日 記 ど う ?



◆平成17年11月の日記どう◆


2005年11月30日(水)
…衝動買いでしょうかね

朝から長谷寺。学芸員のK先生の仕事場へ、布教研究所の仲間とお邪魔してアレコレと話を伺う。E天寺のY先生も、K先生へ講演のお願いをしてらした。講演実現に向けて動き出しそうな気配。

宗派の出版物への掲載はともかく、布教研究所の映像資料として残すということで、長谷境内を隅々まで散策。昼食後、法起院、愛宕神社、与喜天満宮、県下最大の大銀杏があるスサノオ神社へ足を伸ばす。長谷寺を語る上で、欠かせない場所がいくつかあるなかで、近場のものをザーッと見て回る。そのうえで新たに浮かんだ疑問点をK先生にぶつけると、淀みなく答えられる。さすがです。

17:00〜布教研究所の仲間と山科で合流。19:00の食事まで時間があるので京都の大丸本店へ。地下鉄を乗り継いで移動。

昨日暖かかったもんで、コートにマフラー持ってこなかったんだよね。一日我慢すりゃいいんだろうけど、また風邪ひいちゃ厄介だし。日頃作務衣で何処でも行くもんで、背広に合わすようなコートは持ってなかったから、丁度いいやなどと。

四条の出口を出て大丸へ向かう。5階の紳士服フロアー全部をぐるっと見て周り、目ぼしいものにターゲットを絞る。生地、色、デザイン、値段等々を含めて、長く着ていられそうなコートのイメージを膨らませ候補を絞りつつフロアーをグルグル。膝上長さの紺黒コート、リバーシブルの小豆色マフラーを購入。たくさん着て元とんなきゃ。

2005年11月29日(火)
無計画な計画

布教研究所のみなさんと西国三十三観音霊場の調査。こう聞くと何やら物々しい感じがしますが、参拝者に向けてどんな発信をしているか、を観にいくわけです。掲示板の有無や、配布物、パンフレット、境内に漂う雰囲気、その印象など、吸収できるものを何でも集めようという。

市野谷のご住職とE天寺のY先生とご一緒させていただきました。新幹線で合流、一路橿原神宮へ。

名古屋駅で近鉄に乗り換え、ホームで電車を待っている間、市野谷のご住職は、被っている帽子をクルクル。ジャグリングを終えた途端、アサラトをカチカチ鳴らし始める。力なく息を漏らしつつその様子をボンヤリ眺める二人。相変わらず、凄まじいサービス精神です。

誰も切り出さないので、我慢できずに
「今日はどうするんでしょうか?」
Y先生爆笑しつつ
「何だ、似たもの同士が揃ったんだ」
…てことは、思索の根底に「何とかなるさ」を据えた人間が三人で、これから2日間、道中を共にするわけネ。

一抹の不安などというものをまるで感じないままスタートした一日目。橿原神宮でレンタカーを借りて、岡寺、壷阪寺、興福寺。恐ろしいほど順調に調査を終えました。

興福寺からの帰り車中でふと、「そもそも計画があってないようなもんだったんだから、順調も何もないか」などと。

ただ、事故もなく、調査対象の担当寺院を終えたってことは、まさに順調と言ってもいいだろうと。コチラの頭は順調というわけにはいきませんな。分かっちゃいることですが。

2005年11月28日(月)
火祭りを終えて

何だかボーッとするような。いつも頭のどっかしらにあった、「今年の火祭り大丈夫か?」という自問が取れたからでしょうがね。これから、宗派へ原稿をあげるぐらいか。これはこれで骨が折れますが。

火祭りの残務処理もそこそこで、火祭りのお花を入れてくれた花屋さんへ支払いを済ませ、お世話になっているお寺さんへリンゴ配りに出発。

東福寺さん(中野区江古田)では、幼稚園で園児たちが何やらお芝居してました。駐車場から舞台袖がちょうど見えて、ピアノの伴奏に合わせて踵でリズムを取る子供たち。真剣な面持ちとキラキラした眼の光はいつ見ても気持ちがいいものです。

常楽院さん(板橋区前野町)の若奥様とアレコレお喋り。先日のお遍路にご参加くださったうえに、咳止め薬まで下さった。
「お遍路のときよりも、何だかスッキリしたわね」
「えぇ、さすがにチョコ最中を食べてませんから」
「そうでしょう。やっぱり食べすぎなのよアイス2個は」
「そうなんですよ。一生分とは言わないまでも、次に風邪を引くまでの分は食べましたから(笑)」

玄国寺さんは28日のお不動様のご縁日ということで、護摩法要が行われていました。こうしたお寺でしかできないお坊さんの活動をしつつ、仲間内でコーラスをしたり、自作品の展覧会をしたり。動いてます。

最後は密蔵院さん。相変わらずN先生はお忙しそうでした。エネルギー溢れる若い子達が集まって、お寺で催しをしたんだそうな。是非お邪魔したかったんだけども、時間がとれず。残念でした。

本来の里山の姿に戻そうと活動をしている方とご縁が通じたんだそうで、お寺にある石塀を取っ払って木を植えるのだとか。魅力ある人の周りには、いろんな人が自然と集まるんですなぁ。

2005年11月27日(日)
「人は一人では生きられやしない」に賛成!

北は栃木県、南は三重県からお越し頂いた山伏仲間には、前日から、法要の支度を一切合財やっていただきました。例年のこととはいえ、他所のお寺の行事に、あそこまで気持ちをこめてやってくれる。素敵なお坊さん達です。

極楽寺さん、東福寺さん(中野区江古田)、市ヶ尾の東福寺さん、常楽院さんのご詠歌講のみなさんには、法要を盛り上げて頂きました

ボーイスカウトの皆さんには、西光寺旦那衆と息を合わせていただいて、会場設営、片付けをやっていただきました。こちらの指示が正しく速やかに行き渡る様子は、見ていてとても気持ちがいいもんです。刺激を受けます。

火祭りが終わるまで万全を期すため、地元消防団には待機していただき、交通安全協会には西光寺から極楽寺までの道のりを介添えして頂きました。尽きることのない心配が一つでも減ることで集中力が持続できます。おかげさまです。

西光寺山隣の武藤電機さん、横浜商科大学緑キャンパスさんにも、駐車場、屋外トイレ、消火栓などを気持ち良く貸して頂きました。多くの人出が予想すれば、トイレや駐車場の確保は絶対必要条件なわけで。本当に助かってます。

西光寺の旦那衆には、気持ちよくご参拝頂く為の支度を全てやって頂きました。若僧のやりたい放題に付き合ってくださる懐の広さには、いつも頭が下がります。

今年知ったことだけども、極楽寺のご詠歌のオフクロさんと手分けして180人分の食事を支度する婦人部は、1に買出し、2に仕込み、3で接待、4片付けの計4日間、西光寺のために時間を使ってくれます。しかも法要後で食べたスイトンの旨いの旨くないの。何だかんだで胃袋が満たされないことにはね。

西光寺、極楽寺、極楽寺裏にある西光寺山の三箇所をフル稼働しての、西光寺最大イベント、火祭りを無事終えました。

おかげさまで。

2005年11月26日(土)
みんなのチカラ

とうとう火祭り前日。5:00起床で活動開始。西光寺の座敷を整えて、本堂正面の戸袋あたりに、明日西光寺山へもっていく荷物をドドッとまとめる。屋外の物置からテントを引っ張り出して、ドラム缶でこさえた竈を据え付けて、本堂裏にある竹を6本ばかし切って本堂の正面に運んで、極楽寺へ移動。

極楽寺では、明日の人寄せに向けて住職が境内掃除してた。「おはよう」の代わりに、「明日法要で使う竹貰っていい?」。竹林へ向かいながら、「“心を亡くす”で“忙しい”とは良く言ったもんだよな」などと。火祭りのお作法で使う松明用に、よさげな竹を切り、枝打ちして整えたあたりで8:309:00に西光寺山で集合かけてるからTIME UP!というところ。

集合してくれたお檀家さんの旦那衆、ボーイスカウトの方々へ、挨拶そこそこで指示をだし、時間に合わせてきてくれたブラザーTさんと、火祭り法要の壇をつくる。アレコレ話しながら…書ききらないや。とにかく次から次へと立て込む用事をみんなで片付けてったということで。

2005年11月24日(木)
主催者エンジン

所帯をもたずに身罷られた南蔵院お世話人さんのお弔い。たからかもしれませんが、ご兄弟だけの、ひっそりとしめやかなお通夜でした。これはこれで温かい雰囲気で。

お山の観音さまのおかげか、心身ともに火祭りモード。明後日の準備の手順やら、手伝いに来る人の動きやら、が見えてくる感覚。あくまでもイメージなんで、妄想と言われれば、その通りなんですが。

メールチェックをしていて、突如、火祭りの準備限定妄想スイッチが入ったような。メールもそこそこに、去年までの火祭りの記録やら、仲間宛に出した文書を見まくる。だけあって、すぐに「やってないことだらけじゃん」と。お山にいっただけ準備が滞ったんだから無理もないけども。

準備の優先順位をつけて、法要や接待に必要なものなどを粗方イメージする。人手が必要なものと、主催者にしかできないものを区別して、ガス欠。

2005年11月23日(水)
満ちて帰る

午前中に、長谷寺の職員さんで学芸員のK先生の研究室へ。昨日に引き続き、資料集め。行く途中、知多半島の遍路でお世話になった新米ガイドぴょんぴょんから「長谷のお参りは次の機会にしますネ」と連絡がありました。転職したことを手紙で知らせてくれたので、返事をだしてからのやりとり。久しぶりに話したけど元気そうでしたな。

今日週末に火祭りが控えてるのに、K先生の講演開催に向けて動きたい衝動が沸々と。だからか、一昨年と去年にはあった集中力が、今回は萎えているような。決定的なシクジリをしそうで心配ですが。フンドシ締めなおさなきゃイカンです。

最終日は、好天の祝日だけあって、長谷のお山は賑わってました。昨日まで遠慮してた、長編ゲリラ布教(五重塔〜奥の院コース:所要時間60分)を今日は4回。修正した甲斐あって、寒そうに背中を丸め、コートの襟元を手で押さえながらも、最後までついてきてくださる。有難いこと。

ご参加頂いた方に向けて、クスグリを喋っていると(ふざけているように見えるかも)、「アラ〜」と背中越しに声をかけてくれた方が。見ると極楽寺の門前に住んでるWさんの奥様。
「えっ!どうなさったんですか?」
「ツアーで来たのよぉ。こんなとこで会えるなんてビックリねぇ」
「ええ、ほんとにそうですね」

二言三言言葉を交わし、ガイドさんが持っている旗を慌てて追いかけていくWさんを見送る。振り返るとゲリラ布教に参加してくださった方の「話はどうしたんだ」という寒々しい空気。思わず
「すいませんね、置いてけぼりにしちゃって…」
口走ってました。笑ってくださった方がいたので、何とかフォローできたような。

決まったコースを案内しているとはいえ、境内中をグルグル徘徊してるわけだから、タイミングがずれればWさんとは会えなかったし、お山の案内についてきてくれる方たちとも、五重塔の辺りで偶々居合わせから、ご縁が出来たわけで。

お喋りに結んで貰った大勢さんとのご縁、その対価でもある顎の疲れ(喋りすぎたもんで)。山内を歩き回って体は程よくかったるいものの、何だか元気。

火祭りに向けてエネルギー充填完了と受け止めます…そうなるとシクジレないか。

2005年11月22日(火)
ゲリラ布教的お山生活。〜2日目〜

10:00〜養成所の学生さんと布教活動開始。何度かゲリラ布教を試みるものの、五重塔の話で打ち切り。いつもの五重塔〜奥の院コースは打ち出せない雰囲気。お参りの方にとっては、こちらの話を聞かなきゃならない義理もないうえ、寒いわけで。よほど話に魅力がないと、聞き手すら集まらない。あついハートと少しばかりの図々しさがないと、ゲリラ布教はそもそも成り立たんのですが。

「寒いから話をコンパクトにしなきゃ」などと柄にも無く頭を使って、無駄を削いで話してた。にもかかわらず、聞き手の気持ちを逸らしちゃう。最後の会で、必要な例話を削ってシクジッてたことに思い当たる。午後から違う用事があるので、明日までゲリラ布教はお預け。失敗の原因と思われるものを見つけただけでも収穫としますか。

昼食をとってから、長谷にお勤めされてる学芸員のK先生の仕事場へお邪魔しました。宗派で発刊する出版物に、布教研究所の同僚の先生方と分担して原稿を寄せることになったうえに、それを取りまとめることになったもんで(ある人は「あなたに任せて安心」といい、さる人は「…日頃なんだねぇ」という)。執筆する原稿の資料集めのために、K先生からアドバイス、というよりも道筋をつけて貰いました。

K先生の話が面白いのなんの。彼是15年案内めいたことをしに長谷へ来てるけど、初めて聞く話のオンパレード。あっという間の3時間でした。

頂く予定の資料コピーを明日の午前中にさせて頂くことをお願いしつつ、思いついたことをポロッと
「あの〜、図々しいお願いなのは承知の上でのお願いなんですが、話だけでも聞いていただけます」
「えっ!?何がですか?」
「こんな面白い話を独り占めしちゃもったいないので、私たちの仲間に講演してもらえませんか?」
「そういうことでしたかぁ。…何をいわれるのかと思って。私でよろしいんでしたら、喜んでやらせて貰いますけど」
「お願いした場合、引き受けて頂けるんですか?有難うございます。今すぐに、とは行かないでしょうけど、K先生の目の黒いうちには必ず」

これ、“無理矢理”じゃないですよねぇ?

2005年11月21日(月)
お坊さんもイロイロ

総本山 長谷寺(奈良県桜井市)での紅葉布教初日。お山に来てからわかったんだけども、観音様をおまつりしている本堂が、国宝に指定されたことを観音さまへご報告申しあげる法要当日でした。お祝いの席へ着かれる来賓も多数で、幾分華やいだ空気がお山に漂っていました。

11:00に先週の金曜から実習している養成所の学生さんと合流。学生さんの指導でいらしてた世田谷のT住職と日頃の御礼かたがたご挨拶。学生さんの姿勢とともにお山の状況を穏やかに話してくださる。今年の紅葉まつりは人手があるようで、例年のしっとりした雰囲気とは違う様子。今までは個人でじっくりとお参りされている方よりも、観光バスのツアーで大急ぎでお参りされる方を多く見かけるとか。

13:00法要開始。記念すべき大法要を見逃してなるものかと、デジカメ片手に本堂へ。お堂から参列者が溢れ出している想像以上の人出に驚きました。本堂内の様子をHP用の映像資料に残すべく、人波を掻き分けポイントを探し。デジカメ片手にキョロキョロしていると、長谷で生活している頃に事務長職に就かれてたM先生とばったり。
M先生お久しぶりです」
「おう、元気にやっとるようだの」
「先生に色々教えて貰いましたので、おかげさまで」
「相変わらずだのぅ」
どうってことないやり取りだけども、長谷にいた頃の記憶がドドッと戻るのですよ。

持ち回りの役目でM先生に仕えたのが、牡丹祭りで賑わう頃で多くの参拝者への対応で、幾らか忙しくなる時期。何だか気ぜわしく気持ちに余裕もないのに、所在も告げずにフラッと出かけてしまいどこにも見当たらない。先生宛の伝言をもって山内を探し回り、門前町で用事を済ませたらしい姿を遠目に見つけたときなんか、思わず「事務長先生何処行ってたんすかっ!」なんて(思い返すと「小僧の分際で生意気な」とシクジってたんだけども)。困りはてた汗だくのコチラの顔を覗くと、うれしそうに「フフッさすがに慌てたとみえるな」だもの。宗派の要職に就き重責を担っているのに、小僧に悪戯をする茶目っ気が残ってる。大好きなんだよなぁ。

取り巻きらしきご住職方が「何だコイツは?」という視線を強くしたので、早々に失礼しつつ移動開始。本堂の脇で智山派の能化さまに仕えているスマイリーTチャンを見かけ、「やぁ久しぶり」と立ち話。同じ時間を過ごしていながら、かくも違うものかと。嬉々として布教ゲリラでのびのび楽しんでる頃、鶴の一声をお持ちの御老僧と緊張感を持ちつつ生活してる。人生色々ですな、

法要が終える頃、ゲリラ布教に取り掛かるべく、移動を始めたところ、四国の断食護摩でお世話になった“土佐の巨人Sさん”を見かけ、病欠護摩となってしまったお詫び、四国遍路で手厚くもてなしていただいたお礼なぞ。

…ゲリラ挨拶か。

2005年11月20日(日)
明日から長谷かぁ。

引き続いて南蔵院さんでの葬儀手伝い。午後から護国寺にある祭場で能化さまの本葬儀。ご詠歌でお世話になっている常楽院さんのお身内なので、お焼香させていただく予定でした。ちょうどO家の繰り上げ初七日の時間帯で、南蔵院住職は来賓として本葬へ参列される。代わりに初七日のご供養をさせて頂きました。能化さまへのお焼香は、西光寺の本尊さんにお届け頂くことにしました。

お斎の終えたO家のご遺族を見送り、南蔵院さんザザッと掃除。一通り終えた16:00に、一目散に西光寺へ。首都高3号線の三軒茶屋で、渋滞。「まだ座敷のセットをしてないんだよねぇ」などと、言いつつハンドルを持つ手の力を緩める。「遅れそう」、「遅れた」などの理由で、モタツク前の車にムカッ腹を立てるのはわからなくも無いけども、それじゃあね。慌てているときこそ冷静でありたいものですね。出来たことは有りませんけど。

19:00から婦人部の打ち合わせでした。といっても、お勝手を取り仕切るベテランから、現場の意見を吸い上げるだけ。気持ちばかりの御礼で、ホントに良くしてくれますので、せめて気持ちよく調理して貰おうと。8月のお施餓鬼で寄せられた要望をもとに、10月の終いに新設した屋外の流し場を見て貰いました。喜んで貰えたようで。

19:3021:30極楽寺でご詠歌。火祭りに向けた最終の練習日。みなさん気合が入ってたこと。コチラはまだまだ咳でやられた咽喉が戻っちゃいませんが。

2005年11月18日(金)

南蔵院さんでS家のお弔い。お座敷を葬儀仕様にして
体調は良好、残すところは咽喉のみ。何だかんだで今週は喋り通しだったからなぁ。今流行っているしつこい咳が続く風邪

2005年11月17日(木)

常楽院さん(板橋区前野町)でご詠歌。昨日14:0016:30で今日13:0017:00まで。いまだ本調子じゃない咽喉が「オイッ!潰す気かぁっ」と。何とか最後まで持っちゃくれましたが、声は遍路最終日に逆戻り。ここんとこ、立体マスクと『ハイシーL』を手放せませんが、さすがに110粒は食べ過ぎでお腹P

遍路中に言い忘れてた話を思い出して、講習中に喋ってみた。

2005年11月16日(水)
風邪は治りましたが。

『火祭り』の準備で気忙しい、というよりは、「『火祭り』の準備は済んでますかぁ?」と、グワングワン鳴り響いて自ずと急かされますな。あながち内なる声に耳を傾けるのも悪くなく、闇雲に「やんなきゃ」という気持ちばかりは湧き立ってくるもの。ただ、具体的に何をすればいいのかボンヤリしるだけで。思いつきで準備をすすめるもんで、あっちへフラフラ、こっちへブラブラしているように見えるんでしょうかね。“テンパッテる”んでしょうな。自覚はないけれども。

東福寺さん(中野区江古田)でご詠歌でした。四国での断食護摩と、お遍路さんで、二週続けて平日塞いじゃったからなぁ。久しぶりのご詠歌講習で張り切りましたが、空回りのようでしたね…勉強にはなりましたが。

ご詠歌を終えて、一目散に西光寺へ戻り、チャチャッと身支度を整えて、ジョギング。白いウインドブレイカーに身を包んで、頭はタオルを被り、口元をユニチャームの立体マスクで完璧ガード。川原沿いを十日市場方面へ登り、TUTAYA前を通り過ぎて中山方面へ折れる。8年前は15分の道のりだったんだけどねぇ、いま40分かかるもの。単純に考えて体力が半分だもの。

軋む足腰と重い体を、くじけそうな気持ちで何とか引っ張る。このストレスたるや、キツイこと。風に乗るような浮遊感を味わうには、もう暫く

2005年11月15日(火)
まんま思ったこと

10:30〜宗務所で布教研究所の会議でした。宗派の機関紙に研究所として載せる原稿があって、所内研究員が持ち回りで執筆、担当者の原稿を仲間による寄ってたかっての校正が済んでから印刷へまわされ、はれて発刊の憂き目にあうという。

この校正が好きなんですねぇ。というのも、原稿に寄せられる指摘や意見は殆どが建設的なものだし、意見を述べる研究員の人間性が出てくる気がするわけですよ。良くも悪くも本音でぶつかり合う機会を避けている“大人”が、“めいたこと”を吐露するのが気持ちがいいわけです。「そんなことまで読み取るかぁ」なんて意見を耳にすると、血が沸き立つようなうれしさを覚えますな。

高校の頃、22:00の消灯時間を過ぎてからヒソヒソ声で朝まで語り合ってたっけか(全寮制の学校で、時間を過ぎると寮監が夜回りですよ。見つかると罰則)。内容の殆どは記憶の彼方にやっちゃったけど、部活(ブラスバンド部。ちなみにサックス)の幹部という立場で、どう後輩を指導するか、なんてテーマが多かったかなぁ。「語りますか」なんてお触れがまわってくると部長の寮室に集合してた。

思えばこその発言が、ときに相手を深く傷つけるなんて機会に出くわしたことも、思い返せば幸運でしたかね。「そういうつもりで言ったんじゃなくて…」で謝ることもありましたしねぇ。そうした衝突が強く結びつく縁ともなって、結束を固めていったわけで…こんなことを書いてばかりいると、遠い目をしちゃいますのでこの辺で。

何ともいえない懐かしい空気が、校正の間にほんわりと。堪りませんねぇ、だから本音を言わずにはいられない。そして周りの反感を買い、慌てて「そんなつもりじゃない…」と言う。

2005年11月14日(月)
ますます盛ん

8:30〜二俣川の運転免許試験場で免許の更新。強風のため速度規がはいったのを気づかずに、ベイブリッジを100キロで走行中捕まりました。速度、場所を覚えているのは、「何で俺だけ」で腹が立ったというよりは、「せっかく覆面パトカーに乗ったんだから、土産話の一つでも持って帰んなきゃ損だ」なんて、アレコレとおまわりさんに質問したからで。「何で車内にいるのにヘルメット被ってるんですか?」「収納されてるサイレンはどうやって出すんです?」とかね。そりゃもう、思いつく限りの素朴な疑問をぶつけたもんです。…もっとも“違反者”には変わりないことですが。

11:30〜『西光寺山火祭り』で協力して貰う、横浜商科大のEさん、武藤電機の社長さん、東福寺さん(青葉区)のご詠歌の皆さん、それぞれへの配り物をもって、13:00〜写経会(昼の部)へ。15:30に終了、配り物を追えて17:30〜ジョギング、19:00〜写経21:00まで。

昼の部の写経会に初めての方がお二人いらっしゃいました。ご贔屓さんが連れてきてくださった方と、「掲示板を観てきました」という、地元さつきが丘に住むというKさん(70過ぎぐらいかなぁ、ご婦人の方)。先月あたりから掲示板の文言を変えられてないけども、たしか『静けさや 居間に染み入る 親父ギャグ』じゃなかったか…。そんなマヌケなものを一月余りも貼りだしているワケの分からない寺なのに。「よくぞお越しくださいましたぁ!」と思わず。誠心誠意のおもてなしをさせて頂いて、「ふざけてばかりじゃないぞ」と。その甲斐あって「また来ます」と言質をいただきました。 

右も左もわからないまま「エイヤッ」と飛び込んできたKさんの勇気と活力に脱帽です。教わることが沢山ありそうです。

2005年11月11日(金)
咳の原因

10:00から、新宿区の落合斎場で南蔵院のお檀家さんの葬儀でした。南蔵院住職の脇で伴僧として声を張るつもりでしたが、深く息を吸うと、そのぶり咳で息を吐き出すような有様。読経中にもかかわらず、真ん中の住職にそっと気遣われる小僧…何しに行ったんだか。

それにしても一向に収まりませんなぁ。いざお経を唱えようとしたら、精神的に負荷が少しばかりかかったのか、咳しっぱなしだもんなぁ。ゾナハ病にかかったのかどうか心配です。

それが、火葬場での待ち時間、繰り上げ初七日の前後で話しをするときは、スイッチを切ったように咳がでないんだもの。「お経のときよりも元気ですね」などと声をかけられることもあるから、活き活きとストレスなぞ全く感じずに為しているのかもね…ってことは、罹ってるのかねぇ、やっぱり。

2005年11月10日(木)
されど、お遍路

断食護摩でお世話になった明星来影寺さんへ一週間ぶりのお参り。こないだは、すっかり風邪ひいてロクな手伝いもせず退却しちゃったからなぁ。「リベンジじゃ〜」と意気込んだものの、咳のしすぎで咽喉をやられてるのか、高音がスコーンと抜けてくれない。心残りの無いように、「ままよ」と咽喉にギリギリと負担をかけてお参りしたものの、「調子がよかったらなぁ…」などと後ろ髪がひかれること。

24番の最御崎寺住職Sさんは、大学4年、本山での研修生活2年をともにしたん仲。会うのは何年ぶりかなぁ。何年も前の彼の披露宴以来だしな。どれだけ成長してるか楽しみでした(何か偉そうね)。

年間200万人がお参りするという札所の住職として、真摯にお参りされるお遍路さんと関わりあう日々と雄大な太平洋は彼を大いに育てたようです。大きなヤツになってました。負けちゃいられませんな。

今回のお遍路で一番のお土産ですかな。個人的に。

2005年11月9日(水)
もし、あそこで野垂れ死んでいたら

朝一で番外霊場3番の慈眼寺さん。こちらには「穴禅定(修行道場として使われてたみたい)」という名高い鍾乳洞があって、個人的に楽しみにしてました。8年前の歩き遍路では、日程の都合で番外はお参りしなかったもんでねぇ。

ダイアログインザダークのような、視覚をシャットダウンして何がしかを感じ取ることを目的とするイメージを穴禅定には持っていたので、意外でした。蝋燭一本持つことが許されてるとはいえ団体でのお参りだったので思いのほか、明るかったし。窮屈な思いをするかな?と思いきや結構身体を動かすし。足腰が不自由になってきた講員さんにはキツかったかもしれませんが。バスに乗って食っちゃ寝してる怠けた身体にはいいストレッチにもなりました。

20番 鶴林寺さんへお参りしました。歩きでお参りしてるときにホンの僅かばかりだけども自殺を考えた唯一のお寺(水の補給に失敗して、渇きで苦しくなっちゃってねぇ)。

境内の其処此処に樹齢を重ねた大木が聳える。その景観たるや荘厳そのもの。自然への畏怖が湯水のように湧き出るのか敬虔な気持ちにもなりますわな。巷間の雑踏なぞを忘れ、風の歌を聴きつつご詠歌。よござんした。

2005年11月7日(月)
日常と非日常の境目

四国遍路初日。昨日の晩から今朝にかけて続いた咳で眠れなかった。厳密にいうとまどろんでいるのを咳で遮られる感じかねぇ。鼾で起きたことは何度も体験済みですがね、こんなことは初めてだからなぁ。「身体って不思議だなっ(喬太郎風)」などと新鮮な驚きを覚えつつ、四国遍路の始まり。

徳島空港からアレヨという間に1番札所 霊山寺に到着。日常を引っ張りながらお参りしたような。つい数時間前は自宅の布団だから致し方ないか。考えてみれば、旅行初日は大体、日頃を引きずりつつも旅情を愉しむような、おぼろげな感じか。

2番の極楽寺さんで、お参りの雰囲気を思い出してきた感じ。西光寺の檀家さんで唯一参加のYさんが
「和尚、どこも立派だねぇ…」
「えぇ、そうっすねぇ。そのうちウチ(西光寺)もどうにかなると面白いんですけどねぇ」
「ほんとにねぇ」
檀家さんの気持ちが少しでも変わった瞬間に立ち会えて、僕ぁ幸せです。ちなみに「和尚」と声をかけてくれるのはYさんだけ。「住職さん」とか「お坊さん」とは違うんだよなぁ。遠くて近いサッパリした距離感が心地良いのです。

一つの札所に本堂と大師堂があるからおつとめもそれぞれであげる加えて御詠歌も2曲。咽喉がギーッと悲鳴を上げ始める。同行する母に「アンタは無理する必要ないの!みんないるんだから!」と窘められる。昨晩の寝る頃は「アンタ、ちゃんと声でるんでしょうねぇ?名前だけとはいえ先達なんだからね!

…親の心、子知らず。

2005年11月6日(日)
やっぱり弛んでたのね

南蔵院さんでの一仕事を終えて西光寺で檀信徒総会。『西光寺山火祭り』を控えて催した寄り合いですが、正直、準備不足でした。26日と27日にお手伝い頂けるかどうか、お檀家さん動静を把握しきれてないのに具体的な配役なんか出来ないじゃんなどと考えちゃったからなぁ。今回は、取りあえずの人員確保と、人数の把握が出来りゃいいと考えてました。

今晩お越しくださった方は、当日も参加するつもりで総会に出席してるんだよね。考えてみりゃ当たり前なのになぁ。もっとも、必要になったであろうお檀家さん用の火祭りメモも支度してなかったから、良し悪しか。要は弛んでたんですけど。

手配していないことが山積みのまま四国行きかぁ。27日の火祭りがドガチャカになって、準備不足が露呈したときに、「予め懺悔のお参りを四国でしてきました」なんていう苦し紛れの言い訳をしないように、準備万端にしとかないといかんです。
褌をキツク絞め直す意味でのお遍路としますか。

2005年11月2日(水)
元気玉!?

断食護摩初日。起きると、昨日まで誤魔化せていた体調が悪化してました。完全に風邪ひいちゃってるよ。それにつられたのか、声を出すこともままならないほど咽喉を壊しちゃってるし。明後日から通常通り南蔵院さんへ手伝いで、日曜の夜は南蔵院さんを終えたら『西光寺山火祭り』に備えて檀信徒総会だし。来週の月曜日から木曜日まで四国遍路でご詠歌三昧だし(一々のお寺で本尊さんとお大師さんのご詠歌を唱えるもので)。そういや総会の資料とお遍路のプリントも拵えてないや。体調を本格的に崩したとしても寝ていられない状況にあるような。根性論を振りかざすことは性に合わないけども「気合だ〜」はこんなときのためにある言葉か。

いよいよ催しが始まる頃には、準備万端整っているものでしょうか。断食護摩が始まろうかという30分前には、何となく手持ち無沙汰になったので、明星来影寺境内を散策(法話どうで細かに取り上げます)。遠めに見下ろせる磯へ打ち寄せ白く砕ける波、頭上には気流に乗り悠々自在に空を泳ぐトンビ。一昨日までの生活との激しいギャップを楽しみつつ、ボンヤリと眺めてました。彼方にある大空と水平線とが交じり合う場所は、見上げる空と眼下の海とに間違いなく繋がっているんだよなぁ、などと。何だか気が大きくなったような。

宿へ帰り夕食を済ませる頃には、喋るのが億劫になるほど声が出し辛いうえに、身体が重だるい。体調管理を怠った歯痒さったらない。自分に腹が立つ一方で、「皆がいるから、まいっか」などと。折角大きくなった気持ちをこんなとこで使っちゃ勿体無いので、すぐに引っ込めましたけど。

2005年11月1日(火)
うれしくもあり頼もしくもあり

宗派によって差異があるんでしょうが、真言宗豊山派の場合は、僧侶という肩書きのほかに“教師”というものがあります。取りも直さず、仏さまが取り持ってくださる方を教え導いていく大命題を抱えていることを表しているんですけども。個人的には、そんな自覚を坊さんに「わすれなさんなよ〜」と促されているようで、背筋が伸びる思いですが。「今日はもういいか」なんて早めに床へ着きたいときなぞに、コレを思い出すと効くわけです。

10:00から宗務所。若手の青年教師に布教活動への“初めの一歩”を後押しする、『布教基礎講座』のお手伝いに行きました。昼食を挟んでの3部構成。いずれの講習も興味深く大いに刺激を受けました。

1時間目 しゅうよ先輩の時間(ここでお手伝いだったのですが)
参加者それぞれとのコミュニケーションを図りつつ、「お寺と僧侶」について語り合う。こう聞くとオカタイ内容に聞こえますがね、実際はとても楽しいものです。

2時間目 “愛の語り部”ことI先生の時間
青少年の研修に携わってらっしゃる先生ならではのリラックス術で、温まったところへ、課題発表の時間(毎回課題が出されるんだとか)。今回は、お戒名を付けてみよう、ということでした。説明をするんであれば、少なくとも戒名そのものを理解せにゃならんし、自身で戒名を付けたのであれば、その説明は当然できるわけで。自分が行なったことの説明を行なうことは、布教活動への最短距離にあるんじゃないかなぁ。

3時間目 密蔵院住職N先生の時間
布教基礎講座を受講する方が、ほんわかとした一体感を持ってることが不思議でした。3時間目のN先生の講座を受けて納得。毎月の密蔵院さんで行われる『話の寺子屋』同様の時間でした。私たちが必ず持ち合わせている、“その人らしい”話は、他人がどんなに背伸びしても真似できることではないから、理屈抜きに魅力溢れる言葉に成り得る。余計な殻は取っ払っちゃって、腹割って話しましょうよ、とね。既に、このことに気づいた若手教師もいるような。いい感じです。

終えてから羽田へ。断食護摩に備え四国入り。同時に体調が愚図ついてきました。悪化しないように早く休む予定は、盛り上がっている前夜祭へ傾れこみ…素敵な時間でしたが、大声で喋ったせいで声が嗄れたような。

来週はご詠歌三昧のお遍路か…いい感じです。