日 記 ど う ?



◆平成17年7月の日記どう◆

2005年7月31日(日)
大風呂敷

施餓鬼準備当日。まず800に男性陣が集合。600には作業がパパッと進むように、仕込みをしてたんだけどね。テントを2張り、施餓鬼檀の準備(組み立て式…しかもベテランの“カン”が必要)。終えて建物裏手の物置をずらして掃除。休憩後、境内のいたるところに密生する雑草を人海戦術で片付ける。張ったばかりのテントをヨシズで囲い、涼しくしたところへもりソバ(大)をぺロリ。
 本堂の総仕上も佳境へさしかかる1400頃、婦人部集合。明日のお接待の買出し、屋内掃除を2班に別れて。やはり何十年も家を守ってきた奥様方の掃除は一味違いますな。同じようにやってるつもりでも、なんかこざっぱりしてる。恐れ入りました。
 やはりお寺は檀信徒のみなさんがあってこそ。以前まで「住職は舵取り役じゃ〜」を改めます。住職は方向の指示をするだけ。というより方向指示ができるだけ。
目指すは『みんなの寺』(<http://www.mni.ne.jp/~garyo/>)の雰囲気づくり。

2005年7月30日(土)
後ろ髪がないので

南蔵院さんで一仕事おえて西光寺へ。8/1のお施餓鬼準備。本堂仏具の拭き掃除でも、と始めたものの本堂前の雑草が気になり草刈鎌を片手に。耳のイヤホンからは、先日亡くなった村上さんの声(お若いのかいくらか高め)。お元気な頃の録音テープをボイスレコーダーに落としたんだよね。それをパソコンに落としてCDに焼いて、話の寺子屋のみなさんにお渡しする予定。いよいよ暗くなる1900前まで、話の寺子屋で伺ったものを反芻するよう語りにうれしくなり、鎌を持ち、折り曲げた足の軋みが苦にならないこと。そのテープと記憶の他に、村上さんからの指導はないのだから寂しくもあり。お元気な頃の声がそのままに耳に出来ることは、有難くも残酷なことなんですな。ただ、ある程度まで村上さんに引っ張って貰ったおかげで、テープの内容が体中にスーっと染みこんでいくものの、村上さんが仰る“自然な喋り”は道嶮し。
西光寺の浴室で汗を流しながら、微かに聞こえる太鼓の音に誘われ、さつきが丘の盆踊りに行ってきました。踊りにでなく、挨拶で。
自治会の催しにはなんだかんだで欠席続き。都合が付けば出席するのですが、土日の昼間とかだからなぁ。
しばし、日頃の失礼のお詫びとあわせ、実家の極楽寺のお檀家さんらと、「よう」「やあ」で一杯。
長居はしませんでした。村上さんのCDを焼くための準備で極楽寺へそそくさと。面白い話を伺ってたんだけど残念。

2005年7月28日(木)
閃きと輝きの違い

 昨日のChippyで繰り広げられたPUANとのセッション。その様子をちょっとだけ別枠に貼り付けときます(近いうちに音も貼り付けます。あいや、しばらく)。
 午前中、草刈機で境内の雑草を蹴散らす。小砂利をひいたところは原始草刈機で(手作業ということね)。
 午後からコチョコチョとパソコン仕事、村上さんの遺音を残すための録音・編集作業。ボイスレコーダーの説明書と編集作業でのパソコン取り扱いがなかなか飲み込めず捗らないこと。涼しくなってきてようやく。8月2日の『話の寺子屋』に間に合うといいんだけども。何とも微妙。

 山伏仲間のパラッパーMクンが連絡をよこした。南蔵院さん(葛飾区立石:いつもの南蔵院さんとは別ね)のご住職が体調を崩されたとか。その責任をいくらかでも果たすべく重い腰を上げ動き始めたカレ。責任を負って思うところができたのか、会うたびに「目つきが変わったなぁ」と。他人事ながらウレシクなってたわけで。
「お寺で落語会を開こうと思ってるんですけど、色々と教えて頂きたいと思って…」
「へっ!?あぁ。噺家さんを知ってるといっても柳家三太楼さんだけなんだけどね」
「あ、そうなんですか。でも高座の作り方とかぁ、お礼のこととかぁ…」
実家の極楽寺での新年落語会での準備の模様などをしばらく。
 “回りが動かないのならコチラが動けばいい”ことに気づいたMクン。今後の南蔵院さん(立石のね)の動向に注目です。

2005年7月27日(水)
重すぎる口

朝方涼しいうちに81日の西光寺でのお施餓鬼に向けて境内掃除。草取りにお塔婆書きをチョボチョボとね。ちょっとずつでもやっておくと気分的に違うのですよ。
午前中に実家の極楽寺へ『光明』(宗派の機関紙ね)の取材。山伏仲間のブラザーTさんに、布教研究所のY先生。
「“横浜”というと『高層ビルと海』のようなイメージがあるんですけど、横浜にも豊かな自然があることを紹介できれば、読者には強烈なインパクトがあるだろうと…」
「そうねぇ、多摩丘陵の続きだから緑はあるけど海はないからねぇ」
 とりわけ極楽寺の周りは調整区域に指定されているので、子供の頃とあまり景色が変わらない。20年前と変わらない馴染みの環境で暮らせることは、よく考えたら恵まれてることなんだよね。住職とお二方のやり取りを傍で聞いててふと。
「河童のような逸話があると役所の方から聞いたんですけど…」
「あぁ、川流れ地蔵ね。本堂の左脇のね…」
「え、あ、川流れ地蔵でしたか」
川流れ地蔵!?初耳だよ〜32年住んでるのに。本堂の左脇で、お位牌、ご遺骨、仏像やらお預かりしてお祀りしてる。そういえばお地蔵さんのご真言を唱えてる。そのお地蔵さんが実は“川流れ地蔵”…
そんなことをおくびにも出さず子供の頃からお勤めにつき合わす住職…。

 実は本堂の地下には秘密の小部屋があって、隣の杉山神社と地下道で繋がってる、なんてこともありそうです。
昼からご詠歌、夜Chippy(声明ライブ)。どちらも面白かったこと。

2005年7月26日(火)
ミットモナイ

写経会でした。「台風直撃」などと、さんざん脅かされているのにいらしてくれた写経会の皆さん。有り難いことです。
今日は朝昼晩とパン食。昨日のうちに青葉台のサンジェルマンで購入。実家の分と合わせて買ったので同じものを2つずつ。レジで
「同じものはまとめてよろいいでしょうか?」
「お手数ですが分けて頂けますか」
「ハイわかりました」
店員さんの手早い袋詰めの様子を感心してみていると、コチラの言ったとおりに動いてない…ちゃんとした日本語を喋ったよな?反芻しつつ思わず荒ぶる語気
2つに分けて欲しいんですけどっ!!
怯えた様子で
「あのぉ…分けてるんですけど…」
店員さんの手元をよくよく見たらコチラの勘違い。恥ずかしい〜というか申し訳ない。何より指示どおりに動かない“だけ”で語気が荒くなってしまったのが、みっともない。店員さんに平謝りでした。

そういや「モッタイナイ」が注目を集めてるんだってね。台湾あたりじゃ「あさり」(あっさりのことね)が良い意味で使われるというし。
「みっともない」広まらないかなぁ。特に何かに付けてオカシナ難癖つけてくる、あの国とか彼の国とかで。

2005年7月25日(月)
ヤマダブッダ

朝から明日の写経会に向けて西光寺のお座敷づくり。途中から扇風機掃除へ移行。というのも座敷に取り付けてある扇風機は年中出しっぱなし入梅から回しっぱなし埃だか煤だか結構汚れてました。モッタイナイオバケ来襲を逸らすべくきれいにピカピカ。
開店時間に合わせて近所のヤマダ電気で買い物。山伏仲間に映像資料として渡す『柴燈護摩アレコレvol.1〜vol.5;DVD』の補充をするので。お店に来ると意味もなく、うろついちゃうんだよね。何某かの驚きがあるからなんだけども。あらゆる電化製品が小さく小奇麗になってる。しかも多機能ときた。便利なモノの氾濫は弛まぬ努力に支えられた技術の進歩があればこそ。だけに「あとはコチラの了見だけなんだよなぁ」などと。こうして新製品の前でため息を繰り返す作務衣の坊主ってどう見えるんですかねぇ。やはり、お財布と相談して買い控えてるオッサンでしょうか。店員さんが寄り付かないわけですな。

2005年7月24日(日)
頭は下げるためにこそある

南蔵院さんで一仕事終えて慌てて極楽寺へ。催しのたびに花を活けてくださるHさんから出勤途中に電話。
「今晩の婦人部の集まりですが欠席しますので…」
「あ…ハ、ハイ、わかりました。そのように皆さんに申し伝えます」
19:00からの婦人部の寄り合いをスッカリ忘れてた。帰り道は高速道路を迷わず選択。到着次第極楽寺で文書を拵える。忘れ物をチェックし西光寺に戻り座敷の支度を済ませる。ギリチョンセーフ。
西光寺の催しごとに不可欠の存在となった婦人部。お茶だしをしようものなら「アタシがやりますから…」言葉よりも前に急須をとられかねない。以前、婦人部の会合で急須を取り合った元お嬢さんに
「今晩はワタシにやらせてくださいな。そのぶり当日お参りに来られた方へのお気遣いをお願いします」
それから見事にリラックスなさってるようです。
「19:30から極楽寺でご詠歌がなので間もなく失礼しますが、Aさんお寺の鍵もってる?」
「えぇ、持ってますよ。お寺の荷物は一つにまとめてあるので…」
「お茶等はセルフサービスですが、どうぞごゆっくり」

婦人部の会合では大抵中座してます。というのも気心の知れた婦人部仲間とのお喋りはさぞ楽しかろうと。お寺の催しに発揮される団結した婦人部の力の前で、「住職」という肩書きの人間が持つ力はあまりにも矮小(西光寺の場合はとりわけ顕著でしょうねぇ)。その辺の力関係のようなものが、その場の雰囲気に滲み出てくるんでしょうか。圧倒的なオバチャンパワーに圧倒されるばかり。

2005年7月22日(金)
暇人のイマジン

久々に頂いたお休み。「充実した時間を」朝早くから意気込みました。
500頃から、一昨日切った建物の裏で暴れてた真竹20本近くをターゲットに作業開始。葉っぱはゴミ袋へ(45 ×8)、他は短く切ってまとめ(7つ)ゴミ出し。途中、通り雨でかなり濡れる。海に行ったつもりで何だか楽しく…なることもなし。
1000頃から西光寺山のジャングルに草刈機と蚊取り線香で突入。機械の振動で手が痺れてくる、一人でやっていたので嫌気がさしてくる、機械の燃料が切れるがほぼ同時。昼食の為退却。
子供のころにはわけも分からず、棒っ切れを振り回して通学に使ってた農道に茂るぺんぺん草を薙ぎ倒してヒーロー気分に浸ってた。草刈機を振り回すのは何だか楽しい。次々雑草を薙ぎ倒していく映像が、思い出と重なるからでしょうねぇ。蚊取り線香と倒された草から立ち上る緑の匂い。まるで山登りみたい…なんて思えるかぁっ!!

休日返上で働いている人はいくらでもいるし、今も歯を食いしばって闘病中の人もいる。ロンドンあたりじゃ大変な騒ぎになっているし、イラクでは多くの人が不満や不安を抱えたまま暮らしている…

汗だくになって大掃除もいいもんです。充実した時間を過ごせました。おかげさまで…

2005年7月21日(木)
あるべきやうは

怒涛の南蔵院お手伝いも最終日。申し込まれたお施餓鬼のお塔婆を一気に立てるのですが。各家の墓地の前に住職が置いていった塔婆を後から追っかけて立てていくだけ。
作業の過半は住職担当。というのも、ドバッとランダムにまとめてある200300の塔婆をブロック毎に分け、それぞれの家墓の前に運ぶ。墓地の場所に戒名、親戚の名前。全部入ってないと出来ない芸当でしょ?これって。
お手伝いにあがってボチボチ9年か。そんな姿を毎年見せ付けられつけられてるのに、覚えたのは小指の先程度。

隣寺のお施餓鬼へ向かった住職の後姿を確認して、昼食とりがてら奥さんと噂話
「住職の頭の中がどうなってるのかいつも不思議になるんですよ」
「お塔婆書きが早くて間違えないのも、顔と名前、戒名なんかもアタマに入ってるからじゃないかしら」
「・・・」

2005年7月20日(水)
モノは考えよう

南蔵院さんのお施餓鬼が終わりました。法要が始まってジンワリ湧き上がってきたのが『準備9割』。先輩のお坊さんから聞いたっけ。準備万端整ったら終わったようなものなんですな。法要のお手伝いにいらしたご住職方が静かに本堂へ進まれる様子を見て、ふとそんなことを。ボンヤリしてたのか。
法要前の一龍斎貞花師匠の講談『乳房榎』が良かったこと。生の話芸はいいもんです。しかも脚本がいい。加えて「ここからが面白いのですが、丁度のお時間」でスパッとお終い。最近この「終わらない」が何とも面白い。「続きはやらないのかよ〜」中途半端が以前はイヤだった。歯磨き粉を指に付けて歯と歯茎に擦り付けて歯を磨いたことにするような。終わらないということは、まだ続きがあるということだもんねぇ。こう考えるとそんなに悪い話でもないっしょ?
今日のお目当て近隣寺院の住職方10余名がとり行う法要になる途端、堂内一杯の参拝者が醸し出す雰囲気につられコチラの緊張感も高まってくる。つつがない法要の進行を行う黒子仕事なので、誰しもがそれなりに緊張するもんでしょうが、これが以前はイヤだった。最近はこれがね嫌いでもないのです。というのもね、緊張から開放されたときの充実感が何とも。

2005年7月19日(火)
異才

南蔵院さんで一仕事。愈々明日に迫りました、お寺主催のお祭り お施餓鬼。法要前に一龍斎 貞花師匠の講談『怪談乳房榎』(作 三遊亭円朝)。この話には南蔵院が出てくるので。そもそも落語として拵えて噺。良く出来ているので講談、舞台、映画になったわけで。三遊亭円朝“作”だから作り話。同じ人間が拵えたものが色褪せることなく幾度も語り継がれてる。今日もどこかで語られているんだろうからねぇ。自分が創ったものが手を離れて一人歩き、誰かしら何がしかのお役に立つなんて。正直憧れますな。
お昼休みを利用して宗務所へ。写経に使う用紙を求めに行きました。そこへ同じ神奈川のお仲間でI先輩(ご詠歌でお邪魔しているお寺さんの若住職)と遭遇。少林寺拳法と津軽三味線の師範をしながらお坊さんの修業もキチッとなさってるカッコイイお坊さん。いつか「お坊さん割引で三味線教えてくださいよ〜」頼むつもりなんだけど。「お坊さん割り増しだろ」なんて。総本山 長谷寺の育成機関の先輩でもあるから「後輩割引でお願いします」にしとこか。

2005年7月18日(月)
要はインチキ

南蔵院さんで一仕事(因みに7月20日がお施餓鬼なもんで)。終えてから西光寺でお世話人さん、役員さんにお集まり頂いての寄り合い。8月1日の西光寺でのお施餓鬼に向けて。予定していた議事はチャチャッと済んで、四方山スピーキング。これが面白い。住職冥利ですな。
座敷の片付けをササッと済ませ、習字の勉強会(実家の極楽寺住職が師範だか就任してるもので)提出用に筆を持ち半紙を睨む。気が熟すのを見計らって一気呵成に書き上げる、何てことをせずダラダラと。ただ“流し”てる感じ。思いつきで書いてるとそのうち「オヤ、コレいいかも」なんてのが出てくる。地元の川で砂金探すようなもんだけども。
なかなか書けない(当たり前か)ので、ヤケッパチになってシャワーを浴びる、ビールに手を出す。たらね、書けたんですよ「まっ、これでいっか」ヤケ○ソものが。これを酔拳(或いは睡拳)と。

8月もやるのか…。

2005年7月17日(日)
理想と現実

南蔵院さんで一仕事。終えて実家の極楽寺へ。家路は時間の節約のため高速道路を選択。お堀端のトンネルが鮮やかな黄色に塗り直されてる。それまで同色のタイルを貼り付けてあったのが、振動と排気ガス、そもそも路線自体の老朽化なのか。声高に“夜間工事”だなんだ大騒ぎして工事渋滞を予告するぐらいだから、キチッとやると思ったら…。もっとも半端じゃない交通量なのだから、あっという間に剥がれるのも無理もないか。ただなぁ、会社が会社だから。コンクリートが剥がれて鉄骨が剥き出しの立体交差なんかはボチボチ考えるようかもな、なんて。
ご詠歌の勉強会に向けて手紙の作成、発送。明日の世話人会に向けて文書作成などを準備。こういったことを効率よくするには、昼間掃除をしながら考えを練ってメモ。時間が出来次第、校正しながらウラーッと打ち込む…が出来りゃ、苦労はないんだけども。

2005年7月16日(土)
でもなくて

10時から西光寺でお茶会。朝4時半ごろに起きて、座敷の掃除片付け炊事(パン焼くだけ)洗濯(全自動)を済ませ6時半には出発。土日に催されるお茶会には未参加。にもかかわらず4時起きだよ。お檀家さん以外の方が来ているようなのでうれしいことはうれしいのですが。
南蔵院さんのお隣、玄国寺さんでお施餓鬼でした。柴燈護摩の勉強会でお世話になっているお寺さん。動いてますねぇ。本堂に入りきらないほどのお参り。お見事です。
これで後は7/20の南蔵院さんでのお施餓鬼を残すのみ、と思ったら7/22は広福寺(横浜市港北区)でお施餓鬼か。それを残すのみ、言ってる間に8/1の西光寺お施餓鬼か。それを残すのみ、でもなくて8/8は極楽寺のお施餓鬼、8/138/15がお盆の棚経“月遅れの陣”。
もうしばらく。

2005年7月15日(金)
お盆でコミュニケーション

お盆の棚経これで最終日。うって変わって今日は真夏日。午後から車でお参りするので件数少なめ話は多め。
モーター音を響かせながら、面白いように風を切り裂き疾駆するパ○。お参りを終えるとお待ちかね、お檀家さんとフリートーク。好きなことばっかやってる間に時間が過ぎる。夢のような日々ですなお盆て。
振り返るとやはりシクジリ(それに順ずるもの)が目立ちます。
クリーニング屋の奥さんと靖国問題を語り、郵便局のOBと我が国の偏向報道、教育問題について30分(お経は5分)。可愛らしいオバアチャンと、浪曲・落語と日本語の豊かさについて30分(お経は5分)雑司が谷のご夫婦とは、落とし噺バトル30分(お経5分)…カカと笑い過ぎました。
南蔵院の先代住職さんがお参りしていた後を父が受け持った。先輩方がジックリと道筋をつけてくださった跡をたどって10年余り。おかげさまで、みなさんはとても温かい方達です。
今年初めて気が付いた。先代・父がお参りしていた当時も自転車は在った筈。同じ所を、一番若く馬力もあるであろう私が“自転車を使って”担当している。一番苦労をするべき若僧がもっとも恵まれた環境で棚経をしているのですよ。畏れ多いことです。来年こそ、自転車を使ってお参りしていることの意味を噛みしめて、限られた時間をより有意義なものにするべく、会話を盛り上げていきたいものと。

2005年7月14日(木)
楽しい棚経

お盆棚経2日目。例年電動モーター付の“YAMAHAパ○”を借りてスイスイ〜とお参りしてます。涼しいのはチャリンコをこいでる間だけ。降りてからがヒドイ。「オレってこんなに潤ってたんだ」などと驚くほど汗が噴き出してくる。それを拭きながらお経を上げるもんだから、今年の涼しさに戸惑うこと。手元に手拭いがない、眉毛にたまる汗がない。いつもやっていたことを出来ないもんだから、脳ミソくんも混乱したんでしょう、お経を間違えるところでした(ご免なさい。ウソです)。
 お檀家さんのお宅でお茶をいただきながら喋るのが何よりの楽しみ。だからかな、今年はこんな言葉を頂いた。
「お経をあげてるよりも活き活きしてて元気がでますねぇ」
   「…あの〜ワタシお経をあげに来てるんですが」
 確かに。お経は同じだけど、話はいつも違うからな〜。一年ぶりともなれば、思わず身を乗り出してしまうような事柄も。
右手の麻痺に伴い両足までも不自由になり、車椅子と奥様の献身的な介護で日常を過ごしていたオジイサンが、一年ぶりに来てみたら、習字はするわ、藍染はするわ、家の中で歩くわ。「自分でも驚いてます」だって。そりゃビックリしますって。
藍染のタオルを感慨深げに眺めながら、
「今度は模様じゃなくて名前を染め抜きしてやろうと思ってるんです」
「名前が上手くいったら、次はワタシが注文していいですか?」
「何なりとどうぞ。別料金になりますが(笑)」
「(笑)『○○代 命』(奥様の名前ね)でお願いします」
奥様爆笑。旦那苦笑。

2005年7月13日(水)
励ましの極意

お盆初日でした。午前中に南蔵院本堂でお盆のお経。棚経に伺えないお檀家さん、お申し込みのあった方がお寺へお参りに。年毎に増えているような。お坊さんにとってもお宅へお参りするほうが勉強になるんだけどな。なんせ面と向かっての話をそれぞれでしてくるんですから。誰からか聞いた『お坊さんはサービス業』。棚経はその実践の場としちゃ最適なんだけど。
やってるお寺とそうでないのとがあるんだよね。お寺によってお檀家が多い、お盆は3日と限られてる、現実問題、家ごとのお参りはムリ。なるほど時代の流れに沿っていることは重要。けれども守るべきところは守る頑なさも必要。
お世話になっている中華料理屋さんのA社長のお宅へ、極楽寺住職とお参り。人生経験を存分に積んだ社長のかっこよさったらないのです。若手コックさんが、お休み返上でお接待の料理を拵えてくれた。いくらか疲労が見える若手コックさんに労いの言葉がコレ。
「ご苦労さん。休みのところ有難うな。彼女のトコなんかいくなよ。今日はゆっくり(身体を)休めろな。」
「…あの、実は別れたんです」
「そうか、良かったじゃないか。これから素敵な出会いが沢山出来るから楽しみだな」
「…有り難うございますっ!!
いくらか傷心の面持ちでいる人間に、躊躇なく「良かったじゃないか」だもんな。なかなか言える言葉じゃないですよねぇ。味わい深いです。
温かい気持ちなればこそできる、部外者の心すら動かす励ましの言葉。ますますA社長のファンになりました。

2005年7月12日(火)
後ろ向きマクラ

いよいよ明日からお盆ですねぇ。頭を丸めている者にとっちゃ何だか気忙しいのです。何本か抱えた原稿が気懸かりで頭の隅に引っかかっているものの“アイデア勝負”みたいなとこがあるので、時間をかけただけ良い文章が出来るワケでなし。といって構想すら白紙のままも心許なし。そこで「ま、何とかなるっしょ」でポジティブ32号発動。
お盆の時期は個人的に大変なので、「とうとうお盆だ〜」と意識しないように平静を保つように努めてます。あまり意識すると苦痛が増すような気がしてね(嫌がってるわけじゃないのです、悪しからず)。
楽しいことにトップリ肩まで浸かると確かに楽しい。けどもその時間が終わっちゃうと、その反動で無性に寂しくなりません?なるたけ冷静に、淡々としてればその揺り返しも少ないだろうと。「日常に毛を生やしたようなもんだ」でお盆を迎えられれば、気忙しさも軽減するような。
「アレッ!?今年、お盆来たっけか?」
が理想か。

2005年7月11日(月)
『天狗裁き』−若僧編−

南蔵院さんで一仕事してから、ご詠歌でお世話になっている東福寺さんのお施餓鬼。到着するチョイ前「8日の常楽院さんでシクジッテルから気をつけなきゃ」喋り過ぎないようにブレーキをかけときました念のため。
3ヶ月1クールで6回講習。比較的早くに日程があがって来ているので都合がつく筈だったけども今期は休みが多かった。7/20の講習も南蔵院さんのお施餓鬼で休みだし。やった分だけ上手くなる(教え方ね)し、何より布教の勉強の機会だし。それを休むなんて勿体無い。成長のための刺激を捨てちゃうみたいでね。ホント♪申し訳ないやら〜もったいないやら〜♪。
法要前の50分少々の時間、ご詠歌のみなさんと久しぶりの逢瀬(ここで使うのもどうかという言葉ですが)を満喫しました。本番直前の練習だからでしょうか、食い付きがいいこと。ここ何回か前から気持ちよく乗せて貰える。それにも増してやり易かったのです。極楽寺、常楽院さんのオフクロさん達と雰囲気が似てきたような。有難いことです。
もっとも今期は休みが多く、お寺の方に指導をお願いしてた。ということは、この際お任せしたほうが…考えないようにします。
今日もシクジリました。いくらか時間が延びて、ご住職に「ボチボチお止め頂けますか」などと主をヤキモキさせる始末。新盆の方がお仲間でいらっしゃるのに、そんなことをスッカリ忘れて「もっと楽しくやりましょうよ!!」…。(“つけるクスリ”求む)
積み上げてきたシクジリは思い返すだにサムくなります。かなり強烈な印象で残っているんでしょうがね。ものの見事に繰り返してます。
その都度失敗しちゃ反省→忘れて出直し→失敗して反省→忘れて出直し…コレ、ずうっと続いてるんですけど。

2005年7月10日(日)
一音違い

南蔵院さんを終えて十日市場のデイーラーへ。プリウスの点検で。
清潔な店内は、社員のみなさんがキビキビ動く様子がまず目につくようになっていて、衝立などの目隠し無し。壁に貼り付けられたノルマ表らしきものに接客のイロハ、びっしり埋められた月間スケジュールであろう大ぶりのホワイトボード…目新しいものばかりなので、ここぞとばかりに観察。(作務衣着たボウズと目線があった店員さんは気味悪かったろうな。)
 オイル交換等の作業をして貰っている間、カウンター席で『毎日新聞』熟読。たまに読むと面白いね、いろんな意味で。
カウンターに新聞を広げ、調べ物をするような目つきで読んじゃってたみたい。女性店員Aさん(名札を見た)がオズオズと
「あの…、お飲み物いかがですか?アイスコーヒーとコーヒー、お茶と生茶があるんですけど」
「アイスコーヒーが“いいです」
村上さんの話を聞いた翌日から珍しく身についた“しっかり意思表示。「コーヒー“が”いいです」と「コーヒー“で”いいです」は別物ですよ、やっぱり。
浮かんだ氷を唇でよけつつ口に運んで思い出した“コーヒー断ち”。話すたびに「ともすると」を連発していた頃、気を配る意味で始めた縛りですが。彼是日が経つので甘くなってます。ただ、自身の話をチェックする縛りへとその目的が変わって活きているので、しばらく解くこともないでしょうな。
 流石エンジンとモーターで動いている車。1万4千`越えでオイル交換のみだって。「フィルターはあと1万キロ走った頃に…」だし。環境保護のためにもプリウスですな。「車に乗らない」には敵わんけど。

2005年7月9日(土)
順調の気持ち悪さ

順調ですねぇ。何がって?『極楽寺だより』(実家 極楽寺の寺報ね)への原稿のことですがね。2日目にして終わりそうなんすよ。こんなこと今までないからなぁ、逆に気持ち悪い。
 7月・8月は南蔵院さんを始め東京のお寺さんのお盆、お施餓鬼お手伝い、8月は西光寺、極楽寺のお施餓鬼、お盆、9月の護摩に向けて『西光寺だより』づくり。それこそアッという間に過ぎてしまいます。今年は布教研究所の原稿が被さってくる、同志が柴燈護摩を催す、四国遍路へ行く、都内某所での布教活動開催準備…。「夏休みをどれだけ使えるかで違ってくる」なんて。同じ台詞を小学校の頃通った塾で聞いたな。
実りの夏にするべく、部屋に篭って原稿祭りじゃ〜…トホホ。
 
“話すように書く”で好き勝手に綴ってる。一頃ゲッツ板谷さんの本にハマッてたっけ。最初に読んだのが『バカの瞬発力』。驚愕の言語感覚に惚れ込みました。独特の表現を、コチラの原稿にも活かせるかな、と。
比較的早く「ナイ」と気がつきましたけどね。

2005年7月8日(金)
反省

常楽院さんのお施餓鬼でした。大きな法要に御詠歌で彩りを添えて、というところ。咽喉の調子もそれなり。南蔵院さんに一度立ち寄ってからの道中で、咽喉慣らしこみで予定曲おさらい。御詠歌をボンヤリ響かせつつ目白駅前を疾駆する薄汚れたプリウス。さぞ如何わしかったことと。
南蔵院さんの関係、御詠歌のご縁、法話、柴燈護摩の勉強会で繋がった、それぞれのお寺さん。多くのお寺さんにお邪魔しているなかで、常楽院さんは一際目立ちます。お花見、お月見コンサート、フリーマーケットに料理教室。書道にご詠歌、篆刻教室。加えて毎月の寺報、18箇所の掲示板。モチロンHPもあり。動いてます。
そんな常楽院さんのお施餓鬼の日程。
“ご詠歌(30分も時間貰ってます)〜余興(40分;今年は林家正楽師匠の紙きり)〜法要(40分)”
最初は余興の枠に法話があったんだけど、ここ何年かありません。聞くところによると、ご詠歌の枠内で好き勝手喋る不届きな輩がいるからとか。
今日も正楽師匠と住職が脇で控えてるのに喋り止らずI先輩の声がけでようやく我に帰る。挙句の果てが
「アッ時間が来ちゃった。続きは、またのご詠歌でっ!!」(堂内失笑)

…笑いが一番。
失笑は含まれないだろうけど不思議にスッキリしてるんだよなぁ。自然な喋りが出来たのかも。(腕がちょん切られたり、鉛の玉打ち込まれたり、痛すぎて麻痺するとかいうじゃない。コレかもね)

2005年7月7日(木)
当たらずとも遠からず

写経会でした。夜の部の方にも言えるけど、だんだん筆が速くなってきて、終了までの時間がおおよそ2時間で固まってきた。と思ったら、3時間越え。「終了までにどのぐらいかかる」なんて考えること自体、ナンセンスでしたね。もっとも、その原因はオバチャン達との茶飲み話、そのあとでするコチラのショート法話(内容ですか?アンナことやコンナこととしか、答えられませんよ)。
知多半島へ遍路へお参りしたときだったか「ストレスとかないんですか?」と。遍路中に目敏く時間をみつけちゃ、マイクを握って世間離れのキレイごとを喚きたててた。「呑気も大概にして欲しい」なんてことで聴いてきたのかもしれませんな。もしくは「時間があれば少しでも休憩したいのに」だったかも。
これらのことは微塵も思い浮かべず
「これといってストレスはありませんね」とデリカシーゼロの返答。傍らで様子を見ていた母のキビシイ目つきを見つけ、「あ、一つ見つけました。母の目つきです。」などと母の方を指して茶化したっけ。(そう言えば、その後のことを何も覚えてないんですよ。…顎へ何かがぶつかって、目の前にキレイな火花が散って。そんなことが起きたような気がしなくもなくもない)

このままでいれば確かにストレスはないでしょうね。敵はつくるでしょうけど。

2005年7月6日(水)
『ぞろぞろ』”原稿”編

南蔵院住職の代役で、山手通り沿いにあるK院さんへ施餓鬼のお手伝い。飄々とした柔らか頭のN住職とお会いするのも楽しみの一つ。というのも、今年で4年目を迎える総本山 長谷寺での布教活動。その後押しをしてくださった大恩人でもあるからで。
養成所(宗派のエリートを育てるという“コンセプト”のお坊さんの機関)の修了式でのこと。N住職がふってくださった。
「何か今後の養成所の活動についてOBとして要望があったら…」
「長谷寺での実習機関を延長して欲しいのですが」
「そこまでいうのなら「手弁当でやらせて下さい」とか直接掛け合えば済むでしょ。」(確かこんな内容)
「…あぁ、直接動いて構わないんですか」
その時はN住職の深意を汲み取ることができず「意見を求められたから言ったのに。キ〜」などと心中穏やかじゃなく、みっともなくもプチ切れ。投げっ放しスープレックスのごとき突き放しに、やる気もメラメラ〜っと。思い返せば、この気持ちがあったから他人さまの視線も気にならない。長谷寺との直接交渉などという怖いもの知らずな所行も悪びれなくできたんだろうと。
 ご本山からお許しまで頂いての布教活動。この流れに乗って2,3の寺院と布教活動のための交渉をはじめようかというところ。
(その文書も拵えるのか…フー)

布教ゲリラでの貴重な経験も元を辿ればN住職の突き放し。
ホント世の中面白い。

2005年7月5日(火)
怒濤

護国寺(文京区音羽)境内にある宗務所で研修会でした。所属している布教研究所は宗派の定期的な配り物にいくらかの原稿を寄せてるので、その手直し作業。午後から常楽院さんでご詠歌。午前中のみ(午後から面白かったようですが)の参加。
 13:0017:00までの“マラソンご詠歌”もだんだん慣れてきたのか。当初ほど草臥れなくなりました。もっとも後からドッとくるのかもしれませんがね。講習の終わり際に、こないだBBA(ボーズ ビー アンビシャス)で頂いたお題『人生の質について』投げかけ。「誰もが納得しうる答えがあろう筈がない」のでしょうが、早いうちから諦めてるような気もしてねぇ、イヤなんですよ敵前逃亡のようで。
 話を一通り聴いた皆さんは「う〜ん」と沈思黙考の装い。「答えがあるのかどうかを含めて、ジックリ考えていきましょうよ」とひとまず。
 今回の『話の寺子屋』は村上さんへの追悼ということで、予定通り開かれました。20数名が参加(在家参加者5,6名)。今回のテーマは『それぞれの胸の内に残る村上さんの言葉を一言』。誰もが努めて明るく話す思い出話に一同真剣に耳を傾ける。貴重な空間です。この雰囲気はBBA以来か。“気持ちが同じ”この条件が揃わないとコウは行かないでしょうな。(ちなみに19:000:00まで。短かった)
 披露された言葉を集めて後世に残すべく本にまとめようと、録音をしてました。結果は失敗。村上さんを偲ぶ強い気持ちが満遍なく言葉に乗って、手を付けられないや。「忘れない内にやりたい」気持ちが個人的に強いのですが、もう少し時間が経って幾分気持ちが鎮まってからの作業でしょう。でないと、纏まるものも纏まらない。
『村上さん語録(仮)』出版に向けてとりあえず。

2005年7月4日(月)
お客様は仏様

世田谷のD寺さんでお施餓鬼手伝い。頼まれてあった施餓鬼法話の原稿を持ち添えて。
そもそも信者さんが集まるご祈祷寺院としてスタートされたD寺さんは、現住職で4代目だったか。人口の集中、核家族化が著しく、墓地不足の首都圏にあって、いち早く永代供養のお寺として転換をはかりました。今では永代のご供養をきっちりとなさるお寺さんとして知られるようになり、ご本尊さんにとりなして貰った多くの方がお参りなさるようです。お寺の様子が幾分変わろうと、肝心要めの本尊さんにもとのまま。その教えが揺らぐことはない。お見事。
お参りするたびにどっかしら変化しているD寺。今までお寺が辿ってきたであろう道程を早送りで眺めているようで不思議な気持ちがしました。(手伝いそっちのけでボンヤリしてたんじゃないっすよ〜。ちゃんとした考え事をしてたんですから)
 「素敵な話ができるお坊さんになりたい」などと、大風呂敷を広げたのが10年以上前。その頃から、法要の前に行われる法話を意地悪な目つきでコッソリ聴いてました。実力も伴わないうちに、「前の話の方が良かった」などと勝手な批評めいたことをしつつ、話材を集めてました。
 「ボソボソした語り口が、幾分甲高く明るい地声を台無しにしているなぁ。マイクを通しているとはいえ…」が今回のチラッと聞いた法話の印象。「聴き手に対するやさしさが少ないからかな?」思いあたったところで気がついた。
「そういう自分は話し手に対するやさしさが少ない」。「沢山の調べ物をして一所懸命話してくださってる」思いやりをもって法話を聴こうじゃありませんかっ!! …ワタシの時なぞ特に。

2005年7月3日(日)
自問ループ

南蔵院さんから、隣のお寺さんで習字。集中力がまばらながらも持続したようでアッという間の1時間40分でした。原稿づくりとは違った脳みそをつかっているんでしょう、良い気分転換になりました。早々に失礼して極楽寺の御詠歌へ。さすがに疲れが出たのか、ヘンな元気。そうかと思えば唱えながらボーッとしてたり。ハッと我に返る1時間40分でした。
 先輩から頼まれていた、お施餓鬼法話の原稿終わりました。『西光寺だより』も印刷、発送するだけだしチャッチャカチャーの単純作業を残すのみ。
そういや布教研究所にも原稿を何本かあげるのか。こんなにも文字に囲まれて暮らすことになろうとは…。手抜きして、以前の原稿を使いまわしてやろうかしらん。「フ〜ン、それでいいんだぁ」自嘲ツッコミが気にならなくなれば、の話だけど。習字のときにもあるなぁ、「これが上手く書けたものなわけネ…プッ(笑)」という感じで。
いろんなものに当てはまるかも、
「日記の原稿、コレでいいんだぁ?…プッ」
「今の喋り、上出来って思っちゃってる?…クスクス」
「これを掃除って言うんだぁ…クッ」

…オカシイでしょうか?

2005年7月2日(土)
限定イワン ウイスキー

南蔵院さんから新小岩の江戸川区民センター。Chippyの5周年イベントで3回目の出演でした。
観客を前にしても、以前のような緊張がない。その反動か、終わったときの脱力するような開放感もない。
村上さんが「初めてのドキドキを失わないように必死にしがみついているんです」と仰ってたっけ。
「そんなもんかねぇ」と大袈裟に受け止めちゃいませんでした。無きゃ無いでさみしいもんですね。もう2度と以前の心臓が破裂しそうな緊張感を味わえないんですから。
 イベントでの出番を終えて舞台袖に向かう少しの間、そんなことを。「こうして大人になっていくんだろうと」励ましたり。(アレッ遅いっすか?)
 スタンドマイクが3本、ギターにジャンベ、ベースに二胡…。多くの楽器がしたくされた密蔵院さんのお座敷に場所を移して行なわれた2次会。良い感じにお酒が入ったミュージシャンが、すさまじいばかりのセッション。音楽が好きでたまらない方々の繰り出す、音は面白いこと。
始まる前に、密蔵院さんにあるディジュリドゥのマウスピースを補修してました。始まって酔狂で試しに吹いている方を見ちゃ、イヤな予感がしてたんです。
 「ディジュリドゥ行きましょうよ」
 「そ、そうですね。行きますか」
予感的中です。緊張で息継ぎすらママならない体たらく。
終わったときには、気持ち悪くなるほどの開放感がありました。
忘れたいけど忘れたくない感触ですな。

2005年7月1日(金)
ハイ&ロー

前日の徹夜が利いて『西光寺便り』16号脱稿。寝ないとダメですね。ヘロヘロです。通常どおり南蔵院さんで一仕事。いつも携帯ラジオを聴きながら掃除させてもらってますが、今回は“あえて”持ち込みませんでした。というのも、携帯ラジオを携帯し忘れた…もとい、もう一本原稿があるからなんだよ〜。宗務所で姉と同期の先輩に呼び止められて
「施餓鬼の法話をやるんだけど、何か話ない?」
「…ありますけど(「ナイ」とは言えませんでしょぉ、布教研究所なのに)。どんなものがいいでしょうか?」
「面白いのがいいんだよね」
!?…それでしたら、何とか見繕ってみます(「ムリ」とは言えませんでしょ〜勉強もしないで落語聴いてたのに)」
 「脚本仕立て」をご所望。箇条書き、メモ程度で話をすすめる人間には大変な作業ですな。こういうのも勉強になるからいいんだろうけど。
何で言わなかったんだろう(いくらか声を落として)
「原稿つくるんだったら法話させてくださいよ〜」(茶化すノリで)
でも、先輩一人を前にして法話実演というのも逆に困るか(笑)

…やっぱりムリっす。