日 記 ど う ?




◆平成17年8月の日記どう◆

2005年8月30日(火)
苦・楽は比例するか

 『西光寺だより』の巻頭コラムが脱稿しました。後は仏教用語解説を拵えて発送と。終わったようなもんです。
 写経会なので5:30頃から本堂〜座敷の順で掃除。「早くにやらなきゃいけないのも、前日やらなかったから」などと、宥めすかしながら作業を進める。
 掃除の間は、同時進行で何かしらしてる。話材集めにラジオを聴くことが多いけど、原稿の締め切りが迫っているときは別。頭に入れた話材の種を膨らませて原稿の構成をね、するのですよ。もっとも大概横道に反れるんだけどね。その内に考え事がとっ散らかって「何か考えなきゃ」という考え事を…。
 今回は産みの苦しみを味わいましたねぇ。面白い話材は手元に置いているんだろうけど、どれもパッとしない。話が膨らまないんだもんな。ギリギリまで粘ったけどどうにも。諦めて落語をイジルことにしました。
 『粗忽長屋』を膨らませたものの、大ネタなので紙幅が足りない。『あたま山』をイジることにしました。それだけで十分に脳みそを刺激する話に手を加えようなどという所行に、そもそもの無理が。『あたま山』は豊かな想像力についての噺として受け止めているので、勘弁してもらってひとまず。とりあえず形が整ったときはうれしかったのです。苦しんだだけに。

…まだ、仏教用語を膨らましてなかったか

2005年8月29日(月)
猫に小判

 腿の太さはあろうかというサザンカを切りました。幹の地べた付近には、人差し指が入る程度の穴ぼこが、一つ二つ。「鉄砲虫にやられた」のだそうな。立ち枯れた様子が何とも痛々しくお気の毒。(いっそ切り倒しちゃえ、も残酷ですがね)気になってたものですから。
 早々から作業開始。大きな音が立たないように、枝葉から花きりバサミで坊主にしていく。枝ぶりがいいとこは生気を残しているようで、悪いことをしているような。「南無大師遍照金剛…」ご宝号を唱えつつ作業続行。
 3時間経った頃、なまくら鋸で作業がはかどらないので腕が、かったるいこと。暑さでボーッとするし。「また今度」と中断しようとしたところ、「今度って何時だよ!!」と三村突っ込み口調の天啓。81日の西光寺のお施餓鬼のときに。「時間があったらやろう」決めたんだった。
 丸半日かけて、サザンカには引導を渡せたような。勢いにのって草刈機で境内をなめてまわる。昼食とって休んでいると、
「サントリーホールまで乗っけてってくれないか…」
運転手かたがた読響。
 それぞれのパートが紡ぎだす音が寄り合ってホールの天井へ立ち昇り、天井に反射して客席に降り注ぐ…とイメージするようになってから、面白いんだよねぇ。個人差はあるだろうけど、目を瞑ったほうがイメージが膨らみやすいみたい。
 にしても最高ですねぇオーケストラは。先人の創造力に圧倒されるだけの時間だからね。体が草臥れてるときなんかはとりわけですな。本当に良く眠れること

2005年8月28日(日)
言い表せない

 久々に極楽寺でご詠歌。この時期は梨の収穫に追われるオバチャンが多いので少なめ。
 ここんとこ調子良かった咽喉が、ここんとこサッパリ。ホーメイのやりすぎか?と思うものの、記憶を辿っていくと88日の極楽寺お施餓鬼なんだよねぇ。ご詠歌はじめて6,7年経つけど、そのときの咽喉は絶好調。スコーンと抜ける高音は、「ひとつ壁を抜けた」感触。ご詠歌の時間は喋りも含めて毎回楽しいけども、純粋に唱えてて楽しかったのは久しぶりだったからなぁ。ちょいと調子に乗りすぎたか。
 思うように声が出ない。9月からご詠歌の講習が本格的に再開。普段より一音下げぐらいでセーブで様子見。もどかしいですな、こんなときは。学校でのプールの授業に合わせたかのように風邪をひいて、保健室の窓越しに伝わるプールでの大騒ぎをベッドで聞くような…
ちょっと離れましたか?

2005年8月27日(土)
あるべきようは

南蔵院さんで一仕事。境内を囲う石塀周りから掃除が皮切り。境内〜お墓へと箒の目を入れていくのですが、ここんとこは楽ですね。暑い最中はあまり葉っぱが落ちないもんで。スイスイ〜ッと終わらして、ご法事でお見えになるお家の方をお迎えするべく、客殿玄関の様子が見える客殿廊下で待機。ボーッと待っているのも勿体無いので、締め切り迫る原稿を終わらせるべく参考図書と睨めっこ。ようやく筆者の言わんとしていることが頭に入りかけようか、というときにお施主さんご家族。 珍しいことじゃないけども。
 ご縁あって茨城の墓苑から南蔵院へ墓地を移設されるS家。若夫婦一家が「母が父の看病にいっているもので…」とお見えになりました。お彼岸前に予定しているご法事の相談、お施主の祖父母の語御遺骨を、それまでお寺で預かる段取り。
 ここは一粒種のお譲ちゃんも含めみんな眼鏡。相談にのる住職も眼鏡、障子越しにそれとなく話を伺うコチラも眼鏡。昼食の声をかけてくれた南蔵院の奥さんも眼鏡。「なんだみんな眼鏡じゃんか」こんなことも、お施主さんの顔と名前を覚えるときに役立つんだよねぇ。  
 両親の愛情、祖父母のサポートもあって、順調に子供らしく育つS家のお嬢ちゃん。三世代で暮らしていた一昔前、こんな子が大勢いたんだけどね。何だか最近は、変に大人びた子が多いからねぇ。年齢不相応の口をきくのも、愛嬌があって結構。ただ、大人になったときに、どんなことを考えて喋るのかなぁ、と考えるとね。
 子供の頃の仲間の顔をふと思い出しました。

2005年8月26日(金)
振り落とされるなよ〜

 久しぶりに南蔵院さんで一仕事。午後から宗務所で宗派の出版物の企画会議。お昼前、携帯電話の留守電に「出欠の連絡がまだ…」と会議の事務方。すっかり忘れてたので慌てましたねぇ。折り返しの電話で「欠席でお願いします」、ペーペーの分際で言い切った。うなじがゾワゾワッとする嫌なことが起こる予兆を確認。思い直して南蔵院住職に「明日は早目に仕事させてください」と掛け合って、無事に半休。
 夕方から浅草木馬亭で玉川福太郎さんの独演会。前座は玉川美穂子さん、ゲストは神田山陽さん。個人的にとても楽しみにしていました。山陽さんは期待以上の語り口。昨年の暮れに聞いたTBSの『ラジオ寄席』の感動を味わえました。タカタカと心地良い甲高さで語られると、一瞬ジェットコースターに乗ってるような高揚感。「振り落とされるなよ〜」と言わんばかり。お見事でした。CDがボチボチ出るのかな?必聴ですな(山陽さんのファンサイトにも音があります)。
 密蔵院のN住職、市野谷のご住職、赤ペンアニキ、ブラザーTさんほか、山伏・法話の仲間13名で木馬亭に押しかけました。坊主頭がこれだけ並ぶと演者もやりにくかろうと、予約するときに美穂子さんへメールしときました。そしたら美穂子さんたらマクラで
「ホンモノのお坊さんが沢山お見えです。今日は、いらっしゃってるお坊さまとは正反対の破戒坊主のお話をさせて頂きます。お時間までっ!!
頭を下げると同時に三味線。気持ちが良い瞬間ですな。三味線の音とかぶってホンモノのお坊さんであるN住職が
「たっぷり!!
茶目っ気たっぷりで。今日の独演会の中でも一際輝く言葉でした。

2005年8月25日(木)
同じ穴の狢(ムジナ:こんな字なのね)

九州最終日でした。
 台風情報を気にしつつ“おきよ食堂”の刺身定食。新鮮だからこその驚愕の食感に、「コレが食べられただけでも満足」飛行機の便を早めて帰宅に変更。羽田に着陸するときだけ幾らか揺れたものの快適でした。
 夜のニュースで欠航、運休で立ち往生している方がいらっしゃった。ダイヤの都合や、のっぴきならない事情で切符の変更が叶わなかった方が殆どだろうけど、どんなですかねぇ。家族連れで目一杯遊んでたようなダンナが「明日仕事なんですけど、どうしようかと思って…」だって。取り上げたマスコミの深意がわかりませんなぁ。台風11号の進路やら何やらを覚えるぐらい、ニュースで取り上げてダイヤ変更、運休、欠航の予測を立ててる。「マスコミの言うことを疑ってかかるのも無理からぬ話じゃん」と言われればそれまでだけど。それにつけても、困惑している方へのインタビューが、「こんな羽目に陥らないように、台風のときは早く帰りましょう」の反面教師なのか、「駅のホームで夜明かしなんて、お気の毒」心からの同情なのか。叶うものなら、デスクなる方と膝突き合わせでトコトン深意を伺いたいですな。
 個人的に、「台風が接近してるから空いてるよ」で、ディズニーランドや愛知万博あたりを満喫するのと、台風の高波目当てで嬉々として海に繰り出していくサーファーは重なるんだけど。
自己責任ということで。

2005年8月24日(水)
やっぱ歴史でしょ

九州3日目。
“おきよ食堂”で塩さんま定食。柔らかな身に驚いて「これならば…」と初めて“わた”を食べる。何とも言えぬ旨苦さに目を見張る。朝食の一口で1日ご機嫌で過ごせそうな味覚。本当にすごいお店です。
~今日行ったところ〜
吉野ヶ里歴史公園http://www.yoshinogari.jp/〜大宰府天満宮〜大宰府跡
テーマパークのように整備された吉野ヶ里。広大な敷地に閑散とした園内。無駄な公共事業に感じる寒々とした空気。「昨日の諫早湾の水門、干拓事業と一緒じゃんか」と感情的に腹が立つ。
 説明をみたら、似ているようで全然違う。国定公園に指定され国が管理運営する吉野ヶ里と、国と自治体とで費用を捻出している諫早湾の事業はまるで別物。吉野ヶ里は、2000人以上もの弥生人が生活をしていた遺跡をまんま保存するのが目的でした。かっこいいぞ佐賀県!!奈良県では長屋王にまつわる大切な遺跡をデパート建設のために取り壊したのに。
工業団地誘致を取りやめてまで膨大な吉野ヶ里遺跡を残した佐賀県。博多に近いことで宅地開発をしたところに大宰府の遺跡出土。一大ベッドタウン化の計画を取りやめて遺跡の保全をした福岡県。九州人に対するイメージの源流をこれらの決定にみるような。
 
我が国を形作った先人たちの暮らしに思いを寄せるだけで、一瞬ばかり現実逃避するのがいいのか、何だか元気付けられますな。

2005年8月23日(火)
見えなかったこと

九州2日目。“おきよ食堂”で2回目の朝食。今朝は塩さば定食をチョイス。弾力ある食感にベストの塩梅。旨い旨い。
いざ諫早湾へ。博多からレンタカーで2時間弱(片道ね)。最寄のI,Cで降りて、カーナビを検索しても埒が明かないので、エ○オスG,Sでガソリン入れがてら聞いてみた。「ああ、結構聞かれる方がいらっしゃるので…」だって。「“とどろききょう”からのほうが、全体図がみれます」と教えてもらい、「まずは水門じゃ〜」車を走らせる。にしても、無駄な公共事業の代名詞ともいうべき所業を目の当たりにしたい方が、他にもいらっしゃるのね。
水門そのものは“立ち入り禁止”でした。細くあけられたフェンスの向こうには、ズウッと続く道路、「…すごいことするねぇ」の巨大建造物。それらの建造物とは不釣合いの警備員詰め所。圧倒的なものを目の前にすると、呆然とすることってないすか?よくぞ反対運動したなぁ、という感想。その気骨に人知れず涙しましたです。
轟峡<http://www.jalan.net/kanko/SPT_170265.html>へ。ここはすごかった。
「ナンじゃこりゃぁ。『アナコンダ』が出てきそうじゃんか」。清流の湿気で、青々と苔むす岩肌にとぐろを巻くような大樹の根。その脇を川底にある色とりどりの砂利が見て取れるほどの透明度をほこる水が、程よく流れる。切りの良い所それぞれに個性的な滝。滝つぼプール。大自然が恵んでくれた豊島園のような。諫早湾で呆然、轟で満たされて帰りました。
 ハンドルを握り考え事。轟峡のような場所を環境保全のためにお金を使うほうが…といってあまり手が入るのもなぁ。干拓事業(産業)がなければ県外に人口は流出するし…。
想像以上に複雑な問題を孕んでます。少しばかり頭が動いてくれました。

2005年8月20日(土)
言葉そのまま

H院さん(千葉県松戸市)のお施餓鬼に行ってきました。30分頂いて法話。話が佳境に入ろうか、という頃、手伝いのお坊さんが、法要の準備にとりかかるのが目に入る。「イッ!?早くない?」心中穏やかならず。「そんなこともあろうかと机の上に時計が…」ない。そういや話に入る前に袂を探って時計がないことを確認、座敷に忘れたのだろうと、後悔したばかりでした。話が佳境なので端折るわけにもいかず。「ここからが面白いのですが、丁度のお時間でございます」は、何度も使いたくないし。聞き手からすれば目先が変わっていいのかもしれないけど、口癖になってしまっちゃかなわないし。おでこを冷や汗&脂汗でひからせつつ“悠々と急ぐ”心境で最後まで。
 終えて控え室に戻る途中、法要準備に慌しい本堂とは打って変わり、受付は悠然とした雰囲気。「もしや早く終わりすぎたか…」持ち時間をオーバーしたにせよ、早すぎる帰還にせよ、同じシクジリ。とにかく時間が気になるので足取りを速め控え室に戻る。30分ジャストでした。 
 「すっかり聴かしていただきました」と、にこやかな老僧が出迎えてくださいました。
「ありがとうございます。失礼しました。」などと照れ笑い。
 
 控え室で冷えた麦茶で一服つけていると、「そういえば、ご老僧は良かったとも何とも仰ってなかったな」…ふとこんなことが過ぎる。思い返すと、話しが始まった途端うなだれてしまった方、とうとう目線が逸れっ放しだった方の顔ばかり…どういう意味でご老僧が仰ったのか、真偽を計りかねますな。
 ただ、今晩の酒は苦くなりそうです。

2005年8月19日(金)
旧態依然

『大川わたり』・『あかね空』(共に山本一力さん著)を読みました。ふいと手にした文庫版の『大川わたり』が面白く読みやすいこと。(どのくらいかって?他作品を買い捲るぐらいです)
 直木賞受賞のインタビューで山本一力さんの身の上話をラジオか何かで耳にしていたものの、作品を読んだのは初めて。江戸情緒が文字から漂ってきそうでいながら、内容はちっとも古くさくない。人情は時代が違っても変わらない、というとこでしょう。
 責任ある立場でいる方が他人さまに顔向けできないような脱税や賄賂がメディアで暴露されると、「世も末だあ…」などと。
でもあれか。『水戸黄門』あたりの時代劇でも、人品卑しい、商人と殿様が悪企みしてるか。昔もかわら版や噂で情報を見聞きした方も「世も末…」などと考えたのかも。もっとも時代劇は脚本か。

2005年8月16日(火)
たかがマンガと侮るなかれ

さすがに身体が重かったのでジョギングにいきました。2.3ヶ月ぶりの運動らしい負荷に身体が軋む。久しぶりのその感覚が、気持ちいいこと。「生きてるんだ〜」という感じ。

 『嫌韓流』読みました。ネット上で評判の本なので、期待大。
 書かれているのはマスコミに今まで取り沙汰されないことばかり。爽快な読後感でした。ただ、それほど強烈な言論が展開されているとは思えない。しかも、結びは楽観的に“未来志向”で納められてる。個人的にはそれほどオカシナことは書かれていないと。にも関わらず、TSは何でこんなことしたのかなぁ?
http://nishimura-voice.seesaa.net/
「もしかしたら、痛いところを突いちゃったのかも?」なんて勘繰った個人が、隠そうとしたところを調べ始めたら、それこそ逆効果じゃないのかねぇ。
お坊さんなので、↑のようなことは思っても言いません。

いい一日でした。おかげさまで。

2005年8月15日(月)
温故知新

棚経最終日を終えました。コレで怒涛の8月も終わったようなもんです(この言い回し多いな)。
チャリンコで30軒ほど(800スタート1500ラスト)。それぞれのお家にお邪魔してのお参りは平均すれば10分あまりの僅かな時間。けどね、末は住職になろうかという小僧っこには、計り知れない成果をもたらす貴重な実施訓練の場なんだよね。
「たかだか10分で何が出来る」、「移動時間などロスも多い」、「現実問題、全お檀家さんをカバー出来ないから不公平だ」、「何時来るか分からん坊さんを待っているお檀家さんにも迷惑をかける」などなど。縮小に傾いているようですな。
確かにお寺でお盆の支度をして、お参りしてもらうのは、お寺もお檀家さんも気遣いはないし、効率もいい。法話と合わせて1時間キッチリなさるお寺さんに言わせると「お檀家さんも喜んでくださってる」というし。お寺でのお参りを棚経代えることを是とするお檀家さんも増えてはくるんでしょう。
坊さんもお檀家さんもいいことずくめに思えますお寺でのお棚参り。漠然と「何か落とし穴がありそうな」って。今年のお参りで今更ながら思い当たったこと。
お寺とお檀家さんの代替わりの時、そのバトンタッチをスムーズに行なうには、個々の接触を重ねることが必要でしょうか。お檀家さんの声を電話口で聞いただけで「風邪ひいた?」なんて声をかける住職。格好良くないすか?
お檀家さんそれぞれと住職を結ぶ、うってつけの方便として棚経は必要とされてきたのかも。

2005年8月14日(日)
気のせい

身も心も“棚経モード”になりきれない初日が一番キツイでしょうかね。個人差やお寺毎に環境が違うので、ひと括りにはできませんが。心身がなれた勢いに乗って二日目が終了。もう終わったようなもんでしょう。因みに読経すること50軒(800スタート〜1200昼休み13001800)でした。
有難いことに殆どのお宅でお茶を頂きました。何リットルぐらい飲んだろか。不思議なことに手洗いが昼休みの一回だもんな。全部汗になっちゃうのね。額に粒成す汗の説得力に助けられましたかね。おかげさまで体調も良好。それぞれのお家で同じお経、だけど気持ちは新鮮。どちらも充実しきったままで、二日目も終えました。もうね、アレですよ。最終日も終わったようなもんです。
そういや、終わり間際のお家で読経(並びに挨拶+四方山トーク)を終えて立とうと思ったら、右足首が“コリッ”てなったような。気にし始めたら、痛痒くなってきた…もう終わったのかな?足首。

2005年8月13日(土)
泣き言ではなくて

8月のお盆に突入しました。これが終わると何となく一息つけるかなあ、といったところ。
玄関口で挨拶もそこそこで仏間へズンズン突き進む。お線香をつけて「それでは…」などとお鈴を鳴らし読経開始。眼前におわします御魂へ礼拝してから、「いつもお世話になっております。今年も始まりまして…」などと。お宅によっては話が盛り上がること。日頃ご無沙汰をしているお檀家さんと膝をつき合わせて、どうってことない話をアレコレ。これが楽しくてね。だからあと2日間続けられるんだろうけど。とはいえ、読経時間も軒数を重ねると長時間になりますわね(1200スタート2000ラスト)。「身体を絞っときゃ良かった…」が、膝といい足首といい重くのしかかること。
後二日。

2005年8月11日(木)
俗坊主

南蔵院さんで一仕事。8月のお盆が目前、仕事も早めに終わったので早引けでした。
 涼しいうちに屋外掃除。ポケットラジオを聴きながら。「一つでも多く法話の材料を拾っちゃる」で聞いてるんだけど、ここ2.3日はダメだわ。政治、それを報道するマスコミが面白すぎ。『第三者の目線』、『真実を報道』とか標榜するんだったら全部見せてくんなきゃ。http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2005/08/08kaiken.html
約四百年前、ガリレオ・ガリレイは、天動説の中で地球は動くという地動説を発表して有罪判決を受けました。そのときガリレオは、それでも地球は動くと言ったそうです。 
 私は、今、国会で、郵政民営化は必要ないという結論を出されましたけれども、もう一度国民に聞いてみたいと思います。本当に郵便局の仕事は国家公務員でなければできないのかと。民間人ではやってはいけないのか。これができないで、どんな公務員削減ができるんでしょうか。どういう行政改革ができるんでしょうか。 
 ガリレオの話なんか続きが肝心じゃんか。文章を読み解くのは個々人の裁量。価値観はそれぞれだから、情報の取捨選択も好き好きなんでしょうが。
…報道ねぇ。

2005年8月10日(水)
全ての道はローマに通ず

ご詠歌でお世話になっている東福寺さん(中野区江古田)、布教でお世話になっている勝国寺さん(世田谷区世田谷)へ、お中元(最早そんな時期ではないが)ご挨拶。帰省ラッシュが始まっているのか下り線が混んでるのね。行楽かもしれないけど。
TVを観るときはザッピング、読書も2,3冊並行、原稿も思いつくままを中途半端にやり散らかす。アサラト、口琴、ブルースハープ、ご詠歌の教典にノートパソコン、2.3冊の小説を積んでいるのも、ボーッとするのが苦手だから。
高速が混んでいるので一般道へ。「下をボンヤリ走るぐらいなら抜け道開発じゃ〜」で環八から水道道路方面へ。
カーナビをたよりに初めての街を我が物顔で通る。「こんなとこに繋がるんだ」は快感ですな。
 「カーナビを使うと道路を覚えなくなる」などと言い散らかし、「バカになるから」載せなかった。アメリカあたりに留学してた友人の話をきくと、道路標識が煩いくらいに設置されてるのだそうな(「これで道に迷うほうが難しい」という表現だったな)。
カーナビだよりに気分良く走っている今も基本的に「カーナビを使うヤツはバカ」の考えは変わってない。ただ「カーナビを使わないヤツは大バカ」が追加されてるけど。

2005年8月9日(火)
あなたの知らない世界

南蔵院さんで一仕事。法要を終えたらご納骨の法事がありました。墓前での読経がすすみお焼香をしようがという時に、にわか雨。
 どうなってるんでしょうねぇ、最近は。雨というよりスコールでしょ。異常気象‥もとい気候変動もいよいよ。春夏秋冬それぞれの風景を眺められるのも限られた時間なのかもしれませんな。
 ご法事の後片付けを済ませ帰り支度を整えて車に戻る。シートに座るとシートが濡れてる。この炎天下に車を置いとくと車内の熱気がすごいでしょ。少しずつ全部の窓を開けとくんだよね。そこから雨水が入って濡れた様子。
「あちゃ〜やっちゃったか」
自業自得だから仕方ない。
ブツクサ言いながらシートを拭く。湿った感触を我慢しながら、バックミラーを確認。モチロン長い黒髪の女性が映っていないかどうか。

2005年8月8日(月)
夜更かしのコツ

 実家の極楽寺のお施餓鬼でした。法要参列者の出足が幾らか早く、11:00頃お接待開始。支度したお蕎麦と天婦羅等々をお腹に納めた方から、本堂、屋外イス席に移動。屋外席は木陰を抜けてくる風が気持ちいいこともあって、イの一番に埋まるんだよねぇ。法話・法要の様子はスピーカーを通じた音声のみで、臨場感に欠けると思うんだけど。快適な環境は興味を上回るんですなぁ。
 ご詠歌の練習は12:30まで。既に屋外席は埋まっており、堂内のスペースも適当に埋まってる。チラホラとご詠歌の紹介に支度したプリントを、手持ち無沙汰そうに眺めている方が内外ともに目に入る。ふと思いついた「マイク使って練習しちゃおっかなぁ」。30分の練習、休憩を挟んで、12:50からの出番。披露するのは練習曲と同じ。思いとどまりますわな。僅かの間に同じことをするんだもの。しかも“練習”だし。
 法話でお越し頂いた密蔵院さん(江戸川区鹿骨)のN住職に
「これからご詠歌の練習なんですけど迷ってるんですよ。マイクを使うかどうか」
「そりゃ使ったほうがいいでしょう(確かこんな趣旨)。」
 背中を押してもらってマイクを入れて30分みっちり。本番では5分オーバーで25分。調子に乗って持ち時間を過ぎるマナー違反。時間厳守は基本中の基本なんだけども。
 「喋りでの失敗は、『あんなこと言うんじゃなかった』、『あの話は余計だった』など、喋り過ぎることです」
何時だったか村上さんが仰ってたっけ。
 今日もあったなぁ余計な言葉。パッと思いつくだけで、4つ、5つ、6つ…。こうした羊の数取りのようなことをすると眠くなるんだろうけど、目がさえること。寝付けなくて闇雲に本を読んだりして。

2005年8月5日(金)
ループ

 極楽寺のお施餓鬼には新盆を迎えられる家の皆様がお参り。例年お接待(11:00)〜ご詠歌(13:00)〜余興(13:30)〜法話(14:30)〜法要(15:00〜)。11:00にいらした方のお帰りは16:00過ぎになる。娯楽は長くても2時間半でしょうか。比べると5時間超えは長すぎるのかもね。ただ、お施餓鬼の法要を娯楽と比べること自体ナンセンスなんだけれども。
 お寺に拠っちゃ、お接待も法話も余興もナシで法要のみ、なんてことも。「お施餓鬼だからって大変なこともないよ」だって。そりゃそうでしょう、大勢さんのご法事みたいなんだから。環境が許せばお寺主催のお祭りにシフトしたほうがいいんじゃないのかなぁ。スピードと効率を求めた結果が、どんなもんか想像つくもの。
 一人の人間がこの世の役割を終えて、一年も経たないうちに日常生活を従来通り送っていいものなのかなぁ。故人が遺した言葉やそれに込められた想いには見るべきものがまだまだ在ると思うんだけど。スピードや効率はコレを充分に拾えないでしょう。せめてお寺にいる間は、日常と違う空間なんだし違うアタマで過ごしてもらいたいよねぇ。
 お参りの方へご詠歌を紹介する配布物の作成。あらかた刷り終わったところで、決定的なミスを発見すること2回。ボンヤリしていることがその原因。
 …いつもどおりのシクジリです。
 お施餓鬼の時ぐらい、坊さんといえども日頃と違うアタマにならないといけませんな。それこそ世間さまのお心持ちをいかばかりかでも。

2005年8月4日(木)
祖母とお墓

 実家の極楽寺でお墓掃除。88日のお施餓鬼に向けていよいよ。境内中、大勢の植木屋さんが一気に刈り込んでコザッパリ。気持ちがいいもんですな。先代の祖父やらご先祖さんも、コチラの掃除でもってサッパリしていただけると。
 いつだったかお墓参りのときに「何でお水をかけるのですか?」と。ご供養のお作法に“水はお布施の教えを表す”なんて仏さまに心配りが出来るんだったら、残されたもの同士での心配りも出来る筈、ということになるんでしょう。
 子供の頃のお墓掃除の記憶には、父方の祖母がいる。お墓掃除用の布巾を下ろしたのか、水をなみなみ入れた手桶を両手でしっかり持って、祖母の後を追いかけたっけ。股座の手桶が邪魔な上に半ズボンの腿といい、脛といい、いい加減水がかかって年の瀬のお墓掃除は子供心に苦痛だった。
 水をかける理由を尋ねたわけではないが、その時々に「お風呂に入れてあげるんだ」「埃っぽいだろう」に始まり、「水浴び」、「喉が渇いているから」様々だった。
 お布施は心配り。真心から出来る範囲で行うことと受け止めている。なればこそ、その時々に聞き手にも分かりやすく言葉を選び、季節を鑑みて表現は変わるものなのかも。

2005年8月3日(水)
運転手だってばよん

南蔵院さんのご住職と大奥様を乗せて所沢のF院さんへ。午前中F院さんの大奥様の49日法要とご納骨でした。その晩にお仲間内のE寺さんの名誉住職さんの仮通夜へ。「何かあるかもしれない」ということでお寺さんの駐車場で待機。
ノートパソコンでHPの更新分と、先日の『話の寺子屋』で取決めた原稿の作成。更新分はともかく原稿には参った。村上さんの思い出にかんすることだからねぇ。書いた傍から「このエピソードよりも適当なのがみつかるかも?」で思い巡らすと見付かっちゃうんだもんな。次から次へ言葉が湧き出てくることは、そうあることじゃないので、当初は面白がってたんだけど。まるで埒が明かないので、むしろ苦痛に。そのうちバッテリー切れで、解放。
 『真相:上巻』(パトリシア・コーンウエル)キターッ!!。バカな面白さ。切り裂きジャックと名乗ったキチ○イは当時の捜査でとうとう逮捕されずじまい。犯人特定に到れなかった当時の捜査・証拠を現代の技術で再検証したところ…ある人物に焦点が定まってくる。ていうか「アナタでしょ〜どう考えても」と。一気呵成に上巻読破。下巻があって良かった、という出来。
 …ノートパソコンのバッテリーが切れてる。小説も読んじゃった。かくなる上は「TV祭りじゃ〜」でプリウス車内でザッピング開始。
寄りによって殆ど映像が悪い。唯一12チャンネルのみ。『ナルト劇場版』観始めた。バカにしてたけど結構面白いのね。いよいよ佳境というところでTIME UPでしたが。
 世界に冠たるアニメ大国。あの国とか彼の国が著作権をキチッと守ってくれれば、「これで食ってけるっしょ」という出来栄えじゃないのかねぇ。プロの目から観ると甘いんだろうけど

2005年8月2日(火)
テレフォン相談

宗務所でのテレフォン相談でした。7,8月は何かと気忙しいので10月から始動でしたが、布教研究所の同僚“高知のトラ”Kさんの代役で2ヶ月早まりました。何でも早いに越したことはないといいますもんね。
 見るとやるとでは大違いってありますよねぇ。以前、テレフォン相談の様子を見学したものの、「当事者(相談員ね)になってみないことにゃ」。それこそ勝手がわからない。そんな心持ちなので、今日も不安が半分。寄せられる相談は云わば縁者からの生の声。どんな不満や悩み事を頂けるやら、で興味が半分。「怖いもの観たさ」というのでしょうかね。
 時間ギリギリに到着(余裕をかましてたのではないのです。道路がぁ…)。宗務所にお勤めのヤングブラザーTさんと挨拶。
「良かった。まだ誰も来てないんですよ」
「えぇっ!?…」
今日が初めての人間にお任せですか(泣)。どんな失礼をしでかすか、わからないじゃんかよ〜。脳みそクンがアクセル全快でマイナスイメージをこれでもかと膨らます。と、ほどなくT先生、I先生が入室してくださいました。「初めてなので勉強させていただきます」と、飛びっきり依存心丸出しの笑顔で挨拶。
 相談は4本でした。詰まるところ“菩提寺のご住職とご相談なさってください”という内容。
 菩提寺住職が怠けてるからお檀家さんが相談を寄越すんだ、などと以前から思ってた。今回、経験してみたら、そういった方が居ないとは言い切れませんが、そんなことでもない。忙しい住職の手間を取らせちゃ悪いのか、何となく住職には聞きにくいのか。お檀家さんとの親しさが仇するからこその相談、ということもあるんですな。こんな簡単なことを住職に聞くのは恥ずかしい、がっかりさせたくないという方もいるというカラクリでした。
 密蔵院さん(江戸川区鹿骨)で『話の寺子屋』。グイグイ引っ張ってくださってた村上さんの姿は見えませんが、参加者の離しっぷりには、その遺産がしっかりと。こんな生き様が出来たら素敵ですよねぇ。

2005年8月1日(月)
楽しみもイロイロ

 西光寺のお施餓鬼でした。5:00には活動開始。毎年朝一番に施餓鬼棚を拵えてる。お檀家さんから貰い受けたものを屋外に設置するので、天候が悪かったりするとね。念には念を、というわけで。
 お接待の準備のため8:00に婦人部集合。隣に住むお檀家さんが、「随分早くから動かれてるんですね」
!?…バ、バレました?」
「中々寝付けなかったもんでね」
「…あ、あぁ、そうですか」
二度寝、三度寝ということでしょうが。
「夜も遅いし朝も早いんじゃあ、寝てる暇ないでしょ?」
「今日は特別ですよ」
確かに昨晩は明かりとラジオを点けっぱなしで作業を進めてた。休憩で横になったら朝だもの。夜通し明かりが点いているのを何かの拍子で見りゃ仕方ないか。
 お接待の後、市野谷のご住職の法話(模様と音源の一部を別枠に貼り付けます。Coming Soon!!)。休憩を挟んで法要。終わり次第片付け。例年になくスムーズ。
このお施餓鬼で、それなりの忙しさを味わいます(準備の段階で「もう施餓鬼か…」ゲンナリするぐらいのね)。それだけに終えたあとの達成感ったらないのです。
皆が引き上げたあと薄暗がりの本堂で片付け作業をしながら、「あと50回がせいぜいかな」などと。
“今”を貪欲に楽しんどかないと損ですなぁ。