日 記 ど う ?




◆平成18年5月の日記どう◆


2006年5月30日(火)
サンドウィッチ

護摩焚きまでの疲れを幾らか持ち越してるような。後片付けはボチボチ…と思いきや、朝から婦人部長が鍋釜の片付けに来てくれた。屋外に据えつけたイナバ物置に食器類を手際よくしまっていく姿に引っ張られて、疲れも吹っ飛んじゃった。「病は気から」なんですな、ある意味では。

婦人部の集合をボチボチかけていたようで、後から来てくれた方が揃う頃には、予定していた仕事をほぼ終了。「せっかくきたのだから」と、草むしりしてくれた。婦人部様さまです。

13:00から写経会。午前中に手伝ってくれた婦人部長は、さすがにお休み。いつもの面子で、いつもと同じ『般若心経』の書写。ただ、以前と同じに書けようはずもないし、心持ちが同じであろうこともない。同じだけど違うんですな。

初めの一歩を踏み出すには、ある程度の勇気めいた気持ちが必要だと思います。そうした勇気に変わるものとして、強い意志であったり、周りからの励ましがあげられると思うんですが。

写経会開催に向けて逡巡していた当初、開催の意志があるものの、初めの一歩はなかなか踏み出せずウジウジしてました。というのも、開催しても参加者がなけりゃ、湧き出てくるであろう無力感に打ち勝てないものと。

「写経会やって頂けませんか」と、そっと背中を押してくれたのが、夜の部にご夫婦で参加してくださるお檀家Hさん。
「今年で5年目になるんですねぇ」今年5回目の写経会で教えてくれた。

本尊さんへ写経を納めるべく、本尊さまへお勤めをする。写経会の開催を勧めてくれた恩人の温かい空気を感じつつ、感無量といったところ。

2006年5月28日(日)
直接読経

N院さんで、N院お檀家さんA家の法事。住職と2人でおつとめさせていただきました。パパッと食事を済ませ、隣り寺のG寺で催されるお護摩の手伝い。

はじめて10年経つか経たないかで、かなり盛り上がっているG寺の護摩。お邪魔するたびに刺激を頂いております。

護摩法要を終えて、G寺の住職さんが法話をなさっているときに、G寺の奥さんとアレコレ。
「いつにもまして、賑やかですねぇ。元気なお寺の様子を観るだけで、勉強になります」
「そうね、元気じゃないとダメね!」

お寺を元気にできるのは、お寺に住まう人間。示唆にとんだ言葉を何よりのお土産に頂きました。

18:00から西光寺の護摩。市野谷のお方に法話、法要のお手伝いを頂いて、赤ペンアニキと3人で法要。

傍らであげるアニキの読経の声がデカイのデカクないの。第一声で、本堂の屋根の瓦が浮き上がる気がするぐらい。思わず「そんなにムキにならずとも…」などと思ってしまいました。お参りの方の声も、大声に引っ張られていつになく張り切っているようでした。

法要後の食事を済ませ、帰りしなに「今日のお経で元気がでました」とお声がけ頂きました。

無着成恭さんが「お経は元気なときに聞くもんだ」というものがあります。経典に説かれる教えが、暮らしを送る私たちにとって有益だ、と受け止めていましたが。張り上げるお経の声で、聞く人を元気付けられるんですねぇ。

2006年5月27日(土)
宝の持ち腐れ

N院サン(豊島区)で一仕事終えて、隣りのY院(新宿)で習字教室。巣鴨での24日の法話会に寄せて、布教師のメクリを全員の分を認めていったんだけれども、幾らか上達したような気がしなくもなくもない。おかげさま、ですな。

16:001800まで、一月あまり休んでた(サボってたわけではないのョ)習字のお稽古。夢中になってたんでしょうな、あっという間の2時間。ホントいつものことながら、「こんな集中力あったんだ」なんちゃって。

あとは、日頃からこの集中力を使うだけ、なんですよねぇ。

2006年5月26日(金)
体内時計へ物申す

N院サン(豊島区)で一仕事。終えてから、連れと池袋で合流して、早めの食事を三宿のカレー屋さんで。

21日にお施餓鬼を終えたM院サン(港区)は、大急ぎで奥様のキルトの個展や骨董品の展示に装いを変えたそうで。お手伝いは出来ませんでしたので、せめて初日を明日に控え、緊張感高まるなか陣中見舞いにお邪魔しました。

大勢でワイワイ大騒ぎをするような楽しさというよりは、術を知っている方が静かに楽しむような、落ち着いた空気がよぉがす。骨董のコレクションも、見ごたえのあるものでした。なによりも、ビッグサイトの玉石綯い交ぜの大規模展示は、観る側もヘトヘになりますから。程よく琴線を爪弾いてくれる感じが心地よかったこと。

西光寺に戻ってゴロ寝をしたところ、夜中の2:00に目が覚めた。落ちた筋力で増える体重を支えるのが億劫になってるようで、ここんとこ身体がだるい。だからか、すぐ眠くなるんだよね。

「身体が休みを欲している」と気持ちを宥めるものの、罪悪感は拭えないんですな。というのも、だいの大人が19:00過ぎに寝てちゃだめでしょう。22:00過ぎまで起きてる姪っ子達に、示しがつかないし。

だからというわけでもないんですが、3:00過ぎから、28日の護摩法要準備に向けて、活動開始。座敷の掃除、本堂の支度etc

手始めに、日記をしたところ今気が付いたんですけど、この日記って、26日扱いでよろし…いいということで。

2006年5月25日(木)
「休み」とは何か

のっぴきならない用事がない、個人的にはオフの日。西光寺の境内整備を、というところで、来訪者。

「フジ○レビで放映するドラマの撮影をするので車を置かせていただけますか?」
「あぁ、いいですよ」
名刺を差し出しながら用件を述べる、明らかに年上のADさん(らしき方)。さして断る理由も見当たらないし、何よりADさんの物腰の柔らかさに二つ返事でOKをだした。喜んでもらえたようでした。

G寺に戻り、メールチェックにネットサーフィン。年明けからの先延ばしになっていた『玉と砕けよ:鳥肌実』を倍速で鑑賞。M院(江戸川区)住職から、借りっぱなしの『志の輔らくご9』に収録されている、『こぶとり爺さん』、『歓喜の歌』を観終えて、溜飲を下げつつ、振込みやらの野暮用を済ませ西光寺へ戻る。

護摩焚きを3座して集中力が切れたところで、28日の大護摩法要に向けて、掃除開始。仏具磨きをしているときに気が付きました。休みの日って、それなりに忙しいんですねぇ。

2006年5月24日(水)
「24U」

巣鴨の真性寺さんでの法話会。午前のみ、午後だけ、と、参加者それぞれが多用なので、入れ替えがあるものの、7名の参加者でした。

お昼時の良い時間にやらせていただきました。話し始めて間もなく、「ハテ、どこかでお会いしたような?」親しげに微笑を浮かべるご婦人がいらっしゃる。喋りながら、頭の中ではソリャもう大騒ぎさネ。

「ご詠歌でお世話になっているJ院(板橋区)のお檀家さんに、似た方が居るはず」
「待てよ…T寺(中野区)のご詠歌で会っているような」
「お弔いでお邪魔したばかりのT寺サン(青葉区)のご詠歌の方かも」
M院(港区)のお施餓鬼にいらしてたかな…」
冷静な話しなぞ臨めるはずもなく、コチラの持ち時間修了。

昼食を摂り終えて、14:0016:00までT寺(中野区)さんでのご詠歌に出発。6月の大会に向けた練習をザッと。3つの支部で、それぞれ練習しているから、慣れたわけでもないけど、気が付くと「巣鴨で話しを聞いてくれていた方は誰だったっけかな?」と。まるで上の空だよ。

T寺でのご詠歌を終え、法話会のメンバーと池袋で合流、反省会。仲間の話に相槌を打ちつつも「巣鴨で話しを聞いてたご婦人は誰なんだろう?」と。

22:00過ぎに西光寺に戻る。身の回りのことを終えて、ようやく巣鴨のご婦人が誰だか判明しました。

実家のG寺で行う花祭に、毎年いらっしゃる方でした。草野新平さんの縁故の方だったような…

2006年5月23日(火)
幼稚

10:00から宗務所でテレフォン相談でした。

学問というアプローチで仏様の研究をされている宗学の先生、仏様へ修める様々なお作法の研究をされている事相の先生、様々な技術が目覚しい発展を遂げた現代なればこその諸問題(例えば脳死、臓器移植、環境破壊とかネ)に、対応すべく研究をされている現代教化の先生、そして布教の研究をしている布教研究所。

宗学・事相・現代教化・布教。これらの研究機関に所属する研究員が、毎週火曜日にテレフォン相談員として詰めるのですが、今日は宗学の先生が欠席、で3名。

相談は、いつもより少なかったようですが、内容はいつになく濃かったですなぁ。というのも、思わず感情が昂ぶってしまったからですが。

仏教知識を山ほどお持ちの方(常連さんのようですな)が、電話を寄越してくれました。圧倒的な知識を背景にした難解な質問に、思わず「貴方様は、それほどの知識を何のために使おうと思ってらっしゃるのですか?」

語気を荒げた挙句、質問に質問で返しちゃったよ。相談員失格ですな。トホホ。

2006年5月22日(月)
大人ってすげぇや

11:00からT寺の大奥さんの葬儀。出棺前の会葬御礼で、施主である現住職が、味わい深い挨拶をなさった。「こんにちは〜」ではじまった語り。会葬御礼の挨拶としては、あまりにも奇をてらった語り出しでした。

聴くとはなしに気が付いたのが、昂ぶる感情を抑えつつ、聞き手が分かりやすいように言葉を選んで、思い出話をなさっている。体裁よりも聞き手、坊さん仲間よりも大奥さんを偲んで集まってくれたお檀家さんへ向いて喋っておられたのね。すごいお坊さんです。

19:00から西光寺の檀信徒総会でした。N院住職が憑依したかのような講義口調で、議事をバリバリ進める。トントン拍子にことが運び、ハタと気が付いた。こうした会議の終わらせ方を知らなかったんだよねぇ。どうしたもんかとワウワウしていたら、役員さんが助け舟をだしてくれた。「本会号の議事についてご賛同頂けるようでしたら、拍手を持ってのご了承を頂戴したいのですが…」でシャンシャンとお開き。

T寺のご住職さんの自由奔放な振る舞いは、まさに貫禄のなせる業といえるでしょうかね。総会をカチッと納めてくれた役員さんもそうでしたが、人生経験豊かな大人に助けられての1日でした。

2006年5月21日(日)
クセになっちゃう、かも

7:00N院入り。10:00のご法事の前に本堂の掃除を済ませるべく早入りしました。のっぴきならない事態になると、ヘンなものが分泌するのか、いつもどおりの掃除をした割には、短時間でおわりました。出てたんでしょうね、ヘンなのが。

N院のお世話人さんA家のご法事が、11:00から。A家のお家の皆さんがお寺へ寄せてくださる心配りに応えるべく、「一緒にお経をあげるのでよろしく」とN院住職。

次の法事の支度を終えたのが12:20。“M院(港区)13:00必着”がチラつくもんで、挨拶を済ませつつ失礼を詫びつつ姿をくらます。N院のお家の方には、コチラの背中越しの「それでは失礼しま…」という挨拶が聞こえたかも。

プリウスをそれなりに走らせた甲斐あって、12:50過ぎに、年に一度のお施餓鬼で、何時になく賑やかなM院到着。今後、何かにつけてご厄介になるM院のお家方々、お檀家さんとの初顔合わせを、「13:00頃に」ということでしたから、に合って良かった。

連れが、M院お檀家さんの気持ちを解してくれていたこともあって、反応が良いこと。15分のつもりが20分喋っちゃったよ。時間厳守は最低限のマナーなのにねぇ。反省です。

法要が終わった15:30頃、M院のお施餓鬼にいらした関係各位に挨拶を済ませ、後片付けもせずに失礼してしまいました。というのも、実家のG寺の隣り寺、T寺の大奥さんが昨日身罷られたので、18:00から大奥さんのお通夜。タイミングが悪いことに、首都高速3号線は上下線ともに補修工事のため車線規制。早めの行動をしたかったもんで。

約束事は、その内容がどうであれ時間厳守で動いているのですが、今日ほど時間を気にしてハンドルを握ったことはありませんでしたな。滞りなく日程がすんだあと、西光寺の明かりをつけて、椅子に腰掛けたときには、思わず「やれやれ」と独り言。

2006年5月20日(土)
「似て非なるもの」というか「まるで別もの」

M院サン(港区)のお施餓鬼がいよいよ明日に迫りましたので、今日もN院サン(豊島区)早入り。

緑が比較的多いN院の境内は、いまやカラスに大人気。とうのも、23本植わっている山桜のさくらんぼが、熟してきましたのでね。それを目当てに集まってくるわけですな。昼時分に集まってくるのは、池袋の膨大な家庭ゴミを食べた後のデザートなんでしょうかねぇ。

去年だったか、通りがかりの紳士と一緒に一つ二つ口に含み、カラス感覚を味わったっけ。あと何十年は口にしないでしょうけど、甘くて苦い、さくらんぼ風味の果汁でした。

10:00M院さん入り。出入りの石屋・植木屋サンが、手伝ってくれたようで、仕事らしい仕事は殆ど残っていませんでした。本堂の拭き掃除、座敷の支度をするのみ。ちゃっかりお昼ごはんを頂いて14:00まで。

実家のG寺に戻り、手早く文書を拵えて西光寺へ。19:00からの婦人部会に備えて、座敷の掃除と支度をし終え、エスプレッソマシンを点け一服。薫りを味わいつつボンヤリと。

何気なく日々を過ごしているけれども、いつ頃からか劇的な変化が起きたような。まるで意識の外にあった効率を何につけても考えるようになりましたなぁ。「頂いた時間を使い切る」と心がけでもすれば、自ずと時間の有効利用は考えるんでしょうが。

半分ほどになった褐色の水鏡を覗きつつ、疾風のごとく突っ走る忙しいお坊さん達の後ろ姿を毎日見りゃ、そら影響も受けるわな、などと。何かと用事が立て込むようになった現況を鑑みると、追いかけているお坊さんみたいな生き方になっているのかも知れぬ、と自己満悦。

強ち忙殺されるのも悪くない、などとニタニタしてましたが、追いかけているお坊さんとコチラとでは、忙しさの質が異なることに気が付きました。
…気づくの遅過ぎですが

2006年5月19日(金)
クリソツ

N院(豊島区)サンで一仕事。いつもより幾分早いりして、お掃除開始、というのも、明日は婦人部会、22日は檀信徒総会。西光寺のお座敷での寄り合いがあるので、座敷の掃除やら、会合の文書づくりやらをしたかったもんで。コチラの都合で物事が全て回る筈もなく、終了はいつもどおり。

帰りしな、鬼子母神の商店街に新しくできた和菓子屋さん(主に今川焼きを取り扱っているようです)に行きました。方々から寄せられた出店祝いの花が、お客さんの入店を拒むかのように飾り立てらている。

女将さんが1人で店を切り盛りしている様子。まとまった数をお願いしたので、女将さんは忙しく荷造りを開始。コチラはというと、まるで放置された状態。手持ち無沙汰を紛らわすべく、ところ狭しと並べられたお祝いの花を観たり、女将さんの手際なぞを観たり。嫁の一々をチェックするかのような小姑感覚でしたな。

とりわけ大きな祝い花が目に付きました。名札には、♪イヤン、バカァン…♪でお馴染みの、林家木久蔵さん、息子さんの、きくおさんの名前。「何か関係があるのかも?」と思って女将さんの顔を見ると、きくおさんに何処となく似ているような。

お会計の時も、「きくおさんに似ているけれども、綺麗すぎる」などと失礼なことを考え、気のせいかと思いもしましたがね、やはり姉弟か兄妹だと確信するいたりました、といっても自分勝手な思い込みなんですが。というのも、愛想笑いが、きくおさんソックリ。

「どれぐらい似ているのか?」ですか。そうですなぁ、朝のワイド番組の占いコーナーを見ながら、女将さんの愛想笑いを思い出せるぐらい。

2006年5月18日(木)
今日も面白かったっス

西光寺の役員変更のため、先日の世話人会で選出された第一候補のK家へ。檀信徒総代、役員とK家宅の門前で9:00集合、だったんですが、洗濯に夢中になってしまいましてねぇ、総代さんからの携帯電話で、約束を思い出しました。

K家の旦那さんは世に言う「地元の名士」で、イの一番の選出。でしたがね、「体調が思わしくない」ということで、ご遠慮されました。あまり無理強いもできませんしねぇ。残念でしたが。

第二候補者のMサンは、こちらの窮状を察してくれてスンナリ引き受けてくださいました。新体制で気持ちも新た、といっても今までどおり出来ることから手をつけていくだけですが。

20:00chippy(新小岩)での声明ライブ。今回はM院のご住職のつながりで、若手のバンド「輪」のメンバーらと。

輪のメンバーの作り出す音は、元気で無邪気な楽しいものでした。デジュリドゥのメンバーとは、一味違う感動をお土産にと家路に着きましたとさ。

2006年5月17日(水)
ご詠歌DAY

お世話になっているM院(江戸川区)さんで、若手のご詠歌の先生方との勉強会。豊山流大師講本部から、一応お墨付きを頂いた立場ではありますがね、しばらくすると外れるのですよ。自分勝手な、我流という。何よりも、自身に問題意識を向ける勉強会ですな。

10:0016:00までみっちり。午後から、M院さんは写仏の会。とはいえ、みっちりやらせて頂きました。とりあえず、未熟な曲の洗い出しを終えました。次回からは、より完成度の高い習熟を目指した本チャンの開始。

19:30〜実家のG寺でご詠歌。528日の日曜日が護摩焚きなので、変更してもらいました。

「折角持ってきておられるのだから…」と3巻立てのご詠歌教典それぞれから、1曲ずつ選曲して練習。「持ってきた甲斐があったネ」などと、概ね喜んでもらえたようでした。

2006年5月16日(火)
酒が効いていたのかもしれませんが

池袋の東京芸術劇場で催された、立川談春さんの独演会に行ってきました。500名近くは入ろうかという中ホールは満席。志の輔さんが渋谷のパルコを一ヶ月ぶち抜きで大入り札止めにしたときも、感じましたけど、1人の力でこれだけ集めるんですよねぇ…。身に付けた芸の物凄さとしか言いようがありませんな。

『お見立て』
仲間7人との開演前に待ち合わせ〜腹ごしらえ。落語を縁に集まってワイワイ飲るのも楽しみの一つ。飲り過ぎまして殆ど寝ちゃってた。淡々として含みのあるマクラを、それなりに楽しんでたはずが、オチだもの。勿体無いことしました。
二席目『?』(初めて聴いたネタでした)
夕霧という花魁が惚れぬいた男。方々から預かった金を使い果たした結果、「金を騙し取られた」という訴えにより、ブタ箱へ。夕霧は惚れた男を社会復帰させるべく一計を案じる。“騙し取った挙句使い果たした”ではなく、“回り中から借金をした”ということにすれば放免されると、方々頭を下げて回るが…
 ホンワカした余韻が残るんだよなぁ。喋っているだけなんですけどねぇ。

2006年5月15日(月)
精進とかけまして、中毒患者と解く

お昼から、宗務所で行われている若手を対象にした布教の勉強会に合流しました。講師は、ご詠歌やら布教やらでトコトンお世話になっているM院のご住職。

ランダムで選んだ仏教用語をテーマに、3分の話しを4本つくりました。話しの引き出しをどれだけ備えているか、ある意味でどれだけこじつけられるか、が試される内容とでも言えますかね。それにしても若手の注意をぐいぐい惹きつける吸引力はさすがでした。

いつぞやのラジオで、「沈思黙考してるだけじゃアイデアは生まれない。考え事をするには言葉が必要。」何てことのない無駄話をに吊られて良いアイデアがズルズルッと引き出されることもある、という。

これに勇気付けられて、話しがまとまらないうちに実際話すつもりでイメージ。なかなか良いものは出てきちゃくれませんでしたが、それなりに、話しがまとめられましたかね、説得力はともかく。

2006年5月14日(日)
人生の一大事。後輩の。

9:00にFチャンが住職を勤めるF寺入り。赤城山から吹き降ろしてくる空っ風は地面を削る勢いなのか、「とにかく土埃がすごいんです」とのことで、本堂の濡れ縁をモップがけ。実家のG寺でもN院でも、西光寺でも、ここまではしたことがないので、思わず「いつもここまで拭いてるの?」とFチャンに聞いてみた。「人寄せがあるときには大体…」。聞きかじりで勝手がしっかりわからないまま、モップ掛け開始。

たまの思い付きでモップを掛けたんじゃつかないであろう跡が、人目の及ばない奥から続く濡れ縁を拭くのは感動的でしたな。Fチャンの真面目な人格形成にも、躾けた親御さんも、空っ風と土埃に育て上げられたんだ、などと。そう思うと、土埃を拭いてしまうのは申し訳ないような気もしました(出来る範囲でやりましたよ)。

結婚式が開始されると、後は野となれ山となれで、何をどう話したのか、誰がどんな表情をしていたのか等、式中にはあれだけ把握していたこと把握するように務めていたことを具に覚えておりません。きっと、無我夢中だったんだろうな、などと嬉しくなりました。

我を忘れるほど物事に集中する。こんなことを久しくしていない、と思ったら布教の現場では、いつも無我夢中でしたな。

そうそうFチャンの結婚式と披露宴は、どちらも温かみがあるいい時間でした。無口なパチンコ屋のアナウンスみたいな司会者も面白かった。

2006年5月13日(土)
大人の対応

N院で一仕事。住職が港区のE寺さんで、お説教を頼まれているとかで、代わりにご法事のお経をあげさせていただきました。住職がするように、お経の前後で短い話。「住職が話す内容をなぞったほうがいいかも?」などと。耳朶に残る住職の話を反芻しつつご法事の準備を進めました。

記憶に残る住職の口ぶり手繰り寄せつつ、凡その話しをまとめる。話がまとまった頃、タイミングよく法事開始。聞き手の顔色を観ながら、話をすすめていましたらね、全然違う話になっちゃった。これだけ違うと「何のための準備だ」などという気持ちにもなりますがね、むしろ清々しいですな。コレはコレで何かのときの肥やしになりますし。

明日は愈々、N院で一緒に働いた後輩Fちゃんの結婚式。結婚式で行われる作法の一々を参列者へ案内する役(説戒と言いますが)を頼まれてますもんで、気持ちが盛り上がってきました。当日早くから手伝いをするべく、前日入り。リハーサルを済ませ、しゅうよ先輩、甥っ子Sさんと親交を深める。

幾分咽喉を湿し、気だるくなった頃、「こういっちゃなんですけど、先輩よりも楽しい話しが出来る」などと暴言。言ってる側から、「オイオイ“楽しさ”って人それぞれなんですけど」と頭の中では突っ込みが入る入る。

「ホホーッ、そこまで言うなら明日の説戒は聞き逃せないですねぇ」と先輩は仰いませんで。ホント恐れ入りました。

2006年5月12日(金)
ところてん方式

N院さんで一仕事終えてから有楽町へ。国本武春さんの『観客養成講座テリング』の2回目。幾らか早めに着いたので、腹ごしらえで近場の居酒屋へ。いつの頃からか、「居酒屋といえば赤提灯」が刷り込まれたのか、蛍光灯の無機質な白い明かりの中に提灯を見かけると、何だかヘンに落ち着いた。席に着くや、ポンとお絞りを取り出し、顔中、首周りをグーッと拭きたい衝動に駆られる。「こうして大人になっていくのだ」などと人目を憚らずに実行。

国本さんは、多くのレパートリーの中から選んだ数曲を三味線とアコースティックギター(バンドの方です)で、たっぷり。中ごろになって、前回に引き続き新曲を拵えた。国本さんのお題を受けて、観客のそれぞれが思い思いの言葉を口に出す。観客のノリがいいこと。掛け声の訓練を受けているのからこその企画なんでしょうな。

ご詠歌を指導する立場にいるからか、歌そのものだけでなく、唄っているときの仕種や表情に注意がいってしまう。『忠臣蔵』で語る凛とした浪曲師の顔はスッと陰を潜め、情感たっぷりに歌う歌手の表情とでも。「浪曲も歌謡も、浪曲のつもり」と国本さんは仰います。個人的には別物なんですが。浪曲では複数の人物が登場しますが、歌謡曲には、そうポンポン人物は出てきませんのでねぇ。聞き手の受け止め方もそれぞれでしょうけども。

こないだのT寺さんでのご詠歌でのこと。休憩をとって練習を再開するときに、「それでは各々がた…」だって。
思わず「吉良邸討ち入りじゃないんだから」と一人で突っ込みを入れる。
…浪曲も聴いてますからねぇ。落語解禁のかわりに、浪曲断ちでも。

2006年5月11日(木)
♪はじまりは〜いつもコレ〜

午前中に護摩焚きを2座修法。スッキリした心持ちで、ご詠歌(昼の部)。

5/14の後輩の結婚式で、説戒師(案内・進行役のような役まわり)をするんだけれども、渡された進行表にザッと眼をとおしただけ。さすがに気忙しくなってきましたな。

パソコン立ち上げて、進行表を眺めつつ、しばし。思いついたようにメールチェック、ネットサーフィン。挙句の果てが『無限の住人』。コレがいけなかった。「明後日のことなんだから、明後日の朝にやったほうが新鮮な話しが出来るはず」と思っちゃったよ。

気持ちを新鮮にすることは、真っさらな状態でいい、ということじゃなくて、あくまでも心構えの話し。必要な知識や準備も要りません、てことじゃないんだよねぇ。

ご親戚の座る位置なぞを想像しながら、堂内の様子を想像してみる。チ〜ンというお導師さんを引っ張ってくる音が、段々大きくなってくる、自然、堂内のご親戚、新郎新婦の気持ちも引き締まってくる。導師の姿が視界に入った、このタイミングでお伝えする、
「……」って、何も出てこない。

2006年5月10日(水)
ソリャもう大騒ぎさ

法話の仲間へ超特急での手紙発送。5/24に巣鴨の真性寺、6/19には、節談説教のS先生の講習会ということで。800過ぎから文書づくりしたものの、見返すたびにミスを発見。時間の余裕もないので、「えいやっ」と郵便局へ。諦めが肝心、ですな。

T寺さん(中野区江古田)でご詠歌でした。1週間ぶりの講習ですが、トンとご無沙汰な感じ。長谷寺での時間もさることながら、戻ってきても濃密な時間でしたからねぇ。昨日の布教研究所は、面白かったからなぁ。思わず、「何だか久しぶり、でも無いんですけども…」で、講習開始。あっという間の2時間は、いつもどおり。

1900〜にぎわい座で『白鳥奇想天外まつり』。
3バカヘッズ
前のネタと同じかな、と思いきやスゴイの持ってきましたなぁ。全身を白タイツに黒い手袋、股間にマネキンの頭部をつけて、撫で擦るという。『欽ちゃんの仮装大賞』で受賞した芸だそうな。たしかに黒い手袋が、風になびく髪の毛、リーゼントにも観えてくる。面白いことを思いつくもんです。
・白鳥さん『火焔太鼓』
志ん生さんから志ん朝さんへ受け継がれた『火焔太鼓』。志ん朝さんにとっては「オレに断りなくこのネタをやるなんて…」などというぐらい、思い入れが強かったそうな。遺志を継いだお弟子さんも「古今亭のネタだ」といった誇りを持っているほど。それなのに、「オマエは許す」というお墨付きが出たそうな。
・だるま食堂
中入りをはさんで、だるま食堂だよ。「『白鳥奇想天外まつり』というけど、もしかしたら“奇想天外担当”かも?」と言ってましたが、観客の誰もがそのように受け止めてますから。相変わらず薄気味悪い見た目に、確かな歌唱力。ホント面白かった。
・白鳥さん『天使がバスを降りた寄席』
照明やBGMを使うネタなのね。噂には聞いてましたが、初めて観た。このネタを喬太郎さんか三太楼さんなんかが演ったらどうなるかなあ、なんて。そうそう、三太楼さんが廃業しちゃったってねぇ。もったいないことで。

2006年5月9日(火)
怒られるかと

10301600頃まで、布教研究所の寄り合いでした。事務連絡とあわせ、長谷寺のボタン期布教の報告。午後から宗派で頒布している小冊子の校正を3つ。終えてから、尊厳死について先生方と議論。

交通量の少ない時間帯に都内に入って、食事、パソコン仕事、休憩などで時間調整をするのが常。宗務所の開く900少し前に、布教研究所へ入室。

930頃、Y所長がお見えになりました。
「アナタのことをお参りの方が知っとったぞ…」
「ハイッ、エッ!?
所長が五重塔のあたりをとおりがかったところ、複数の方から「今年は、案内の方いらしてないんですか?」と聞かれたようで。中には、名指しの方もおられたとか。有り難いことです。

…それにしても、自己紹介はしとくもんですねぇ。

2006年5月8日(月)
♪この世の旅は〜重き荷を〜♪

プリウスのタイヤをスタッドレスからレギュラーへ履き替えるときに、トランクの荷物を下ろしたところ。大振りの段ボール箱1つにてんこ盛りの雑貨。積んでますねぇ、我ながら。前回はダンボール2箱だったっけか。そのときの荷物も“下ろした”だけで、その空間を移動しただけ。根本的な整理はまだなんですな。何とかしたいと思っちゃいるんですが。

1300〜宗務所で本山資料の編集会議。去年の半ばから手がけてきた長谷寺の資料も、ようやく校了。ここで得た知識は、昨日までの布教ゲリラで大いに役立ちましてねぇ。ゲリラ布教にお付き合いくださったかたも、満足していただけただろうと。

参拝者が喜んでくださってることに関われたのであれば、本山の資料編集で培った知識は、ご本山へのお土産に成りえましょうや。喋りすぎによる顎の疲れと心地よく軋む足腰は、お山から頂いたお土産とでも。

2006年5月7日(日)
最終日。残念ながら。

「仁王門から屋根続きで足を運べる観音堂とは違い、布教会場として開放していた御影堂は濡れる覚悟でないと…」などと、いらっしゃっていた布教師の先生方も仰っていた。参拝者のグッと減る雨の長谷寺をご存知だからか、「少人数でもはじめます…」と、気持ちを固めたおられたそうで。

横殴りの雨の中を来られる参拝者ともなると、モチベーションがそもそも違うのか、3箇所に分かれた法話会場それぞれに、概ね人が入ってくれたのだそうな。

幾らか消耗したようですが、帰りしなに回廊を登る参拝者の姿を観るにつけ「これから観音堂か…法話会場の御影堂まで足を運んでくださるかしら」「この方は五重塔での話を聞いてくれそうだ」などと。

リハビリが必要でしょうな。

2006年5月6日(土)
大海原へ一石を投ず

布教ゲリラ2日目。ゲリラを5回にお茶所で15分程度の話しを2回。ゲリラは1時間程度かかるから、都合5時間30分喋っていたことに…喋りすぎですな、我ながら。口を開けるたびに、そこはかとない痛みが伴うわけだわ。

ゲリラを終えてから、ダラダラ坂にゴツゴツした石段を上り、休憩地点のお茶所へ戻る。市野谷のご住職が茶目っ気たっぷりにお話中。強烈な引力を持つ喋りを聞きつつ息を整えていると、「それではどうぞ!」と振られ、お茶所でもお喋り開始。

何をどれだけ喋ったのか記憶が定かではありませんが、とりあえず話を結ぶと、「あの〜下でも話しを伺ったS田と申しますが…」と声をかけていただいた。隣りでニコニコしている奥様らしき女性が「うちのが、『あの調子じゃ、きっと上でも喋るよ』っていうものですから、追いかけてきたんです」だって。うれしいやら有り難いやらで四方山話に花を咲かせました。帰りしな「また来ますので!」と、何にも代えがたいお言葉を頂く。

仲間の耳にも聞こえてくる「お話しを楽しみにしています」「またお会いできてうれしかった」「紅葉にも参りますので」etc。お参りにこられる方の反応は概ね好意的。初心を忘れず精進を重ねていきたいものです。

一昨々年の紅葉の頃に、川口のカンニングI川さんと始めた長谷寺での布教活動。熱意と能力を兼ね備えた仲間のおかげで、「布教の長谷寺」という芽が膨らんできたようです。もっとも、ここからが(これからもですがね)踏ん張りどころなんでしょうけど。

2006年5月5日(金)
法話でスパイラル

総本山長谷寺での法話初日。牡丹はどんぴしゃ、抜けるような青空、木陰では爽やかな風を楽しめる。そんなこともあって、お参りの方も多かったようですねぇ。

本堂左手の西の丘にある五重塔から奥の院までの布教ゲリラを3回、弘法大師を祀る弘法大師御影堂、大学時代から布教の拠点にしていた御茶所でそれぞれ1回ずつ。

一昨々年あたりから話しの内容は同じ。毎回聞き手が変わるのだから、話を変える必要はないのかもしれないけれども話し手はネ、毎回同じものだと飽きちゃう。

新作落語のパイオニア三遊亭円丈さんが、作者であり演者である自身のスタンスを、粘り強く飽きっぽいと分析してたっけ。無駄のない練れた話しは聞き手にとって失礼のない話。「またこの話しか…」と心のどこかで疑問符をともしながら同じ話しを続けるのは、誠実さに欠けるし。なかなか解消しがたい難問を抱えたようです。

かくなるうえは…だめだ、“とりあえず飲む”しか思い当たらないっす。