日 記 ど う ?




◆平成18年6月の日記どう◆


2006年6月29日(木)
詠歌三昧

M院サン(江戸川区鹿骨)で、10:00〜16:00までご詠歌の勉強会。既に地元で、講師として活躍されている(?)先生のための講習。長く指導者育成に携わっておられるM院のご住職にミッチリと稽古をつけて貰える貴重な機械であることにかわりはないのですが。

今回から新学期がスタート。基本的なご詠歌の楽曲を完全マスターすべく時間を使おう、という趣旨です。前回までは、今まで習った楽曲を、しっかり覚えているか確認の時間でした。しれから考えれば、今回の日程は、よりキビシイものになるわけで。

にもかかわらず、新規賛同者が3名も追加。埼玉、茨城、福島から起こし頂けるのだという。

滋賀からお越しくださる同志をはじめ、時間と電車賃を使って足を運んでくださる。それを考えると、一分一秒たりとてムダにはしたくないものです。

2006年6月28日(水)
オジ馬鹿

T寺さん(中野区江古田)で14:00〜16:00までご詠歌。
7/11に迫ったお施餓鬼に備えて最終の練習。それとなくプレッシャーをかけつつ、楽しく講習できましたでしょうかね。7/11当日が楽しみな出来でした。最近、講員さんの雰囲気が良い意味で変わってきたような。有り難いことです。

18:00に、母、姉の家族、母方の爺さまに、連れと合わせて6人で食事会。姪っ子のチビ達は、連れと初顔合わせでなんだか緊張しているようでした。そうした仕草を見て、「なんだか成長したなぁ」などと。

おとなしいお姉ちゃんに活発(通り越してヤンチャですな)な妹。その2人が揃って上目使いでモジモジする様子は。思い出すだけで頬っぺが緩みますな。座布団一枚の上で、手足をワヤワヤばたつかせていた頃から知っているだけに、感慨もひとしお。

逞しく育って欲しいものです。

2006年6月27日(火)
アマ〜イ見通し

写経会でした。6/22にお迎えしたお大師さんをご覧なすった参加者から「いいお大師さんがいらっしゃいましたねぇ」と。
「ええ、まぁオカゲサマといいますかねぇ…」などとおざなりな受け答え。

これには理由がありまして。鳳仙寺さんで、魂抜きのお作法を一旦修めて、西光寺まで車に乗せてお連れしたのね(そうでないとお大師さんを簀巻きにしたことになるもので)。まだ魂入れのお作法を施してないので、個人的には、お大師さまというよりも、お大師さまの銅像と受け止めてしまうんだよねぇ。

その銅像は、西光寺本堂前に仮に置いてあるだけなんですな。写経にいらしたオバチャンに聞かれましたよ。
「何時ちゃんとなさってあげるの?」
「8/1のお施餓鬼で、お披露目をしようと思ってるんです」
「そうなんですか!それは楽しみですねぇ」

…言っちまいましたよ。ということは、8/1までにちゃんとするってことだよな〜。東京のお寺さんの繁忙期は7月。N院さん(豊島区高田)には、7月の7割がたお手伝いでお邪魔することが恒例だし。

『成せば成る』と信じて動けば、“なんとか成る”筈なんですが。

2006年6月26日(月)
余計な気遣い

I院(茨城県つくば市)のご住職、S先生に、金原亭馬生さんの独演会へお誘い頂きました。開演前に腹ごしらえする都合で、16:00待ち合わせ。なんでも金原亭馬生さんを早くから知っていて、応援されてるんだそうで、馬生さんが真打のお披露をしたときの手拭いをS先生に頂いてるんですよねぇ。

上野界隈の地理に明るい連れに誘われ、鈴本演芸場に待ち合わせ時間ジャストで辿り着く。S先生は既にご到着されてたようでしたが、「オレもホントに今来たばかりだから。それはそうとと、腹ごしらえでもしようや」だもの。かっこ良すぎです。

自席に着くと、隣の席で短い白髪頭のおばあちゃんがちょこなんと座ってる。化粧ッ気のないどこかでみた風貌…すぐさま「美津子さん(志ん生さんの娘さん)だ!」と心の中で叫ぶ。

村上さんは志ん生さんと親交があって、「私の話しの師匠は、志ん生さん」なんて言葉も村上さんから聞いてるし。なんにしても、娘さんの名前を知っているのも、村上さんからアレコレ話しを聞いていたからだし。

好きな酒がたたって身体を壊した志ん生さんが、美津子さんのお世話のもと自宅で静養してた。食事時、目の前に並べられたお膳のなかにコップ酒がない。「おーい、酒を持ってきてくれ」と、病み明けの声で頼んだそうな。

志ん生さんの身体を気遣って、美津子さんはコップのお酒を水で薄めて持っていった。一口飲んだかと思いきや、ぐーっと飲み干して、コトンと卓にコップを置いて一言
「随分酒っぽい水だねぇ」

隣で独りぽつねんと座る美津子さんに、村上さんを偲んで昨晩仲間と集まってたことを言おうと思いました。けどね、今回は止しました。というのも、「村上さん元気?」なんて美津子さんに聞かれたらと思うと。訃報を聞いた寂しさで、小さくて丸い美津子さんの背中が、余計小さくなるんじゃないかと。

いつになるのか分かりませんが、次回の金原亭馬生さんの独演会でお会いしたときには、お伝えしようと思います。というのも、あの村上さんが慕った志ん生さんの娘さんに限って、寂しさで腐るなんてことはなかろうと。

2006年6月25日(日)
村上さんという人

9:00〜15:00までN院さん。15:30〜17:00までN院の隣り寺で書道会。18:00〜銀座で村上さんを偲ぶ会。濃密な一日でしたかね、それなりにでしょうが。

村上さんを偲ぶ会では、毎月M院さん(江戸川区鹿骨)で行われていた『話の寺子屋』の主だったメンバーが参加しました。村上さんが思い出になって、もう1年かぁ。早いもんですな。

偲ぶ会の皮切りは、近況報告とあわせ「今日あったこと」で、2,3分の喋り。メンバーそれぞれが、村上さんが仰ってたことを今も大切にして、これからずっと指標として掲げている。

村上さんとのお付き合いが何年続いたかは失念しましたが、月に一度の『話の寺子屋』だけでの接点。毎週顔を会わす方とは、会う頻度としては、大したことないんですがねぇ。何なんでしょうか、「もっと話しを聞いとくんだった」という心持ちや、「あんな先生が他にいないかねぇ」といった喪失感は。

月に1度、話をするだけなのに、こうも他人さまの人生に関れるもんなのですな。心の内面を探る僧侶としては、見習いたいものです。

村上さんに倣って、とにかく前向きでいること。今からできるこのことが、ご縁あるかたと温かい結びつきを生むヒントなのかもしれません。

2006年6月23日(金)
自己防衛的転化

N院で一仕事終えてから、宗務所で行われた研修会に出席しました。京都にある綜芸種智院大学の頼富学長直々の講演でした。
ソフトな語り口に加えて、ふんだんに映像資料を盛り込みながら充実の2時間。濃厚でございました。

終えてから、有楽町のイマジンスタジオで国本さんの催し。N先生にお誘い頂いて、研修会に参加していた連れと。護国寺から有楽町までの道中で、九段下の『斑鳩』に立ち寄る。17:00の開店前に行ったこともあって、スンナリ入店(店を出る頃には行列が出来てました)。

隣りの席には、男性2人組み。「どこかで会ったような?」というボロのベースボールキャップを被った若者と、同じ年格好のキビキビした物腰の若者。俄かに思い出せなかったので、間もなく来たラーメンに集中。

食後、口の中をさっぱりさせたくてお冷を一口。そこで思い出した。劇場版『ウォーターボーイズ』のCMで観た、ナヨナヨした先生役の俳優さんでした(名前がわからん)。そう思い当たると、向かいの男性がマネージャーに見えてくるから不思議です。

有楽町の待ち合わせ場所へ車を走らせながら考え事。あの俳優らしき人は、単に似ていただけだとすると、向かいのマネージャーらしき男性も単なるお友達。一般の方々に「俳優さんと其のマネージャー」まで妄想を膨らませたことが徒労に思えた。

「俳優とマネージャー」がホントかどうかはともかく、こうして誤解やすれ違いは起こるのだろうと、妥協案を捻りだして連れとのお喋りに興じましたとさ。

2006年6月22日(木)
特別な日です

山伏仲間のS寺さんが兼務する鳳仙寺さんへ、行ってきました。
鳳仙寺に祀られる修行大師像を、西光寺へ譲って頂いたのですが。

最澄さまが開かれた天台宗。それに所属するお寺に、若かりし弘法大師の像が祀られる?とは、なかなかピンと来ない話ではありますが(鳳仙寺さんは無宗教の信者寺で、占いをするお婆さんが信者さんのご奉納で建立した新しいお寺とのことです)。

鳳仙寺さんのお大師さまを、西光寺の世話人さん2人と赤ペンアニキでお迎えにあがる。順調にことが運び、6:30西光寺出発で、14:00には西光寺、15:00にはお大師さまを据えつけて解散しました。

お世話人さんが別れ際に
「「もう横浜に着いたのかよ」なんて言ってるかもね」
「…あ、お大師さんがね。足利から横浜ですもんねぇ。昔だったら4日ぐらいかかったでしょうかね」
「こんなに便利になったのかよ、なんて」

何はともあれ、西光寺に大師来る。

2006年6月21日(水)
準備

久々にJ院サン(板橋区)でご詠歌。13:0017:00までたっぷり使い78日のJ院さんのお施餓鬼に向けた講習。

前回初めての方がお見えでしたが、いらっしゃいませんでしたねぇ。ご詠歌の良さ(というか仏教の面白さ、でしょうな)が伝えきれず残念です。「もう1度チャンスをやろう」とばかり、またも初めての方がお見えでした。ありがたいことで。

「祖母に母、姉までもがご詠歌をしていたもので、いつかは…」と申し込んでくださったらしい。『三つ子の魂百まで』じゃありませんが、ご詠歌を耳に馴染ませておられたからか、飲み込みが早い方のようです。

ご詠歌講習会だけでなく、お声がけを頂いて法話をさせていただくときは、とにかく精一杯やろう、と夢中になって喋ってくるだけ。当初は、不安に駆られて念入り且つ綿密な下調べ等々をしてはいまいたが。最近はトンとやらなくなりました。

直前の下準備をやらなくなったのも、前もって準備したとおりにいった試しがない、からなんですが。準備は、直前にするんじゃなくて、いつか来るであろうXデーに向けて、いつも準備をしとくもんなんでしょうねぇ。

そんなふうに考えるようになってから、一夜漬けみたいなことはしなくなりました。もっとも、一夜漬でしか勉強してこなかった人間からすると、まるで勉強しなくなったことを意味しますが。こんなこっちゃいけないですな。

次回のJ院サンでのご詠歌は75日。今日お会いしたKさんが、お越しくださることを念じつつ。

2006年6月20日(火)
未熟

宗務所で、13:30〜東京神奈川のご詠歌大会打ち合わせ。企画に日程、当日の配役や、催しの手配等々、かなりのところまでパパッと決まって90分。来年219日に、趣向を凝らして決行です。

実は、午前中には既に宗務所の布教研究所にいて、『西光寺便り』の8月号の構成をしておりました。今回の巻頭コラムは、童話をイジるんですが。話の種をみつければ、終わったも同然ですので(もっともこれからが長いのですが)。

帰り道で最高裁の脇を通りがかったところ、日本テレビの女性キャスターが、重厚な建物を背景に撮影してた。車内に響いてた柳家権太楼さんの『らくだ』をテレビ音声に切り替えると、各局で山口母子殺害事件の最高裁判決を受けての特集が組まれていました。

専門家ではないので何ともいえませんが、どちらにも偏ることのない判決をしてもらいたいものですねぇ。

犯人が友人に送ったという手紙が公開されていますが、あれを読むと何ともね。個人的には当然だけれども、僧侶としても掛けられる言葉が見当たりませ。精進するのみなんでしょうが。

2006年6月19日(月)
「文化の薫り高い越後の国からやって参りました」byしぶやすきー

緑葉の薫り高い音羽は護国寺にある宗務所をお借りして、渋谷隆阿先生をお迎えしての節談説教講習会。布教を志す青年僧侶15名が参加しました。

往時は大流行した節談説教。一つの時代をつくっただけに、今では風前の灯といっても言い過ぎではない状況にあるそうな。その語りは、我が国の伝統芸能の母ともいえ、講談、落語、浪曲や歌謡曲、何れともいえない味わいがあるのですがね。

今回の講習では、渋谷先生に「節談説教の新作を創って欲しい」と不遜にもお願いしました。その目的は、節談説教の作り方を教わることにあったからです。

日頃から「創業当時のものを守り続けるからこそ価値がある」と考えています。しかしながら、「頭のてっぺんから爪先まで同じ」筈のないものでしょう。

同じ方向を向いているのに、どうしても歩く速度が異なってしまうのは当然のこと。同じ方向を向きながら、道なき道を進みたい衝動に駆られる者が出てくれば、頭ごなしに否定するのも大人気ない。

違う道のりを行く者を真っ向から否定せず、やんわりと包み込んだからこそ、「八万四千の法門」などという言葉があると思うんですよねぇ。

落語を伝統芸能とみる方もいらっしゃいます。「先人が磨きに磨いた噺だからこそ面白いのだ」というように、金科玉条のごとくクスグリまで口移しするスタイル。これはこれで貴いものです。

「落語は娯楽である以上、現代に即したものでないと寂れてしまう」と危機感を持っている噺家さんが居ることも事実。好きな噺家サンは、皆この手の方々。

「古典足りうる節談説教を創ろう」という動きは、実のところ一昨年あたりにはありました(市野谷のご住職との間で、ですが)。
自作の節談説教開陳に向けて、まずは第一歩ですな。

2006年6月15日(木)
悠々としてたかどうだか

11:0017:00まで、M院サン(港区)で引越し手伝い。といっても、両手で抱えられる小物を運び出すぐらい。「手に負えないものは業者の方にお願いしたから」と連れから聞いて、意気揚々と参上した次第。

骨董品が好きな連れの荷物の中には、「さすがだねぇ」と唸ってしまう面白いものがありましたな。

子供の頃、既に古びて観えた“たばこや”という看板(赤字に白抜きのネ。ブリキ製なのかねぇ)。

古びてはいるけれども、見るからに頑丈そうな腰高の椅子。

売っていないから、買えないものばかりがあるんですな。

古くてもいいモノと、古いからいいモノが混在している荷物を運ぶのは、それはそれで面白い時間でした。

18:45から読売交響楽団のコンサート。テレビの収録とかで、無料チケットを頂いて。

個人的には、ゆっくりとした楽しい一日でしたかねぇ。
例えて言えば、木々の葉っぱを下から仰ぎみて、張り巡らされた葉脈を辿ってみたり、幹に触ってざらついた感触を確認してみたり。

2006年6月14日(水)
陶酔

実家のG寺でご詠歌。久しぶりの昼の部(13:0016:00)でしたから、張り切りました。日中、長谷寺を歩き回っていたので、腿が突っ張らかってますが、ご詠歌のあいだ、正座をしての3時間なので、ストレッチがてら。

講習を終えてから「やれやれ…」と息を吐き出す。咽喉の調子も良かったので夢中になって唱えていたようです。疲れが溜まっていたのを、しばし忘れてました。出てたんでしょうねぇ、疲れを忘れさせてしまうヤツが。

19:00から新小岩のChippyで声明ライブ。前回に続いて『輪』のメンバーと交替で出演。

楽しい音楽を聴くと元気が出ます。今晩は、『輪』の3人が紡ぐ、熱くて爽やかな歌を聴いて、帰りは元気でした。
出たんでしょうね、例のヤツがね。

2006年6月13日(火)
贅沢もの

我らが本山(奈良県桜井市の長谷寺ネ)で、ご詠歌の全国大会が催されました。

国宝に指定された本堂、お大師さんを祀る弘法大師御影堂(みえどう)、五重塔、奥の院(陀羅尼堂)などで、参加された各支部が、それぞれのペースで足を運んで、ご詠歌を唱えつつのお参りでした。

「こんなにゆっくりお参りするのも良いですね」などのお声がけを多く頂けました。何方様も、何度となく長谷寺に因んだご詠歌を練習した様子。実際に足を運んでのお参りは一味違うんでしょう。

とかく団体での巡礼というと、バスで目的地の最寄まで乗り付けてササッとお参りをして次の場所へ移動。次の場所でも、誰かに追われるかのようにお参りを済ませ、次の場所へ…ボンヤリしている人間とっちゃ、短時間に沢山の情報量の盛り込みは、思考停止を意味するんですな。私事ですがね、出かけていることすら忘れていることすらありますもんね。

今回のようなお参りは、贅沢なんでしょうねぇ。一つ処に腰を落ち着けて、たっぷりと時間をかけて隈なく散策。そのぶんお参りしたという記憶も長持ちするんじゃないんすかね。限りある持ち時間に、しっかと「長谷寺参り」を刻み込むとでも。

何の記憶も残っていないような旅行もありますが、逆に考えれば、コチラも贅沢でしょうね。限りある持ち時間を何のために使ったのか、覚えてもいないんだもの。

2006年6月12日(月)
破綻パターン

西光寺檀家のK家の墓所を改修されるということで、K家歴代のご先祖さんを祀る墓前で、ご供養のお作法。お身内の皆さんには、『般若心経』ほかのおつとめをお唱えいただき、気持ちのこもったお焼香をしていただきました。

お焼香の様子を観ていると、凡そ何方様もマルミヤのふりかけみたいに刻んだ焼香を摘んでから顔の辺りで、おし頂いて香炭にふりかけているような。どっかしらで目の当たりにした仕種なんでしょうね。

自然な振る舞いでお焼香を備える割には、「お焼香は何回すればいいんでしょうか?」などという質問が、比較的あるのも不思議なことで。「そうですねぇ…お気持ちで、としか」と致し方なく答えてはいるんですが。

無沙汰続きでしばらく会わずにいたところ、変わり果てた姿で久しぶりの再会、なんて方は、近況を故人へ報告するつもりでお焼香を供えてきたんでしょうかね。

気配りをして貰ってばかりで、ロクすっぽお礼が出来ないうちに、先立たれてしまった方は、胸の内で故人へのお礼を申しあげつつ、お焼香をお供えしてきたんでしょう。

「頭に思い浮かべるのは、回数やお供えの仕方じゃない。故人への気持ちです」なんてことを機会がある毎に、弔問の方、参列者の前で喋ってきました。

だからという訳じゃないんですがね、西光寺のお檀家がどのようにお焼香をされるかが気になるわけですよ。「あぁっ!回数数える口の動きだ」などと。…パーフェクトな自己矛盾だわ。

僧侶に不可欠なのは、御霊へ対する回向の気持ちと施主への畏敬の念でしたね。
…参列者のお焼香の仕種云々に、拘ってちゃいけないんですよねぇ。

2006年6月11日(日)
ホントの話し

N院サン(豊島区高田)で一仕事。その頃西光寺山では、住職不在に関らず、お檀家衆が朝から草刈(雨脚が強くなり次第、散会したそうですが)。毎度のことになってしまいましたが、草刈は欠席続きなんですよねぇ。「せめてお茶の支度だけでも」とY棟梁に朝早くに届けて、N院出勤。

『西光寺山火祭り』をするためには、護摩壇を拵えるための樹が欠かせないので、法要で使うものを植えた。気候が良くなりゃ、木々の周りの草も勢い伸びてこようというわけです。

腰丈を超えようかという雑草が、植樹に覆いかぶさるように繁茂してるもんで草刈をするんですが、個人的にシックリこない。
「植えた木を保護するためには、草を刈り込むのかよ」という、自問に答えられないわけです(オヤオヤ、我ながら偽善たらしいですな。プリウスに乗って、環境保護を気取っているやら、進んで四足を口にしないだけで半端にベジタリアンを気取っているやら)。

西光寺山の様子をこないだ観てきたんですけど、小さい規模といえども自然はあくまでも自然なのですねぇ。所詮人類なぞは自然の一部でしかないんですな。車から降りた途端、お腹を減らしたメスの蚊が寄ってくるのなんの。あの集まり方は「餌が来たぞ〜」と報告したヤツが居たんでしょうな。

車内にたまたま積んでたタオルを慌てて頭にまいてから、山に分け入りました。この時期は、ダブルの蚊取り線香、虫除けスプレーは必須ですな。

檀家衆が山掃除をしている最中、N院に出勤しているのは、蚊に刺されるのがイヤだからじゃないってば。

2006年6月10日(土)
スマイル¥0

N院で一仕事。昨日の雨降りで座敷の支度や本堂の掃除がすんでるので、お墓の掃除に集中っと。

N院サンのお墓というと、9年前の721日の午前中の衝撃を未だに覚えてますな。というのも、前日行われたお施餓鬼で申し込まれた200はあろうかという施餓鬼のお塔婆を、住職が各家の墓前に立てかけていったからですが。

墓地の見取り図や、塔婆の申し込み名簿などを見ないまま、塔婆に記されたお戒名とお施主さんの名前だけで、ダーッと。住職として当然のことなんでしょうけど、実家のG寺はそういうことしませんでしたから(家墓が多いこともその要因ですがね)。

衝撃から9年経った今も、未だに何処に誰のお墓があるのか、あんまり頭に入っておりません。N院さんで数え切れないほど仏飯を食んでいながら、情けないことではあります。

今年こそ、報恩感謝の一助たるべく一軒でも多く頭にいれるぞっ!
…気づくの遅すぎです。我ながら。

かくなるうえは、お檀家さんが墓参にいらしたら、とびきりの笑顔でお迎えするぞいっ!

2006年6月9日(金)
親子競演といえば

N院サンで一仕事終えたあと、代々木上原のけやきホールへ。連れがパリに住んでた頃のお友達だそうで、ピアノと声楽のコンサートでした。

お友達であるピア二ストの伴奏で、ソプラノ、メゾソプラノがソロで歌ったり、競演したり。こうした趣向は初めてなので、興味深く観ておりました。

メゾソプラノの歌い手は、ポリデントのCMに出てきそうな白髪混じりの品が良いご婦人。傍らのピア二ストと、瓜二つ。演奏よりも、そっくりな目鼻立ちの御二人に気を取られてしまいました。
連れに聞いてみたら実の親子。何でも、お袋さんご自身が音楽がやりたくて仕方がなかったらしい。戦後のことで歌しか習えなかったとのこと。愛娘には、そうした思いはさせたくなくて存分に好きなピアノを弾かせてきたんですと。

娘の伴奏で歌う気持ち良さは如何許りかと、感動しておりました。息の合った音楽に、「あぁ、ホントに親子なんだ」と。親子競演といえば、師弟関係のことを指すもんだ、このところ刷り込まれてましたから、なおのこと新鮮でした。


2006年6月8日(木)
引き際、とは言いますが

終日、西光寺。本尊さんのお不動さんへのご供養のお作法。泊り込みで出かけたり、お盆のお参りやらなんやらで、体力的にも時間的にも朝のお勤めが辛くなりますもんで、前倒しということで。

西光寺の檀家 棟梁Yさんが、チャボヒバに鋏を入れにきてくれました。いつもお寺へ温かい気持ちを向けてくださる心強い親父殿です。

植木の剪定や、庭の整え方などを例え話に、いつも心の磨き方を教わっているような。
「植木は面白いもんで、すぐに答えが出るもんじゃない。気長に5年ぐらい待ちましょうや。その後に待った甲斐あった木になってますから」
『急いてはコトを仕損じる』ですから。その内容を吟味するには、ある程度の時間がいる。「進め」「退け」の他に、「止まれ」という選択肢があるんですよねぇ。

夕食を終えた20:30過ぎ、「久々に映画でも観に行こう」と思いついた。『ポセイドン』か『オーメン』か『トランスポーター2』か。珍しく迷った挙句『オーメン』にしました。

観想は「『ポセイドン』も面白そうだったな」とでも。
次の選択肢は「進め」ということで、近々『ポセイドン』でも。
「止まれ」を選択して、DVD3倍速鑑賞も魅力的ですが、ここは「進め」で。

2006年6月7日(水)
さすがに忘れた

T寺さん(中野区江古田)でご詠歌。613日のご詠歌大会に向けて、最終練習といったところ。

それなりに練習してきたこともありますが、今日は嬉しかったですねえ。ご詠歌の初心者にとって難解な曲が、バッチリ揃いましたもんで。思わず「コレで今晩のゴハンでおかわりできるぐらい嬉しい」などと口走る。

他人さまの成長を目の当たりにしたときの高揚感は、どんな気持ちと似ているのか、思い起こしてみました。

土砂降りの中傘をさして小一時間待って食べたスズキヤスオ(ラーメン屋さんね。今はちゃんとした店舗になってる)のラーメン。これは嬉しかった。肩口といい二の腕といい、さんざん濡れたこともあって身体も冷えてましたし。

こないだ横須賀での葬儀を終えてからT寺さんへ駆けつけたときも嬉しかったですな。慣れない電車で、分刻みの乗り継ぎがピタッとあって、何とか間に合わせてね。T寺さんの玄関をあがったときは、かなりの達成感でしたな。

姪っ子の成長をみるにつけ、言葉では言い尽くせない喜びを感じますが、これが近いですかねぇ、比較的。「何が?」って、他人さまの成長に関れたときの嬉しさと似ている経験談ですが。

2006年6月6日(火)
絵に描いた餅

N院さんで一仕事してから、布教研究所で寄り合いでした。宗内に頒布する刷り物に掲載するコラムの校正作業が3本。終えてから、当番幹事が、予め話材と資料を提示したうえでの議論。今回は、「若手布教師の育成について」とでも。

真言宗豊山派寺院の後継者たるべく、大正大学で学問、実践修の行を行うんだけど、経典の内容を研究する学問「教相」、伝統儀式を正しく行うための学問「事相」で、授業の殆どを消費しているとのこと。許されている僅かばかりの時間で、いかに布教活動の重要性を伝えられるか、という話になるかと思ってた。

当番幹事の先生は、「布教の何たるかが、分かりもしないうちには伝えられない」というスタンスでいらしたようなので、あまり後継者をいかに引き入れるか、というところまで、議論は進みませんでしたな。

イチロー選手に憧れて、サッカーのスター選手を目指して努力を始める子供たちは、実際にスター選手になったとしても思い描く憧れの選手目指して努力をやめない。

弘法大師に憧れて精進に励んだ諸大先徳も、冷静に憧れている目標の僧侶がいた筈。

若手に目を向けてもらうには、カリスマが圧倒的な力量を魅せつけることが有効だろうと思うんですが。「あんなお坊さんになりたい」という気持ちにさせられちゃうようなね。

憧れという自身で定めた目標は、即効性があるうえ持続性があるでしょうし。しかも、目標足りうる素敵な方は他にも居るから、そうした方と出会うたびにどんどん更新されていくし。

後は「この人は」というカリスマを推すだけ、なんですがねぇ。

2006年6月5日(月)
振り落とされないように

ご詠歌に布教にと、お世話になっているM院サン(江戸川区鹿骨)で、13:0015:00まで浪曲の会。すっかり魂を揺さぶってきました。

『同期の桜』富士路子
靖国神社には花嫁衣裳が奉納されているとか。若くして命を散らせた英霊へ、「彼の地では、かわいいお嫁さんを娶って幸せに暮らして欲しい」と願った遺族の気持ちである。そんな話しをM院住職が加えつつ、幕開け。

『祐天吉松〜飛鳥山親子対面の場〜』玉川福助
玉川福太郎さんのお弟子さん。初めて聞きました。随所に福太郎さんの節回しが聞き取れて、嬉しい。
 吉松が家を出てからも貞潔を貫く女将さん。その例えにある「オス猫一匹、膝の上に乗せちゃいない」。「吉松の女将さんを見習って、メスの蚊一匹、血を吸わせまいと誓いました」
N院住職お見事です。

『?』(左甚五郎が千人坊主を拵える話)東家三楽師匠
いきなり、落語でいうところのマクラを、軽やかな節回しで唸る。扇子を高座へ見栄え良く打ち当てて調子をとりながら語り進めて、アッというまの30分。
三楽さんに間に合って良かった

東家三楽さんが、M院さんにお参りに来られたのがご縁とかで、隔月で生の浪曲を味わえる、という粋な催し。

…羨ましい。月に一回、落語と浪曲を代わりばんこで出来たら面白いなぁ、などと。

2006年6月4日(日)
『幽霊の 正体観たり 枯れ尾花』

N院サンで仕事を終えて、実家のG寺へ。19:3021:00までご詠歌。コチラでは久しぶりなのでした。しかも5月の分。

若手の先生同士でいつだったか、ご詠歌の練習方法について情報交換したことがあって、お唱えの時間よりも長く喋っている、と話したところ、「良くそれだけ話せるね」「そんなに話材を持ってないよ」という、驚きを隠せないような反応。

褒められたような気がして(こういう思い違いを錯覚というんでしょうがネ)、気分良くなっているところへ冷や水を浴びせかけるようなキツイのが一つ。
「ただでさえ、講員さんは教本とご詠歌道具を持って重たい思いをしてるんだから、せめて一通りは、ご詠歌の道具を触って貰わないと。」
「…それも、そうですねぇ」
「喋ってばかりいなさんな」と諭していただいた。

コチラが楽しいと感じていることを、他所さまが同じように楽しく思ってくれるかは分かりませんもんね。その場に居合わせる全員が楽しい、という確証がとれないうちは、同じ目的で集まっているのだから、それをやりましょうや、と。

なるべく多く、三冊の教本とご詠歌道具を使うように心がけております。その甲斐あってかご詠歌の練習にも熱がこもるような…コレも思い違いかもしれませんが。

2006年6月3日(土)
本性露見

N院さんで一仕事。終えてからY院さん(新宿区下落合)で、習字のお稽古。

16:0017:30まで、先生の運筆や仲間の作品をみたりするものの、概ねが半紙に向かう時間。しかも集中しっぱなし。板橋からいらしたOさんと「いつも思うけど、自分を褒めたくなるほど集中しどおしなんだよねぇ」などと。

字が上手い方の運筆を見てると、ズルズル〜と一本調子で筆を運ぶことはなく、スッ、スッと見ていて楽しくなるほどリズミカル。要所要所でカチッと力がこめられているとでもいいましょうか。

分野は違えど、名人上手ともなると精神論になるような。
「ここで集中力が途切れちゃった」
「ここは力が入りすぎた」
とかね。
最早、技術や作為を云々するレベルじゃない方の言わんとすることは、「わざらしくない自然体でいること」自身に問うているような。そして、思うワケですよ、喋りで気をつけることも同じなんだろなって。

「いかに自然体で、普段の喋りをするか」を実践するつもりで、想像してみました。
…そういや、最近無口になったような気が

2006年6月1日(木)
♪ハイ、それま〜で〜よ♪でもないようで

N院さんに早入り。Y院さん(下落合)のお施餓鬼のお手伝いに行って来ました。

実家のG寺のお手伝いで、18:00から新横浜でお通夜。G寺の門前にお住まいのI家の旦那さんが身罷られました。

Iさんは、圧倒的な草花の知識と識見をもって『サカタのタネ』に長く勤められました。一線を退かれてからも後進の育成に労力を惜しまなかったといいます。その証拠に弔問客は千人に及んだとのこと(G寺の住職も、菩提樹を植える際にアレコレと助言を頂いたようでしたし)。

式中に弔辞が3本。どれもIさんを惜しむ真心のこもったものでした。

「死んだら存在は亡くなる」と言う方がござっしゃる。死んでしまったら、今までのお付き合いもさることながら、周りのかたと関われないのだから、そうなのかもしれません。

Iさんの場合は、Iさん自身がどのように思われて双眼を閉じられたのか知る由もありませんが、少なくとも周りの方たちは、Iさんとの思い出をこれからも大切になさるようでした。