日 記 ど う ?



◆平成17年9月の日記どう◆
2005年9月30日(金)
”新人研究員勉強会”は……無いか。

早めの南蔵院さん到着、荷物を置いて早速お掃除開始。午後から宗務所で行なわれる出版物の企画会議。一通りのことは終らしとかないと、というわけで。明日の鳳仙寺さん(栃木県足利市)での柴燈護摩に備えて、用事が終わり次第出抜ける予定。今晩のうちに現地入りして、明朝からの準備に備えたいもんで。主催する側は、それまでに滞りなく下拵えしていたつもりでも、本番寸前まで何だかんだ準備におわれちゃう。去年も2回目なのに前日は徹夜だったもんな。それだけ大掛かりなんだよね。
昼間の出版企画会議が面白いこと。居並ぶ先生達のお人柄、その頭脳ときたら、そりゃぁもう…凄まじいものがありました。「こんな先生方がいるのだから、豊山派は安泰じゃ」というぐらい。刺激を受けない坊さんはよっぽどボンヤリしてますな。
先生方のやりとりをボヘェ〜と眺めてたら、今回の企画の骨格になるようなことを言わさ…発言していました。ここ10年ぐらい長谷寺の牡丹と紅葉の頃にはお邪魔してるので、現場の雰囲気をイメージしながら思いつくままペラペラと。…当選直後のタイゾウ先生のようなね、軽さだったものと。思い出すだに寒気がしますわな。
胃の当たりの重い空気の固まりを吐き出しつつ、いざ足利。鳳仙寺さんの支度も、ある程度までは済んでいる様子。明朝の仕込みを終えてから、軽い前夜祭。気の会う仲間達とワイワイ。昼間の会議、〆切り迫る数本の原稿、11月からの四国遍路に向けてある程度までのインプット、『西光寺山火祭り』の準備などなど。前が見えなくなったような抱えすぎた荷物を、ふいと忘れた至極の瞬間でした。

2005年9月29日(木)
さいほう浄土(裁縫がうまくいった心境で暮らせるところ)

明日の鳳仙寺さん(栃木県足利市)での柴燈護摩に向けて、準備でした。欠席する同志の山伏の衣を新参の同志へ貸して、威儀を正そうということで、事務局の出番ということで。
通常の法要とは違い、護摩の火勢は堂内のそれとは比較にならないし、煙を立ちのぼらせるべく大きな団扇で護摩壇を煽る役僧は動きも激しい。なんで、アチコチほつれてる程度は当たり前。お借りした衣を素人じゃ手の施しようがなくなるほど痛める前に、補強修繕をするべく、朝からチクチク針仕事。お借りした4着をすべてチェック、ならびに修繕(両脇、両すそ、股座、飾り紐を数箇所ね)。
慣れてりゃね、どうってことないんでしょう、この程度は。ただ、衣の直すので、年に数える程度しか針仕事をしないブキッチョには、拷問ですな。しかも、糸通しが壊れてて、糸をこそげちゃうし。震える指で針の穴に糸を通し終えても、糸を止めなきゃいけないし。軌道を外れた宇宙衛星のごとく、不恰好に丸めた玉止め(玉止めっていうのかな?わかんないや)が衣からぶら下がる。
4着目はさすがに衣と一体化してるかのような玉止め。爽やかなお日さまの元「イエ~今回は上手くいった」などと独り言。

家事って結構面白いかも。

2005年9月28日(水)
前のめりでなく前向きで

G国寺さん(新宿区高田馬場)で九月の大護摩でした。都会の中のオアシスといった佇まいが、訪れる方の気持ちをそっと撫でてくれるような。良い雰囲気が漂っています。
そもそもお薬師さん(薬師如来ね)を本尊さまとして開かれたお寺。 
 お不動さんをお招きしての護摩法要をはじめられて20年は経ってないんじゃないかな?にもかかわらず毎度たくさんのお参り。お不動さんのお力と、ひたむきに手を合わせる住職さんのお徳なんでしょうねぇ。まずは、身が引き締まる気持ちをお土産に頂きました。
 G国寺さんでは観月会が催されたようで。楽しかったんでしょうなぁ(去年お邪魔したときの俳句の遊びが印象深いのです)。今年は、奥様のお知り合いとかで、日本舞踊と、ハワイの方の踊りで、アロハ…じゃない、ワイキキ…でもない、リンボ…なんかでない、○○ダンスですよ。それを中庭の芝生で同時に踊られたんだとか。踊りも歌も言葉には言い尽くせない気持ちを仮に踊りで表したもの。もちろん自然への畏怖や畏敬の気持ちをこめられてたんでしょうからね、さぞ刺激的な時間だったんでしょうねぇ。
 お寺の空間活用には、ゴチャゴチャした機材などいらない。まあるいお月さまがあればOK。お土産追加。
 お寺で管理している古アパートを日曜大工で手直しして、雰囲気よく仕上がったそうな。法要を終えて案内していただきました。狭い路地を縫うようにしていくと「オヤ、こんなところに」と隠れ家のようでね、こちらも贅沢(造りでなく雰囲気ね)。
リフォームの音頭をとられた奥様に尋ねたところ。若手の芸術家が自作品を発表する場として、仲良しサークルの茶のみ場としても開放する方向で思案されてるのだそうな。
積極的に働きかけるその姿勢を、お土産に追加です。

あとは、これをどう活かすか?だけども。

2005年9月27日(火)
雷が多いから、もわかるけど

 蓮華院さん(群馬県高崎市)へ行ってきました。本山が牡丹で華やかになる頃、若住職さんがお檀家さんを連れてのお参り。市野谷のご住職と親交があることも手伝って、長谷寺案内をさせていただいました。今回はその延長で法話をさせてもらいました。
玄関の引き戸を開けると、木造建築の匂いと香の薫りが鼻腔をくすぐる。いいもんですね。坊さんがこうなんだから、お参りの方はさぞ。「折角お寺に足を運んでくださったのだから、せめてお寺に漂う非日常の雰囲気だけでもお土産に…」若住職さんお見事。早速真似します。
お孫さんの体育祭の付き添い、お仲間打ちでご不幸があったとか。「人数が少なめですが」労わっていただきました。「その場に応じて話をさせてもらいますから大丈夫です」などと。なんと傲慢なことを言い放ったもんだ、などと反省しつつ本堂へ足を運ぶ。15,6名の方がやさしく迎えてくれました。2部構成で30分・35分、それぞれを気持ちよく話せました。
 聴衆の数は気になるでしょうかねぇ。本山じゃマンツーマンなんて機会もあるからそんなにビックリしないんだけど。本山でもベテラン先生の出番を前にして「もうちょっと人数集めますので、しばらくお待ち頂けます?」なんてやりとりを聴いてるぐらいだし。実践でしか味わえない緊張感と、机上の妄想が及ばない聴衆の反応を味わえる前では、人数なんか問題じゃないと思うんですけどねぇ。
話し手がどう感じるかってことのほうが余程ね。。

終えてからT明寺さんのS住職と昼食をとりつつ大いに語る。気持ちからの言葉にうれしくなり、場所をお寺さんに移して時間を忘れ喋る喋る。おかげさまで楽しい1日となりました。

にしても、“ゴロピカリ”って…

2005年9月26日(月)
妄想癖

写経会に向けて、500頃から、やおら座敷・本堂の掃除。朝食は昨日のお接待オコボレ、抜群スイトンでした。適度に身体を動かしてわざわざ腹をすかせ、好物で胃袋を満たす贅沢な朝でした。
700過ぎに実家の極楽寺へ彼岸の墓参り。彼岸入りからバタバタと南蔵院さんで慌しくさせて貰ってたので、明けの日でのお参りとなりました。西光寺へ戻り、永代のご供養をしている仏舎利塔、歴代住職さん(かなり時代がかってるけども)へ手向ける卒塔婆のお経。こちらもお彼岸のお参りをようやく。おかげさまで気持ち晴れ晴れ。今日の写経会で何か良いことが起きそうな。
―昼の部―1300から1500(予)
写経〜本堂で心経唱和〜1400頃から茶飲み話+法話(ショート)。意外な盛り上がりで1530散会。
―夜の部―1900から2100(予)
1945頃から茶飲み話。こちらも盛り上がり2130散会。

後輩のガーデンプリーストFちゃんが、実家のお寺さんで写経会を催したんだそうな。写経にいらっしゃった方から「写経をしたかったので」と感謝の言葉をいただいて、うれしかったらしい。

「今日みたいな話は良いですね」活力源となる、褒め言葉収穫です。内心ホクホクしつつ「おやすみなさ〜い」などと。
周りのお家からの温かい光に浮かび上がる写経会参加者の姿を見送りつつ「今日は良かったか…」。
話しが目当て足を運んでくださる方が出てくるといいなぁ。

2005年9月25日(日)
仏教ワークショップ

西光寺で九月の護摩でした。今回も婦人部のみなさんにおんぶに抱っこ、旦那衆に下支えをお願いしつつ。さすがにあれね、年に5度も行事をやると、段取りから片付けから粛々と。恐れ入りました。
 法要前のお楽しみは、市野谷のご住職のお話。<http://entoujide.gozaru.jp/main.htm>
最近は、ある意味の凄みすら感じますな。
襖越しに聞こえるのは、いろんな声質が混ざった大きな笑い声。こうした笑いは、話し手を勢いづけます。すると“キュキュッ…”と耳慣れた音。風船をやってました。聴衆も参加してる模様。たまげました。

聴衆との共感を分かち合うべく注がれる話し手の膨大な工夫を、バルーンを用いての聴衆参加型の法話で、いともたやすくクリアー。
お説教の新機軸誕生の瞬間に出くわしました。

2005年9月24日(土)
多重債務者

南蔵院さんで一仕事。時折バケツを振り回しつつひっくり返すようなひどい雨足。そんな中でもお越しになる方がいらっしゃる。「日本人は無宗教」などと。特定した宗教にとらわれない意味での無宗教と考えるべきなんでしょうな。本堂の屋根や地面の小砂利を叩く雨音が弱まると、「それっ」と間隙を縫うように。ご家族でいらっしゃる方の中には、お線香と手桶を持つ素振りも見せない若い人がいらっしゃる。さながら我関せず、という装い。なまじ親御さんも両手で荷物を持っちゃうからな。核家族を助長する所業だと個人的には。
 傘を持つ手が幸いして家族を結び付けました。片手が傘で塞がってるから、お線香に手桶、色花を若い人とも手分けして。『雨降って地固まる』とはこのことと。したり顔にもなりますわな。
 明日の西光寺の護摩に備え、掃除にお札書き。住職就任以来、催し前は、大概夜なべでの準備。♪住職は〜 夜なべ〜をして 座敷〜の雑巾かけた〜♪フフンと携帯ラジオを聴きながら、手を動かして、掃除の順序を考えつつ、キチ○イ鼻歌。
 
 ふと「お前は何をしたいんだ?」と自問。

 忙しいので黙殺しました。

2005年9月22日(木)
ギリチョ……ギリギリセーフ

南蔵院さんでのお彼岸のお手伝い。例年、お参りでごった返すお中日と違い、前日は比較的穏やか。今年は、台風襲来の予報を見越してですかね、お参りが大勢でした。日頃の如何ともし難い侘しさ漂う墓地が、アッという間に手向けられた花々、立ち上るお線香で彩られ、瞬間、人情も捨てたもんじゃないな、などとウレシクもなりますわな。いいもんですねぇ、仕事をしつつ温かい気持ちに触れられるというのはねぇ。

終えてから新小岩のChippyで声明ライブ。なんだか道路が混んでて、しくじるかと思ったけどもおかげさまで。
 集合場所の密蔵院さん(江戸川区鹿骨)には、海外からの留学生が滞在してるとのこと。事前に、今晩のChippyへ来ると伺ってたので、「挨拶はどうだったっけか?」などと記憶を辿る。そんなとこへ、はにかんだお嬢さん留学生が
「Hi…」
だもの。「本物の発音だ」で取り乱しちゃうんだよなぁ。英語で話しかけられて平常心を保ってられる日本人っているのかなぁ?
 こわ張った愛想笑いを顔面中に貼り付けたまま、頭の中は大混乱ですよ。どう答えるべきか、俯き加減で迷ってるうちに時間切れ。お嬢さんは視界から消えていました。「あの坊さんに無視された」なんて思われてるんだろうか。

Chippyの最終はセットは、演者のお楽しみでもあるデジュリドゥとのセッション。お店へきたお嬢さん留学生も満足してくれたとのこと。
挨拶はできなかったフォローになったかどうか。

2005年9月21日(水)
ダブルスタンダードかも

お彼岸2日目。赤く染まる総本山 長谷寺での布教勉強会、11/27の『西光寺山火祭り』に向けて、同志へお手紙発送。新しく購入したプリンタがgood。葉書きの印刷もお任せだもんな。葉書を一枚ずつ差し入れないと目詰まりした先代にくらべ、オタクは優秀!!おかげで、すっかり原稿を拵えないまま、ネットサーフィン楽しんじゃったよ。印刷が終わり、早速〒へ。その足でお役所へ野暮用。
午後から西光寺で仕事。掲示板の文言張替え、週末の護摩法要の案内貼り出し、境内の草刈…
今年買った草刈機がまたも大活躍。ステンレスのカッターをプラスチックのワイヤーに取替えて、いざ。今回は秘密兵器を導入したので密かに楽しみにしておりました。
草刈機を1時間もぶん回すと、エンジンの振動でしばらく手が痺れて何かと不自由。何とかならんもんか、と考えつつ近所のトステムビバにいくと、混合ガソリン缶を陳列する棚の脇にひっそりと、不恰好な手袋発見。振動を7割がた吸収するという胡散臭い黄緑色のゴムクッションが、筋肉もりもりの手袋オバケみたいで滑稽。しかも商品ロゴはパッと見、武田信玄。それもその筈、『しんげんくん』だもの。誰がどう見ても“買い”でしょう。

…使ってみました。
使い始めは、手に伝わる微弱な振動に驚いたものの、2時間近く振りまわしゃねぇ。やっぱり痺れました。ただ、おかげで遅い昼食で食べたソバも手繰れたし、冷奴も食べれました。この程度で済んだのだから上出来でしょう。

2005年9月20日(火)
蹴りたい背中ですか?

南蔵院さんで一仕事。お彼岸に突入したので、お参りの方用のお線香をお付けするべく、火鉢を抱えて待機。背後では、住職がご法事にお墓の整備、親類のイザコザ・・・プチ『万相談請合います』展開中。
お参りの方が比較的多く、お盆の時期にお邪魔するお檀家さんと会いましたが、遠目に目礼するのみ。おざなりな挨拶しかできず残念。
『葬式仏教』といいます。日頃お檀家さんの動静に何の関心も示さない坊さんが、お葬式・ご法事のときだけ住職然として振舞ったりすると、ヒソヒソ囁かれることが多いでしょうかね。
確かに仏事でしか会わないお坊さんもいるでしょう。ただ、仏事でしか会えないお坊さんもいるわけです。「そんなに時間がないのかよっ」とのご指摘はごもっともですが、仏事で共有する僅かばかりの時間に全精力を注ぎ込む意気込みがあればこそ、時間はドンドン無くなっていくわけです。「何で?」って、そりゃ勉強せにゃいかんでしょう。日頃読んでるお経の内容はチンプンカンプン、何のために手を合わせているのかを忘れ、ボンヤリ虚空を見つめて拝んでるんじゃ、ねぇ。どうです?
住職から↑と同等の話を頂きつつ、時間が経過していきましたとさ。
ここで一句
   プレッシャー 背中で受ける 彼岸入り
   (大意;「もっと精進せんかゴルァ」ということ)

2005年9月19日(月)
一言でいうと

南蔵院さんで一仕事。終えてから、かのニッポン放送にあるイマジンスタジオで国本武春さんの会。ご詠歌、布教でお世話になっている密蔵院さんのN住職にお声掛けいただきました。
早めの1700到着。待ち合わせ場所を確認し、ニッポン放送向かいの有楽町ビルヂングにある喫茶店で原稿づくり。1800頃、市野谷のご住職から連絡が入りました。
待ち合わせ場所へ行くと、半そで短パン雪駄履きのプリ…市野谷のご住職の姿。
「どうも〜」
「何時ごろから来てたの?」
「実は早目に付いたのでちょっと仕事を…」
話しかけてふとご住職の手元を見ると、白いコンタクトボール。後方には遠目にこちらのやり取りを探っている控えめなギャラリー…
やってましたな、ジャグリング。いくつかの奇異の目は心地良いものでもありましたが、集合時間まで幾分時間があったので、夜の街へ繰り出すことにしました(といっても有楽町ビルのマクドナルド。しかも滞在時間15分)。
国本さんは相変わらずスゴイ。熱烈なファン(私も含め)が少なからずいるとはいえ、あそこまでお客を乗せるんだもんな。今回の収録がCDになるんだそうな。お客さんの生の笑い声がふんだんに散りばめられた素敵な音になることと。
はけてからN住職らとチョイト一杯。そう行った席での話がまた格別。個人的には国本さんの時間よりも楽しい時間なんですが。
帰りの道中ハンドルを操りながら国本さんの演出を反芻。
思い浮かんだのは「そこまで客にやらせるか?」でした。

2005年9月18日(日)
とある一日

900から南蔵院さんで一仕事。ご法事後の食事が2件。久々に親類と顔を合わせたんでしょう、賑やかなお家でした。お寺を我が家のように思ってらっしゃるのか、リラックスすればこその笑い声。聞いているだけで気持ちが良いもんです。賑やかな残滓が残る座敷の後片付けを終え隣のお寺さんで習字。
90分遅れの1700頃到着。1745まで僅かながらでしたが、集中できました。もちろん“それなりに”ですが。こないだは小筆のお稽古で、不完全燃焼のような。やっぱりね、たっぷり墨を含んだ筆をスッと半紙において一気呵成に走らせたいのですよ。やり直しのきかない小旅行みたいでね。それなりに感動があるからねぇ。「・・・きったねぇ字」というね。
1820頃、習字のA先生を高田馬場駅へ送って西光寺へ一目散。1900から9月の護摩に備えて婦人部の会合でした。どう考えても間に合わないので婦人部長のAさんに電話。
1910西光寺に到着。電話の甲斐が有ったらしく、集まった皆さんで買い出し部隊、仕込みの時間などが既に決まった様子。今日の御礼と護摩当日のお願いをして1927には極楽寺へ。というのも1930から御詠歌なのでした。
今日は、町内会の旅行やら梨の収穫作業に追われてるやらで、参加者は少な目でした。

こういうときなんだよなぁ、それなりの話を語れるのは。ホント勿体ない。大勢のときに取っとくのもシミッタレだからなぁ。

地力が足りない。これにつきますな。

2005年9月17日(土)
めざせ白声!?(嗄れ声のことね)

1000から西光寺のお座敷を使ってお茶会をするので、朝方ババッと掃除を済ませて、いざ南蔵院さんへ。お彼岸を間近にして気忙しくなってきました。翌日のご法事に備えて本堂・座敷の掃除の三昧、もっとも手を動かしながらラジオをイヤホンで聴いてましたけど。土曜日は志の輔さんのラジオ。法事がないときは、しっかり楽しんでいます。面白いことはメモできるように、作務衣の懐にはペンと紙片。いつも二つ三つ話材になりそうなものを拾えるんだけど、今回はタコでした。9月中締め切りの原稿構成を考えつつ、ラジオを聴きながら手を動かしてたもんで、面白いこと言ってたんだけどなぁ。すぐ思考が切り替わるのか、印象に残ってないのね。結果的に志の輔さんと吉田アナのこなれてきた掛け合いも、原稿の構成も中途半端。「何をやってんだか」と我ながらグウの音も出ませんわね。
ただ、一つ気が付いたことが。
浄土真宗で盛んだった節(抑揚のこと)を付けたお説教に、『一(いち)声、二(に)節、三(さん)男』なんて言葉がある。聴衆から求められる説教者の素養とのこと(説教の内容が入ってないのは、内容は無論のこと、なんでしょう)。
達人ともなると、独特の嗄れ声と節回しで聞き手をお説教の世界に引き込んじゃう。ということは、聴衆の記憶に長くとどまるのは、話のないようというよりも声と節回し。大事なんですな声は。脳死の判定でも音声への反応を診たような。鼓膜を振動する響きは脳に近いトコにあるからなんでしょうかね。

志の輔さんの話の内容はともかく、嗄れ声がね、何だか耳に残っているんですよ。そのカラクリがわかったような。

2005年9月15日(木)
何でかねぇ

南蔵院さんで一仕事。今日は近所のお寺さんで、そちらの大住職さんの本葬儀手伝いでした。しかもお経を上げさせてもらえるお役目。本来だったらお仲間寺院の住職さんか、その後継を担う若住職さんが勤めるんだけどね。選択肢が多すぎたようで。白羽の矢が立ったとのこと。小僧っ子に声がかかるなぞ光栄なことです。精一杯努めさせて頂きました。
久々にお坊さんをやりつつ、ミュージシャンのキャリアを着実に積む、異才Cと。会うと必ずする遣り取りがあるんだよね。今日もどちらともなく
「最近なに聴いてるの?」
「あぁ、大貫妙子とかぁ、矢野顕子とかぁ、…その辺。そうそう、今度小野リサを聴きに行くんだよねぇ…」
「へぇ。もっとも巧い人は巧いからね。」
「そうそう。ほんとに巧いよ、この人たちは。そっちは何聴いてる?」
「浪曲。玉川福太郎さんと国本武春さんかなぁ」
!?…そっちかぁ。行ってるねぇ、浪曲かぁ。」
「三味線との掛け合いなんかはアドリブだし、節だって聴きようによっちゃブルースだよ」
「…」

良いんだけどなぁ、浪曲。

2005年9月14日(水)
今日は……

東福寺さん(中野区江古田)で御詠歌。7月に行なわれたコチラさんのお施餓鬼以来ですかね。何だか久しぶりで緊張しましたねぇ。始まって間もなく、気のせいだったことに気が付きましたが。
 10/26に長野で行なわれる御詠歌大会の練習。全部で9曲。「大会までは、あと3回だから」で3曲。胸算用では、5曲はやっとくつもりだったんだけどね。ついつい熱が入っちゃって。こんなチンタラペースで大丈夫か、オレ?
 亡き人へ手向ける御詠歌にとりかかった中盤、スイッチON!!でした。「何かのときに唱える機会が多い御詠歌だから、ここはビシッと仕上げちゃおう」

昨日は終日御詠歌。しかも細かい所までみっちり。効果的な練習方法も目の当たりにしてた。だからかね
「今日は長かった」
「今日はきびしかった」
「今日はしつこかった」

こんなお声がけを頂きました。真摯に受け止めなきゃいかんでしょうな。当人を前にして、思っていることを口に出すんですからねぇ。
今晩の肴は、なかなか飲み込めないもののようです。

2005年9月13日(火)
トレーニング・デイ

密蔵院(江戸川区鹿骨)さんで御詠歌。1000〜。参加者は、既に講員さんたちに指導をしている若手先生方。御詠歌最前線でバリバリ活躍しているヤングライオンを今更集めて何になる、そんな気も少しは起きましたが。純粋に「御詠歌を高めあおう」とこっそりと誓い合って一堂に会したのでした。講師は『シオリのカリスマ』たる、こちらのご住職です。
千葉県にある同宗派のお寺さんで、御詠歌講を取りまとめてる奥様の勉強会に、密蔵院住職が講師だと聞きつけたので、しばしばお邪魔してました。既に詠歌講の指導をしている立場。必要なことは既に教わっちゃいましたが、どうしてもね、不安なわけですよ。日頃の少ない努力では不安を克服できないのね。しかも一人御詠歌じゃ効率悪いし。というのもヘンな癖になっちゃった部分は、気が付かないもの。
千葉の勉強会で「何だ、全然出来てないじゃん」と気づいたときの気持ちといったら、恥ずかしすぎて気持ちが悪くなりましたからねぇ。
今日から始まった勉強会の狙いは、いかになっちゃいないかを知ることです。『無知の知』という言葉もあるし。やる気は、ダメさ加減を知って打ちのめされることからも沸き立ってくるもんでしょうから。
…いましたよ。うなだれて家路につくヤングライオンがチラホラと。次回はみんな来るかな?という刺激的な時間でした。収穫多し。やってよかった。
 引き続いて『話の寺子屋』。遺されている村上さん声をCDに焼いて皆さんに。喜んでくれたようでした。それはいいんだけどね。
「そのCDはね、最初のうちは面白いうえに、とても勉強になる見事なものなんだけどね。そのうちふと“もうこの続きは金輪際無いんだ”ということに否が応でも気づかにゃならん、酷な内容だよ」
とは言えず。

2005年9月11日(日)
やっぱ集中でしょ

 南蔵院さんで一仕事。南蔵院さんの向かいにある氷川さまではお祭り。本堂から漏れ聞こえるお経とお神輿の掛け声、お囃子がない交ぜで、気持ちが落ち着くような、粟立つような。不思議な気持ちでした。ただ、子供の掛け声が聞こえてこない。お宮さんへ行って様子を見てないので何とも言えないけども。少子化が叫ばれるわけだ、なんて。
終えてから隣のお寺で書道会。こんなに集中力あったんだ、と帰りの車中で自分を褒めたくなる貴重名時間。お稽古事というより、軽い自己啓発セミナー。しかも、今回は初めての小筆。52行、10文字へ送る集中力は、久しぶりに頭使ったぁ、という感じ。今夜は良く寝られそうです。
2100から極楽寺でご詠歌。選挙の行方を気にしながら、10/26の大会に向けて練習。ご詠歌のオバチャンも選挙が気になってるだろうと、あえて今夜は俎上にあげず。

2005年9月10日(土)
期日前投票

南蔵院さんで一仕事。終えてから横浜にぎわい座へ。松元ヒロさんの独演会(104日)チケットが目当てです。立川談志さんのお喋りとパントマイムを合わせるんだとか。即興でやるのかどうかわからないけども、いわば一流芸人同士のガチンコ。観ておかないと後悔すると思いましてね。
 にぎわい座の二階にあるチケット売り場で、立川志の輔独演会チケット完売御礼の告知。その下に国本武春さんの独演会(107日)の告知を発見。日程も何も確認しないまま、松元ヒロさんのチケットと合わせて注文しました。「とりあえず欲しいんだ」激情に突き動かされての衝動買いは老若男女、ジャンルを問わないことがハッキリしました。
 チケット発券の手続きを待っていると、70過ぎのオバアサンが一つ空けた隣の席へストンと腰を落ち着けた。傍らに杖を落ち着けるなり、
「志の輔さんのチケットを取ろうと思って電話かけてるのに、ちっとも繋がらないじゃない!!
館内に響く怒声。その場に居合わせた皆は当然びっくりしましたよ。そんな元気がどこにあったんだって。
「電話が繋がったと思ったら、“売り切れました”じゃ、用が足りないじゃないっ。ホントに人をバカにして…」
こうしたお客さんは初めてじゃないんでしょうねぇ。窓口の方は至って冷静に
「志の輔さんのは人気がありますもので。チケットをお求めの方は早くから、並んでいらっしゃいますから…」
 消火活動終了。呆気ないもんでした。もっとも結果の平等が無理な場合、機会を平等にするしかないじゃんね。落語聴いりゃ分かりそうなもんだからね。
 お目当てのチケットと合わせて上機嫌で期日前選挙。19:30過ぎに選挙会場へ行きましたが、結構な人手。今回の選挙へ寄せられる関心の高さが窺えますなぁ。

目標議席の確保が出来ない場合、辞めると言った小泉さん、岡田さん。主義主張を存分にできる、機会平等のうえでの争いだから、結果がどうなろうと恨みっこなしでしょう。お二方は有権者が下した判断を受け止めてお止めになる。
社○党のミズポンはどうするのかなぁ…
選挙後のお楽しみか。

2005年9月9日(金)
来し方

 西光寺のお檀家Yさんが墓地を構えるんだそうで、石屋さんから早々の連絡。お茶の支度をしてないのが気懸かりだったけど、出先だったので勘弁してもらった。
 思えば石屋さんには、我儘を聞いてもらいました。永代供養塔を拵えるときなんか特に(近日中に石屋も巻き込んだサプライズあり)

 長いこと住職が居なかった西光寺。長いこと風雨に晒された先師の墓地は、かなり痛んできてる。ひたむきに手を合わせた先徳の努力が紛れも無く在ったからこそ、西光寺が現存している。
 近いうちに何とかしたいものですな。

2005年9月8日(木)
今後の楽しみ

 鳳仙寺さん(栃木県足利市)に行ってきました。こちらさんで101日に柴燈護摩修行をするので、事前の現場打ち合わせ。
 ハイシーズンの土日には、ハイカーで賑わう大小山(だいしょうやま)。鳳仙寺さんは、その登山道に面しているので、一般登山客が門前を通る良好な環境といえるでしょうかね。しかも、その行く末を委ねられたのが、「人さまのお役に立ちたい」情熱溢れる行者。鳳仙寺さんが、どれだけ多くの方と関わりを持っていくのかワクワクしてきますな。
 打ち合わせを終えてから、後学のために観光、諸寺院参拝。各寺院とも個性に溢れ、大いに刺激を受けてきました。
充実の足利。
〜佐野厄除け大師〜
「関東の三大師、佐野厄除け大師」でお馴染み…でしょうか。案内してくれたGさんのおかげで、本堂の内陣での参拝。貴重な体験をさせて頂きました。天台宗の護摩のお作法を初めて観ました。ところどころに、似通ったものが見てとれるので、興味深かったこと。帰りしな、Gさんをアレコレと質問で攻めたててしまいました。にしても金色の梵鐘には度肝を抜かれました。
〜足利学校〜
こんな雰囲気でお寺を整えられたら素敵だなあ、と。
〜鑁阿寺〜
たまたま催しの準備に出くわしました。薪能をするんだとか。歴史あるお寺さんが現代でもキビキビと活動する姿には、自然気持ちが引き締まります。構えも立派。
〜正善寺(足利市常見町)〜
同志Gさんの本拠地。奥様・大奥様は、Gさんをバックアップの様子。やる気のある後継者、援助を惜しまない周りの方々。盛り上がらない筈がないでしょう。温かないい雰囲気が漂ってます。

2005年9月7日(水)
無言で説得

常楽院さんでご詠歌。13:00から17:00までのノンストップも78日以来。後半バテたものの、久しぶりの刺激に脳みそクンもお喜びの様子でした。
19:00から新大久保のアールズ アートコートで、松元ヒロさんの独演会。18:00に市野谷のご住職、ブラザーTさんらと待ち合わせ、とりあえずチケットの受け取りに会場へ…というものの、場所がハッキリわからない。土曜日の志の輔さんのラジオへゲスト出演した松元ヒロさん。その時の告知でチケット予約したもんで、手元にはチラシも何もない。しかもメモ書きも忘れてる始末。会場名すら把握してない状態で、「何とかなるっしょ」で2人を連れ歩きはじめたものの、ほんの2分で軽い迷子。
 こちらと同じ空気を醸しだしながら、前を行く女性二人。「もしや?」と話しかける。
 「松元ヒロさんの独演会に行かれるんですか?」
 「えぇ…(当然、不審者扱い)」
 「会場名って何でしたっけ?」
 「!?アールズ アートコートでしょうけど…(愚者扱い)」
偶々あった不動産屋さんで道を尋ねたところ、教えてくれたのが肩を擦りそうな細い道。無事辿りついたので問題はないんですがね。
 
 ヒロさんは、流石の力量でした。壁やロープを引っ張るパントマイムなんか、これまで観てきたものとは別物だもんねぇ。
 
無言の芸に大笑いして元気を貰って家路に着くお客さんが多数。
 物言わぬ芸の物凄さよ。

2005年9月6日(火)
良薬は口に苦し

 宗務所で布教研究所の集まりでした。宗派の出版物にする原稿作成を、任されるのも、この研究所の役割。諸先輩方も含め分担して原稿を担当するんだよね。
 拵えた原稿の幾つかを発表しました。日記、時報(お寺のお手紙ね)を定期的に出したりしてるんで、文章をつくる回数はそれなりにしてると思うんだけど。いやぁ勉強になりました。一人での作業はどうしても偏るんで、言い回しなんかも限られてくるし。
 
終えてからの懇親会で飲んだお酒の味は、大人の味でした。

2005年9月5日(月)
ある意味で恐怖

 極楽寺でご詠歌。1026日の長野大会に向けての練習。いつ頃までだったか、練習の合間にする話しを、アレコレ考えて練習に臨んでた。ご詠歌の講習時間は、格好の布教実践の機会。何とか捻り出した屁理屈が聞くに値するものかどうかの真剣勝負なもんですから。ご詠歌の関門をクリアーした話材は、頭の中に僅かある布教の小引き出しに入れていく。忘れたものも多いけど、それなりに集まってるだろか。
 アメリカを襲ったハリケーンの物凄さったらないのね。都市が壊滅するんだもの。女性の名前をつけることになってるのだとか。荒れ狂った女性の前では何人たりとも無力。与えられている選択肢は、嵐ともいう激情が鎮まるのをただ待つのみ。男女平等意識が進んでるアメリカで「差別」だの何のと声高に叫ばれていないような。「そんな時もあるね」などと納得してるからかもね。我が国で進んでるといわれる男性の女性化が、あちらでも進むと男性名称になったり。
 台風14号とカトリーヌ。個人的には、擬人化してる後者のほうが断然怖い。しかも、耳に入った途端に薄気味悪くなる雰囲気の名前ってあるじゃない、メドゥーサとかタバサとかドロンジョとか。どうってことないカトリーヌやらナンシーのほうが、底知れない怖さを感じるし。
 “台風○○号”いいねぇ。無機質に「災害です」と言われてるみたいで。

2005年9月4日(日)
粗忽ランナー

 何かのときに街路樹の剪定作業に腹が立つことってありませんか?膝丈ぐらいにしか伸びないものを植えときゃいいのに、わざわざ電線に悪戯するように、銀杏なんか植えてる。あれも無駄な公共事業だ、なんて。もっとも、そうした作業で生計を立ててる方も居るんだろうから、一概に決め付けるのは乱暴だろうけど。
 南蔵院さんを早上がりできたので、久々にジョギングに行きました。曇り空の中、何の気なしに走り出す。川原の遊歩道でチンタラペースで5分少々、ポツリポツリと降り始めた。「久しぶりの運動なのに〜」恩田川を横切る東名高速の高架の下で雨宿り。民家のガレージの屋根を叩く雨音がすっと止んだので、再開。
 十日市場駅を抜けて線路を左脇に見ることが出来る歩道で、どしゃ降り。周りには何もなく、あるのは電線を邪魔する並木のみ。とりあえず雨宿りできました。
一見無駄な並木にこんな使い道があったのね。
物事はじっくり見定めたいものですな。

2005年9月2日(金)
そんなバカな

 関内で『シンデレラマン』の試写会。夕食をホール最寄のス○ーバックスで購入。持て囃された2,3年前は良く通ったんだけど、トンとご無沙汰。暫くぶりにいったら、たまたまメニュー改正だかで、しょっぱそうなものがガラスケースに入ってた。以前のものは、どれも寝惚けたような味だったので、見るからに塩気の期待できるピザなんかは意外だったねぇ個人的に。ピザを購入。ス○バにしては美味しいんじゃないかな、普通で。
 『シンデレラマン』は感動ものらしく、“泣けること請合います”という雰囲気で物語が進む。主人公のラッセル・クロウ、奥さん役レニー・ゼルヴェガーもいい味出してる。ボクシング演技も流石という出来栄え。何だけどね、フルラウンド真っ向から殴り合って、顔がどこも腫れてないのはオカシイでしょう。契約にあったのかもしれないけどね。
  『パッとラッセル・クロウだとわからなきゃダメ』なんて。

2005年9月1日(木)
笑いが一番

 高田馬場駅近くの諏訪通りに面したG国寺さんで山伏仲間の勉強会でした。同志“『ムー』読者G田”さんの鳳仙寺で101日に柴燈護摩。その打ち合わせ・勉強会でした。新規会員3名で参加で13名。
 “カンニングI川”さんのD徳寺さんでも、116日に柴燈護摩。何でも、その地区の仏教会の催しになるんだそうで、関係諸団体に協力を呼びかけてるらしい。にしても準備不足が否めないので、結構厳しい口調でアレコレ言っちゃったよ。「言ったぶり出来るんだよね?」の自問に青ざめる。傲岸不遜な根っ子がまだ抜けない。反省です。
 「知り合いのインド舞踊に方にもお練り(行列ね)に加わっていただきます。あと、もう一つの団体さんがあるんです。間違えないように良く聞き取って頂きたいんですけど、『そうかががっかい』という団体…」

僅かに間を置いて、一同爆笑。

 一頻り笑い終えるとムクムクと怒りが。「そんなことを考える暇があったら、準備に使ってくださいよ」という。グッと呑み込んで、もう一笑い。I川さんのおかげで、楽しい時間を過ごせましたので。