日 記 ど う ?


◆平成17年12月の日記どう◆


2005年12月31日(土)
こんな年越し

明朝までに仕上げるべく『極楽寺だより』も『PRIDE』を見ながら急ピッチで作製。何とか目処が立ってよかった。

除夜の鐘を突いてから、メールチェックを終えて西光寺へ戻り護摩焚き。1/4にお檀家さん向けに配る御札の加持。

お護摩の作法を進めながら心ここに在らず。「1/21の西光寺の初大師のご案内とあわせ、『西光寺だより』が終えてない〜」と雑念が。そんな時は立ち上る炎の様子を見つめてると、不思議と落ち着くというか。集中力が戻るのですな。

…堂内が寒いからホッとしただけかも知れませんが。

2005年12月30日(金)
「我が人生に悔いなし」ってラオウか…

実家の極楽寺で大晦日の準備。お墓を磨いて、電球の傘をきれいにして、やる前は面倒だけども、終えるとね、やはり気持ちが良いワケで。

午後から常楽院さんへ挨拶とあわせ、来年のお遍路日程変更をお伝えする。終えてからミレナリオへ。

今年で終わりということも手伝って、とにかくスゴイ人でした。駅構内まで人が溢れんばかり、というか溢れてたもの。それに加えて「ミレナリオまでおよそ2時間かかりますので…」だよ。にもかかわらず、動く気配なし。「こんなトコで大和魂つかうなよ〜」なんて(電飾の真下を通らなくてもそれなりに楽しめるので、本ルートとは離れてスイスイっとね)。

「今年で終わり」でかくも人は動くものなんですねぇ。「今という瞬間は“今”と言った瞬間に終わり」なんですが。

2005年12月29日(木)
そもそも「気と心」の違いってなんじゃ?

南蔵院さんの仕事納め。昨日に引き続き若住職も大掃除に参加。コチラの指示をパパッと理解してくれるんで、目の前の仕事がゴゴッと減るので大助かり。効率よく立ち働く姿をみて「これでお寺も安泰じゃわい」などと目頭が熱くなる。オイオイ俄か“ジイ”気分だよ。にしても涙腺が弱くて困る。

仕事納めの晩はここんとこ、住職の取り計らいで忘年会を催してくれます。今年は偶々住職の誕生日だったので、後輩フクチャンと申し合わせ、日ごろのお礼の気持ちも込みでプレゼントを渡しました。ユリの花束と冷え症対策にホッカイロやしょうが湯など温かグッズ詰め合わせを選んだものの、思いの他喜んでくれたようで。男性上司の誕生日プレゼントなぞ生まれてこの方渡したことないんでねぇ。迷いはましたが「気はココロ」に後押しされて、思いついたものを手渡したのでした。

手渡すときに、
「本当は、もっとテキパキ動くことでお礼がしたいんですが…」
とは言えなかったなぁ。むしろこっちの気持ちが強いのに。

…気はココロなんですかねぇ。

2005年12月28日(水)
指示待ち

南蔵院さんで仕事もラストスパート。昨日ハタキで落とした塵・埃を雑巾で拭き取る。実際に体を動かしたからなおのことなんだろけど、気持ち良いんだよね。勤め始めの頃は「埃で死んだ人なんか居ない」などと考えてたのがねぇ。変われるんですな。ホント良い勉強させて貰ってます。

実家の極楽寺では、年明けのご挨拶にいらっしゃるお檀家さんに新年のお供物と『極楽寺だより』を配布。1230日締め切りなんだけど、それ用の粗原稿が固まりつつある、まだそんな状態(そこまで行くのがキツイのですがね)。

西光寺の配布物は14日締め切りだけど、新年のお札もまだ拵えてない。『西光寺だより』もようやく巻頭コラムの粗原稿の構成が“観えてきた”ところで、仏教用語のご案内もまだ手付かず。こっちの方がは心配だなぁす。例年にもまして押してること。

かかる現実を前に「これで間に合ったら来年はもっと増長しかねないなぁ、クスクス」などと出来もしないことを妄想するようになってきた。

困った事態です。…おや、「頭を働かせろ!手を休めるな!」脳みそクンの指示がようやく。

2005年12月27日(火)
「大切なのは何を食べるかじゃない。誰と食べるかだ」by S・W

南蔵院さんで一仕事。年の瀬恒例の仏器磨き&ハタキ祭りでした。

午前中に仏器磨き(ご供養やお護摩のお作法で使う真鍮製の道具ね)。漬けるだけで驚くほど汚れを落とす洗剤と、研磨剤でダブルアタック。「これで落ちないものは無いんじゃ〜」とばかりに張り切るんだけど、何よりも必要なのは洗剤や研磨剤じゃなくて、根気なんですな。「せめて磨く前よりは…」で、どうにか意識を保つわけです(ちゃんとやってますよって)。

19:00〜サントリーホールで読響コンサートでした。定番の『第九』。第岳4楽章の中ごろで、ヴァイオリンが一人倒れ、舞台袖へ担ぎ出されるハプニング。その穴埋めをすべく団員全員の気持ちがひとつになったのか、今までで一番良かったっす。

気になってた三宿のお蕎麦屋さんで1時過ぎまで。店構えで騙されることもあるけど、コチラは結構うまかった。田舎蕎麦風の太麺は、蕎麦の香りがしっかり、細麺は香りが控えめに鼻腔をくすぐる分、蕎麦皮の歯ごたえが心地いいし。

歓喜とともに就寝。

2005年12月25日(日)
私的ニュース第一位

南蔵院さんで一仕事。こないだお身内だけでお弔いをされたO家のご法事でした。もう49日だもんねぇ、日が経つのが早いこと。

伊集院のラジオを聴いてたら、浅草キッドが今年の10大ニュースを取り上げてた。独自の切り口が楽しいこと。『お笑い男の星座』なんか、くだらなくて最高です。

ライブドアとフジテレビの騒動は今年のニュースなんだよね。衝撃的なニュースが目まぐるしく更新されていくので、記憶の彼方におしやられちゃてたけど。

個人的な10大ニュースといえば。村上さんの訃報ですかねぇ、やっぱし。落語の聴き過ぎで噺家っぽくなった喋りを指摘されてから、何かにつけてアドバイスを貰ったものの、なかなか戻らなくてね。というのも当人には、その自覚がないんだから雲を掴むような話だったし。

自然な語りに戻せるかどうか、「“らしい”喋りとは?」なんてことを結構な時間考えましたねぇ。「これだっ!」という確信めいたものを見つけたので、“らしい喋り”合格のお墨付きを頂けると思ってただけに悔しかったなぁ。晴れて落語を聴きまくるための最終チェック、という時に仏さんに成っちゃうんだもの。

具体的に予定していたことを「死」でチャラにされたのも初めてだった。今後も教わったことを大事にしていくことも込みで第一位。
チト暗いけれども決定。

2005年12月24日(土)
何と言われようが「納めの地蔵」なんです!!

南蔵院さんで一仕事。今日・明日で盛り上がる世間さまを横目に、本堂床の板目見詰めつつ雑巾を動かす。明日のご法事に向けて掃除三昧でした。携帯ラジオで大竹まこと〜志の輔さん〜宮川さんを楽しみながら、だから溜飲がさげましたが。クリスマ、納めの地蔵の縁日ということはともかく、これは是で必要な時間なのです。こうして頂いた話材や刺激は数知れず、ですから。

除夜の鐘をお寺で突いて、お宮さんへ初詣、バレンタインだ、ホワイトデーだで浮かれつつ、お彼岸〜お盆〜お彼岸ラインで先祖参り。それからクリスマスでしょう。特定の宗教を信仰している方からすれば、「どんな一年なんだ」って思うでしょう、ソリャ。そもそも信仰云々よりも、自身の日常を有意義にするための道具・きっかけに過ぎないんじゃ?なんて気すらします。

世界中がクリスマスで浮かれているなか、そうは言ってられない国もあるんだそうな。アメリカじゃ、「メリークリスマス」は特定の宗教を優遇するものだから、国政に携わる方なんかは、気を使って「ハッピーシーズン」と言い換えるんだって。

まことしやかに「アメリカで起こったことが3年遅れて我が国で起こる」なんて言われるぐらいだから、そのうち「ハッピー…」なるかもねぇ。「特定の宗教団体を優遇しているっ!!」言いそうな団体がホラ、ね。

2005年12月23日(金)
そういや

一昨日衝動買いした小振りの白菜(4分の1ね)で、朝から鍋。志の輔さんのラジオでやってた小林カツ代さんの簡単レシピで(ちぎった白菜とツナ缶、酒少々で煮るだけ。ゆず胡椒で頂くのだ!)。

鍋を火にかけつつ、シーツやら何やら一切合財を洗濯機にお任せして、ちょいとディジュリドゥを吹いてからストレッチ。コーヒーを淹れてノートパソコンを開いて原稿作業…ってコレでいいものが書ける筈もなし。食事を終えてから、線香を立てて座敷の拭き掃除開始。畳の上に物を置いてないもんでスッと終了。

一息ついた頃、「車があったから顔見に来た…」お隣のWさんの檀那来訪。ほんのり甘い白菜鍋の残り香と、コーヒー、線香がブレンドされた座敷の渾然一体となった芳香は、「なんなんだ、ここは!」という攻撃力を持つと判断、ポカポカ陽気のもとでの立ち話をいつものように展開。

四方山話にしばし花を咲かせると、満足したのかお帰りになってった。お隣ということもあり何度かいらっしゃってるけども、いつも空っ手でお返ししてたなぁ。今度何か持ってって貰おか。

2005年12月22日(木)
ビジュアル系でもなし

900〜宗務所で宗派の出版物の編集作業。こちらの粗原稿が提出されないことには、今回の出版物は動き出さないそうな。宗務所の仕事納めなので、今日の1600が第一次の締め切り。

松戸のクールガイOさんにお手伝いいただきました。大風邪を引かれて病院で点滴うってきたとか。良くなったにしても病みあけの重たい体だよ。「キリのいいとこまで手伝って貰えます?」といっときながら、最後まで付き合わせちゃった。「申し訳ない」と思いつつも、「一人じゃとても終わらねぇ〜」という仕事量だったもんで。

1000の時点で、自身の原稿すら纏めきれていない。この現実が重くのしかかっていたものの、実際に動き始めたの昼食後、1230から初体験の集中力だった。

コチラは4人の先生方から寄せられた原稿の校正・編集作業を、いつものノートパソコンで消化。その隣ではOさんが、部屋据え付けのパソコンで未処理の原稿を高品質、急ピッチで作成。年号・固有名詞などの確認作業も同時進行で即答。実際動き始めたの1230から必要最低限の言葉を交わすのみの3時間。1545におかげさまで脱稿。

「お礼といっちゃ何だけど…」で落語コレクションから、柳家権太楼さんの新譜(『代書屋』・『壺算』・『くしゃみ講釈:コレ何度聴いてもオカシイ。必聴の出来栄え』)贈呈。

心地よい頭の疲れとともに『鼓童』初堪能。

楽しくも刺激的な一日を惜しみつつー ♪ドドンッ!

2005年12月21日(水)
盛り上げていきましょ

9:00〜南蔵院で一仕事。1700〜本堂で“納め大師”のご法要。お世話人さんにお集まり頂いて、一お寺も無事に過ごせました、ということで。その支度をザーッと。

1400〜東福寺さん(中野区江古田)でご詠歌。今年終いの講習ということで気合が入りました。いつもどおり“反省”に集約される心持ちで南蔵院さんに戻ったわけですが。

法要前に、年越し法要の打ち合わせやら、南蔵院10大ニュース(めいたもの)やらで住職が、圧倒的な情報量を分かりやすく整理したうえで、「立て板に水」で喋る。障子越しに耳を欹てながら「良くあれだけ情報処理ができるなぁ」と改めて。こんな人を目指すんじゃ道は険し過ぎます。

法要開始目前に座敷に呼ばれた。
「こないだN○Kに映ったのが、お寺のお釈迦さまのお像と花御堂(花祭りで用いるのね)。バッチリ映ったのがカレ」とオレを紹介。
「衛星放送で2日連続6時間番組で放送されるのと、総合で2時間の放送です。たくさんの美術作品を紹介する番組だから、総合の2時間枠にカレが入るかどうか…入れると思う?」
「えぇ、まるで自信ないです」
一同(笑)

こないだ西光寺の檀家さんにも「TVに出るんなら言ってくれりゃいいのに!」なんて。そんなもんすかねぇ。コチラの特集をされたんならいざ知らず。チョイ役だし…って傲慢ですねぇ。

『夢の美術館』 N○K衛星BS2放送 BS2 h181/1 第一部に3時間のうち5分ぐらい出演するそうです。よろしかったらご覧くださいっ! 

…何とも。

2005年12月20日(火)
年末準備パート2

実家の極楽寺でガラス拭き。1030頃、こないだ四国遍路でお世話になった(というかいつもお世話になっている)D観光のNさんが見えた。来春に予定している四国遍路の日程ならびに旅程の確認。
「何だかホッソリしましたけど…」
「ええ、チョコ最中食べてませんから(笑)」
「(笑)なるほど」

1500過ぎ終了。滞ってる原稿執筆の前にメールチェック等々済ませる。ボチボチ乗り始めたところで、母から「蛍光灯取り替えて」と頼まれた。『孝行したいときに親は無し』か、などとブツクサしつつ、1730頃、246沿いにあるヤマダ電機へ。○イポッド ナノをね、買うつもりでもいたわけですよ。目当てのものが無かったので見送りましたが。

1830に一昨日の葬儀でお世話になったMさんが西光寺へ。今後の予定なぞを含めてアレコレ相談。口が重いけれどもフットワークが軽いMさんは、西光寺にとって縁の下の力持ち的存在(檀家さん全員がそうなんですけど、とりわけね)。2人の息子さんも、口が重く、物事を早飲み込みしない批判精神がしっかりと。頼もしいです。

1930からジョギング。今日は身体が軽かった。精神的負担が軽くなるのはもうチョイかかりそうだけども、好感触です。

2005年12月19日(月)
我が家の老人力

800過ぎから極楽寺のガラス拭き。南蔵院をはじめ、常楽院、東福寺、密蔵院、宗務所などをバタバタと巡っているので、「偶には手伝わないと申し訳ない」こんな気持ちは常にあって。ようやく。

1030に一先ず区切り。94歳の母方の祖父が定期健診で病院に行くので、運転手で出かけた。実家の極楽寺ですら、あまり立ち寄らない有様。祖父の家であれば尚更。今年は秋のお彼岸で仏壇参りも出来なかった。そんなこともあって二つ返事で引き受けた。

とにかく元気。祖父に昼食をご馳走してもらったんだけども、サイコロステーキ定食をぺろり。「歯がないから硬いものはダメ」とか言っときながら、「これは大丈夫」だもの。
さすがに視力は落ちてきてて、それもあって母と付き添ってた。ステーキの器はャングルを模したようなカラフルな柄で、添え物のナスや、タマネギ、アスパラなんかが皿に溶け込んでるようだった。

アスパラのみを残し平らげた祖父は満足げ。「こんな歳でもこんなにキレイに食べれるんだ」という気持ちに水を差すようだったが、
「緑色の柄の上にちょうどアスパラが残ってるけど」
「あぁ、硬そうだから止しといた」
すごいジサマです。

2005年12月18日(日)
キラースマイル

1100〜西光寺檀家M家さんの葬儀。火葬場〜初七日の会場へと戻り、お斎がすんだのが1530過ぎ。全体的にスムーズに進みましたが、やはり喋りが長いんですなぁ。福島からいらっしゃったご遺族が慌てて帰り支度をしてらっしゃいましたから。

救いは、今日のうちに赴任先のフィリピンへ戻るという方からの
「色々と教えてくださいまして有り難うございました。今後ともよろしくお願いしますね」の一言。
こういった言葉に後押しでもされないと「余計なことをしてるんじゃ?」という自戒に押しつぶされそうにもなりますわね。言葉を頂いて初めて、懲りもせず喋り続けることが出来るのです、個人的には。

別れ際、お施主さんに、
「西光寺の催しを、ご都合が付くときには、助けて頂けないでしょうか?」
ハッピースマイルでお願い。
「…何だか怖い笑顔、ですね」
ハッピーもといキラースマイル習得です。

西光寺へもどり、伊集院のラジオを聴きつつ葬儀の後片付けを済ませ、久々のジョギングのため追い立てられるように身支度。何せ時間があるうえ、木曜から金曜にかけて体調を崩してから「こりゃ体力つけんとマズイ」と真剣味が違いましたな。

恩田川へ向けて繰り出すと、星が瞬き始めた覆いかぶさる紺黒の空へ抵抗するように、建物の切れ間からのぞく地平線あたりから黄色がかったお天道様の名残り。幽玄な光景に「どっかで観たなぁ」などとボンヤリしながら、川原っぷちの遊歩道をちんたら走る。「幻想的な光景」で脳みそクンの検索をかけつつ、飽きもせず交互に足を出し続ける。田んぼを吹き抜けて押し寄せる寒波に首をすくめた、そこで「コレ『南極物語』だ」。

気の持ちよう“って言いますがね、本当なんですな。
それから寒いのなんの。西光寺へ戻ったときなんか、高倉健さんがいるような気がしたもの。

2005年12月17日(土)
歌のチカラ

南蔵院さんで一仕事終えて、西光寺檀家Mさんのお通夜。長津田のD林寺さんで。

早めに地元へ戻ったので、西光寺で配布している『おつとめ』を、「エイヤッ」と改良版へ刷新。因みに、「とにかく読経することに慣れて貰うんだ」という方向性へ改良。マイナーチェンジというところか。

実家の極楽寺や西光寺のお檀家さんのお弔いでは、話〜お経〜ご詠歌〜話で正味50分から55分。今回は後者。

何かと催しでお檀家さんを動員することが多い西光寺。旦那衆だけじゃなく、家々の奥方にも、婦人部だなんだと負担をかけているので日頃から感謝の念だけは送っているわけです。何年か前に婦人部だけの慰労会に今日の仏さまもいらっしゃいました。

思えばそれ以来直接お礼も言うことが出来ずじまい。
「せめて真心こめて読経をば」と思いながらも、一番気持ちが入ったのは、ご詠歌。
ご詠歌は、住職の精神衛生のうえでも有効なんですな。

2005年12月16日(金)
自業自得

000を皮切りに2時間おきの吐き気に襲われる。便器に貯めてある水に映る青ざめた顔をみるのが3回目になったとき、「死ぬのかな?」なんて。不思議と穏やかな心持ちではありましたがね。

そりゃ弱気にもなりますわな、晩御飯も何もとっくの昔にお返ししてるのに、変な満腹感で満たされてるし、胃のあたりがモヤ〜ッとしてて水すら受け付けないんだもの。身体が重だるいうえの、猛烈な吐き気初体験で寝れずじまいだったし。

200400のトイレでのお勤めが終わると、「とにかく脱水症状だけは予防しなきゃ」などと、ソロソロとお茶を口に含み横になる。ゆっくりと別の体勢へ移行しつつも整えながらウダウダしてるうちに、吐き気マン再来。

600から730まで、寝返りや飲食などいつもどおりチェックしてみて、N蔵院病欠決定。

痛恨です。自己管理不足。

2005年12月14日(水)
身から出た錆

いつもお世話になっているN先生が住職を勤めるM蔵院さんで、ご詠歌の勉強会でした。既にご詠歌講 講員さんの前で、講師として指導にあたっている先生方のための勉強会なので、厳しくも温かい仔細な指摘がビシッとね。今回で4回目。当初は「4回もあればなんとかなるっしょ」と思ってた。

3冊あるうちの1冊が終わっただけだもんねぇ。しかもザーッと粗を焙り出しただけ。

終わってからお茶を頂きつつ、「こりゃ長くなるぞ」と思ったものの、その原因は何を隠そう己にあるんだもんなぁ。ということは、自身が満足しなきゃこうしたことは続けられるわけで。自分自身で「俺もう練習必要ないぐらい完璧ッスから」なんてバカは、そもそもこうした講習会に顔を出さないし。

言いっ初めとはいえ、因果なことを始めたなぁ、と。

2005年12月13日(火)
しばし休息

1000から葬儀。先方の菩提寺さんから葬儀のみということだったのでねぇ。今までは「これじゃ不完全燃焼じゃぁ」と言ったんでしょうが、そのぶり気持ちは込めさせていただきました。こんなことを聴くと「奇麗ごとを…」なんて思ってたのにねぇ。

長いこと続いた、M蔵院での『話の寺子屋』の千秋楽でした。N先生には是非続けて頂きたかったんだけどな〜。宗務所で若い人相手に同じようなことをなさっているのを観たとき、いつかはこんな日が来るような気はしてたんだけども。なんせ忙しいからなぁ。代わり成るものを自分たちで立ち上げてやりゃいいだけの話、だけどねぇ。いかんせん自力がねぇ。

新米ガイド ピョン×2の喋りを聞いて、感じたことをいったら偶々ピシッと当たったものの、後にも先にもあんなマグレはないし。というかあってもできるんだったら、あんなことを言わないで済むに越したことはないし。

素敵な会でしたなぁ。喋りの根っこを矯正してもらったようなもんだし。ここで頂いた心のあり方について、これから何年話すのか見当も付かない。
「村上さんというNHKでアナウンサーをしてらした方から聴いた受け売りなんですけども…」
なんて話を方々で喋るんだろな。

活動再開に向けてしばし充電ということで。

2005年12月12日(月)
ニューエントリー

宗務所前のジョナサンで会合。2/23の東京神奈川地区のご詠歌大会実行委員会でした。今日は8名のスタッフが集まり、効率良く飲み物、食べ物を注文しつつ、議題を消化。昼ちょい過ぎには終了。今晩は、横浜の永谷で頼まれたお通夜があるので、早い内に地元へ戻っておきたい。にしても早すぎるし…で「そうだ!紀伊国屋へ行こうっ」。もっとも紀伊国屋2階の『テイトムセン』ですが。

志の輔さんの新譜『らくごの娯楽vol 3』が目的で行ったんですが、見当たらない。レジへ行きゃ落語の新譜ぐらいおいてるだろうと、しばらく足を運ばなかった落語・浪曲コーナーへ。色んなのが出てること。手が伸びるに負かせる大人買いをしてるうちに10枚越え。「ボチボチ止めとかないと、手をだしていない談志さんや小三治さんまでいきかねない、というか今月の小遣いは既にオーバー」でレジへ。

会計を済ませながら
「志の輔さんの新譜頂けますか?」
「ちょっとお待ちください」
足早にカウンターを離れる寒空はだかサン似の店員
「お待たせしました。今、売り切れてまして、明日入荷するんですけど。ご予約なさいますか?」
「へ!?売り切れ?」
「えぇ。ご予約はどうなさいます?」
「あぁ、そんなら結構です」
思わず断ってしまうぐらいの驚きでしたなぁ。10大ニュースエントリー決定。

2005年12月9日(金)
声の力

木馬亭で福太郎さんの独演会最終回。玉川のお家芸『天保水滸伝』から、『平手の駆け付け』。客演は立川談春さん。神田山陽さんをはじめ、豪華なゲストでも盛り上がるこの会に、喬太郎がボチボチ出るんじゃないか、などと期待をしてたのですが、一応一区切りのようです。来年も引き続き独演会を続けて頂くことを願って止みません。木馬亭で、SWAのメンバーが、弾ける姿をみてみたいので。

日頃からお世話になっているN先生、市野谷のご住職、ドクトル粕Pをはじめ、12名で押しかけました。福太郎さんが出てくると「待ってました」「たっぷり」の掛け声。木馬亭の掛け声は、やらせ感がないんだよねぇ。本当に福太郎さんの浪曲が大好きで、待ちわびて掛ける「たっぷり」だからなぁ。国本さんの会で教わったままを、気持ちが無いまま面白半分にやるのもなぁ、とね。

ただ、今回は凄かった。幕が下りてから袖へ出てきた福太郎さんから、「締めくくりに三本締め」と声がかかる。

単なる三本締めなのに、訳の分からない迫力で理屈ぬきに気持ちが高ぶる。福太郎さんがあの声で合いの手を入れてくれてた。

年末行事に追い立てられる日々を前に、福太郎さんから闘魂注入。

2005年12月8日(木)
気になる二人

朝から護摩をババッと焚いて、昼過ぎから南蔵院さんへお歳暮。今晩はChippyで声明ライブの日。2ヶ月ぶりの出演だからということもあるんでしょうけど、相変わらずディジュリドゥとのセッションは面白いこと。声明とディジュリドゥの響きが溶け合っていくような一体感がなんともいえないんだよね。

「声明目当てできました」というお客さんもボチボチいらっしゃる。『継続は力なり』なんですな。Chippyのママさんが声明への理解をもってくださることが、その要因なんですが。

布教活動を共にする仲間がお店に来てくれました。一々のお経を説明するときに気合が入ります。

ユーモアたっぷりの市野谷の住職の喋りを受けて、冗談を少なめで喋ってみる。聞き手にはどのように届いたかわかりませんでしたが、N先生もまた違う雰囲気の喋りを展開。三者三様の喋りをご披露できたかと。コチラはともかく、お二人の異なる喋りが何より面白かった。

2005年12月7日(水)
寝不足で白鳥

お付き合いでお酒が入ったときなぞは、池袋西口のカプセル○ビーを定宿にしてる。連日東京で用事がある場合は尚更で、通勤時間の一々が勿体無いし。14:00〜東福寺さん(中野区江古田)でご詠歌があるので、定宿を8:30出発歩いて護国寺にある宗務所へ向かう。10:00チョイ過ぎだったか、到着。ご詠歌までの時間があるので、抱えている原稿を拵えようと。

いつもは横になれば3秒で意識を失えるのに、昨日は全く眠れなかった。出入り口付近のカプセルで休んでたオジイサンが、夜通し“エヅイて”るんだもの。ただ騒がしいだけならね、問題なく寝れるのよ。それが、思わず「オイオイ大丈夫か」とこっちが心配するほど、悶絶してるんだもの。聞いてるだけで心臓のあたりがキューと差し込んでくる気すらしてくる苦しそうな声ですよ。そんなもんが子守唄にできる筈もなく。

宗務所にある布教研究所の部屋で、荷物、身支度を整えてから、護国寺門前をくだり『G林堂』で大福をお茶菓子に求める。

咽喉の調子に不満をもったまま、東福寺さんでご詠歌開始。序盤、声の調子が良いもんで、「こりゃ直ったか」と小躍りしたくなりましたが、後半やはガス欠。立派な嗄れ声。耳栓のように溜まっていた33年分の耳垢をとってから、何だか音が取りづらい。咽喉は壊してるし。つくづくコチラの都合通りになんかいかないんですな。

19:00〜にぎわい座で三遊亭白鳥さんの会。
・カンカラ(時代劇コント)
懐かしいドタバタ芸でした。最近お客さんをイジってるのは、にぎわい座の流行なのかなぁ。“客イジリ”を敬遠するのは、噺家さんだけなのかな。
・白鳥さん(一席目)『トキそば』で中入り
相変わらず面白い。時事ネタを交えつつマクラとネタ。「偽装結婚」には、やられました。この言葉一つで、次回も来るお客さんいるだろな。
蕎麦屋を褒めちぎるくだりで
「『揖保の糸』のように細いね、これホントにお蕎麦?」
なんて表現をするんだもの。やはり具体的に語ることを意識されてるんですな。
・だるま食堂(歌謡漫談)
「歌謡漫談」じゃ言い表せない面白さと、薄気味悪さを持つ女性三人組。しっかりした歌唱力が気持ち悪さに説得力をつけるようで、得体の知れない唯一無二の芸でした。もっとも「やりたいけど出来ない」と「やりたくないからやらない」は別物ですが、こと“だるま食堂”についちゃ同じことでしょうかね。あの格好はさすがに恥ずかしいだろうと。
・白鳥さん(2席目)
『鰍沢』を土台にした、たこ焼き職人の噺。主人公が、たこ焼き職人の時点でナンセンスなんだけど、登場人物の具体的な描写で最後まで一気に聞けました。

2005年12月6日(火)
真性粗忽

さすが本番ともなるとちがいますねぇ「メイクしていただけます?」だもの。鏡を覗き込むのは、お袈裟を着けるときぐらいだもんなぁ。メイクさんとはいえ、他人が見ているところで、自分の顔を観ることぐらい所在ないこともないだろうね。とにかく脂汗がでました。

やってみたところ、「咽喉元過ぎれば…」とは良く言ったもので、それなりに楽しめました。出番を待っているときは緊張はしましたが。「会場のいろんな角度から、自分の立ち位置を確認すると楽です」なんて、村上さんが仰ってたっけ。おかげさまで程よい緊張感の中つつがなく撮影終了。

午後から宗務所で越後のS先生の講演。是非にと思ってましたが、南蔵院のお檀家さんKさん宅へ行く用事をつくっちゃった。一昨日のKさんの葬儀へ行く前に、住職から預かってたものを渡しそびれて、届けに行くという。

撮影で使った南蔵院の道具を届ながら、スーツに着替えて、S先生の講演が行われている宗務所へトンボ帰り。ギリチョンセーフ。南蔵院さんに携帯電話を置いてきたことに気づいて、忘年会前に南蔵院さんへ。…これ、ホントの話。

粗忽者という自覚はありましたが、かくも。ここまで来ると本物ですな。

2005年12月5日(月)
ショート、ショート

突如舞い込んだNHK出演。予定していた写経会を赤ペンアニキにお任せして。いざ。
共演を引き受けてくれた、デンジャラスTさんと11:30に待ち合わせて、早稲田のメー○ウで野菜カレーを頬張りつつ打ち合わせ。多くの耳目に晒されるわけだから、つつがなく準備を進めたくなるんですな。もっとも、所詮は付け焼き刃ですから、ままならんものでしょうけど。落ち着かない気持ちを静めるための悪あがきいうことで。

真言宗のお作法にある『投華得仏』(目隠しをした状態で曼荼羅に花を落とす:どんな仏と強いご縁があるかを確認するお作法とでも)を番組出演者がするので、そのお手伝いでの出演となりました。

南蔵院住職の話では、NHKは一人での出演を要望とのことでした。「それは、あんまりだ〜あまりにも心細いし…」と泣きを入れたところ、共演許可を取り付けてくださった。「二人で対になったほうが見栄えもするし」とかおっしゃってくださったんだろか。

リハーサルは概ね順調。やっぱり事前練習は必要ですね。実際に動いてみて分かったのが、“分からないことだらけ”。

「アレで大丈夫っしょ。何とかなりますよ」などと虚勢を張って別れたもの、帰りの道中では不安材料が渦巻いてる。

香ばしくなってます。

2005年12月4日(日)
木阿弥

8:00南蔵院さん入り。11:00〜世田谷のお檀家Kさん宅で葬儀〜火葬場〜初七日。南蔵院さんへ16:00戻り。借りたお袈裟・仏具を返し身支度を調え極楽寺へ。15:00から、極楽寺のご詠歌講結成20年記念石碑を建てたお祝いの法要〜今年納めの練習〜忘年会でした。15:00の記念法要までに戻る予定でいましたが、間に合いませんでしたな。予定は未定ということですか。

17:00〜祝宴。いくらか食事が進んだ17:30頃、到着。例年は、茶ムスビや煮しめ、スイトンなどを手作りのものをリクエストしてましたが、今年は20周年記念の法要もするので趣向を変えて、たまプラーザの中華料理屋さん 黒龍にお任せ。エビチリ、麻婆豆腐などオーソドックスな料理から、創意工夫がこめられた渾身のものまで、とにかく刺激を頂けるんですな。

横浜→中華料理→中華街のイメージを持つ方もいるでしょうけど、個人的には、黒龍さんがあるから、中華料理→たまプラなんだよねぇ。申し込めば、キッチンカーで来て調理してくれるんで、湯気が立ち上る熱々に箸をつけられる。法事の後席で利用されるお檀家さんもいらっしゃるのは、お店で食事するのと同じだからなんだろね。

115日の初護摩、2月の東京・神奈川大会、48日の花祭り、5月(6月だったかな?)に板橋区でご詠歌大会、8月お施餓鬼、10月全国大会、11月お遍路、火祭り。それとは別に練習でお会いするご詠歌のオフクロさん達。20年も経てば、さすがに様子も変わるんでしょうけど、おばちゃん達の底抜けの明るさは、変わりないようで。

「今年は20周年記念だから、宴会芸とか何とかは抜き。大人しくやりましょう」と申し合わせていたらしい。40分ぐらいは大人しくしてたのかなぁ。祝宴は宴会となり、大笑いのまま終了。

2005年12月3日(土)
仮想現実

江古田斎場で、南蔵院のお檀家さんT家の葬儀。南蔵院さんへお手伝いにあがってから、ここまで続くのは初めてですかね。しかも、法事が立て込んでいるところへ重なるから、てんやわんや。つくづくお坊さんも体力勝負だ、などと。

明日のご詠歌のお祝いを包もうと極楽寺へ。折角来たんだから、とパソコンのメールチェックなど。一区切りついたので西光寺へ戻ろうとしたところ、一昨日2巻目まで観た『24 シーズンW』を発見してしまう。明日は南蔵院さんへ7:00入りの予定。「5:30出発だから今から観れば何とか間に合うかな…」と21:30過ぎから、3倍速鑑賞開始。

トイレ休憩、眠気覚ましの入浴で、時間をとられてタイトになってくる。3:00過ぎの時点で、3巻を残すのみ。試みで4倍速鑑賞開始。めまぐるしく流れ続ける字幕を読み取れなくも無い。

徹夜をすることになりはしましたが、何とか時間までに観終えました。
時間に終われる緊迫した場面描写は『24』の作品内で、散々出てくる。
字幕を忙しく追いながら、「あと5分!」なんて。激しい眠気で頭がどうにかなってたのか、行動する一々をTV画面に置き換えて、黄色いデジタル時刻を当てはめて、さながら『24』。

睡眠は肝心です。

2005年12月2日(金)
アドリブは弱い

南蔵院さんで一仕事。終えてから所属している布教研究所の他、宗学研究所、現代教化研究所、事相研究所の先生方、宗派のお歴々を交えての懇親会に行きました。

今年度の新任研究員が、順繰りに自己紹介。型どおりの挨拶、自己紹介言葉を耳にしていて、ふと「何処ぞで見聞きしたような言葉でも、気が付くとマニュアルになっちゃうんだな」などと。村上さんとの時間が、マニュアルにこだわらない喋りの土台を構築してくれていたことを今更ながら実感。

あれよという間に順番がまわってきた。思いつくままを喋り散らかす。マニュアル通りにしませんけどね、聞き手への思いやりも足りませんでしたな。

人によっちゃ単なる自己紹介なんでしょうけど、かなり勉強になったということで。

2005年12月1日(木)
こんな一日もありか

7:00に山科のホテルで朝食をとってから退却。布教研究所の先生方は、今日一日京都を散策、ならぬ視察をするんだとか。無い後ろ髪を引かれつつ、京都駅では土産を物色。西利のお漬物が、ここんとこの定番ですが。

到着してから、港北の“紳士服の青木”へ。冬用のスーツを買いにいきました。今回の研究所調査旅行前夜、支度をしていたら、冬物スーツがないことが発覚。厳密に言えば着られなくなったんだけども。ススーッと音も無く近寄ってきた女性店員さんに、
「紺と茶のシングルを欲しいんだけど、教えてくれます?」
「わかりました」
キビキビした動きが気持ち良い男性店員さんに案内は引き継がれ、サイズの合うスーツ売り場へ。

「こちらです」
と促されてから、ものの5分で試着開始、即購入。店員さんが裾を合わせながら
「それにしても即決ですね…」
「そうですか?ちょっと用事があるもんですから」
17:00の受け取りを確認して、地元へ。

火祭りでお世話になった武藤電機さん、横浜商科大学 緑キャンパスさんに御礼かたがた挨拶参り。研究所の日程から外れたのも、今日を逃すと週明けになっちゃうことのほうが気がかりだったもんで。こういったこともタイミングが肝心なんでしょうから。

西光寺へ戻り、週明けの月曜に予知している写経会に向けて後片付け。区切りのいいところで極楽寺へ。メールチェックなどを済ませ、買ってあった『24 シーズンW』を3倍速鑑賞。2巻目を観終えたところで16:30。港北の青山へ。

スーツを受け取って一路にぎわい座へ。今日は国本武春さんの会でした。

3バカヘッズ(コント)
独特の雰囲気(ワハハ本舗のウメチャン:鼻にピーナッツを詰めて飛ばす人)を持つ3人組。ネタはユニークな切り口で面白かった。客イジリが目立った、
ポカスカジャン
いわずと知れた3人組み。『津軽海峡冬景色』のアレンジは面白かった。閉演後に販売してたCDを思わず即買いするぐらい面白かった(CDそのものは何でした)。
三増紋之助(曲芸独楽)
確かな技量と軽妙なお喋り。曲芸というと感心こそすれ笑うことはないんですが、この方は面白い。独楽にトトロの人形を括り付けた独楽の綱渡りは、なるほどの着眼。子供受けもする曲芸かぁ。で中入り

林家二楽(紙きり)
紙きりで独演会をした二楽さん。お客さんの注文を受けてから、紙を切り出しつつ満足いくような作品を作り上げていく芸で、長時間持つのかな?と不思議に思っていました。井上揚水さんの『少年時代』にのせて、予め支度してある作品を次から次へと繰り出していく。温かい余韻が残る芸でした。

国本武春さん(浪曲)
唸るカリスマこと国本さんの高座は、とにかく明るい。お客さんを巻き込んで盛り上げていく手法は、ご詠歌にも取り入れられると思って注目しているわけですが、何せトコトン面白いのでねぇ。人間が違うから同じことはできないと思い知らされて帰るのですが。実力に裏打ちされた背骨があってのオフザケだから、単純に悪乗りしてるのではないし。流石でした。