えりゃいいか。となると、まずは札書きを済ませてから本堂。受付の順か」などと。「今やらないでいつやれる」などと気持ちが盛り上がってくる。
時間があるときにボチボチ支度してりゃ慌てることもない、分かっちゃいるんですがね。チョット睡眠時間を削れば何とかなっちゃうもんだから尚悪い。

2005年5月27日(金)
ハイ、ボーズ(お坊さん用語:写真を撮る時に使うとか)

 南蔵院さんのお世話人さんの奥様が身罷られたので、お手伝いにいってました。ホーメイがどうこう言う環境になかったのですが。それは其れということで。
 本堂に設えた祭壇に掲げられたお顔には「10年前の屋形船のときに撮ったんです」というふっくら艶々した微笑み。南蔵院さんに勤めて8年だから、何度と無くお見かけしてきた面影と黒枠のそれに見覚えがないのも。「みんなが知ってる顔はこっちだから」決めたのだそうだ。
 されど写真。思い出を喚起するに余りある、にこやかな写真はひとまずの別れを泪にしました。
 「長患いだったから「お疲れさま」っていう感じ」
 「ホントにそうだよねぇ」
 ご親戚のお嬢さんたちは写真を眺めながらホッと泣き笑い。
 
 写真の威力を胸に秘めつつ今晩は“ダメジャン小出”。
笑い泣きしてきます。

2005年5月26日(木)
ということは

 昨晩のChippy出演で「聲明も修練しなきゃ」なんて。どんなものにも当てはまることだろうけど、やってないものはドンドン忘れてっちゃう。時間の長短は個人差があるんでしょうが。鈍ら脳ミソなもんでダメですねぇ“しばらくやってないから要らない”と見切りをつけるのが他所様よりも早いようじゃ。早とちり・早飲み込みは性格というより資質でしょうな。
 昨日の梅原さんは歌い難そうでした。最後のステージが終えてから
  「ホーメイやり過ぎて歌うと息がもれるようになって…」
  「イーッ!?そんなのあるの?」
  「知り合いのボイストレーナーに聞いたら、喉が開いちゃ
   ったらしくて。でも横隔膜で歌うようにすれば大丈夫み
   たいです」
  「!?横隔膜ですか?…な何にせよ、良かったですね」
 Chippyへ出演してるのもお経が読めるからだし、いろんなお寺さんへお邪魔できるのも、ご詠歌を便としてるから。法話をさせて貰えるのも声が出るからだもん、考えたくないですねぇ、声が出なくなるなんて。
 梅原さんのホーメイは地声が混じらない純粋な声というか風が巻いてるような音。幾分地声が混じり綺麗にでないもんだから「いつかは…」などと力んでました。
  「きれいにホーメイが出るようになってからなんですよ、 
   今までどおりに歌えなくなったのは。」
 詰まるところ“程度問題”はこんなことにも当てはまるんです

2005年5月25日(水)
基本3回

 日頃からお世話になっている密蔵院さん(江戸川区鹿骨)ご住職が、ご詠歌の講習を再開されたと聞いて京成大久保駅の商店街にある薬師寺さんへ(こちらの若住職、フレンドリーMさんは大学の同窓で布教仲間です)。横浜から習志野といえば首都圏横断。こんな気持ちがあるからか「少しでも多く拾って帰るんじゃ〜」の精神にもなりますわな。なんせ持ち時間は限られてる(寿命の話ね)。どんなものにも貪欲でいたい訳で。僅かな時間で多くの収穫を心がけたいものです。
…今回は遅刻したんだけども。
 ご詠歌の指導をなさってるお寺の奥様方への講習会にお邪魔すのことが時間の有効活用になるのか?という疑問もありますが、それはそれ。他の先生がどんな指導をしているか、は勉強になりますからね。しかも「先生」と呼ばれることに慣れ過ぎると自己管理を怠ってしまうだろうと。実力も無いのにチヤホヤされてご機嫌、そんなオメデタイ人間に成り下がらない意味でも“いつでも謙虚に生涯一生徒”を心がけたいものです。
…もっとも今回は遅刻をしたんですが。
 それにしても密蔵院住職はすごい。圧倒的な存在感と説得力でお寺の奥様をリード。実体験を通したご詠歌指導は分かりやすいうえ、身に良く付く。膨大な時間、窺い知れない努力が根底があるから出来るものと。久しぶりの参加でしたが人数が減ったような。ホントに勿体ない。ここで繰り広げられる指導方法を参考にすれば、指導者として必要な素養を身に付ける為のかなりの時間と労力の短縮できるのに。
…といっても今回は遅刻(しつこいね)。

2005年5月24日(火)
ブームは冷めるから、いいのか

 地元のご住職方と会合でした。隣にいらした若頭(こう言っちゃうと何だかね…)が最近“浪曲ブーム”らしい。若頭は少林寺拳法の使い手でもあり、津軽三味線の師範でもあり、仏さまのご供養には欠かせない様々な取り決めごとにも精通しておられる。アレコレ身に付けたうえで“浪曲ブーム”ですから。その魅力は生半可なものではないようです。久々に浪曲の話。楽しかったなぁ。いつだか花屋の旦那と話題にしたきりだもんねぇ。一頃アチコチで浪花節を唸ってたって聞くし。それと較べると寂しいものの、周りでは浪曲ブームがじんわりと来てるようです。
 護国寺の境内にある宗務所で研修会。その後に歓送迎会。宗派から布教を研究するお役目を頂きました。全国のご住職に布教の話材・ノウハウを提供したり、布教活動の実施を促したり。
4人の先生が退任されて空いた席にすわることとなりました。これまで宗派の布教活動を支えてこられた先生のうち4人が退任。ボコッと空いた穴を、ワタシを含めた5名で埋めることになりました。
 「4名の新人さんに期待をしてね!!」は無責任が過ぎますかね。精一杯やらせて頂きますが、荷が勝ち過ぎて心持ちだけでも逃げ出したくなりますわな。
 追い詰められた人間て、どんな行動をしますかねぇ。不安に駆られて闇雲にジタバタしたり、身じろぎもせず屈みこんだり、といった両極端でしょうかね。慌しくHPの更新をしたかと思いきや、パッタリやめちゃったりとか。

2005年5月23日(月)
『諸行無常』とは諸行が無常だということ

 昨晩のテレビで国本さんが「何だか分からない浪曲だけど聴いてるうちに分かるようになった」と。久々に車での移動中、浪曲聴きました。やっぱり「浪花節だよ人生は」ですなぁ、面白いこと。
 去年の暮れあたりには玉川福太郎さんのCDに味をしめて、「とりあえず『天保水滸伝』じゃ〜」と先代の玉川勝太郎さんのCDGet。聴いてみたら録音技術の問題もあるんだろうけど肩透かしを食らった。福太郎さんの語りと較べて聞き取りづらい。ワケがわからないものを、そうは我慢できんでしょ?「期待が大きかったから仕方ない」と、とりあえずの納得。勝太郎さんのCDはお蔵入りとなりました。福太郎さんの同じネタをそう何ヶ月も聴き続けられるものでもないし、自然浪曲からも離れましたとさ。
 わからなかったものが、パッと分かるようになることもあるんですねぇ。
 秋刀魚のワタも気が付いたら食べてるし、この日記だって以前だったら、まず続いてない。振り向いたら“以前と違うワタシ”なんてものが結構見つかるかもね。

2005年5月17日(火)
バッサリ言いましょか

 写経会にいらしたYさんは、ご詠歌、巡礼を始め、お寺での催しに悉く参加と積極的。『西光寺だより』(お寺のお手紙ね)も読んでくださってるようで、コチラの言い分「生きているうちに心を磨いてなんぼ」、「“おかげさまで”の気持ちをどれだけ保てるか」を受け止めてくださっている様子。
 そんなYさんが「TVで「仏壇に遺影をまつるな、遺族がそんなことしてちゃ何時になっても仏さまが休めない」みたいなことを言ってましたけど本当ですか?」(「ズバリ言うわよ」とやってくれたらしい)と。
 「思い出を大切に温めてるからこそ写真を納めるんでしょうから構わないでしょう。大体思い出しちゃいけないんだったら、お墓や位牌、お寺はどうなるんですか。故人を偲ぶ話や代々伝わる家訓もそう。おばあちゃんに教わった料理だってダメ。仏さまになった方たちが「思い出してくれるな迷惑だ」なんて。そんなバカなこと言うワケないっしょ」。
 安心された様子でYさんは帰られました。他所にゃTVの言うなりに写真を泣く泣く片付けた方がいる…悔しいですねぇ、正直なところ。
 ご立派な報道精神を標榜する一部のマスコミが、捏造、盗用を厭わない姿勢が明らかになった今、TVで本当のことなんか拾えるんでしょうかねぇ?そもそも誰かの手に委ねられた情報が手付かずのままコチラに伝わるわけがない。誰かしらの思想信条、価値判断が混じっちゃうでしょうし。個人的に情報のパーツから「真実っぽい」ものを想像するしかない、で眺めちゃいるんですが。疑るほどにニュースは面白い。

2005年5月22日(日)
ハイパージイチャン`s

南蔵院さんの大奥さんの運転手をしました。鬼子母神にある掛かり付けのお医者さん→江古田のパッチワーク教室ヘ。それぞれの待ち時間で、日記の更新、お檀家さんへのお手紙・『西光寺だより』作成etc。作業に飽きたら読み途中の『白痴』へ。ここんとこバタバタしてたもんで、ちっとも読み進めない。結構面白いんだけども。
 スーツを買いに地元の青葉台東急へ。明日、布教研究所(効果的かつ魅力的な布教の研究をする宗派の機関)の歓送迎会なもんで、さすがに作務衣はちょっと。いつでも・どこでも腹回りがゴムの作務衣でウロウロしてるから太った自覚がない。いざ必要なとなるとコレだからな。室内じゃズボンを穿くことにします。
 西光寺に戻ると建物の裏手のジャングルがこざっぱりしてる。金曜日の晩に世話人会で決まったことを早速。さすがYさんいつも助かります。
 住職就任当初は「あまりケツを叩きなさんな」なんてお檀家さんのジイサマに窘められてました。ここんとこ守る一方です。
「若いんだから休んでなさい」と言われる前に動きますか。

2005年5月21日(土)
『仏の顔も三度まで』とは少な過ぎ

 勝國寺さん(世田谷区世田谷)のお施餓鬼に行ってきました。南蔵院さんでもお弔いあり。お寺を利用しての葬儀なので準備のために早出。終了次第、勝國寺へGo!!。役目が終えたら南蔵院さんへ戻る。結構忙しかったですな。“平静17年忙しかった日Best10”エントリー決定です。
 13:15から13:50まで時間を頂きました。法話の出来ですか?精一杯やりました、としか。奇麗ごとを振り翳すつもりは毛頭ありませんが、「今日は良く出来た」なんてことは金輪際思っちゃいけないと心がけてるもので。というのも「上出来だ」と思ったら、続けてた努力をやめてしまうかもしれな…言い訳に聞こえますか、やっぱり。
 今日の話を可能な限り反芻してみました。目立つのは反省点ばかり。よく考えてみれば、記憶そのものがそんな仕組みになってるもんね。心身がそれなりのダメージを受けた思い出を比較的鮮明に覚えているのは、再び痛手を被らないように、との仕組みという。多くの場合、息子さんが母親を「うっとうしい」と感じるようになるのも、年頃の娘さんが親父のことを「汚い」「臭い」と気嫌いするのも、近親相姦を未然に防ぐ仕組みだってものね。花の色や形はムシに受粉をして貰うことを踏まえたもので、花に集ってる虫達は、まんまと花の思惑に乗ってるという話もあるぐらいで
…今日の言い訳じゃないんですってば

2005年5月20日(金)
そうくるかぁ

『タイガー&ドラゴン』観ました。今回は『明烏』イジリ。“落語断ち”真っ最中だけれども、これはドラマだからということで。すっかり楽しみました。「何とかして笑わせよう」というクドカンの大小取り混ぜた笑いの仕掛け。「あるある探検隊」をもじって「エロ○ロ探検隊」、マウントポジションを取った竜二がガードを掻い潜って鉄槌とさながら総合格闘技ばりの動き。これには飲んでた豆乳オレを吹き出しました。やられました。クドカンお見事。
 「新作だ古典だいうけど、古典を創ったヤツだって「古典を創ろう」と思ってたわけじゃない云々」番組中の主人公が吐いた台詞。落語は古典芸能である前に、元気に暮らしているわたしたちにとっての娯楽だと思うんだよねぇ。“伝統芸能”として権威付けでもしないと生き残れない、と苦渋の選択を噺家の大師匠方がなさったのかもしれないけど。「古典を創ろうと思ってたわけじゃない…」でいけば、「伝統芸能にしようと思ってたわわけじゃない」か。
 「これだ!!」と納得できるもの、信じるに値する道を遮二無二になって突っ走ってく。その結果、周りの人が評価をしてくれる。それだけのことかもしれません。
 噺家さんだけにいえることじゃないですな。お坊さんにも、世間さまにだってビッタリ当てはまりますよねぇ。
 「ヤクザだって同じなんだよ」と主人公もいってた。クドカンさん本当にお見事でした。

2005年5月19日(木)
スリーメン&ベビー

 山伏仲間との勉強会で箱根、温泉抜き。目的は境内に五百の羅漢さまがいらっしゃる長安寺。小田原北条家ゆかりの早雲寺。 
 プリンコさんと都内で待ち合わせ。“カンニングI川さん”が渋滞に巻き込まれたとかで、待ち合わせ時間には間に合わないと。海老名のSAで待ち合わせることにしました。プリンコさんとの話に興じる余り、海老名SAをサクッと通過。
 「あ〜過ぎちゃったね…」
 「すいません。話に夢中になっちゃって、御殿場の料金所で 
 の待ち合わせに変更します。」
 にしても待ち時間は長く感じますねぇ。もっとも誰を待つのかで異なるんでしょうが。そもそもお昼時の到着を見越した御殿場待ち合わせ。待ち人の車が見えたので高原ビールへいってきました。日帰り温泉もあるとかで平日の昼間から駐車場には多くの車。不景気も何のそのですな。
 車を降りてカンニングI川さんの車に向かう。助手席の赤ちゃんを運転席であやしてる姿をみて爆笑。子連れで勉強会。さすが常識の枠には納まらない人物です。
〜長安寺〜
家族から話を聞いていたこともあって楽しみにしていました。噂にたがわぬ「折角お寺にいらっしゃるんだから何某かお土産を…」のアイデア溢れるお寺。とても参考になりました。
〜早雲寺〜
目を引くようなものもなく掲示板すら見当たらない。あるのは楠、槙の古木、箒の目が隅々まで入った境内。おもてなしの気持ちがしっかりと。わかりにくくって好きです。

2005年5月18日(水)
初お施餓鬼

 護国寺さん(文京区音羽)のお施餓鬼でした。南蔵院さんとのお仲間内ということで南蔵院住職の名代として。お施餓鬼はお寺が主催する年に一度のお祭りだけあって賑やかなこと。大本堂にビッチリ並べられた椅子は満席、本堂前の屋外席にもお参りの方。いいもんです。
 大学同級の“ドラマーC”と、お手伝いのお坊さん控え室で久々。何でもヤンワリ包みこんじゃうマイペースの奇才。大学当時の雰囲気そのまま、気づくと彼にペースを合わせてる。さすがドラマー、といったところ。
 護国寺さんから地元でのお弔い。ご詠歌でお世話になってる元オネエサマの旦那さん、膵臓癌でした。斎場がアチコチにある今、珍しい自宅での葬儀。台所は、ご親戚の女性陣が割烹着をまとってウロウロ。座敷はご親戚がすし詰め。お弔いともなると、遺族は大勢さんの対応に追われ忙しい思いするんでしょう。反面、喪失感や寂しさを片時でも払拭できるんでしょう。練り上げられてますね。先人の思いやりに感服です。

2005年5月17日(火)
バッサリ言いましょか

 写経会にいらしたYさんは、ご詠歌、巡礼を始め、お寺での催しに悉く参加と積極的。『西光寺だより』(お寺のお手紙ね)も読んでくださってるようで、コチラの言い分「生きているうちに心を磨いてなんぼ」、「“おかげさまで”の気持ちをどれだけ保てるか」を受け止めてくださっている様子。
 そんなYさんが「TVで「仏壇に遺影をまつるな、遺族がそんなことしてちゃ何時になっても仏さまが休めない」みたいなことを言ってましたけど本当ですか?」(「ズバリ言うわよ」とやってくれたらしい)と。
 「思い出を大切に温めてるからこそ写真を納めるんでしょうから構わないでしょう。大体思い出しちゃいけないんだったら、お墓や位牌、お寺はどうなるんですか。故人を偲ぶ話や代々伝わる家訓もそう。おばあちゃんに教わった料理だってダメ。仏さまになった方たちが「思い出してくれるな迷惑だ」なんて。そんなバカなこと言うワケないっしょ」。
 安心された様子でYさんは帰られました。他所にゃTVの言うなりに写真を泣く泣く片付けた方がいる…悔しいですねぇ、正直なところ。
 ご立派な報道精神を標榜する一部のマスコミが、捏造、盗用を厭わない姿勢が明らかになった今、TVで本当のことなんか拾えるんでしょうかねぇ?そもそも誰かの手に委ねられた情報が手付かずのままコチラに伝わるわけがない。誰かしらの思想信条、価値判断が混じっちゃうでしょうし。個人的に情報のパーツから「真実っぽい」ものを想像するしかない、で眺めちゃいるんですが。疑るほどにニュースは面白い。

2005年5月15日(日)
想像力を創造力へ

テレビ放映の『ボーンコレクター』を観ました。一回観たけど改めて、練られた脚本に脱帽。アレ以上どんでん返しがあると「もういいよ」と飽きちゃう上にムリを感じるだろうし。お見事です。ホント映画っていいもんですなぁ。
今まで観たなかで、一番印象に残っているのは大学時代にビデオで観た『花嫁はエイリアン』(1988ダン=エイクロイド、キム=ベイシンガー)。「とにかくハッピーエンドなんだ」と。そういった映画を多く観ないので何ともいえないけども、ハッピーエンドも此処まで無理にされると爽快感すら。お見事。
JPOPも洋楽も勢いのあった80年代。今のものと比べれば独創的なものが多い。それが証拠にカバー曲の何と多いこと。大振りの『Walkman』にガチャッとカセットテープを入れて音楽を聴いていた当時とは比べ物にならない、便利な音楽生活を送っていながら、肝心のソフト開発が滞ってる。こんなことは音楽の業界だけじゃなく、坊さんにも。「今のまんまじゃヤバイ」こんな危機感を持ってる同志は、あまりにも多い。
何から手をつけりゃいいかも分からないほどの問題を抱えちゃいますが、80年代にモノを創っていた先輩方を励みにして闇雲に頑張りますか。

2005年5月14日(土)
大人な喋り

運動不足も極まれりといったところ。草刈で屈みっぱなしだったもんだからアチコチ筋肉痛。「7月のお盆に備えてボチボチ体力づくりじゃ〜」この時期に必ず思うのね。思うだけなんだけども。
「心と身体は別物」などという方もいらっしゃいますが、個人的にはシンクロしているものと。元気なときには身体も軽い、楽しいけりゃ長持ちするし。気持ちに身体が引っ張られるのであれば、その逆もあるんでしょうと。であれば、強い気持ちを保つにはそれなりの体力が必要だと。
 「『不言実行』なんか偉くも何ともない。公言してなきゃ実行したかどうかわからないじゃない」中日の落合監督が何かのインタビューで仰ってたっけ。…だから多くを語らないのか。

2005年5月13日(金)
鎌を持ちながら立ち話…無礼度3

南蔵院さんで一仕事終えて西光寺へ。早めに終えたので明日のお茶会に備えて草取りをガーッと。西光寺の座敷を使ったお茶会は、お檀家さんが元お嬢さん友達と初めて一年ぐらい。一度は参加したいものの土日に催すので未だならず。会そのものは何でも時間がかかるのだそうな。
持ちなれない草刈ガマを振るうのもそれはそれで面白いもんです。切れ味が良いと仕事がはかどること。結果がすぐに目に見えるのは励みにもなるし。3時間も経ちゃ飽きるけど。
「やめよう」「休憩しよう」の自堕落チャームを、なだめすかしているところへ救世主登場。お檀家さんでした。
「珍しく居るから来たんだよぉ」で喋り始めたお檀家さんと、かれこれ30分立ち話。病院通いの話やら息子さんの話やらを鎌を片手に聞く。こういった話を聞くのは好きですねぇ、それまでの経過を想像すると味わい深いんで。
取り立てて用事はないけどお寺に足を運んでくださる。住職冥利につきます。うれしかったので『ブレイド3』(『無礼度3』と変換…ドキッとするじゃないかよ〜)を観にいきました。自分へのご褒美で。
感想ですか?「大画面で観てよかった」でしょうかね、個人的に。

2005年5月13日(金)
堂々巡り

“まわりくどい”を自覚してから67年が過ぎるでしょうか。周りの皆さんには、その辺のところを含めてお付き合い頂いてるのだから、実生活に支障はない。困っちゃいなんで、単刀直入にズバッと本音、を心がけるものの身が入っていないようで。
 腐れ縁T坊さんに何時だったか
「企業じゃ、何か聞かれたら最初に結論を答える。説明は求められたらするのが常識。みんな忙しいからね…」(だったかな)。飲み込んだであろう「余計な話にそうは付き合ってらんない」。 
「それじゃ、ツマラナイじゃない」などと感情的な反応をしたもの、「企業じゃ…」が「普通は…」に聞こえてグサリとやられてたことも事実。
確かに、結論〜説明21+1みたいな頭の動き方であれば、誰もが大切に使う時間を無駄にしないんでしょう。効率的でまことに結構。空いた時間を有意義に使えるし。
文章を拵えるとき“起承転結”とかいうものを一応は。これかもしれませんな、“まわりくどさ”の原因は。他人さまの話にオチをつけたくなるのも、話しながらオチの付け所を上の空で探っているのも、同じ根っ子からでしょう。病因がわかれば後は治療するのみです。半月後にはすっきりと喋るようになっていることと。ていうか、まわりくどいですねぇ、この時点で。
 

2005年5月11日(水)
人は見かけによりません

常楽院さん(板橋区前野町)でご詠歌。13:0017:00まで時間を貰えるようになってから2回目。主に610日の大会に向けての練習。“ボタン病”を撒き散らしつつで喋りっぱなしの4時間。ホントに常楽院さんの講員サンには辛抱していただいています。
去年の暮れあたりからノドの調子が何だかおかしい。以前だったら4時間経たない内に嗄れちゃうものが、不思議と順調をキープ。喋りのスタミナがついたのかもね。好ましいことなんでしょう。
 喋り疲れでボーッとしながら一路関内ホールへ。『炎のメモリアル』試写会でした。一昔前の『浅ヤン』で一斉を風靡した周さん(弟さんのほうね)のお店の前にあるので、自然周さんをお見かけするんだよね。見た目は怖そうだけど「よかったらどうぞ〜」なんて呼び声かけてる様子。
『頭は下げるために一番上にある』
 『実るほど こうべを垂れる 稲穂かな』
 心がけたいものです。
『炎のメモリアル』ですがね、個人的に主人公のホアキン=フェニックスさんが濃すぎてね。『グラディエーター』で演じたキ○ガイ皇帝がちらついちゃって。『炎の…』本編でこれでもかと伝わる、消防士はかっこいい、勇敢な主人公はとりわけかっこいい、というメッセージ。確かにそうなんだろうけど『グラディエーター』じゃアレだもんな〜。
「これぞハリウッド映画」の迫力でした。

2005年5月10日(火)
無駄のススメ

密蔵院さん(江戸川区鹿骨)での月に一度のお楽しみ『話の寺子屋』にいってきました。今回は「想い出の味」でフリートーク。参加者それぞれが思い思いの味についてざっくばらんに語る。不思議と各々の個性が前面に出てくるもんで楽しかったこと。
トップバッターのプリンコさんが流石の話しっぷり。オノロケスパイスをふりかけつつ楽しいお喋り。でワタシ。プリンコさんの話にどっぷりつかってしまったもんで話の組み立てをしないままお喋り開始。
この日記の原点は『西光寺だより』。『西光寺だより』も元をただせば8年前に『極楽寺だより』への寄稿から。「文章をつくるのは楽しい」と。内容はともかくね。最初の原稿の主題が祖母の味について。 
密蔵院の本堂でジャガイモとワカメのおみおつけが大好物だという話をしながら、記憶に留まる原稿を辿る。文章の記憶がぷっつり途絶えたところから、子供の頃の風景を思い浮かべながら喋る。ほどなく終了。
私の話を聞き終えた村上さんの指摘は恐るべきものでした。「前半の作られた話はともかく、後半になって生の話になりましたね云々」。
文章に起こされたものは余計なものが除かれスッキリした読み物にはなる。話には文字お越しの際にカットした余計なものこそ必要。例えば「トンコツラーメン全盛の頃に環七沿いの『T佐っ子』にいって、あまりの脂っこさに驚いた。以来トンコツはちょっと…」は、文章であれば読み手にある程度通じているでしょう。ただ、話には『環七沿いの『T佐っ子』は背脂がスープをドップリ覆っていて、まるで食卓に置いてある油と醤油が分離した和風ドレッシング。店内の床も背脂がイタズラするのか、洗濯機の下から引っ張り出したゴキブリホイホイを踏んでるようで微妙にペタペタする…」のほうが、無駄は多いけども楽しくないすか?
 「無駄=余裕」とは至言。

2005年5月9日(月)
チキンハート

『デンジャラスビューティー2』の試写会で霞ヶ関のイイノホールへ。地下の駐車場から幾分くたびれた銀色の内装のエレベーターでホールがある7階まで。1階から同乗してきた『おぎやはぎ』の背の高い方に似てるサラリーマンが変に気兼ねしながら6階で降りる。ドアが開くと、かなりのボリュームで何やらザワザワ人の声。このザワザワとくたびれエレベーターが思いもよらない効果を発揮。すっかり『リビング オブ ザ デッド』を妄想してしまいました。オバケの存在を信じてないしゾンビ映画なんかも興味本位で観にいく、閉所恐怖症でも何でもない。けども不思議なもんです。「そんなバカなことが日本であるわきゃない」と思えば思うほどコワイ…。ワケもわからず「やつらの弱点は頭。動作も鈍いし噛まれなければ逃げ切れる」などと奮い立たせて7階を降りる。ホッとして列に合流しました。もっとも「何もない」信頼がなきゃ、エレベーターから降りないわな。
 試写会特有の“やっつけ感”が見て取れるハイテンションなアナウンサーの宣伝時間が終え本編突入。内容ですか?会場に入るまで頭の中をホラー映画が占めてたからねぇ。映像と音響で生理的に驚かせるシーンは皆無。登場人物のウイットに富んだ台詞のやりとりが面白いこと。妊婦のみなさんでも安心してお楽しみいただける内容でした、としか。
にしてもサンドラ=ブロックさん何歳なんだろ?

2005年5月8日(日)
牡丹期症候群

 南蔵院さん(豊島区高田)で仕事を終えて実家の極楽寺(横浜市緑区)でご詠歌。610日に板橋文化会館でご詠歌の催しがあるのでそれに備えた練習。本山から持ち帰った牡丹期布教の土産話を頼まれもせずベラベラと30分。喋りすぎ。本山で牡丹期布教をしてくると「ボタン病」なるお土産を頂いてくると伝え聞きます。因みに病状は、誰彼かまわず本山に纏わる話を始め、終いに「またのご縁をお待ち申しあげます」で 勝手に話を結んでしまうという…シャレですので悪しからず。
 京都のS院大学OBでもある“シャミーSさん”と時間を共にさせていただいて面白い話を伺いました。その多くはS院大学の講師でもある南蔵院住職にまつわる話ですがね(驚きの連続でしたな)
 こちらの目をしっかと見据えて「先生が仰ってましたが…」で始まったSさんの喋り。内容もさることながら語り口に独特の魅力があってバカな楽しさ。アク…ならぬ個性の強さに注意力を散らされて確かな記憶はありませんが概ねこんなハナシでした。
 大勢の参拝客が手を合わせる観音さまは、寄せられた多くの願いを叶えてきた(だからこそ参拝客が絶えない)→不可思議な仏さまの力の間近で暮らすことで、いかばかりかでもその力を頂くことができる→本山帰りのお坊さんに、元気な印象を受けるのはそういったことから云々。
 他人様に話して聞いてもらうのもそれなりに元気が必要ですよ。しかも↑の話。ということは知らず観音さまの元気を頂いていたと。ボタン病を毛嫌いすることもないようです。

2005年5月5日(木)
更新です。

本山での布教実習は片付けの都合上1400まで。長編ゲリラ40分を2回。それ以外の時間は先生方の話を聞かせていただきました。
高知から来てくれた“テディNクン”が「勉強させていただきます」と付いてきてくれた。話を聞きながら「オイオイどんだけ喋れば気が済むんだ…」で時間を計ったらしい。「何だかんだで1時間喋ってましたよ」だって。“長編ゲリラ60分”だったか。
最後の回を迎え意気揚々と五重塔でゲリラ開始。一通りの話を終えて「じゃぁ、奥の院へ参りましょう〜」とご案内。歩き始めたところで、サングラスをかけた中年男性が「ジュンちゃん、しばらく」と声をかけてくれた。驚いた様子を見て取ったのか、隣でニコニコ顔の奥様が
 「去年の牡丹の時に『毎年来てる』って仰ったから、話を聞きにまた来ました」

2005年5月4日(水)
マイク効果

本山での布教実習も愈々クライマックス。NHKで「牡丹が見頃」と放映があったようで、お山は昨日に引き続き賑やか。
弘法大師をおまつりしているお堂で30分×1。地声での辻説法(ゲリラ布教ね)をここんとこしているので、堂内でマイクを使ってのお話は何だか余所行きの話になったようです。最後まで聞いてくださった方には申し訳ないけれど、悔しさの残る30分にしてしまいました。こんなことの無いように、いっそうの精進をするべくゲリラ布教を…にしても「衣を着けて、マイクを持って」じゃ、お通夜の格好と同じですよ。…だからかしれませんが、元気な話をしているのに、お通夜の口調になっちゃってた。残念。
あと一日。

2005年5月3日(火)
応援で来るには遠くないすか?

 牡丹は満開、天候も良し。たくさんの人手がありました。「こんなに大勢も久々じゃないのかな?」というぐらい。有り難いことです。
 常落院さん(板橋区前野町)のご詠歌でご一緒してくださるKさんがご家で長谷寺にいらした。板橋のご自宅から車で12時間の道のりとのこと(事故渋滞がひどかったとか)。生半可なもんじゃないですなぁ、半日車内に軟禁ですよ。五重塔下でお会いしてから、お茶のお接待もご一緒させていただきました。お山の入り口までお供させていただきつつ今回の旅程なぞ。
 「お疲れでしょう。これから宿はどちらに?」
 「これから帰ります」
 あまりにもあっさりと、満面に笑みをたたえて答えるKさん。
 「へっ!?日帰りっすか?」
 「ええそうです」とニッコリ。
 東京から車で長谷寺日帰り。往復1200キロを?!
 「Kさん…何を考えてこんなことを?」
 思いも寄らない問いかけに、横にいたお嬢さんが笑いながら反応。長い時間ハンドルをにぎってた様子のお疲れ気味の若旦那と眼を合わせる。
 「ホントですよね〜お母さんたら何を考えてるのか」

 「女性の心は海のように深遠だ」と聞いたことがあります。「女心と秋の空」なんて言葉もある。そもそも女性の心の内をわかろうとすること自体が、ムリなのかもしれません。分からないということが分かった、のだけでも良しとしますか。

2005年5月2日(月)
キタからキターッ

 牡丹が微妙に咲き乱れる本山での布教実習前半戦〜南蔵院さん手伝い〜布教実習後半戦で気忙しいこと。ネットの巡礼先に2週間あまりいってない。日頃は、ある意味で巡礼先の刺激的なハナシに「楽しい暮らし」を支えているような気すらしてました。ここんとこパソコンから離れてることを威張るつもりはないけど、無きゃ無いで、それはそれで楽しいもんですねぇ。「パソコンなくてもいいかも?」思ったものの、時間がとれたら溜まってたものを一気に読み耽るんだろうと。
 ゴールデンウィ−クに突入とあってお参りの方が増えたようです。五重塔からの“長谷寺散策お腹いっぱいツアー”に参加してくれた方の中には、リピーターがチラホラと出始めました。「去年も案内していただきましたぁ」などのお声掛けは何よりのご褒美。ホントに励まされます。けどね、同じハナシは出来ないプレッシャーでもあるんですよ。「プレッシャーを味わえる有難みに感謝」などと思い込みでもしないと。

2005年5月1日(日)
分からない=有り難い、か?

 昨晩の御通夜に引き続いて葬儀のお手伝い。お参りの方にお使い頂く場所は前もって一通りの掃除をしてからの御案内が常。ご法事が控えていることもあり、いくらか早入りしてウラーッと手を動かしていると玄関から呼び声。「電車の乗り継ぎが良くって」とご法事のお施主さん。2時間前のご到着でした。「早い分には構わないんですよ、遅くなりますとご親戚の方はカリカリしますし、実はお寺も…」と冗談めかして。作業半ばだったので失礼して掃除続行。
 スーパーで野菜を売る人は私たちの健康管理に一役も二役も買ってる。お肉屋さんや魚屋さんなども私たちの生死に携わっている。清掃車を運転する人もそう。「いち抜けた」されたら公衆衛生が悪くなる。健康な暮らしに害を及ぼしかねない。タクシーや新幹線の車掌さんだって生活に必要な収入を得るための通勤を支えているのだから。立場や見方を変えれば、どんな職業に就いていようが他人さまの生死に関わっていることになる。
 葬儀が終えて出棺。お参りにいらした大勢さんの涙で送られたオバアチャン。男衆が霊柩車に棺を運んでいる最中、泣きじゃくってイヤイヤをするお孫さん。「そんなに泣いてちゃオバアチャン心配しちゃうじゃないの」とやさしく諭すご親戚。もらい泣きしそうになるのをグッとこらえ、お伝えすることはお伝えしないとね。別れの間際だからこその温かな人情にふれる機会が多いぶん負荷も大きいこと。