日 記 ど う ?



◆平成17年6月の日記どう◆

2005年6月30日(木)
ココロのかたち

 護国寺(文京区音羽)境内にある真言宗豊山派宗務所で、来年催される東京・神奈川地区のご詠歌大会打ち合わせ。法話、ご詠歌でお世話になってる密蔵院住職N先生が取り纏めているので、密度が濃く楽しい地区大会となるのも必然とわけで。
 節談説教とご詠歌のコラボに始まり、『源氏物語』朗読と雅楽、各流のご詠歌披露、落語『たちきり』のあとに御供養のご詠歌を唱えたり。趣向を凝らした企画がテンコ盛り。今まで創造的な企画を順調にこなしてきて怖いぐらい。ただ、悩ましいのが企画の立案で「何か面白いごとはねえが〜」状態。意見を求められても“400人が楽しめる”を踏まえてだからねぇ。まぁ躊躇しますわな。通常は無責任に喋り散らかすのを思いとどまりますが、昨日の常楽院さんでのご詠歌講習の余韻か、昨晩のBBAの影響かわかりませんが、思い付きをペロッと。先方のご了承が頂けたらホント面白いことになるのですが。
 村上さんのお通夜でした。信じがたいことですが現実で、否が応でも認めなきゃいけない。諦めないことには埒があかないわけで。
 導師としてお参りさせていただくときには、御遺族とご参列のみなさんへ「お焼香を供えるときに思い浮かべるのは、回数ではなく故人への思いです」などと。故人への思いが強いほど、生易しいことじゃないのですね、今更ながら酷なことを要求していたものだと。(こんなことを村上さんの前で口にしたら「相手のことだけを考えてりゃ間違いないんですから、余計なことを考えすぎ」と言われるでしょうねぇ)
 75日は『話の寺子屋』。お立場を仏さまと変えられた偉大な先達の存在を傍らに感じながら、その教えをいつまでも忘れないための貴重な時間を過ごします、って来週の話か。

2005年6月29日(水)
♪アナタな〜らどうする〜♪

 常楽院さんでご詠歌。13:0017:00まで。喋りましたねぇ今日も。かなり前から“喋り過ぎない”を心がけてるものの、始まると何処吹く風でトーンとどっか行っちゃうのね。気がつけば顎のあたりにイヤな疲労感。
 脳みそのクールダウンが済んでいないのか妙なテンションでBBA(ボーズ・ビー・アンビシャス)が開かれている青松寺さん(港区愛宕)へ。プリンコさんにご案内頂いて初参加。「アツイお坊さんの集まり」と聞いていましたが、個人的に「アツイ人の集まり」といった感。
 BBAをお寺の在り方を模索する勉強会として受け止めていましたが、少々違ったようです。お坊さんとしての生き方を模索、こちらのほうがシックリきます。『お寺を活かすも殺すも住職次第』どこで聞いたかは忘れましたが、それを踏まえた催しなんだと。
 末期癌の治療(終末医療)に従事されてるお医者さんを中心としての密度の濃い時間でした。抗癌剤は死期を遅らせることができるものの、投与期間は副作用による苦痛が伴う。6週間のうち4週間投与、2週間休み。苦痛がないのは2週間。この時間をどのように受け止めるかは、個人に委ねるといして、“人生の質”を考えると抗癌剤の投与はどうなのかと。
 進行性の癌であることを告知され「余命幾許もありません」などと言われたら…どんな選択をするかなぁ?
副作用を承知で入院抗癌剤の治療を受け少しでも長く生きる。
普段通りの生活を送り死期を早める。
なかなか決めらんないや。
 当事者の患者、その家族だけでなく、お医者さんも選択を決めあぐねる大問題。早い時期から考え…って答えはあるのかね?

2005年6月28日(火)
「過去」一考

 本寺の王禅寺さん(川崎市麻生区)で、王禅寺先代ご住職の13回忌でした。
 王禅寺住職さんが西光寺を兼任していた時期があるので、扁額(お堂の正面に掲げてある額ね)には先代住職のお名前。今となっては虫食いだらけで「ボロだから新しくしよか…」ものの気が引けるワケです。国中が今日を生きるのに窮していた時期に、どんなご苦労で扁額を拵えたんだろう?とね。お檀家さんから「そろそろ新しくしてもいいんじゃない」お声がけがあれば、連帯責任ということで罪悪感も削がれていいのですが。意気地がないものです。
 墓石に刻まれたお戒名、過去帳にダーッと記された仏さんがた、寄付額や仏具に記されたご芳名…全部歴史何だよね。お寺は言わば、縁ある方の歴史そのものを大切にする場所であり、昔の情報を後世へ伝え当世の後継者を励まし支える、こんな役割があるんでしょうな。
 『スターウォーズ エピソード3』、『バットマン ビギニング』に『エレクトラ』。偶々だけど3作品とも「昔の話だけどね…」何だよね。過去を踏まえて現代を眺めると、その味わいは格別なんでしょう。
 だからということではないけども、『エクソシスト ビギニング』借りて観ました。TBSラジオで関根勤さんが「怖いぞ〜」と言ってたっけ。時間がなかったのと、ブルってたことも手伝って3倍速の音なし鑑賞。効果音がないだけで怖くなくなるのね。突然の幽ちゃんご登場も3倍速だから“ため”がないので、「オヤ出てきたねぇ」だもんね。明らかに“怖がらせよう”という措置も形無し。もっとも倍速でホラー映画を観ることもないか。『エクソシスト』も観直すのもいいかもね。もちろん、倍速音なしで。

2005年6月27日(月)
解禁は”自主規制”ということで

いつもお世話になっている密蔵院住職N先生から村上さんの訃報。一通りの話を耳にしながら、しばし呆然。「せっかちが過ぎますよ…」とポツリ。
身に付けた芸で家族のみならず複数の弟子をも支えている。ヘラヘラしているように見えるけれど精一杯勝負している。そんな噺家さんへの憧憬が落語へハマルきっかけとなりました。
「噺家さんみたく真剣勝負だっ!!」などと、ムダに力んでいたので喋り方が変わったことをも好ましい兆候と受け止めてました。
その結果、「しばらく落語から離れなさい」と村上さん。
ざる蕎麦の刻み海苔を剥がすが如く、ピッタリ張り付いてしまった落語エキス。それを洗い落とす意味での“落語断ち”宣告。真人間になる近道は落語を聴かない、コレに尽きると。
ヒョンなことで辿りついた「相手のこと“だけ”を考えている時に余分なものは出て来てない」。→相手のこと“だけ”を考えるには、相手への飽くなき興味が必要→興味を支えるには、相手を好きになること…。「会う人全てを好きになってやろう」と仰ってたっけ。
謎解きが叶い小躍りしたのは僅かな時間でした。幾度となくヒントを頂いてたからです。微笑をたたえ「相手のことだけ考えてりゃいいんです。それだけのことなんです」だもの。我ながら物分り悪過ぎ。
7/5の『話の寺子屋』で落語が抜けた喋りを涼しい顔でしてみせて、村上さんを驚かすつもりでした。同時に「その喋りです」という言葉、実質の落語断ち解禁のお墨付きをも頂く。
叶わぬ夢となってしまいました。残念ですが。

2005年6月26日(日)
小リキ

 柴燈護摩勉強会に参加してくださってる天台宗の同志“しなやか僧侶G田”さんから電話。折り返すとGさんが住職を務めるお寺さんでの柴燈護摩開催を、檀信徒をはじめとする協力者からお許し頂いたとのこと。うれしいですね。仲間がそれぞれに柴燈護摩を取り仕切って、課せられた責任と、それとなく感じている重圧を何とか紛らわそうとしてる。当然、刺激を受けるのですよ。面白くなってきました。
 そもそも柴燈護摩自体、1人じゃ手に負えない大掛かりな催し。偶々周りに居てくれた同志に知恵を頂いて、どうにかこうにか動かしてきた大変なものですよ。コチラが日常を送っている間に、着々と支度を進め柴燈護摩開催に向け動いていた仲間が↓
平成17101日(土)栃木県佐野市 鳳仙寺
平成17116日(日)埼玉県川口市 大徳寺
平成186月初旬     北海道 光徳院
(ちなみに今年の『西光寺山火祭り』は1127日(日)です)
 誰に言われるまでもなく命令されたのでもない。自分で考えて導き出した決断に従い、意志力で行動を支えてる。みんなカッコいいぞ。
 3年目に入った柴燈護摩の勉強会。ここへ来て、ワタシの想像が及ばない、大きな流れにスッポリ乗ってしまったような。流れに身を委ねるのも面白そうですなぁ、いい感じです。。
 同志が睡眠を削って柴燈護摩の準備に精を出している一方、コチラは南蔵院さんで一仕事。終えてから隣のお寺さんで習字のお稽古。前者と比べること自体ナンセンスだけど、刺激と情報量を比べると…やっぱり羨ましいっ!!
 せめて同じレベルの気持ちで筆を捌こうと気合を入れ習字。
結果、「何だか今日はカタイですね…」。

2005年6月25日(土)
なまじ覚えてたらコチラが面食らいますから〜

 都心のHホテルで開かれた後輩の結婚披露宴に行ってきました。200名近くの盛大な華燭の典は、お坊さんだらけ。長谷寺にいた頃お世話になった先生も多くご出席。
 乾杯が終えて間もなく、席を暖める暇もなくお酌して廻る方が。その姿に妙な懐かしさが込み上げる。というのも、7,8年前まで常にそういったことを気にしてたもんで。宴席に出ても大変なばかりで何を食べたのかも、寄せられたスピーチの内容なんかも殆ど覚えてない。 
 そんな愚痴めいた話を聞いていた極楽寺住職(だったか)が、「キリがないからねぇ…」とため息まじりでポツリ。「それもそうだ」で吹っ切れて以降、宴席を楽しむを心がけている次第。しかも必ず何かしら話材を頂けるものですから。
 阪神大震災が起きた年、傷跡癒えぬ神戸港でボランティアに行きました。といっても人形劇に紙芝居やったぐらいなんですが。当時の記憶はかなり朧ですが、石を投げられた記憶はありませんので。それなりに喜んで貰えたのでしょうと。兎も角貴重な経験を積んだ、その時に新婦さんと会ってる気がしたのです。
 帰りに確認してみました。
「どっかで見たような気がするんですよ。神戸のボランティアにいらっしゃってたんですよねぇ。実はワタシも…」
「そ、そうなんですかぁ…」
 新婦さんの「アンタは誰?」反応に、ある意味ホッとしました。だってねぇ、こちらが殆ど忘れてしまったことを、事細かに覚えられていても逆に困ってしまいますでしょ。
 3時間半を超える盛り沢山の披露宴でした。参会の皆々様もお疲れのご様子で。

2005年6月24日(金)
衝動買い

 浅草木馬亭に行ってきました。モチロン玉川福太郎さんの独演会『英雄列伝』2回目。国定忠治の名前は聞いたことがありましたが、話そのものは初めて。ひたすらタフな正義漢、男っぷりがカッコイイこと。ワクワクしましたねぇ。ゲストは五月一郎さん。初めて聴きましたけど、とても大正生まれの声じゃない。「これぞ浪曲」という重厚な低音、高音も軽やかにトーンとね。しかも耳を疑う息の長さ。いやはや恐れ入りました。
 今回は若者が多かったですねぇ。前回までは「来ちゃいけないとこだったかな?」ベテランが目立つ客層の中で浮いてる気がしなくもなかったので驚きました。『タイガー&ドラゴン』の影響で浅草にゃ若者が増えたとか。“唸るカリスマ”国本武春さんが凱旋なさったからか。いずれにしても大勢さんが立ち寄るのだから結構なことで。
 浪曲に出てくる主人公は凡そ人情に厚く正義感が強い。その内容は任侠ものがあるものの、人情話、親孝行、立身出世の話もワンサカ。子が親を、親が子を屁とも思わない巷間を眺めるにつけ、「浪曲でも聴きなさいな」と。きっと殺伐とした心持ちにジンワリ確実に効くものと。紙芝居とか絵本を読み聞かせる催しと同じ情操教育。浪曲も同じでしょ。
 次回は826日(金)。ゲストは神田山陽さん。聴きやすい声に立て板に水のスパッとすっきりした口調。講談界では一際強く輝いてます。福太郎さんと山陽さんかぁ。名前だけでワクワクします。お盆の気ぜわしさからも解放されてるし。
 出口で売ってた先行前売りチケット。とりあえず4枚。アテはないけど即買い。

2005年6月23日(木)
♪良ぉく考えよぉ ○○も大事ならぁ♪

南蔵院さんでお弔いのお手伝いでした。お檀家さんが「家族だけで送ってやりたいので…」と3名。仏さまが長いこと病院で癌と向き合ってきたことも手伝っているようです。「骨壷はこれを使いたいのですが」おずおずと、小ぶりの桐箱を差し出す仏さまのお母さん。聞くと職場の同僚が拵えてくれたのだという。病床にあって死期を自覚しながら、明るく笑って「作ってもらうことになったから。それ使ってね」なんてやり取りがあったものと…熱くなってきた目頭が心配になり、トイレに行くフリ。
戻るとご遺族と葬儀屋さんとで、散骨の話題になってました。
「スキューバダイビングが趣味だったので大好きだった海に散骨をしたいのですが」
「えっ!?散骨ですか…。構いませんけど、ウチではお受けできませんので横須賀の葬儀屋さんへお願いすることになります。それとお役所の許可と、指定の海域に行くための費用等が別途かかってきまして、お骨も皆さんで擂り潰して頂いての云々」
!?そうなんですか…」
 お寺+葬儀屋さん+お墓。「ワケが分からん内ふんだくられる」なんて、信用していない方がいらっしゃるようで。
アコギなことも厭わない輩が居ないとも限りませんが、長いこと世の中の仕組みで在り続けたのだから、それなりの理由があるものと。一時そこんとこをドガチャカにして「散骨のほうが故人も喜ぶし、遺族も安心」が喧伝されたからなぁ。
 たくさんの情報を集めて自分で判断するのが一番。信用できるお坊さんを自身で探して、お願いするのが最良かと。
♪良〜く考えよ〜 お金も大事なら〜♪

2005年6月22日(水)
テング熱再発

 東福寺さんでご詠歌。『話の寺子屋』(江戸川区鹿骨 密蔵院で毎月開催)で村上さんから頂いてるご指摘の受け売り。
少しばかりの息でペラペラ話すと楽に話せるものの“口先だけ”の印象を聞き手に与えてしまう。息をたっぷり使って(=お腹から声を出す意識ですかね)ゆっくり話すには体全体が必要になる。自然、口先だけを使った話ではなくなります(こんな感じ)。
 村上さんの口真似をさせて貰って、ペラペラ喋る場合とジックリ話す場合をその場で使い分けてみる。発声に使う息の量、口調の違いが引き起こす伝わり方が区別できたかどうか不安だったものの、頷いてくれた方がいらっしゃった。
 頂いた時間のお終いに靖国について。ついアツクなってアレコレと頼まれもしないのにベラベラ捲くし立てる。頭の中に言葉が湧き出て氾濫するよう。舌がもつれそうになりながら、言葉が消えないうちに吐き出していく。熱にほだされたような心境でいるのに、口から出て行った言葉を追っかけて考えを再構成してるんだよね。『冷静と情熱の間』じゃないけど、どっかしら冷めて眺めてる。そのうち衝動も納まり気持ちに引っ張られて湧き出ていた言葉も枯渇して考えも一応纏まるような。けれども、帰りは猛反省に時間を使うことになりました。
 思いつくままに息もつかせず言葉を畳み掛ける。そんな時こそ偽らざる「ホンモノの話だ」なんて、つい先頃まで思ってた。気持ちがないと言葉は出てこない。支度された脚本による演技でもない、内情を吐露するそのままの言葉には説得力も備わる筈だと。テングですな。
「同じような話や口調に、選挙演説がありますかねぇ…どちらも聞き手のことを毛ほども考えてない」
 「ギャフン」という言葉の実在を体験した晩を思い出しました。

2005年6月21日(火)
多角的な視点

 宗務所で勉強会でした。宗派で出版配布している印刷物に載せる原稿を研究員同士で校正。その作業が割合に多い。文章は正に十人十色。赤の他人が丸うつし、猿真似でもしないかぎり同じ文章にはならんでしょう。各人が日常用いる語彙や言い回しは、数え上げてみると左程という話。そこへ来て、やれ「ここが回りくどい」だの「こんな言い回しはしないほうがいい」だの…誰が書いたのかわからなくなっちゃうじゃんねぇ。“読み手”への配慮があればこその所業、ということなんでしょう。
 終えてからテレフォン相談室へ。10月に相談員で詰めるんだよね。プリンコさんがいらっしゃるということも手伝ってお邪魔しました。10件程度の電話がかかってきました。テレビの『○○を捜せ!!』のようなタイトルで、みのもんた さんあたりが司会をする犯罪者捜索番組の模様を想像してたのよ。正直「少ない…」。そんな様子を見て取ったプリンコさんが「これでも多くなったほうだよ」と。
 開設当時は相談の電話が“ナシ”ということもあったそう。週一回つけられた日誌を見ていくと「今日は相談事がありませんでした」などという文句が。誰からも知られず、ひっそりと行なわれているテレフォン相談、笑えない。
 その当時はお寺とお檀家さんの関係がウマクいってたのかもね。相談事がないんだから。モノは受け止め様、ですな。ひとまず安心。
そんな様子を見てたのかプリンコさん
「ようやくテレフォン相談が認知されてきたのかも…」

2005年6月19日(日)
うれしい理由

 お檀家さんに西光寺の境内整備をして貰いました(ワタシは南蔵院さんで仕事…ウーム)。座敷の裏に茂るつつじジャングルを整備、整地。ツツジは西光寺山へ移植、同時に去年植えた苗木の手入れ。ジャングルが片付いたところへ本堂裏の物置を移設して、かねてから婦人部希望の屋外水場を新設しようという段取り。
 一仕事終えて西光寺に戻ってみるとスッカリキレイになっていました。寄り合いでの事前打ち合わせで「結構盛り土がしてあるから一日じゃ終わらないかも」なんて。それがねぇ、整地に移植に境内の草刈まで滞りなく終えてました。いつもながらお檀家さんには感謝、感謝。ホント助けて貰ってます。
 住職が不在のため、長い間お檀家さんのみで切り盛りされていた西光寺。ワタシが来たばっかりに、正月初護摩に始まり五月は大護摩、八月お施餓鬼。九月大護摩を終えたかと思えば十一月に西光寺山火祭り。西光寺の規模であれば年一回の催しがせいぜいなんでしょうけど、それじゃあね。折角拵えたお寺のスペースが勿体無い。写経会やらお茶会やらで元気な人がお寺に来てくださると、えも言われずうれしくなるわけで。
お寺に死んでから来たんじゃ遅い 元気なうちにくるとこだ
お経を死んでから聞いたんじゃ遅い 生きてるうちに聞くもんだ
 宗派はちがいますが、無着成恭さんの言葉。共感を覚えるのですよ。仏事以外の用事でお寺に人が来ると無性にうれしくなる↑の気持ちがさせるんでしょうな。
 今回こみあげてきた嬉しさは
 「お寺が整っていくから」かもしれませんけど…

2005年6月18日(土)
ウラウラ

 南蔵院さんから読売日本交響楽団のコンサート(18:00開演サントリーホール)。終えてからKさん(読響機関紙『月間オーケストラ』編集に携わってらっしゃる)と食事。シュトラウスで始まったのに最終的にストリップと笑いの関連性についてだもの。もっとも、きっかけは「15日に月岡祐紀子さんの“ごぜ歌(三味線+歌い)”を聞きまして」だけど。Kさんはクラシックのみならず、聲明や節談説教、浪曲に落語、大衆演劇にも知識が及ぶ(ホント勉強になります)。「何者なんだアナタは?」という方です。
 “ごぜさん”(ごぜ歌の歌い手)が大勢居た当時、盲目の女性が生きる手立てを選択する場合“ごぜさん”か按摩さんだったのだそう。いずれかを選んだにせよ他に仕事もない、きっと苦しい生活をしたんだろうと。想像してた“ごぜさん”は流浪の盲目歌手というイメージ。
 「落語で出てくる啖呵の中には『このメクラぁっ』という科白がありますよね」
 「そうですねぇ。昔の人にも社会的弱者に対して思いやりを持っていただろうにね。ケチンボや坊さんが揶揄されるのは分からなくも無いけど、盲目の方に向けてアレコレいうのは弱い者イジメみたいで、大人げ無いですねぇ」
「実はメクラという言葉には、特権的に与えられた“金貸し”の意味がありましてね。盲目の方たちには“ごぜさん”を始めとした芸能集団の面と全国に展開する金融業社の面があったよう…」
 幕府のお墨付きを頂いていたとなると秘密警察みたいな役割も!?
 「スパイみたいな役割もあったでしょうね。盲目集団のトップは将軍の側近ですから」
 だから歴史は面白い。

2005年6月17日(金)
内なるお宝

 南蔵院さんで一仕事終えて密蔵院さんへ。新小岩Chippyで“聲明ライブ”。今宵もPUAN(梅原智昭さん・MOMOさん)と交代で。最終ステージでは聲明とディジュリドゥのコラボ。綯い交ぜになったその響きは出演するコチラも気持昂る面白さ。
 ご詠歌の大先輩でもある都鳥さん、ご詠歌の大御所F先生の奥様がいらっしゃいました。布教の同志Sさんがお檀家さんと。
 Chippyでは1ステージ30分を4回。聲明のパートは13ステージ。今回のPUANによる24ステージは、アサラト&ディジュリドゥをたっぷり。梅原さんの演奏に魅せられて、しばらく前に触り始めたアサラト。そんな人間にとっては超絶技巧の数々。アサラト演奏(というのかなぁ?)が終わって「名調子!!」とやりたくなりました。
 キューバやアルゼンチンなどの音楽がご陽気なのは、「生活苦を何とか紛らわしたい意思が根底にあるからだ」などと。2ndステージでMOMOさんが「沖縄にいったときに…」と“缶からサンシン(大振りの缶に棒を突き通しパラシュートの紐で拵えたサンシンの代用品)”を持ち添えて。素朴でご陽気な響きが、何だかジンワリ元気になる。沖縄なればこそ、なのかもねぇ。
 米兵の上陸を許し戦火で荒れはててしまった頃、想像を超えるほどの重苦しい空気が島には立ち込めていたんでしょう。物資がない中で楽器をつくり曲を紡いでは歌う。だからこそ、明るさを失わずに健康な精神を保ってこれたんだろうと。
 苦しみの反動で、より強く明るくなる為の努力を自然とするのかもしれませんねぇ。ごく限られた地域にだけあることじゃないし。そうした強さが私たちには既に宿っていることになる。引っ張り出して目一杯使うか、大事にしまっとくかは本人次第。

2005年6月16日(木)
靖国神社参拝

絶対零度の赤ペンアニキ、プリンコさん、子連れカンニングI川さん、ブラザーTさんらと靖国神社へお参り。昨日の日記で触れた、熱い気持ちになる看板を目の当たりにしてから本殿へ。お賽銭箱がある門からお参りすると15,16人ぐらいがスーツ姿で内観のお参りをしてた。
 千鳥が淵の桜にかこつけて毎年靖国神社まで足を伸ばしてはいるものの、内観のお参りはまだ。威儀を正して向き合いたかったものと、普段着で居ることを後悔。同志と一緒だったことも手伝って未体験ゾーンへの突入を敢行(お参りの申し込みは個人参拝受付でお巫女さんが教えてくれました)。
 「テレビのところだ」などと興奮を覚えつつ内観。神式のお作法にのっとりお参りを終えた後、眼鏡をかけた神官さんが「ご自由にお参りなさって頂いて…」と促してくれた。英霊の御前で般若心経一巻。スッキリしました。(ご詠歌も大丈夫そうだね…)
 遊就館にいきました。3年前に改装したとかで、「こんなキレイだったっけ」と顔を見合わせながら入場。

敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂ふ 山桜かな
 
 館内に下がる本居宣長の句。ホンの何十年前にはこんな了見の方が国中に溢れてたから詠んだのか、「かくあるべし」の指針として拵えたのか。
現在は過去の積み重ね。現在の状況やいい歳こいた自身の了見を省みると、「素敵な先輩の教えが薄まって伝わっている筈だ」でうれしくなるやら、「それなのに…」情けないやら。

2005年6月15日(水)
オヤジ化(レベル2)

 お坊さん仲間の青年部が表立って動いて毎年行なわれる催しで、林家木久蔵師匠の親子会。噂には聞いてたけど、きくおさん良いねぇトボケてて。木久蔵師匠はやはりピエロでした。「ともかくお客さんに喜んで貰いたい」強いサービス精神がないと、あそこまでは出来ないでしょうねぇ。いいものを観てきました。
 昨日、台湾から高○義勇軍のご遺族が靖○神社へ抗議と報道されてたけど、現場にいたんだよね。宗務所での勉強会に行くんで、「どうせなら…」で早めに出て北の丸公園で運動してた。車を停めた千鳥が淵に戻るとき警官の多さに好奇心が沸いたものの、時間が押してたので、放っておいた。見たんだよね、民族衣装来た人達も。まさかあんな騒ぎをしてたとは。
 勉強会を終えて通勤路でもある靖○の前を「まだ騒ぎやってっかな?」期待して通る。
喧騒の変わりに看板が一枚、全部覚えてないけど。

参拝目的以外の立ち入りを禁じる

国の礎となった英霊が眠る杜に↑のような文言を載せた看板を出さなきゃいけない。
情けなくて涙がでましたぜ(本当)。

2005年6月13日(月)
坊さんもいろいろ、お寺もイロイロ

 ちんたらジョギング2日目。夕方時分に涼しくなった頃を見計らって。苗が敷かれた田圃の水面が風にざわつくのは見飽きないので、運動時には良いもんです。鶴見川支流の恩田川も田奈や十日市場の地元でみるとキレイなんだよね。もっとも成瀬のあたりに行くと浄水場みたいな施設があるけど。
 18:20頃に意気揚々と出発。順調に田奈駅を通過、町田線にアクセスする道路で折り返し。疲れがあるのか帰りは身体が重いこと。東名高速から絶えず聞こえてくる“フコー”に、蛙や虫達の合唱が勝る瞬間を味わえたから不満はないけれど。
 『珍寺大道場』(小嶋独観(こじまどっかん)著 株イーストプレス)読んでます。『生きる意味』(上田紀行著)が重かったからなぁ。軽くジャブ、ということで。
 首都圏の珍寺も載ってました。所沢方面に精力的にお寺を活用しているお坊さんが居らっしゃると聞いてます。掲載されてた山口観音(埼玉県所沢市)と合わせて、今度の勉強会でお邪魔するのも乙かでしょうな。
 にしてもスゴイお寺が集めてあります。みうらじゅんさんをして
  「イカれてますねえ」ってコメントしかできないしね(笑)
だもの。突き抜けちゃってるんだろうね。他人さまがどう思うとか、年月が経って古ぼけてきたらどうするとか、考えてない感じ。同じお坊さんとして、「何で、どんな了見で拵えたのか」とても興味が湧きますなぁ。

2005年6月12日(日)
まんま風邪薬(サクランボ味)

 南蔵院さんでの終いに外塀をぐるり掃き掃除。山桜のさくらんぼが完熟して道に紫紺色をつける。実が落ちる頃、桜吹雪、落ち葉の時期は日に何度か掃除をするのです。
 竹箒を抱え戻る頃、一頻り植木屋さんと話をしていた大奥さんから「梅の実をとってくれる?」と頼まれた。門の脇のが実をつけてることは承知してた。ペンキがすっかり落ちた金肌の脚立を植木屋さんから借りて、景色の変わったところで収穫に励む。少しでも高いところに上っていい心持ちになっちゃ思い浮かべる『バカと煙は高いところに…』。そのつど「危険を感じて自然と動悸してるだけだ。いい気分にになってるわけじゃない」などと、今まで積み重ねてきたシクジリの根本原因を打ち消す反応が起こる。現実を歪めて受け止める原因を見つけたようでコチラも収穫、などと得した気持ちでいたら、「梅の実がこんなになってるんですなぁ」とリアルワールドから。『犬神家の一族』の金田一耕介が小奇麗になって飛び出てきたような格好で初老の男性。「今度は『ラストアクションヒーロー』か?」などと。右目が黄色いニコチャンマークでないことを確認して脚立から降りる。
  「葉っぱが随分と萎れちゃってますな。どうしたんでしょう?」
  「お檀家さんの所から移植したと聞いてますから、くたびれてるの
   かもしれません」
  「なるほど。良く見たら結構な老木ですな。実は少々草木の面倒
   をみるもんで…」
  「盆栽ですか?私も学生の頃、川崎の麻生区に住んでる父の友
   人に薦められましたがねぇ…まだ早いと思いまして」彼是20
 「山桜のサクランボは甘苦くて」とか言いながら懐かしげに。「乾くと芽が出ない」とか。舐って帰られた。紳士を見送り甘苦さを確認。

2005年6月11日(土)
痛気持ちいい(取れかけのカサブタを剥いていく感じ)

 南蔵院さんで一仕事終えて西光寺へ。早めに終えたので護摩焚きのお作法に必要なモノをアレコレと。月に6回やりゃぁね、こんな時間も必要になんですな。走れそうだったのになぁ。
 お正月、5月、9月にお檀家さんとワイワイ護摩法要をしてたんだけど、夕時に法話で始まり法要、終わったら夕飯のお接待。片付けものことを考えると、そうはノンビリしてらんない。となると、法要のスピードを上げざるを得ないわけで。お作法が身に付くように、毎月28日(お不動さまの縁日ね)の護摩焚きに加えて、5日、12日、21日(それそれ大恩あるお坊さんの縁日)の3回を追加。「月に4回も焚けば充分っしょ」と安心したところへ、『戦争論2』(小林よしのり著)ですよ。「8日と15日に護摩焚きでもしなきゃ申し訳ない」で2回追加。都合6回となった訳で。
 何ですねぇ、簡単なんすね増やすのって。必要なのは「やるんだあっ」の衝動だもんね。コレ1つあれば容易く増やせちゃう。減らすのは大変ですわ。「やめようっ」って衝動を、「今までやってきたのを無にするつもりか」とか「そもそも何のために始めたのか思い出してみろ」とか「時間が無いなんて言い訳をするな、時間はつくるもんなんだから」等々。理性や良心を始め、ありとあらゆる手段を講じて減らさないように仕向けるのね、自分で。
 こうして日記にしてしまうことで減らす口実をまた1つ減らしてら。

2005年6月10日(金)
聞き手がすることといえば?

 板橋文化会館で恒例のご詠歌大会。概ね首都圏にあるお寺さんで活動しているご詠歌のお仲間が集合。
前半は塚田康信先生の講演でした。
  「真言宗は弘法大師を始め多くの先徳も皇家と縁深くお付き合い
  をしてきた歴史をもっている。ともすると皇族に対する興味本位で
  軽率な報道がなされるが、今までの歴史を踏まえ、これを受け止
  めていきたいもの…」(という感じでしたか)
 メラメラと赤く燃える炎よりも青白くスーッというほうが高温ですよねぇ。塚田先生がお持ちになっている刺激的な言葉と訥々とした語り口にそんな印象を。いくらか持ち合わせてる憂国の思いが煽られてしまいます。「こんなんじゃイカン、何かやんなきゃ」と無性に動きたくなるのです。ただし、赤くメラメラという感じで。しばらくすると燃え尽きるのだから、だらしないものです。
 皇后陛下の俳句を紹介しつつ、アッという間の40分でした。
日程を終えて60名近くのオバチャン達と池袋演芸場へ。“落語断ち”の最中ですが、ご詠歌の後の寄席を楽しみにしてる方が60人もいると云う訳で。大義の前に私情なぞ…久々に満喫しました。
 柳家さん喬一門揃い踏み。喬太郎さんは、トリをつとめる師匠、さん喬の前座で『牡丹灯篭』のそもそもの噺。マクラもナシ、おふざけは一切無し。まさに真剣勝負でした。個人的にお見事。余韻が残る所へ、さん喬師匠の『唐茄子屋政談』。シビレました。何時の日か「さん喬の『唐茄子屋』間にあった」なんて自慢めいた話をしてるかも、という感動もの。淀みのない確かな語りの中、左脇で目をつむり身動ぎしない母。「寝るなんて勿体無い」放っといた。終わった途端、目を丸くして「最後の二人は上手ねぇ…落語も好いわね」だって。

2005年6月9日(木)
板橋強化週間

 南蔵院住職と共にお檀家さんのAさんのお葬儀。新板橋駅の地上出口にある『新板橋駅前ホール』という“わかりやすい”葬祭場で。道すがら後部座席の住職と
  「何で“新板橋ホール”じゃないんでしょうかねぇ?」
  「あのホールが出来たときには使われてたのかもしれませんね。
   どうでもいいけど、“駅前”というよりは、駅の上なんだよね」
  「…確かに」
 新板橋駅の地上出口の上にあるもんなぁ、思い浮かべつつ。葬儀〜戸田橋の火葬場〜ホールへ戻り初七日。お骨上げまでの間、ご遺族の長とアレコレ話す住職。種智院大学、大正大学で教鞭をとる先生でもある住職の布教は、過去帳にあるAさんのご先祖の話に始まりました。決して一方通行にならないように恐らくは気を配られている話しっぷり。話をリードしてはいるけれども出過ぎた真似はしない。とても勉強になりました。出来るかどうかは別問題でしょうが。
 明日はご詠歌の催しで板橋文化会館。週7日のうち3日板橋。しかも3日連続で。1年あればこんなこともありますわな。

2005年6月8日(水)
「何もなかった」と判断するのは、だ〜れだ?

 常楽院さんで13:0017:00までご詠歌。610日は大山にある板橋文化会館で両祖大師のご生誕を祝うご詠歌の催し。それに向けた特訓とでもいいましょうか、みっちりと。16:30頃に息切れしたのも手伝って、仏事QAみたいな時間に。すっかり話し込んでしまいました。結果としちゃ常の如く、ということで。
 ご詠歌のお仲間のKさんは、とても熱心で常楽院さん、東福寺さん、実家の極楽寺と3カ所を掛け持っておられる。「初の追っかけか?」などと戸惑ったものの、杞憂とわかり寂しいような、ホッとしたような。いずれにしても、元気な人に引っ張られて元気を頂ける心持ちになるように、一人の熱心な人が場の雰囲気を変えてしまうことも在り得るわけで。“講師”などという立場にいる人間にとっては、場を盛り上げる手助けをしてくださるので有り難い限り。
 「同じ話を3回すれば話がかなり練れてくる」とはお世話になっている密蔵院住職(6会場の講師として少なくとも毎月12回は話しておられる)の言葉。最初の場所でしくじっても、次の場所で訂正した話が出来る。その次の場所では更に訂正を加えて話せる。それぞれの場所で違う話をすれば、3つの話を3回ずつ練りこめる。一つの会場を大切にこなしている方は言うなればぶっつけ本番。較べて3カ所の会場で時間を貰えている…感謝こそすれ不満などあろう筈がね。けども同じ顔があるとなれば話は別っしょ。同じ話は出来ないもの。足を運んでくださるKさんに「何だ同じ話か」じゃ申し訳ないもの。その都度話を変えるために難儀してる、が現状ですな。「練りこんだ同じ話のほうが中途半端な違う話よりも魅力があるんじゃ」と指摘を頂きましたよ。確かにそうかもしれませんがね、許せないんですよ。丸一日使って拾えた話材が何も無い、という了見が。

2005年6月7日(火)
そもそも「分からないことだらけ」だったよ

 “百烈舌Kちゃん”から、高校時代の恩師が出演する催しへの誘い。先約があったのでお断りしたんだけど。“朝霞の限ナシBちゃん”が子宝を授かった報せを貰って以来。同じ釜の飯を食らった仲間が父親になってる。よくよく考えるほどにスゴイことだよなぁ。我が子とはいえ、誰かしらの人生を背負っちゃっうってことだからねぇ、しかも命ある限り。現時点では何も分かってない子供との何十年の暮らしを想像すると、コワくないすか?良からぬことをしないとも限らないし。もっともそうならないように命がけで躾るんだけども。そのヘンの不安に駆られて堕胎なんて選択をする方もいるんでしょう。もちろん個人的に認められる行いではありませんが。
 親に成れば「どうってことない」「深く考えることない」という言葉に共感できるのかもしれませんがね、まだ独りモンだから余計考えるのでしょうねぇ。『何事も経験』と嘯いて、あまり頭を使わずに来た反動かもしれません。どんな事情があるにせよ、親になることを選択した人達には敬意みたいなものがあるわけで。(もちろん中○獅童さんと竹○結子さんにもありますとも、やっかみ?そんな気持ちは殆どありませんけど)
 久々に“限ナシBちゃん”に連絡でも入れてみるか。「Bちゃん、久しぶり」が「お久しぶりです、Bさん」と成らないとも限らない…なワケないか。

2005年6月6日(月)
今回限り

「最近悪いことが続くので…」という中年女性が西光寺へお参りにいらっしゃいました。電話で予め伺うには、脳梗塞で身体が不自由しているところへ利き腕の怪我。思い返せば引っ越し以来。きっと方角が悪い…という。大凡の話を聞き終えて「…ほんじゃ、お護摩焚きますからいらっしゃいな。」で今日の運びに。

  上から諭すのではなく同じ立場での言動を(確かこんな)

 密蔵院さんの住職に頂いた上田紀行さんの『生きる意味』を金曜日にようやく。↑のことが頭のなかでゴワンゴワン鳴ってるうちで良かったこと。以前にも似たようなことがあったけど、その時は一方的に捲くし立てちゃったから。もう来ないもの。「だから仏教はダメ」なんて。(こんなレッテル貼られちゃってるだろか?…だろうなぁ、普通に考えると)
 今回はじっくりと先方の話に耳を傾けることができたようで。“聞いてるっぷり”の相槌はありませんでしたなぁ。「早呑み込みの粗忽者がねぇ?」と我ながら驚き。

2005年6月5日(日)
たっぷり

 南蔵院さん〜極楽寺でのご詠歌。携帯に留守電が入っていたので空いた時間で。
 「お電話有り難うございますっ。『オフィス福太郎』でござい 
  ますっ。また連絡いたしますっ。」
 妙にパキパキした喋り方。『オフィス福太郎』は玉川福太郎さんの事務所。昨日の昼休みに624日の独演会予約の連絡したところ繋がらずじまい。土日は休みかと思い週明けに申し込むつもりでいた。先方に履歴があったか。
 にしてもスパッとした語り口が気持ちいい。お弟子さんの玉川美穂子嬢かも?。ともかく折り返す。
 「お忙しいところ電話を頂いてすいません。624日の予約
  を…」
 「ハイッ!!大丈夫でございますっ。2枚でっ?6時半には受付
  へお越しくださいっ。それとお名前をよろしいでしょう
  かっ?云々」
 万事この調子。危うく「名調子っ!!」と声を掛けるところでした。
 電話の応対にも浪曲が入り込んでいる美穂子嬢らしき女性。恐れいりました。ハキハキと元気な語り口で元気を貰う方もいることと。
 芸事が日常に良い影響を及ぼしているとは正直羨ましい限り。コチラは仏さまに仕えて10年以上経つのに日常に中々出てこない。

2005年6月4日(土)
体育会系

 南蔵院さん〜隣のお寺でお習字。2時間を月2回のペースは、筆に触れる機会が比較的多い職業柄、適当なのかもしれません。個人的には少ないと思っちゃいますが、自発的に「稽古するぞ」と力んだところで、目の前に繰り出されてくる用事をこなしているうちに横へ追いやってしまう。適当なペースなんでしょう。
 稽古後の一服を楽しみながら7月・8月の日程を決めつつ雑談。参加されてる先輩ご住職方の話はそれなりに興味深いのです。フリートークになると、そのお人柄が見え隠れしますからねぇ。無論こんな了見の小僧が様子を伺っていることも承知の上なんでしょうが。
 先生は書道の顧問もなさっているので、8月は合宿をするのだそうな。書道で合宿?どこで、どんなことをするのか気になり湯呑みを持つ手を止め、話の続きを待つ
 「毎年23日で気候のいいところで一日中書くんです。帰 
  る日の前は徹夜になりましてねぇ。「先生、勘弁してくださ 
  い」なんて学生に言われるんですが、「もうちょっと書いて 
  みよう」とやらせるんですョ」
 …結構スパルタ。
 というより体育会系ですな。
 「ということは「先輩の墨がなくなったら注ぎに来るのが常
  識だろがぁ!!」なんてことがあるんですか?」
 とは聞けず。

2005年6月3日(金)
味濃い目

 南蔵院さんでの仕事を終えてから渋谷のパルコ劇場へ。お世話になっている密蔵院ご住職のお誘いで国本武春さんの独演会に行ってきました。ご住職夫妻、プリンコさんらと会場待ち合わせ。さすが“唸るカリスマ”。圧倒的な存在感でした。
 会場へ急ぐ公共駐車場からの道中「何なんだ、この感じは?」と。ファミリーマートを見ながらの信号待ちで、俄かに生じた違和感の理由探し。「久々の渋谷だからか?」「だったら初めての場所へ行く度に気絶してるとでも?」などと妄想。思い当たったのが「いつもと年齢層が違いすぎ」。屯している若者達(この言葉を使うのって…)は、ご詠歌・法話でお邪魔する場所にゃ、まず居ません。顔中サングラスかけてるようなお嬢さんも周りに居ないし。いつもと毛色が違う人達に囲まれての緊張のようでした。…人見知りですな。
 パルコを後にしてから遅めの食事。仏さまが鎮座まします居酒屋へ。店内は、手抜き掃除が行き届いたホーンテッドマンションのような如何わしさ。お店の雰囲気、卓上で飛び交った話も格好の肴だったろうと。車での移動を後悔しましたとさ。
 終電へ急ぐ人の流れに逆らって駐車場へ戻る。暗がりの其処此処にいる若者が全部怖そうなオニイサンに見える。恐らくは何を話しているわけでもない、気心の知れたもの同志で興じていただけなんでしょう。
 久々に渋谷に足を踏み入れたものにとっては、如何わしくも刺激的な一夜でございました。暫く行かなくても良いほどの。

2005年6月8日(水)
♪キミだけに〜♪

78月に備え前倒しでお勤め。朝方4時過ぎには活動開始。一段楽した7時過ぎにチャチャッと食事に洗濯、掃除に護摩焚きの準備と樒(しきみ:お作法でワンサと使うんだよね)の支度を一まとめに。拝みと生活でそれなりに忙しいこと。
午後から極楽寺で昼の部ご詠歌。「日に焼けましたね」と声を掛けて頂きました。何せダダダーッと護摩焚き、シャワーをザッと浴びての状態なので、顔中煤けたんだか…。鏡を見ない性質なもんでホントの所わかりませんな。軽口は思いつくのね。
 「わかりますか?実は朝方からさっきまで護摩焚いてまし
たから、ヒに焼けるのは無理もないですね…」
 
笑っていただきましたよぉ、1人でしたけど。こちらの軽口が可笑しかったかどうかはわかりません。冗談いうたんびに「今の冗談わかりました?」なんて、念入りに確認を取りませんし。

2005年6月1日(水)
異風堂々(ヘンテコなヤツの自信ありげな様子のこと)

春風亭昇太さん、柳家喬太郎さん、林家たい平さんらの新譜が出たので、首都圏随一の品揃えを誇る新宿、紀伊国屋の二階テイトムセンへ。落語断ちの最中で手元に置いたところで聞かないけど解除される日が来るであろうことを期待して買っちゃおうと。誰がなんと言おうと単なる衝動買いをしたわけですな。 
午後から東福寺さん(中野区江古田)でご詠歌。時間がないこともあって昇太さんの『はじめての落語』がパッと見当たらないので諦めました。実はスンナリ諦めたわけじゃない。「間違いなく売ってる筈」確信めいたものがありながら、目当てのものを「見当たらないや」で諦める?そんなバカな話ないっしょ?
実は思いも寄らないモノをGETしたからスパッと帰ったのでした。
売り棚で一際目を引く怪しげな雰囲気のジャケット。手に取ると『鳥肌黙示録』…あの鳥肌実さんの1枚目のCDでした。(<http://www.torihada.com/intro.htm>)志の輔さんがラジオで取り上げてました。加えて言えば“とりはだ みのる”ですよ。このネーミングセンス。自然内容にも期待しますでしょ。
早速聞いてみました。
…「言葉にするのを憚ってしまいます」が感想ですかねぇ。個人的には面白いんだけども、果たして周りの人間がどれだけ…。自身を持ってオススメできなくもなくもないかなぁ…
個人的に?もちろん即お気に入りに追加。