日 記 ど う ?



◆平成17年10月の日記どう◆


2005年10月29日(土)
買いでしょう

午前中プリウスの整備で十日市場にあるディーラーへ。今年2月からで2500キロ超えかぁ、乗りすぎなんでしょうね。

昼から西光寺山の掃除にとりかかる。建物裏手のこないだ位置をずらした物置から、草刈機、鉈、鎌などを車に積み込んで、西光寺山の掃除へ。行きしなフィ○トケアで昼食用に昆布とオカカのオニギリ、ビタミン補給にキャロットジュースをドカカっと買い物籠へ入れて、オニギリを流し込むためのお茶を…と商品棚を物色したら、

NYのキャリアウーマンに大人気! ミントウォーター!!

一際目を引く見慣れないボトル発見。カロリーゼロ、甘味料不使用で、しつこく味付けもしてない雰囲気。ほんのりレモン味がついてるクリスタルゲイザーみたいな味かも、などと想像をめぐらし、悪くなさそうなので買い物カゴへ落とす。準備万端整えて西光寺山へ。

いい加減伸びた緑の海(オオシケですな)に、草刈機と鎌、昼食をもって突入。草刈機のオイルが切れるまで1時間ほど格闘する。エンジンの振動で痺れた両手の回復を待ちがてら昼食。密かに楽しみにしていたミントウォーターを飲んでみたところ、どっかで飲んだような味。

昆布のオニギリを二口、三口。流し込もうとミントウォーター…で気がついた。
「…歯磨き粉の味かな」

ミント味そのものが悪いんじゃないのね。さっぱり、スッキリした後口は好みだし。ただ、飲むタイミングに気をつけないといけない飲み物なんだなぁと。ご飯食べながら、歯磨きしてるようだからねぇ。

…フィット○アも思い切ったな

2005年10月26日(水)
どうすんのかねぇ、あの建物…

ご詠歌の全国大会in長野でした。1500超のお仲間が全国から集結。賑やかでした。

昨晩はメル○ルク長野泊。横浜のランドマークにあるような吹き抜けのエントランスに、まず圧倒されました。というのも、素泊まり・ネット割引もあるけど、部屋風呂付き大浴場ありで\5500。安すぎです。申し訳ない気すらしました。そんな気持ちをチェックアウトの時にも引きずっていたので、会計をするときに「すいませんねぇ」なんて。フロントのオネエサンがキョトンとなさってたっけ。〒がやっているところだから、今のうちなのかも知れませんが。

大会を終えて善光寺参り。戒壇めぐり(真っ暗なところをいくやつね)は16:30までということでしたが、16:20にギリチョンセーフ。無事にお参りも済ませました。

念願の善光寺参りは大急ぎだったので、何がなにやら。事前に調べてあった長野駅近くの旨い蕎麦屋も行けなかったし。また来れるように、善光寺の本尊さんにお願いしときました。

2005年10月24日(月)
勉強になりました、いろんな意味で。

都内で用事があるときは早い時間に都内へ入っといて、目的地付近のジョ○サン・○カイラーク・デニ○ズ・ガ○トなどで、ノートパソコンを開き作業しちゃう。当初は店員さんが為す「ウワ、坊さんだ」という奇異の視線に居た堪れなかったものの、数をこなしてくると図々しくなるらしい。世間さま同様の接客をされると、「なんだ素っ気無いな」などとガッカリすることも。おかげさまで(ここで使う言葉じゃないか)作務衣姿はおろか、改良服(普段使いの黒い着物ね)でもへっちゃらになった。以前は、坊さんたるもの横文字のファミリーレストランは相応しくないなんて、ヘンなこだわりがあって、仏教が寄りかかってる日本文化に義理立てして「やっぱ藍○じゃなきゃ」。店舗数、立地が適当じゃないので、現状のファミレスも止む無し、に到るのだが。

10:00に東福寺さん(中野区江古田)へ26日の長野での全国大会で使うかもしれないもの(ご詠歌譜面のコピー、車中用の落語CD)を届けにあがる。音羽護国寺の宗務所へ、紅葉で華やぐご本山(奈良県 長谷寺)での布教勉強会の必要書類を提出。11:15頃、“4の日”で賑わう巣鴨のお地蔵さまへ、いざ。

宗派の主催する布教師養成機関が、熱のこもる実践布教の日でした。お見舞いかたがた、有志でつくる布教の勉強会会場として、貸して頂けるかどうか、地蔵通り商店街の入り口にある真性寺さんへお願いにあがる。

4年目となる御本山での実習を汲んでいただいたのか、意外にスムーズでした。来年から真性寺さんで法話活動開始(の予定)。楽しくなってきました。

実習を終えて新宿のルミネ7Fにある吉本へ。若手の芸人さんが張り切る姿を観てきました。若い子が多いのなんの。お目当ての芸人さんがいるのかもしれないけども。熱気にあてられたのか、「…みんな元気だなぁ」などと。初めてオヤジを自覚しました。

若手が繰り出すお笑いは、時間の制約もあるんでしょうけど、とにかくテンポが早い。あっという間に話が進んでいく。付いていけないと断ずる一方で、付いていく多くの若い世代がいることを意識した話もできなきゃ具合わるいかなぁ。ただ鑑賞後がね、「楽しかった」だけで残らんのですよ。「いいもん観た」なんて気持ち良さが残れば最高でした。これすら世代格差なのかもしれませんが。

2005年10月23日(日)
顔で笑って心で…

南蔵院さんで一仕事。今日はご法事が2件。伊豆の大仁からいらしたO家、杉並のA家。住職の咽喉の調子が悪いということで、ツープラトンで読経。

どちらも比較的早い時期に覚えたお檀家さん。O家は南蔵院さんに勤めるようになって初めてお弔い一切を任されたお家。A家は赤ペンアニキが毎年お盆のお参りでお世話頂いている。そんなこともあり御礼の気持ちを込めつつ声を張る。26日のご詠歌大会で、頭出しをする役を頂いたので、万全を期したいところ。咽喉と相談しながら加減しよう、なんてケチな了見も働きかけてんだけど、「代わりがいくらでもいるだろし」でフルスロットル。

墓参を終えたO家がお帰りになるので、忘れ物のチェックをしに座敷へ行くと、ご親戚の方が声をかけてくれました
「相変わらず声がいいのねぇ」
「え、あぁ、そうですか?…両親に「褒められた」って伝えときます」
「キャハハッ。特にお母様に御礼しなくちゃね」
「えぇ、「良くやった」と言っときます」
「ギャハハッ」
その様子を見ていた皆さんにも喜んでもらえたようで.満足。

静かになったお座敷の掃除を始めようかという頃、先ほどのオバ…親戚の方が再来。息が切れて上気した面持ち。お寺を出てから手洗いを使いに戻られる方も珍しくないので、そんなことか思ったら、
「すいませんねぇ。ハンカチ忘れちゃって」
机の上にまとめられたお茶の支度に使ったのか、布巾とハンカチが同じところにまとめてありました。

そもそも忘れ物の確認をしにお座敷へいったのに、これじゃ笑いを取りにいっただけじゃんか〜
「お気をつけて」と笑顔で送り出すも、複雑な心境でした。

2005年10月21日(金)
めいコンビ

南蔵院さんで一仕事。行きしなの車中で『沖縄論』(小林よしのり著)を開いた途端、慌てて背表紙あたりまでページを飛ばす。…やっぱり以前読んでたよ。本屋に行っちゃ平積みになってる本を物色し衝動買いを繰り返す。反射で本を買うのは良くないのです。にしても半年も前に出版したものを、重版したからって、出入り口付近に平積みにしとくなんて。お客さんの購買意欲を刺激する売り方やそのマニュアルもあるんだろうな。同じ本を買った人間としては、頭が下がります。

通勤時間を退屈なものにしたくないので、2.3冊の本を常備。S学会Dちゃんについて言及している文庫本を読み始める。前書きを読み終えたところで車が流れ始めたため読書終了。
口琴を弾きながらテレビ音声をザッピングで聞きつつプリウスを走らせる。音だけなんだけどもCMが我慢できないのね。我ながら落ち着きが無いこと。

南蔵院さんで支度してもらった昼食をかっこみ、昼休みを利用して宗務所へ。来年3月発刊予定の出版物の件で話し合い。事務局のK先輩とSさんのお骨折りで、何とか目鼻がついてきたような。9/30の会議で好き勝手ぶちまけた後ろめたさを多少なりとも感じているもんで、お二人の頑張りには頭が下がるのです。独創的な発想を拠に意見をぶつけているであろうSさんと、出来ることと出来ないことをパパッと見分けブレーキをかけつつ道筋をつけている雰囲気のK先輩。とてもいいチームに見えます。

にしてもSさんとの話が刺激的で面白いこと。思わず時間を忘れました。

2005年10月20日(木)
「フグはポン酢を食べている」というし

昼から宗務所で行なわれた勉強会に行ってきました。先祖供養と永代供養について、インド、中国、日本の宗教と思想を研究されてる先生方の講演。とにかく面白かった。100分が短いこと。何だか頭が良くなったような錯覚を覚えるほどの内容でした。難しいことを分かりやすく教えてくださる先生方に感謝でした。

帰りの車中で無性にお好み焼きが食べたくなり、具材を揃えて西光寺に戻る。お好み焼きというよりも、ソース味のものを食べたい衝動なんですけどね。こないだ買った「フルーツソース」をどうしても試したかったのね。

お好み焼きの素に表示されてる分量で拵えたタネにザク切りのキャベツを混ぜる。焼いたらね、期待したとおりにならんのよ。サク、フワッとならず変にニチャニチャするばかり。火加減や分量を変えてみても、出来損ないのチジミを量産するばかり。ソースが抜群に美味しかったので満足でした。

2005年10月19日(水)
何やってんだか

東福寺さん(中野区江古田)で14:00〜16:00までご詠歌でした。10/26に行なわれる長野での御詠歌大会に向けて練習。ほぼ咽喉の調子も戻ったようなので、張り切ってやらせて頂きました。

宗務所にある布教研究所で9:30から11/7〜11/10に予定している四国遍路に向けてインプット作業開始。パソコンを立ち上げつつ山伏仲間に10/20の勉強会中止の連絡。

携帯の呼び出し音で時計を見ると10:40。大奥さんが通われてる江古田のお裁縫教室までの運転手を頼まれてたのでした。出ると南蔵院さんから。「あと5分でまいります」と言い終えて電話を切ると、車へ猛ダッシュ。久々の運動でいくらか温まった身体をシートに沈めつつ、時間を忘れるほど集中していたことにうれしい驚き。

江古田から護国寺へ戻り、門前の郡○堂さんでの買い物を済ませて12:30宗務所に戻り、作業再開。お昼代わりに平らげた豆餅、みたらし団子が効いたのか、気づいたら13:30。ババッと身支度を整えダッシュで出発。13:50東福寺さんに何とか到着。

…こんな日もたまにゃ良し、でしょうか。

2005年10月18日(火)
初登板

テレホン相談でした。10:00の開始ギリギリに相談室へ駆け込むと、既にベテラン先生方は準備万端の構え。1030と勘違いしてたんですってばよ〜。「初めてなのに重役出勤かぁ」心の中でツッコミを入れる。

先生方が醸し出す落ち着いた空気に気圧されつつ
「今日が初めてなので、勉強させてください」
「あ、そうなの。勉強するんじゃ、ドンドンやって頂かないと…」
「…は、はい。張り切ります」
言葉どおり精一杯の普段喋りで、相談に乗らせていただいたんですが、こういう流れは薮蛇というのでしょうね。
つくづく日本語は難しいと。

全部で1213本の相談がきました。「なんだ、それだけ?」と思われるかもしれませんがね、相談窓口が一本なので、それなりに忙しい思いをしました。そのうち89本は担当。内容は、お墓のお参りの仕方に始まり、お墓を移設する場合、お布施の額、写仏会(仏さまを描くのね。聞くとやるとでは大違いのものの筆頭じゃないかな、個人的にだけど)の問い合わせetc、さまざまでした。「コリャ手に負えんわい」は、ベテランの先生にノールックパス、ということで、どうにかこうにか、無事に終えることができました。

相談に乗っている最中、気がついたら相手の声を聞いているだけなのに、実際に想像の人物でしかないんですけど、目の前にいるかのごとく話を進めてました。もっとも多くの人が、当たり前にやっていることかもしれませんがね。「あぁ、村上さんはこれを仰ってたのかも」という嬉しい発見は、一番の収穫でした。

2005年10月17日(月)
年に一度のお楽しみ

13:00〜15:00まで極楽寺でご詠歌。終えてから横浜で恒例の『花供養』でした。極楽寺住職、赤ペンアニキと久々の3人立てで、花の精に向けて供養の読経を手向けたわけです。

生花の生産販売を生業として、生計を立ててる生産農家の皆さんが主催する催しなんですが、今年で34年目。「供養」と合わせて仲間との懇親を深める会となっているようです。花のご縁で結ばれた同志で、毎年法事をしてるんですな。

植樹、畜産、養鶏、等々、様々な業種の懇親会があるなかで、この会が一番連帯感が強いんだそうです。物言わぬ花への感謝をしつつ生活をおくる方達ですもんねぇ。さもありなん、というとこでしょうか。

2005年10月16日(日)
話の線、出てます?
南蔵院さんで一仕事。16:00〜18:00まで、南蔵院さんの隣のお寺さんで習字。19:30から極楽寺でご詠歌でした。ご詠歌には、ちょいと遅刻。これというのも、制限速度以下で追い越し車線を走るシルバーのBMWのせいだ、なんて。

南蔵院さんでのご法事を終えた厚木のW家がお帰りになる頃、忘れ物のないようにお座敷へ確認に行った。お施主さんの息子さんは、デ○ス・ロッドマンを人間にしたような優男。一回りぐらい年下だろうか。
「最近ディジュリドゥでしたっけ?やってるんすか?」
「へっ?あぁ、相変わらず吹いてますけど。」
「それ(ディジュリドゥ)って、どんなものなんすか?」
「オーストリアのアボリジニーが…」

今日ご供養した仏さまの2年前の葬儀で、アレコレと喋り散らかしたことを思い出した。彼にとっての坊さん像は、“お坊さん=お経”、“お坊さん=難しい話”、というところだったんでしょうねぇ。ディジュリドゥでリズムを刻めるようになった頃だったから、黙ってられなかったんでしょう。大方、「最近ディジュリドゥにはまってましてねぇ…」などと得意げに話してたんでしょう。

N住職の声がけで新小岩のchippyで毎月、声明のライブをしていること。声明の説明、お経に節をつけること、戒律のこと等々、真剣な眼差しを向けるロッドマンに喋る。知らないうちに、ご家族の方、配膳さんも巻き込んでのお話会になっちゃってた。

「ディジュリドゥ聴きたかったら地元にいらっしゃいな。その日に住職を務めてるところで催しがあって、それに合わせてディジュリドゥやってもらうし。11/27の日曜ね」
「へ?11/27って、オレの誕生日なんすよ」
「マジで?」

「マジで?」だって。お坊さんなのに。その場にいた皆さんは、あまりの偶然に聞き逃していらっしゃいましたが。でも、帰りの車中で
「あの坊さん「マジで?」だって。超ウケル。ゲボハハハ」なんて言われてるかなぁ。

不覚。
2005年10月14日(金)
浪曲シャワー

南蔵院さんで一仕事。終えてから浅草木馬亭へ。密蔵院さんのN住職、市野谷のご住職さんらで。玉川福太郎さんの『浪曲 英雄列伝 第4回「青竜刀権次」』。豪華なゲスト(前々回 五月一朗、前回 神田山陽)が盛り上げるこの会に、ついに国本武春さん登場。いつものことながら、満員御礼の場内は暑いぐらいでした。

浪曲ばかり4席の演目でしたが、いずれも個性がはっきりしていたので、楽しく聴けました。

・玉川美穂子嬢『浪曲シンデレラ』
新作の浪曲です。自虐ギャグの爆発力は、ある意味反則ですな。ただ、観客席は頑張る美穂子嬢を温かく見守るような雰囲気が出来上がっていたからなあ。「そんなに自分を苛めるのはやめて(喬太郎さん風に)」というところっすかね。
・福太郎さん『青竜刀権次』 其の1(題名知らんのよ)
今までの英雄とは違い、主人公はスットコドッコイ。粗忽でもなくオオボケでもなく、ヤクザ者でもない、正真正銘のスットコドッコイ。じゃ、「スットコドッコイて何よ?」と聞かれてもなぁ。「『青竜刀権次』 聴いてみなよ」ぐらいしか言えないか。
・武春さん『紺屋高尾』
落語でお馴染みのネタも、浪曲でやるとこんなに盛り上がるのね。今まででの『紺屋高尾』で、一番面白かった。19:00の開演前に武春さんを目撃。会場の一番後ろから、客の入り、客層を見てる様子。そうした事前の情報収集を怠らない態度こそ、カリスマたる由縁なんでしょう。で中入り。
・福太郎さん『青竜刀権次』 其の2(題名知らんのよ)
「爆裂お玉」という女ヤクザ登場。うっかり聞き逃したけど、「爆裂」って…どうです?これが頭にあるだけで、俄然興味がそそられますなぁ。「爆裂郵政」、「爆裂ミキタニ」、「爆裂TBS」…ネ。

2005年10月13日(木)
心のお土産
常楽院さん(板橋区前野町)でご詠歌でした。休憩30分を挟んで13:00〜17:00までみっちり。都合4時間の長丁場も3回目となると、勝手が掴めてきたような。もっとも16:45頃、張り切りすぎてガス切れ。トホホ。

19:00〜22:00まで市野谷のご住職、沼袋のご住職と池袋で四方山話。周りに居るカッコイイお坊さん(生き方ね)の噂話、お寺の在りかた、現行の葬儀が抱える問題…etcノンストップで。

何よりの酒の肴は、仲間の「面白い話」でしょうかね、やっぱし。二人のかっこいいお坊さんが紡ぎだす言の葉は、まさしくその魅力を持っていました。テーブルに載せられたお料理よりも、「次にどんな話になるか」でしたから。
2005年10月12日(水)
擬音誕生

昨日の『話の寺子屋』で『俗語辞典』をイジリたおしてあそびました。
「“オナチュウ”って知ってる?」
「あぁ、同じ中学のことでしょ」
「…何だ。オナ○ー中毒のことじゃないのね」
「“オナコウ”ってのもありますし」
云々。「チョベリバ」…超ベリーバッドの変形“辞典”と銘打つものが、こんな言葉をマジメに載せてることに、喝采を贈ってたわけです。

村上さん曰く「ユーモアとはその人の匂いみたに自然と湧き出るもの。狙ってとった笑いはユーモアでも何でもない」。

俗語辞典が面白いわけだわね。平成15年のものだったので、今後も改訂されるんだろうけど、そのへんの雑誌なんかより、よっぽど気が利いてますな。マジメにやってるだけに。そういえば、レンジで暖めることを「チンする」とかいうけど。何でかな?『俗語辞典』買って調べとこ。

『話しの寺子屋』でお世話になった村上さんの遺音CD81セット)を、9月に1516セット焼きました。お坊さんとのお付き合いばかりではなく、素敵な人柄の方に会うと、うれしくなって「きっと役に立つ日がくるから…」などとホイホイ配っちゃってた。そんなことをしてりゃ、無くなりますわね。

焼き増し作業をしている間は、パソコンを前にして、ノートパソコンをカチャカチャ。正確に表現するんであれば、カチャカチャジャないんだよね、ノートパソコンのキーボードで打ち込むときの音は。

…パタパタ、…フタフタ。ペタペタだと遠いしなぁ。
あと何年もしないうちに、「チンする」みたいに、「カチャカチャする」をデスクトップのパソコンで作業をする、「パタパタする(仮)」をノートパソコンでの作業と言い換えたりするかも。

2005年10月11日(火)
終わりが肝心

お昼から川口のD徳寺で勉強会でした。11/6にコチラで行われる柴燈護摩は、カンニングI川さんが埼玉県下の若いお坊さんをとりまとめて行なうこともあり、大きな話になっています。浄土真宗から「草加雅楽会」、インド舞踊の集まり「CNC」、真言宗豊山派から「太鼓隊」。その他、天台宗や高野のお坊さんも一同に介すようです。10/1の鳳仙寺さん以来、柴燈護摩の勉強会は一挙に話が膨らんだような。偶然かもしれませんが。

柴燈護摩の勉強会は、そもそも栃木へ引っ越す友人の手伝いをしたときにポロッとでた話。3人ばかりの内輪話が、5年も経たないうちに、宗派をも超え志あるお坊さんが集まる会になりつつあるようで、不思議な心持ちですな。ただ、話しが転がるたんびに大きく膨らんでいく様子は、痛快で楽しいものです。

毎年30000人もの自ら生涯を閉じることを厭わない方々に対して、坊さんとして出来ることはないだろか?数多のご先祖さんが支えてきたお寺とお檀家さんを繋ぎ止める手立てはないだろか?そんなことで始まった柴燈護摩の勉強会。原点を忘れず、ひたむきに精進していきたいものです。

1900から2300まで江戸川の密蔵院さんで『話の寺子屋』。鳳仙寺さんから天台Gさん夫妻も参加。気持ちを伝えるための言葉は心を開いてこそ。恥ずかしくないように肝心の心を磨く得がたい時間。帰りの道すがら、仲間内とはいえ今回叩いた軽口を反芻してのハンドルは重いこと。

相手を思いやる気持ちなんて微塵も無い、100%ウケ狙いの軽口による寒気で、寝返りを打ちつつ就寝

2005年10月9日(日)
『モンスター』陰気

南蔵院さんから休みを頂いたので、実家の極楽寺で留守番並びに法事の支度、家事を少々。実家なればこそ、来客に備えて玄関脇の事務所に待機するとか、電話の呼び鈴がなると同時に取るとか、キチッとしたいものですけどね、少々の空き時間を見つけちゃ仕事部屋に直行、パソコンに向かう。意志が弱くてかなわんのです。

法事のお経が始まって間もなくの来客に、仕事部屋から慌てて飛び出る。応対にもたついたので、事務所にノートパソコンを持ち込み作業開始。はかどらないので『ニュースの天才』(2003)を倍速鑑賞しました。『SW3』でアナキン役を演じたヘイデン・クリステンセンが捏造記事をじゃんじゃん拵えるインチキ記者役。真相が明るみに出てくるにつれて追い詰められていく主人公。…アナキンとダブりました。精神的に脆い人物像はハマリ役なのかもね。

勢いで『モンスター』(2005)も倍速鑑賞。シャーリーズ・セロンの役作りが取り沙汰されたから、ある程度想像はしてたけども、あそこまでやるとは、というところ。薄汚れて誰だか分からなかったもの。内容はともかく、主人公のヤサグレ感がべったり脳みそにこびりついてる感じ。

3本目の『ディープ・ブルー』を観始めて、ふと「こんなことしてられるなんて恵まれてるよな…」。来し方を振り返ってました。
『モンスター』効果覿面です。

…映画ってホントにいいもんですね

2005年10月7日(金)
忘れたことすら忘れた

何かにつけて意識してしまうのは「昔のお坊さんはどうだったかな?」。ただ今現在の自身よりも、直向に自らの修行に打ち込んで、真摯に仏様へ手を合わせていたんだろうと。その姿は世間様に何がしかの良い影響力をも持っているほどのものだったからこそ、自然、大事にして貰えたんでしょうな。ある意味、今のお坊さんが、街を歩いても石を投げられるなんてことのないように貯金をしてくれてたわけで。出来る範囲の恩返しをしたいものと考えちゃ忘れているんですけど。

南蔵院さんで一仕事終えて、下落合のお寺さんで習字のお稽古でした。昔のお坊さんの貯金でしょう「お坊さん=字が上手い」なんかは。そうしたイメージに後押しされて始めたような習字のお稽古。筆を持つだけで緊張する状態は相変わらずだけども、ようやく楽しさが薄ボンヤリとわかってきたような。楽しさを見出せりゃね、趣味になったようなものでしょうから、あとは時間をつくって筆を持つようになりますよ。
「習字って楽しいな」という気持ちを忘れちゃえば、話は変わってくるでしょうけど。

2005年10月6日(木)
楽しくなきゃ薦めないか

南蔵院さんを終えてから、新小岩のchippy声明ライブhttp://homepage2.nifty.com/~chippy/main.html
でした。

一般のお店で声明を定期的に聴けるのはここぐらいでしょう。というか、お店の許可を取り付けるったってねぇ。ドア開けたら、お坊さんがお経あげてたら、そりゃ面食らいますよ。それを許しちゃう寛容なママさん。他の出演者も思う存分のびのびと演奏を楽しんでるんだろうな。

密蔵院さんのNご住職が声明ライブに取り組まれてから3年ぐらい経つのかなぁ?当初、声明のみで全4セット行なっていたのが、今はPUAN(ディジュリドゥ、口琴、ホーメイ、アサラト…何でもござれバンド)と2セットずつ。今日は声明のセットでPUANのセットを挟んだ3セットを試してみました。しかも持ち時間の30分をなるたけ意識して。

声明の説明がホンの少し長引いたり、声明そのものが少々間延びするだけでポンと5分ぐらい出ちゃう。どうしても最終セット終了が2300間近になると、お客さんも帰り時間を気にするだろし。

そもそも、「時間を気にしながら声明を唱えるなんてナンセンス」そんな意見も貰ったことがあるけど、時間を気にせざるを得ない中でお経を唱えるケースだってあるからねぇ。葬祭場、火葬場で時間を気にせずに思いのまま読経するお坊さんているのかな?

最終セットは、驚愕ディジュリドゥ、そよ風が頬をなでるような鈴が織り成す響きのなか声明を唱える。しばし、時間をほどほど気にしつつではありましたが、すっかり楽しんでまいりました。

2005年10月5日(水)
これを「調子に乗りすぎ」という

東福寺さん(中野区江古田)でご詠歌でした。お座敷を改築すべく大勢の職人さんが入っているようで、本堂での講習でした。
ここんとこ咽喉の調子が悪い。8/8の極楽寺お施餓鬼で、スカーンと抜ける夢のような高音を初体験したとき、ご詠歌唱えながらイメージしてたのがゴス○ラーズの黒沢さんだったから、調子に乗り過ぎたんでしょう。ポリープができたような違和感がずーっとあった。
ただ、以前、まったく声が出なくなって、さすがにお医者さんに診てもらったときよりはマシのような。そのときはポリープが声帯にできつつある様子をカメラで観させてもらった。手術をするほどのものではないかわりに、アレコレと注意事項を教わったんだよね。そのときは、2ヶ月もかからないうちに元に戻ったから、今回は何もわからないからこその底知れない怖さはありませんでした。
今回も8/8以降、酒・タバコはいうに及ばす、声帯を乾燥させると負担がかかるので湿らせとくこと、あまり喋らないこと、喋るときはしっかりと発声したほうが声帯への負担がかからないこと…。それらを念頭において、それなりに養生してたわけです。

今日はここんとこ出せなかった声がでたので、気持ちよく時間を使わせていただきました。休憩もそこそこの2時間が短かったこと。大会課題曲が残っていることもあって、勢いに任せて30分延長。講員さんも150分近く歌いっぱなし。さすがにお疲れだったのか、終えた途端、本堂内は「ふー」・「はー」と溜め息がこだましました。

2005年10月4日(火)
脳内麻薬

宗務所で布教研究所の所内会。宗派の出版物の原稿締め切り期限だったので、9/30に先輩から「すぐ印刷へまわせるように、きっちりしたものを頼むネ…」と釘をさされてた。いやぁ、眼が笑ってない笑顔って怖いのね。何とか出せたもの。もっとも昨日のうちに、密蔵院さんのN住職の校正は済んでたから、それほど心配してなかったけども。
車で移動するときは、なるたけ混んでる時間帯を避けて都内に入って、朝食をとりつつ抱えてる原稿を拵えるのがここんとこの常。今日も1030の集合時間なのに、730頃には護国寺さんの前にあるジョ○サンに居ました。厚めのトーストを野菜ジュースで胃袋に流し込みながら、パソコン仕事。宗務所が始動する900にあわせるようにノートパソコンのバッテリーも切れ掛かっていたので、良いタイミングで宗務所へ。
受付で、本山にある研修所の先輩でもあるK課長から呼び止められる。9/30にあった出版物の会議のことでアレコレと。そういや会議が終わってから、同席していたY先生と「生意気に喋りすぎてすいませんでした」などとプチ反省会をしたときにも、それとない気配が伝わってきたからなぁ。「言ったんだから、動くんだよね?」というね。
 丁寧に事務方の要望を説明するK課長の声を聞きながら、ふと現実逃避。だってさ、11月早々の四国遍路に向けてインプットしたいことが山ほどあるし、本山での布教実習手続きもまだ済んでないうえに、9/25の護摩のときに約束した、『西光寺山火祭り』準備でお願いするお檀家さん宛の手紙もまだだし…
 腕を切断などという強烈な痛みが身に降りかかったときなんか、激痛で精神がどうにかならないように、脳みそクンは勝手に激痛を麻痺にひとまず替えるんだそうですね。
不思議なことに、K課長の話を聞いてるときにも「なんだ、できしょうじゃん」なんて思えちゃったのよ。
「この時期は忙しいし、第一ペーペーじゃないすか…無理ですよ」って言うつもりだったんだよなぁ。今更だけど。

2005年10月3日(月)
やっぱりスゲェや

 密蔵院さん(江戸川区鹿骨)でご詠歌勉強会「EBU」でした。相変わらずの鋭い指摘で、ガリガリ余計な癖を削ると同時に、音やタイミングが取りきれない同志をグイグイ引っ張りあげていくさまは、観ていて気持ちがいいもんです。そうした教え方を盗むのもEBUの目的ですからねぇ。N住職が仲間の指導に当っているときこそ、集中せにゃならんのです。10:0016:00まで、たっぷりと勉強させていただきました。
 19:00から密蔵院さんのご詠歌講に混ぜて貰いました。お寺に集う講員さんたちのお唱えが元気だこと。陣頭指揮に立つ人間の力量が際立ってりゃね、後に続くものは当然自信を持ちますわね。

ともに歩む講員さんが、いつの日か密蔵院さんと同じような自信に溢れたお唱えになればなぁ、が昼夜にわたる勉強会で頂いた一番大きな課題でした。

2005年10月2日(日)
サンキューポストマン

南蔵院さんで一仕事でした。終えてから予定している実家の極楽寺でのご詠歌19:00〜。その前に西光寺へ寄って、郵便受けのチェックをしたところ、見慣れない名前の女性から手紙が一通。「ハテ…」表書きに添え書きしてあるドラえもんのイラストでピーンときました。懐かしさと、驚きで気をはやらせつつ封を開けてみると、まさに春先の知多半島での遍路でお世話になった新米ガイドさんからでした。
 体調を崩したところガイドさんを続けながらでは復調が難しいので仕事を辞めたこと、月初めから新しい仕事先で張り切ってやってること、以前送った『西光寺だより』を楽しく読んでくれていたことなどが記してありました。
 うれしかったですねぇ。わざわざ連絡くれるんだもの。しかも西光寺のお便りを若い人が読み返してくれていることに感動です。
「いつも楽しみにしてます」、「たまに読み返してます」「今回は分からなかった」、「前回に比べれば…」等々。内容はどうあれ、とても励みになります。

2005年10月1日(土)
ソースがミソ

鳳仙寺さん(栃木県足利市)での柴燈護摩も無事終わりました。初回にも関わらず200人を超える方がいらしたとか。しかもご詠歌衆も動員しないで。大成功でしょう!!今後の鳳仙寺さんは要チェックです。
早朝500ぐらいから、トイレの水が出ないとかで一騒ぎ。起きたついでで、ワアワア動いてた天台Gさん、赤ペンアニキ、松戸クールOさんらで、作業開始。しばらくして目をこすりながら起きてきた市野谷のご住職が
「目が覚めたらみんな居ないんだもの」
「いや、トイレ水が出ないとか起きただけなんで。声をかけなかった
わけじゃないんです」

主催者の天台Gさん、法要を取り仕切る赤ペンアニキの指示をめいめいが受け取りテキパキと動く。朝からいいもん見させていただきました。

お昼ごろから焼きそば屋台オープン。Gさんとこのお寺さんで焼きソバ屋さんがあって、そこへお願いしたらしい。本番に向けてのリハーサルが進む中、ソースの香りが鼻をくすぐる。
今回は『鳳仙寺火祭り』と銘打って開催。赤くはためく“焼きソバ”の幟、食欲を誘うソースの薫香。まさに“お祭り”という雰囲気。
地域新聞社も数社取材いらしたとか。「自分が主催するんであれば」を意識して参加する同志にとっても大いに実りある一日でした。