日 記 ど う ?




◆平成18年3月の日記どう◆


2006年3月31日(金)
とはいうものの

8:4515:00まで南蔵院サンで一仕事。朝方車窓から眺める千鳥が淵、九段の界隈、お寺近くの神田川沿いはソメイヨシノが満開。当然、近辺には人手が多く賑やか。ワケもわからず気分が盛り上がろうと。通常通り、平常心でのお勤めではありましたが。

南蔵院サンを出てから19:00〜の写経会(夜の部)までは時間があるので、西光寺に戻って本尊サンを拝み倒そうと思っていましたが、お花見渋滞に巻き込まれました。首都高環状線は恒常的に混んでいるとはいえ、代官町のあたりは千鳥が淵の桜を眺められるので、この時期は速度が落ちること。仕事で急いでいる人間にはこの上ない迷惑行為でしょうな。お花見にまつわる経済活動の滞りを試算すると何億円という額になるんじゃないすかね?
もっとも酒代は例年にも増すわけか。
飲み過ぎには注意、と言いたいところですが、飲んで貰ったほうが潤う方もいらっしゃるのでねぇ…難しいもんですなぁ。「そこまで気を遣いたくない」というぐらい気をつかいますな、考えようによっては、ですが。

2006年3月30日(木)
あるべきやうは

11:00S院サン(東京都青梅市)で、山伏仲間の講習会でした。20件に満たない檀家サンと智恵を出し合い、力を合わせて本堂落慶にこぎつけた同世代の同志Mサンから、事の顛末を伺おうと。いずれ住職という肩書きが付けば、否が応でもそのお寺を支えてくださってるお檀家サンや、支えてくださったご先祖サンへ責任を感じるわけで。その象徴ともなる本堂を拵えることは、生半可なことじゃないわけで。今回その当事者となった身近なMサンの生の苦労話は、到底机上では得られない教訓をいただけるだろうと。

道路が混んでたこともあるけれど、横浜から片道2時間半だよ。いやぁ遠かった。けどね、栃木県や滋賀県からもお越しいただきましたし、近場なんですな。
それにしてもMサンはすごい。その行動力もさることながら、苦労が蓄積してうえでつちかわれたであろう円満な人格。僧侶たるものかくありたい、ものと。

2006年3月29日(水)
元から断たなきゃ

12:0016:30までJ院サンでご詠歌でした。久しぶりの長丁場を楽しんでまいりました。

以前は、ご詠歌の講習というと、講習が始まるまで「何を話そうか…」などと思案に暮れていました。脚本めいたものを拵えようとした時期もあるっちゃあるんですがね、4時間ともなると240分の原稿って、どのくらいの分量になるんですかね、見当も付きませんし。そもそも脚本を用意したところで、脚本どおり進行した試しがない。何の役にも立たんワケでもないでしょうけれども、それに類するもの、ということで。長い時間を使わせてくれることに限っちゃ、どんな脚本を支度するかではなくて、毎日どんな時間を使っているか、が決め手になると思うんですが。

今回は、最近起きた大事件を…ワタシ自身のですが。取材を受けたという話、晴れて結納を済ませたという話。ご詠歌とは何の関係も無い、ワケも無い。取材の話から、「こんなワタシでも、そんな歳になったんですな。世の中のもの全てが必ず移ろい行く、変化を繰り返しているんだということで。諸行無常をバッチリ詠みこんだご詠歌を…」
連れの話から「西光寺の本尊さんもお不動さん。ご詠歌でお世話になっている先はJ院、T寺、M院もお不動さん。今回、そういうことになったM院さんもお不動さん…最近、連れがだんだんとお不動さ、それではお不動さんのご詠歌を…」

…「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですな。反省です。これからは余計なことを喋らないように気をつけなくちゃ、でなくて、余計なことを言わない人間になるべく心を磨かなきゃネ。

2006年3月28日(火)
色眼鏡

神保町の出雲そばに行ってきました。通りから4,5段の階段をあがって店内。ビルの中二階昼といった雰囲気と、昼時にもかかわらず、取り立てて賑やかにしない店構えというこもあって、敷居が幾らか高めでしょうかね。にもかかわらず店内は盛況。太めの歯応えがある蕎麦が、濃い口のつゆと良く絡んで旨かったこと。

田町の駅ビルにある眼鏡屋さんヒラタで、眼鏡をつくりました。今までヘンに目が疲れるし、そんなときに限って頭痛が来る。大げさじゃないけれどもね。診てもらったら、近視よりも乱視が強くなっているとのこと。使っている眼鏡は、近視に合わせてあるので、それが原因じゃなかろかと。
新しい眼鏡だと、世の中の見え方も変わるんだろうな。店員さんも「少なくとも以前の眼鏡よりは疲れないと思います」
期待しますでしょ、これじゃ。

2006年3月25日(土)
ノレンに腕押し

南蔵院サンでの一仕事を終えてから、連れの仲間内のホームパーティにお邪魔しました。旦那さんやお子さん同伴で豆乳鍋を突付くんだ、と聞いてたもんで、尚のこと楽しみにしていたわけですが。ただ、連れも仲間と久しぶりに会うので。その邪魔だけはするまいと。

そもそも人見知りをするので、誰とでもスッと胸襟を開ける方には、ある種の憧れめいた気持ちを持っています。そんな方の姿を見るにつけ、相手が動いてくれるのを待つよりもコチラが動いた方が手っ取り早いんだよねぇ、と。こんなことは分かっちゃいるけど…、というヤツですな。作務衣姿で33歳にもなって所在なくモジモジしてたら、隣に座ってたCサンの旦那が話しかけてくれた。

「何宗ですか?」
「真言宗です」
「真言宗といえば…空海ですよね」
「ハア、そうですけど」
これだけ。硬くなった気持ちを解すにはコレで充分でした。弾みを点けてもらえたので、それなりに時間を使えました。コチラから歩み寄っていくと、やさしく受け止めてくれる気立ての良い方ばかり。素敵な方々と出会えました。

考えてみると、Cサンの旦那は0から1に立ち上げてくれた恩人といえるでしょうかね。ご縁ある方に、分け隔てなく初めの一歩の後押しをスッとできる。コンナ坊さんに成りたいものと。

2006年3月22日(水)
変わりモン

朝から西光寺で護摩焚き。終えてからお彼岸のお塔婆の開眼(魂入れ)をして、通りの向かいにある墓地へお墓参りにいった。お檀家さんのS家夫婦が、たまさか草むしりにいらしてて、線香の煙とともに現れた、塔婆とバケツを抱えた萌黄の衣を着けたコチラに面食らった様子。お地蔵さんと、先徳、英霊へ供養の経。

実家の極楽寺へもどり、両親の祖母、先代住職の墓参。軽くなった手桶をぶらつかせながら、スッキリ感を味わう。「良いことをした」というよりは、「日頃のご無沙汰を侘びることができた」が正確だろか。実家のパソコンを立ち上げメール、mixiのチェック。これだけで小一時間とられる。何とかならんもんかねぇ。もっとも面白いからいいんだけども。

10:45過ぎ宗務所入り。長谷寺案内の初稿、1月末日〆切りの諸外調査報告書を15:00までに提出。それなりの忙しさを味わいながら何とか。15:00から生涯初の取材体験。


ジャーナリストの養成学校に通うY女史。卒論に使うんだとかで連絡を取ってきてくれた。mixi上にある程度の情報をのっけているとはいえ、見ず知らずの人間に連絡をとるにはかなりの勇気が必要だと。その行動力と勇気に、まずは拍手なのでした。(「真言宗で変わったお坊さん」を探していたところ、「じみち」が琴線をはじいようです)。

「じかに会って取材を」というお申し出に躊躇しましたが、「知らないオジサンについていっちゃいけない」と教わったものの、妙齢の女性だったので安心だろ…お互い顔が見えないことでは同じなので、思い切って取材を受けてみました。これが面白いこと。15:00から19:30まで忌憚のないところをベラベラと喋らせて頂きました。


勉強途中とはいえ、独自の言語感覚を既にお持ちのY女史。未来の櫻井サン目指して頑張れ!

それにしても世の中は広い。

2006年3月21日(火)
ふぉあざちーむ

「お中日だから」という魔法の言葉があります。多少の道路混雑や、忙しさも「お中日だもんねぇ」で凡そ納得できてしまうもので、多くの場合お檀家さんと寺にすまうものが使うようですが。

「何時になったら盛り上がるんだ?」と心配をしておりましたが、WBC優勝、世界一ですもんねぇ。もと草野球小僧としては、イチロー選手のコメントに涙が出ますわな。ホントたいした打者です。

極々少ない草野球経験で言うのもなんですが、野球は一人がどれだけ頑張ったところで、どうにもならない。ずば抜けた打者が仮に全打席で本塁打を放っても、他の打者が無安打だったら多くても4点しかとれないし、投手が滅多打ちにあったら負けちゃう。メジャーでも通用するような投手が無安打に抑えたとしても、野手がエラーを連発して尚且つ無安打だとしたら、完封で負けちゃう。チームが一丸となってナンボみたいな気持ちがあるから、「最高のチーム」という言葉がポンポン出てくるんでしょうね。

野球ができない人間は、目の前にある必要事項に全力を注ぐのみ、と。もちろん、老若男女、国籍すらも超えた平成18年を生きるチームメートと、手を取り合ってネ。

2006年3月19日(日)
条件反射

南蔵院の役員さんO家のご法事でした。88名ともなると、本堂はすし詰めでお施餓鬼のような雰囲気。加えて現役の東大教授のまま亡くなられたので、同僚の方も多数ご出席。そうした肩書きで緊張することは金輪際ないだろうけれども、そうした肩書きの方は雰囲気が違いましてね。コチラまでその雰囲気が伝わるのか、いつもと違う空気の中ご法事。なんだか緊張しましたな。それはそれで良いものですが。

法事を終えて、お斎へ場所を移されるご親族、ご参列の88名。行列の先には良いものがあるんじゃないか、などと運転中に横目で行列を探してるからか、墓参の列をみて来もそぞろ。素敵な仏さまとの対話をする時間ですから、素敵な空間ではありましたが。

2006年3月18日(土)
彼岸入り(平成18年春)

800南蔵院サン入り。すでに何方かお参りをされたような。南蔵院サンのお彼岸体制は、基本的にお参りの方のお線香番。その他に手桶の支度、意外に出る生花ゴミをまとめる…なんやかんやと立ち仕事が続くわけです。1500過ぎ、人手が少なくなったのを見計らって、明日の法事の準備に取り掛かる。本堂、お座敷の掃除、支度。明日は、南蔵院の役員さんO家のご法事。早逝されたO先生の1周忌で、お参りの方も88名。亡くなっても偲ばれるお人柄と其の才能。そんなことを考えつつ手を動かす。アッという間の1800越え。

2006年3月17日(金)
大きなチカラ

総本山 長谷寺を隈なく案内できるように、それぞれの施設、史跡に案内文やら話の種やらを散りばめる。その数62箇所。仲間や先輩から良いものを寄せて頂いたこともあるし、企画自体が「本棚にしまいこむ資料にはならんだろう」という代物。たまさか編集委員なる、名前だけ連ねる幽霊委員でいる筈が、気が付いたら意気込んで原稿なぞを拵えてる。きっと大きなチカラが働いているに違いない、と思うのも無理もない話で。

3/14に一応の〆切り」という言葉を受けて、遍路やその準備があったりして、現実問題まともに時間がとれない。出版企画委員の中から選出されるかたちで、編集班として依頼されたんだけれども、蹴ったわけです。中途半端に首突っ込んでるんじゃロクなものは出来ないと思うもんでね、布研の原稿を取りまとめた(勝手に校正したのね)責任もあるので、残念だったんだけれども。代わりに推薦したのが、松戸のOサン(取りまとめるときに手助けしてくれた)。その彼が今日の会議に出れないと聞いて、忸怩たる思いをしてたわけで。

どういう風の吹き回しか、南蔵院住職が「彼岸前だし、法事もないから」と休みをくれた。「何か大きなチカラ…」はともかく、当然張り切りますわね。というか、未提出の原稿作製の後、編集斑に合流です。

9001000まで、1月末日〆切りの原稿作成(今日も間に合わなかった…彼岸明けだわ)。1000〜宗務所で出版企画委員の編集班の会合に出席。62箇所の案内ポイントをエリア別に分けて、写真を選んで、案内文や話材を公正する。ノンストップで1630越え。心地よい疲れ、戻りきらない頭の回転数。「1日使った」そんな達成感です。

2006年3月15日(水)
気の持ちよう

原稿を出し損ねたもんで、宗務所に900入り。なるたけ〆切り前にあげておきたいんですが、ママならんこともあるのですねぇ。1400T寺サン(中野区江古田)でご詠歌。ご詠歌のオバちゃんのお茶菓子にと思い、『郡林堂』へ。10:30過ぎにお店に行ったんだけど、すごかった。「そこまで食べたいか?」と、思うぐらい。

評判が良いラーメン屋さんの前でゾロリと並んでいる様子を見て、「いい歳こいた大人が意地汚い」と嘆く世代に育てられたからか、行列に加わることは、時間がもったいない、というよりも「みっともない」感覚の方が強い。ただ、並んでみると、待ち時間もいいもんですな。進むにつれて、「これだけ並んだんだから、きっと美味しいものに違いない」などと自然気持ちが盛り上がるんだもの。結果についちゃあね、味覚や価値観なぞはそれぞれですから。

T寺さん(中野区江古田)でご詠歌。今までのおさらいを1400から1600までみっちり。終わった途端「ふ〜」と大きく息をついたおばちゃんに、「そんな溜め息つかなくても(笑)」とツッコミをいれてしまう。「ギャハハ」と笑って許してくれたオバチャンがいらっしゃるなかで、眉を顰める方も居たはずだと…。日々是反省ですな。

2006年3月14日(火)
♪人生イロイロ〜

何だか気ぜわしい日々が続いてます。というのも、宗派からの依頼で全国のご住職に頒布する、長谷のお山(奈良県桜井市)を案内しやすくするための原稿、去年の12月に布教研究所で行なった西国霊場(岡寺・壷阪寺・南円堂)の調査報告書の〆切がちらついてい、どちらも〆切りを過ぎてしまったからなんですが。

宗務所に900入りして「今日中に原稿をあげるぞっ!」と息巻いていたものの、「どう考えても無理っしょ」と冷たいツッコミをいれるワタシ。というのも、1000〜テレフォン相談だったもんで。945まで、布教研究所で集中しましたが、なんとも。もともと集中力があるほうじゃないもんで、テレフォン相談がちらちゃって…

相談室に駆け込むと、宗論や宗学、儀式と作法、臓器移植や後継者不在など現代だからこそ起きてしまった問題への対処、それぞれの研究に時間を使っておられる3人の先生。出鼻をくじかれテレフォン相談開始。

少なめの4件の相談でした。大概の場合、各寺院のご住職さんが折に触れて言葉の端にのせていれば解消できるんですが。相談の電話を切ってしばらくすると、「ちゃんとやろうよ〜」と不満もじんわりと湧いちゃきますが、中には「住職さんを煩わせては申し訳ない」と考えてくださる方もおられる。人生イロイロですからねぇ。

2006年3月12日(日)
『ナンチャッテおじさん』を希望 

南蔵院サンで一仕事。W家のご法事のお斎が凄まじかった。といっても6人の活発な男の子たちが賑やかだったわけですが。たまらずお家の方が
「そんなに騒いいでると天国のオバアチャンも泣いちゃうぞ」
と窘めてらした。嬉しくなりますねぇ。だって法事があってこその言葉でしょ、コレ。静かにソッと其れとなく手を引いてくれる、仏教の慎ましさ。粋ですなぁ。

皆さんが帰り始めた15:45頃から、お座敷の片付け開始。本格的に座敷やローカへ掃除機をかけ始めた時点で、下落合のお寺サンで催される書道会の開始時間を超過。気持ち手早く(歩くところを早歩きで、ということですョ)。16:3018:00まで久しぶりの集中。心地よい消耗を感じつつ、南蔵院住職を1830過ぎにお寺へ送る。実家の極楽寺で19:30から御詠歌。日曜日だから空いてるだろうと、慌てもしないことに我ながら何とも。

19:15極楽寺到着。手早く食事(御飯に蕗味噌、冷奴にヨーグルト)を済ませて、19:3021:00まで御詠歌。今日は咽喉の調子が良いこと。久々にスコーンと抜ける高音。去年の秋に風邪をこじらせてから、何となく声が掠れているような感覚が、ずっとあったもんで。つい嬉しくなって、
「今日は咽喉の調子が良い!」
と思わず。
「きっと、お大師さまのおかげですョ」
お四国の遍路に同行してくれたオバちゃんが声をかけてくれた。
「ホントにねぇ。咽喉の調子が悪かったのも、お大師さまのおかげと思えば有り難いかもねぇ…ナンチャッテ」

「ナンチャッテ」で誤魔化せる筈もなく。この一言で反省しきり。

2006年3月11日(土)
「ゴミが大好きな鳥ってナ〜ンダ?」BY M家のお孫さん
南蔵院さんで一仕事。1300過ぎには法事が終え、1430ごろには翌日の準備等滞りなく終了。1500過ぎから南蔵院住職の蔵書の整理作業開始。ところが、1700から西光寺のお檀家さんM家の法事がありましたもんで、気もそぞろで。蔵書の整理のお手伝いを終えたのが1615過ぎ。

「それほど慌ててない、そんなに急いでいない」と言い聞かせつつ、迅速に退却開始。首都高から東名高速も、順調であればギリギリセーフ、と見込んでましたが、道路状況が若干滞ってましたもんで。
「申し訳ないんですけども20分程度おくれてしまいそうなので、1720からお願いできますか?」
「ハイ、結構ですよ。お気をつけて」
携帯電話って便利ですよねぇ、こういう時は。1710西光寺着。手早く作務衣から衣へ着替え、予め支度してあった持ち物を携えいざ。歩いて34分のM家へ。

萌黄の色衣を春風にはためかせてM家へ向かう途中、公園で遊び終わったらしい子供たちから
「ウワッ坊さんだ〜!」
歓声とも悲鳴ともつかぬ喚声で煽られるように言われると
「“坊さん”じゃないのっ、“お坊さん”なのっ」
…大人げないですな。

20分遅れで始まった、仏さまが暮らしてたお家で行なうご法事。玄関脇の仏間に、PUMAだか何だかの灰色のトレーナー着たお孫さんをはじめ、普段着のお施主さんたち。2階から主を呼ぶようにケンケン吠える寂しがりの飼い犬…

ほのぼのとして良ござんす。
2006年3月10日(金)
ウチの場合

南蔵院さんで一仕事。雨降りだったんで屋内の掃除。帰りしな連れのところに立ち寄り、美味しいコーヒーをご馳走してもらう。

実家に戻り、久々の母の手料理を満喫。遍路中に買った切干大根を竹輪と煮込んでだしてくれた。
「薄味で煮たから、明日のほうが味が染みてて美味しくなるのよね〜」
「だったら何で今晩のオカズに出すんだ?」
赤ペンアニキとアイコンタクト、で苦笑い。「無邪気だからだよね」とでも。そういったことを過分にしている自覚があるんで、何もいえませんが。

高知での名店、ゆず庵の土産話を嬉々として話す母と私。我々のサラウンド放送を静かに聴く父と兄。家族団欒、と言えるのかは別として、こうした時間は久々なもんで、終わらすのは勿体無い、と思いきや「HP更新しなきゃ」と。

HP更新しなきゃ、と思うぐらいだから負担なんだろね」
「意外なこと言うね」
だからいっただろ、とでも言いたげに僅かに表情を変えたアニキ。

2006年3月9日(木)
第二回 遍路も無事


初日に足を痛めた同行のオバチャン。先達としては、健康を損なっちゃ、留守番をなさってるお家の方に申しわけもないし、オバちゃんにも無理はいえない。伊予鉄サンのお取り計らいで車椅子を借りられて、最後までお参りいただけました。これには、参加者がめいめい、そのオバちゃんを元気付けてくれてたからなんですが、中でも西光寺から唯一参加してくれた棟梁Yさんの力は大きかった。

Yさんは、結婚してほどなく体調を崩された奥様の介護を続けて40年。炊事洗濯をはじめとする家事全般は朝飯前、車椅子の扱いも手馴れたもの。同行のオバちゃんに対してもトコトン優しく面倒みてくれてました。

Yさんの姿に、心の中で「オカゲサマで…」などと。道中番外6番 龍光院サンで、車椅子のオバチャンだけでなく、参加者の胸をやさしく打つ事件がありました。

地元の信者さんらしきオバアチャンが「アンタよう来なさったねぇ、気をつけて帰りなさいよ」という。「これだけ?」なのかもしれないけれども、大きい出来事なのよ、個人的には。そのオバアチャンは、見ず知らずの車椅子に乗っている方へ、声をかけたんだもの。オバアチャンはどんな気持ちでいたのか知る由もないけれども、そのやさしさったら生半可なものじゃないワケで。素敵な心に触れて、朝から大満足、全日程終了しても大々満足のココロでした。

2006年3月8日(水)
皮算用

先達でありながら、参加してくれた皆さんに何ひとつお土産を提供できた実感がないまま、3日目。初日に合流してくれた連れが居てくれるんおかげで、困ったときの連れ頼みで何とか溜飲を下げてもらえてるような。

39番 延光寺サンから38番 金剛福寺サンへの道すがら、時間がいくらか取れるということで、連れにマイクを渡す。いや〜凄い話だった。3年前の8月に歩き遍路をしているとはいえね。話しの構成も結びも良かった。コチラはというと、思いつくままを喋り散らかしている感覚が否めなくてね。我ながら「アンタ落ち着け!」という印象か。言葉数は多いけれども、何を言いたいのか良く分からん、というところか。

物事を眺めるときに、上下左右はさることながら、透かして裏返し、捻ってこねくり回し…とにかく頭を使おうと痛感した次第。といっても、努力しても身に付くのかね、こういった発想をする力は。

宇和島の旅館で最終日に備え、英気を養うべく宴会(といっても、素面のオバちゃんたちの素人芸を観てしきるに笑い転げるというカワイイものですょ)。

無心に笑っているうちに、何かしら思いつくかも、と目論んみましたが失敗。純粋に笑い疲れた。

2006年3月7日(火)
ワークシェアリング

車中では、圧倒的な知識量のガイド、クールビューティMさんが流暢な喋りを静かに展開。お寺の由緒や地元に根ざした話、本尊さんの御真言にお寺に奉納されたご詠歌まで、喋ってくださる。その辺のご住職サンの法話と比べても、遜色ないボリュームかつ聞きやすい話し。大いに威儀を正した次第。

マイクを握ったときには、ガイドさんの話で空いたところをポンポンと埋めていく要領。僧侶として仏教知識をどのように活かしているか、ぐらいだもの、ガイドさんが喋らないことは。つくづく知識だけを伝えるのではない法話をしたいものと。個人的には、ですが。

遍路日和とでもいいましょうかね、気候が良いこと。歩きのお遍路さんが多いこと。去年の“四国遍路秋之巻(h17,11711,9)”では、あまり見なかったので、清々しい気持ちになります。ひたむきな姿は他人の心を動かすんでしょう。

法話のときに意識するのは、直向であること、なんですな。

2006年3月6日(月)
笑いが一番

“四国遍路春之巻”初日でした。昨夜遅く(というより今朝早めに)寝付いたからか、ヘンテコなテンション。

安全騒動やら内輪揉めやらで、何かとゴタツクJAL。かかる騒ぎに影響を受けたんだか、行きしなのANA機が気流でグラつくたびに「おいおい、左右のエンジンがキチッとなっているんだろな」などと。乗ってしまったものは、どうしようもないので考えることは止めましたが。といって不安を完全に拭えるワケもないですよねぇ。

機内放送は落語を選局して、それなりに空の旅を楽しむのが常。今回は古今亭志ん伍師匠の『うなぎや:職人が居ないまま開店した鰻屋さんの、ドタバタ劇』を一席聴けました。大概の場合、そろそろオチというところで、離陸の案内やらナンやらの横槍が入りますもんで、噺の途中でブチッと中断されちゃう。それはそれで分かるんだけども、どうしてもオチが気になってねぇ、気分も悪くなりますわな(評判のラーメン屋に行って匂いだけ臭いで帰るような気持ち、とでも)。離着陸の所要時間が凡そ分かっているんだろうから、時間ピッタリで噺も終わるようにできないものかねぇ。

ふと墜落の不安をしばし忘れていたことに気づいた。噺の世界に想像力を持っていかれて、エンジンの心配なんか二の次になっていたんでしょう。機内放送に落語がある不思議が解決です。


『タイタニック:ディカプリオが出演したやつね』では、タイタニック号が沈没するまで、乗客の不安を少しでも取り除こうと四重奏は続けられた。少しでも心を動かすことができれば、不安や退屈を払拭できる、ということなんでしょう。

世間さまの安心のために法を説くのであれば、せめて世間さまの心を動かすために話しができればと。

2006年3月5日(日)
徒然なるまま

ラジオを聴くようになってから8年が経ちますかねぇ。きっかけは南蔵院さんに勤めたこと。はじめのうちから、作務をしつつのポケットラジオを許して貰ってました。「情報収集をしているんだろう」ということで、大目に観てくれてたんでしょうか。リスナー暦8年という、僅かばかりの経験ですが、今のところ、深夜と早朝はTBSラジオ、日中は文化放送からニッポン放送が面白いでしょうかね。なぎら健壱さんが番組を持っていた頃は、ラジオ日本がお昼前の定番でしたが。

先週のTBSラジオ『豊田綾乃のプレシャスサンデー』で、脳の仕組みを研究されてるお医者さん(学者さんかな?)が出演されました。とても興味深いことを仰ってました。

『言葉に釣られて思考は引っ張り出されます。良いアイデアが産まれないときには、何でも良いからドンドン喋る』(こんな感じでした)

“考え事をする”というと、静かに落ち着いて「無になれ」などという心地が適しているのかと思ってましたが、そのセンセが言う分には逆なんですな。“とにかく言葉を放出し続けろ!”と言うんですから。

『紡ぐ』は、綿または繭を糸縒り車にかけ、その繊維を引き出し、縒りかけて糸にする、とあります。僅かな取っ掛かりから、広く深く思考を展開させ、ヒネリを加えてオチをつけ…結ぶ、でいきましょうか。

2006年3月2日(木)
九州最終日

吉野ヶ里歴史公園
暑い最中に来た前回と比べて、寒いぐらいのほうが良かろうと思ったもののキツイこと。山を背にした平野部に多くの古代人が根付いてい跡に、それを保存する形で大規模に建設された吉野ヶ里公園。

諫早湾
諫早市をあげての干拓事業を推進しようと鼓舞するかのような幕を発見。反対派の様子をTVで観るのと、地元の様子を現場で味わうのとでは、当然のことながら温度差がある。世界的な視点でみれば、食料事情は危機的状況にあるなかで、我が国の稲作が最も効率良く胃袋を満たしてくれるのだとか。
「世界の食糧事情を鑑みて、諫早湾の干拓地跡には広大な水田を…」などという意見があるかもしれないけども、そんなに金をかけずとも、減反政策を見直すんじゃいけないのかね?着実に河口堰を境に変色している海の色が、気味悪く光っていました。

轟峡
『もののけ姫』か『風の谷のナウシカ』の世界に飛び込んだような、手付かずの自然を体験できるかのような良いところです。おいしい清水を求めて、地元の方がポリタンクを持って訪れていらっしゃった。また来たいものです。

TOC TOC(福岡市中央区港)
初日の晩で食べた「イボ鯛の味噌焼き」・「いわしハンバーグ」を今一度。程よく焦げた味噌の、香ばしい香りと鯛の肉感と甘みが、絶妙に混じりあってる。しばらくはこの味を忘れないだろうと、満足して帰りましたとさ。

2006年3月1日(水)
気が付かないと気がつけないんですなぁ

あいにくの雨。九州国立博物館をたっぷりと観てきました。ゆったりとしたきれいな施設で、興味深い展示の数々。丸一日使って堪能してまいりました。

施設内の売店となりに、子供たちが体験しながら学べる施設があり、とりわけ、そこが面白かったですかね。人糞の化石が変わった感じのショウケースで展示されており、「化石になったウンチの臭いを嗅いでみよう!」だもの。そのほか子供の視点で物事を観るための仕掛けが施された遊具があって(気になる方はいってみよう!)、そこは感じるものがありましたね。

子供の目から眺めた世界は、大きいものはより大きく見えるし、足元の見落としがちな小さいものにも自然と目がいくようになってる。観音さまの話しをするときに、「ものごとを観るときに、なるたけ自由な視点でいたいものです」などという言葉が、如何に無自覚なものであったか、を痛感です。

連れの誕生日でした。心ばかりのお祝いをば。