日 記 ど う ?




◆平成18年7月の日記どう◆


2006年7月30日(日)
人によりケリ

N院さん(豊島区高田)を終えてから、西光寺へ。18:00に地区のボーイスカウトの責任者がいらっしゃるのでした。

西光寺山火祭りの道場となる西光寺山は、スカウトの方からみるとキャンプをするのに相応しい条件を充たしている、かどうかは分かりませんが、何度か使用の許可を出していますもんで。

スカウトの活動に必要な道具を西光寺山に置かせて欲しい、というものでした。豊かな心を持つ子供を育むために活動しているスカウトの申し出を、断る筈もなく。

19:30〜21:00まで極楽寺でご詠歌。久しぶり顔を合わせる方がいて嬉しかった。ワタシの歳でも嬉いんですから、講員サンのオバアチャンともなると…。

2006年7月27日(木)
肴は話でしょう

西光寺で法事でした。婦人部を取り仕切ってくださるお檀家さんのMさんの旦那の7回忌。早いもんですねぇ、もう6年か。

参列者は殆ど知った顔。だけに、お経の前にする話も、普段着ながらチカラが籠もる。

西光寺の掃除に手伝いに来てくれたときの、背中を曲げて黙々と働く様子や、9月の護摩でスイトンをだそう、とした時の「スイトンはたくさんだ」という言葉。余程嫌な思い出がスイトンにはあるのだろうと、どんなものを食べてきたのか伺うつもりだったことなどを思い出しまして。

話しの衝動がアレコレと頭の中で浮かんでは消え浮かんでは消え。案の定、散漫な話しになりました。

だからというわけではありませんが、お斎の席で痛飲。何せ旨かったもんで。

2006年7月26日(水)
歳の差

10:00宗務所。本山でお世話になった後輩と待ち合わせて、M院サン(港区三田)で打ちあわせ。M院さんの本堂の様子を見たうえで、K院サン(豊島区高田)のご住職と打ちあわせ。

真言宗のお坊さんに必要な素養として、事相(じそう:仏さまへ手向けるお作法、儀式や法要のマニュアル全般)、経相(きょうそう:真言宗の学問)の二つがあります。本山では主に、事相を学んでいました。

今日待ち合わせた後輩二人は、本山を終えてからも、精力的に勉強を続けているので、やはり違いましたな。本山で学んで以降、事相の勉強を必要最低限度にとどめ、空いた時間を好きに使っているので、当然なのですが。

今日の後輩の姿に、「彼等に任せとけば大丈夫」といった安心感を覚えました。上手いこと言い表せないのですが、こうなるとダラシナイもんで、先輩も後輩もなくなっちゃう。どちらかというと、“先生”みたいな位置づけとでも。


2006年7月25日(火)
住職元気で留守が良い

13:00〜14:00過ぎまで宗務所で会議。末寺のご住職へ頒布する宗派の出版物の企画をたてる、ということでした。スパッと方針が定まって気持ちが良いこと。

出版の企画会議をしている頃、西光寺の写経会でした。写経会を連れに任せていたので、宗務所から真っ直ぐ西光寺へ。思いのほか早く戻れました。なんでも写経会に参加してくれたオバちゃんと入れ違いだったとか。

夜の部は西光寺を支えてくれるお檀家さんが夫婦でご参加。写経を終えてから本堂でお勤め。このときの挨拶というか、話しが拙かったですな。趣旨がまとまらず、論点も定まらない。ゴールを見つけられないので、オチを付けられるわけもない。

話すうえで大事なのは、話したいことがあるかどうか、この一点に尽きるんですかねぇ、やっぱし。

2006年7月24日(月)
どうでも良い、ではないんだけども

10:00〜16:00までM院さん(江戸川区鹿骨)でご詠歌の勉強会。参加者は3人。指導をしてくれたM院住職には申し訳なかったのですが、教わる私たちは随分と得をさせて頂きました。この勉強会は、個別指導の色合いが濃いので、人数が少ないほど、先生に教わる時間が増すもんですから。みっちりご詠歌に集中できました。

ここんところの雨が続いたからか、西光寺の境内はさながら熱帯雨林のジャングル。一歩足を踏み入れると「ここは一体…」という様相を呈しておるもんで、何とかしなきゃいけないのですが。何ともなりませんので、後輩のカリスマFチャンに西光寺の境内掃除をお願いしました。

週末はお坊さん、平日は庭師の職人として多忙なFチャン。庭の手入れに熱をいれるその姿に、「お坊さんとして時間を使うのが先なんだろうけど」などと、批判がましく思っていました。

彼からすると庭に手を入れることは布教活動の全てで、「多くの方がお寺に来て欲しい」ために、境内をさっぱりしておくんでしたな。お寺の顔でもある庭の掃除を、住職が手がける。其の姿勢は、かっこいいですよねぇ。

布教の内容や語り口は十人十色。お寺の数だけ、方向性の違うお坊さんがいるといえますかねぇ。仏さまへ手を合わせる気持ちとその姿について言えば、どれが正しくてどれがいけないなんてことは無いんでしょう。

どれも良い。この幅の広さ、懐の大きさに魅力を感じるんですよねぇ。

2006年7月23日(日)
初体験ですから

9:00〜16:00まで、N院さん(豊島区高田)で一仕事。終えてから、18:00まで隣りのお寺で習字のお稽古でした。

初めて隷書の手ほどきを受けましたが、良いもんですねぇ。書き順から筆裁きにいたる何から何まで違ううえに、それを是とするところがね。

持ち運んでる手帳に書き込む字や、お寺の看板に貼り出すポスター書き、塔婆や御札のお名前まで、比較的字を書くことが多いでしょうかね。字に囲まれて暮らしていながら、隷書を書くことは無かったから、今日のお稽古の後は、爽快感すら覚えました。今までの既成概念を引っ繰り返すような感じとでも。

他人さまの前で、話しをするときにも心がけたいものですね。話を聴いてくださる方の貴重な時間を頂いているのだから、コチラが楽しく話すことだけでも。

2006年7月22日(土)
他人事こその嬉しさ

西光寺のお施餓鬼にお手伝いに来てくれるK寺サン(港北区)でお施餓鬼でした。3年前に本堂、庫裏(住職とその家族の住まい)、客殿とあわせて、斎場を併設して落慶したお寺で、今年で3回目のお手伝い。

法要で、読経の音頭を取らせて(経頭:きょうとう)頂きました。本山のお勤めで経頭をしたときの感触がふつふつと蘇りましてね、それはそれで緊張感が味わえて勉強になりました。

本山で勉強している後輩でもある若住職が、今年は法話を担当しました。障子一枚隔てた廊下で耳を欹て、すっかり聴かせて頂きました。以前、若住職の話しを何度か聞いてきいましたので、正直驚きました。お山で良い勉強ができてるようです。

本堂で話し始めて10分で準備していた話材が済んだとみえた若住職。どうするかなあ、と障子越しに気を揉んでましたが、一旦話しを結んで、新しい話しをスーッと話し始めた。何度か他人さまの前で披露している話のようで、見事に40分淀みなく話しきりました。

誰が言ったか「環境が人を変える」。異議のあろう筈もなし、と。

2006年7月21日(金)
納得

9:00〜16:00までN院サン。昨日の後片付けは、ほぼ済んでるんですがね、欠席された方のお塔婆を各家の墓地に納める作業があるんですが、生憎の雨模様。N院住職はというと、お昼からお隣のお寺サンでお施餓鬼があるのでそちらへ。

18:00〜Chippyで声明ライブ。『輪』のメンバーと交替で出演でした。

人生経験豊富なご婦人がお一人で、お店に足を運んでくれました。初めてのお店に入るときは、ラーメン屋さんでも幾分緊張するもんで、ご婦人の勇気に素直に脱帽しました。

紫色のソファに体を沈めつつメニューを何度も読み返す様子に、我慢できなくなりまして、「ようこそいらっしゃいました」と声をかけました。孤独から解放されてのホッとした素振りもみせず。意外に気丈な方と観ましたが、話を聴くうちに合点がいきました。M院サン(江戸川区鹿骨)で行われる写仏の会へ参加されていて、M院住職の洗礼を何度も受けておいでで。さもあらんと。



2006年7月20日(木)
緊張と緩和

N院さん(豊島区高田)でお施餓鬼でした。N院のお隣に住んでおられる総代さんが、「こんなの初めてだよ」と。「お施餓鬼は暑くて当たり前」とう心境にもなると、違和感を覚えるんですな。もっとも「涼しくて助かる」と言葉が続くのですが。

お手伝いに来てくれた若い衆も、持ち場をきっちりこなしてくれました。後片付けも、班長を定めてテキパキ。本堂での法要が終えて30分後には、ほぼ元通りになるという手際。傍目には、F1のピットインの様子に似ているでしょうか。

何日も前から、お施餓鬼に備え仏具を磨き、座敷の畳を吹き上げて本堂の支度を整える。当日やることといえば、お施餓鬼法要に備えてチェックを繰り返すぐらいでしょうか。法要後は、援軍に来てくれた若い衆と、本堂の支度を戻す作業がメインなんですな。

本番に備えて支度をすすめ、始まった勢いで本番を乗り切り、終了次第撤収。同じことを例年繰り返しているのですが、なんですね、ここんところ後片付けが早くなってます。手際のよさが違ってきているんですかねぇ。

「おかげさまで去年よりも早く終わりました」という撤収の音頭をとりながらふと考えました。同じことの繰り返しなんだけれども、いつもと違う。「いつもと違う」感想は変わらぬままで繰り返しなんだよなぁ…さすがに疲れたんでしょうかね。

2006年7月17日(月)
気の持ちよう

実家のG寺(横浜市緑区)でご詠歌(13:00〜16:00まで)。昼の部は毎月1回。月イチだとね、やっぱりチカラが入るのか、喋りすぎましたかね。「もっと言葉を吐き出したい」衝動を抑えきれず、口が回ること。早口でまくし立てて良い気分でした。

湧き出る言葉を紡ぎだす快感に身を委ねているときに、ふと村上さんから頂いた「捲くし立てる喋りは、優しさが足りない」という言葉を思い出す。急ブレーキを“キキーッ”と利かすのは、勿体ないので、ポンピングブレーキのイメージで徐所にトーンダウン。上手くいったかどうか分かりませんが、冷静に熱く語れましたかね。

咽喉も復調、体調も良好。明日からの「N院(豊島区)お施餓鬼週間」突入もなんのその、ですな。

2006年7月16日(日)
人によりケリ

G寺サン(新宿区高田馬場)でお施餓鬼でした。お参りの方も多く、天候も守ってくれたし。盛んなお天道様を和らげてくれる鼠色の雲のおかげで、幾分涼しかったようだし。お施餓鬼日よりでしたな。

昨日まで続いたお盆のお参りを終えて、次の日ですからねぇ。ばっちりと掃除されたお座敷、書き上げられたお塔婆を観るにつけ、準備のかかった時間や手間を想像し「コリャ大変だ」などと。こうした無責任な感想を抱くのも、隣寺とはいえ直接関わっていないからこそ。

G寺さんには、お手伝いとして勤務してる“有能Nさん”がいて、お寺で催される全てに計り知れない尽力を注いでいます。
同じ“勤め人”ですからね、支度を観るだけで共感できるものが目に付くんですな。もっともNさんとは、そもそも準備の品質が異なりますが。こちらも気張らなきゃなりませんな。

「いつも思うんだけど、お盆の次の日の準備じゃ大変じゃない?」
「え?まぁ、お盆が始まる前に、かなりの部分は支度し終えちゃいますから」
「あ、そうなんだ。とはいっても、昨日(7/15)の棚経を終えて一休みするぐらいで、遅くまで準備するんでしょ?」
「ええ。といっても、夜中の1時ぐらいには終わりますから、大したことじゃないです」

朝から晩まで駆けずり回ったての、夜更かし・・・大したことなんですけど。

2006年7月15日(土)
大迫力

お盆のお参り最終日。相棒のYAMAHAパスとも今日の15:00を以って来年までお別れ。こう考えると、ペダルを扱ぐときに擦れてチリツクお尻も気にならな、いワケじゃありませんが。道を間違えて、余計にペダルを漕ぐことになっても、優しい気持ちでいられるもんですから。

午後、2軒目のお参りを終えて雨がパラついてきた。パスの力を借りれば、ものの10分で到着しそうな距離。N院さんの檀家、Sさんの「傘お返しいただかなくても構いませんからどうぞ」「自転車を置いていっても構いませんので」などの優しい言葉を「すぐですから」と背中で聞いて、ペダルの回転数を上げる。

スピードが増すごとに雨粒が顔に当たる。速く移動すりゃそれだけ、体中で水滴を捕まえていくんだから当たり前なんだけど。「スピードが増しているだけじゃなさそうだ」と、マンションに併設してある、10台ぐらいは停められそうな屋根つきの駐輪場へ避難。すぐさまバケツをひっくり返したような雨。止む無く雨宿りをすることにしました。

「考えてみれば雨宿りなんか小学校以来かも」などと。中学・高校は全寮制だったし、偶さか降られても建物の中で待つか、「少々なら濡れてもいいや」と最寄のバス停から傘をさしてダッシュか。車でどこでも移動する今と成っては、雨宿りすることも皆無、そもそも「雨が止むのを待つ」為だけに、時間をつかうなんてことはありませんでしたし。トコトン楽しむことにしました。

頭上の屋根をカンカンと大粒の雨水が叩き、さながら天然のタップダンス。向かいの屋根では、雨どいから溢れでて滝のように雨水が勢いよく流れ落ちる。足元でも、アスファルトを躍る雨粒がジンワリと化繊の足袋を肌色に染める。それらを煽るかのように、稲妻のフラッシュとともに「ゴロゴロ」とお腹の中をくすぐられるような効果音が入る…すっかり満喫しました。

クセになりそうです。「何が?」って。チャリンコでの移動、というよりはむしろ雨宿り。

2006年7月14日(金)
今年の収穫

N院さん(豊島区高田)の、お盆のお参り2日目。昨日は午後から1軒のみ。事実上、今日が初日なんですな。

普通にやれば、8:00〜15:00には終わる軒数なんですが、やはり1年に1度の逢瀬ですから、お宅によっては、お話が尽きないわけで。一軒に山ほど時間をかけるわけじゃないわけでもないけども、結果的に「塵も積もれば…」で、2時間、3時間の話しになるわけです。

N院の先代住職サンがお参りしていたお家を、父が引き継いで、その後を此処10年はお参りしてますでしょうか。実は、前任者(その前の方よりも)待遇が良いんです。何を隠そう、電動アシスト付きチャリンコでの移動を許されているからです。

炎天下をサーッと風を切って駆け抜けるのは、黒い衣を纏うものにとっちゃナントモ気分が良いものです。そんな特権が許されたのもお喋りが原因でした。

一軒毎にお経とは別のハナシをしてくるんですから、最終のお参りは予定時刻を大幅に超過。N院サンでは「まだお坊さんが来ない」なんて電話が鳴り止まなくて大変だったんだって。アハ…トホホ。それで「来年から自転車を使いなさい!」ということになった次第。

高戸橋で信号待ちをしてたら、通りの向こう側に黒いランドセルを背負った男の子が3人。コチラを指差して何やら笑ってる。話しの内容が気にもなるので、信号が変わってから子供の方へ漕ぎ出す。真ん中あたりで確かに聞きましたよ。「さすが子供」という一言を。パスに乗るお坊さんを見て曰く
「スゲ、最新式のお坊さんだ」

2006年7月12日(水)
誤解

N院さん(豊島区)でお盆の支度。こないだ結婚した後輩“棟梁Fチャン”、N院若住職と手分けして。人海戦術とは良く言ったもので、思いもよらないペースで目の前の仕事が片付くもので、気持ちいいのなんの。

明日の午前中に、N院さんのお檀家さんで遠方の方、お盆の期間中に都合の悪い方が、それぞれお位牌をお持ち添えでお参りされる。効率云々という次元の話じゃないんだけど、現実問題拝み手であるお坊さんの人数、許される日数は限られているからねぇ。何方様も同じご供養をしよう、と思えば思うほど本堂でご一緒に、と考えますよねぇ。

お檀家さんのご自宅へ一軒ずつ拝んで廻るお参りと、菩提寺の本堂でご一緒でのお参り。後者のスタイルが増えてきつつあるようですねぇ。単純に効率を求めている、というよりはお檀家さんに対して正直、という見方もできるでしょうかねぇ。

「怠けてるんじゃないの?」という疑問符を消すには苦しい生臭なお坊さんもいらっしゃるでしょうかねぇ。一方でマジメなお坊さんも在るんですがねぇ。

2006年7月11日(火)
変化歓迎

N院さん(豊島区)で一仕事。お盆の支度で仏具磨きをば。テガール+ピカールのツープラトンで磨きあげる。磨かなくても、それなりに綺麗なんですが、ぴかぴかにすると何とも気持ちがいいのです。それこそ『盆と正月が一緒に来た』ような。

お昼からご詠歌でお世話になっているT寺さん(中野区)でお施餓鬼でした。大勢さんのお参りで賑やかでした。もっとも、T寺さんは幼稚園を併設しているので、お施餓鬼でなくとも子供たちの声が聞こえるぶん賑やかなのですが。

14:00からの法要前に、本堂をお借りしてご詠歌の練習を小1時間。ボチボチ本堂内へ人が集まり始める合図にもなっている様子。いつもの練習風景をお施餓鬼に参列される方へごらん頂こうと、張り切りました。お唱えはともかく、和気藹々とした雰囲気は伝えられてでしょうかね。

T寺さんのご詠歌の皆さんから、今までとは違う雰囲気、ご詠歌を楽しんでくださっているような空気が漂い始めました。3年目にしてようやく、と言うところでしょうか。コチラの早合点かもしれませんが、にしても嬉しいことです。


2006年7月8日(土)
違くて同じ

ご詠歌でお世話になっているJ院さん(板橋区前野町)で、お施餓鬼でした。お参りの方がボチボチ集まり始めたかな、という頃、30分程度時間を頂いて、日頃の練習の成果を披露。

年忌法要やお弔いの次第は、地方によってまちまち。というよりお寺によりけり。お坊さんによっても、細かいところを突き詰めれば違ってくるんだろうね。

「まるでグズグズかよ」というようなご批判があるかもしれないけれども、お師匠さんから教わったことを重んじればこその幅なんだよね。お寺の先代住職、お檀家さんのご先祖との係わり合いがあって、故人に相応しいお戒名が授けられてることを鑑みればね、個人的には納得もできるわけです(あくまでも、順法が原則ですが)。J院さんの本堂でヒラヒラ踊る団扇の振り方、服装、座り方…誰一人として同じ姿は見当たりませんでした。

お施餓鬼の雰囲気やお檀家さんをもてなす姿勢は、お寺の数だけあるのでしょうが、根底にある「おかげさまで」という気持ちは同じなんでしょうねぇ。

2006年7月6日(木)
クイックレスポンス

大正大学で講義でした。同期の“ドクトルKP”に声をかけて貰って、今年で3回目。16:30〜18:00までの90分。

社会とお寺(僧侶)が、如何に関っていくかを考察する講義を、KPサンは受け持っているのですが、お寺からご縁のある方へ配布されるお手紙の形式やその内容に主眼が置かれているようです。

我々の大正大での真言宗豊山派の同期は、36人。大学で講義をもっているのは、KPさんだけだから、仲間内では出世頭なわけです。そんな彼からお誘いを受けたんですから、光栄なことですな。というのも、受講生は、豊山派に限らないんですから。

今回受け持った18人の受講生は、豊山派が2,3名、あとは智山派(成田山や川崎大師のグループね。京都の智積院がご本山です)、浄土宗、在家の方。となると、豊山派の同期に拘らなくてもいいんですもんね。

それにしても、若い学生サンを相手に喋るのは楽しいこと。ちょっとでもわからない話をすると、パッと表情を曇らせるのがいるかと思えば、突っ伏して寝にかかる奴もいる。シビアなんですな。ご詠歌の講員さんや、法話を話しているときには、ここまで明らさまの反応はないもの。いつもより負荷がかかるものの、終えたときに達成感は格別なんですな。

来年も呼んでもらえるように弛まぬ精進をば。

2006年7月5日(水)
正しい勧誘

J院サン(板橋区前野町)で、13:00〜17:00までご詠歌。講師に就かせて貰っているなかで、最長の4時間。講習までにあったことを、講員さんの前で洗い浚いぶちまける。そうでもしないと240分間が持たないというよりは、寧ろそれだけ時間があると、胸の内を開けっぴろげにせざるを得ない、とでもいいましょうか。

今日は、若い女性(ホントに若いんですって)が、見学にお見えでした。“初めて”という方が居るときには、ついつい張り切りっちゃう。

ご詠歌の講員さんが増えりゃあ良いな、という気持ちよりも、以下のことを伝えたい衝動に駆られるからですが。
ご詠歌は単なるお歌のお稽古じゃなく、教えを身近に留めておくための手段ということ
老若男女を問わず、誰にでもあてはまる教えがあるということ

最後まで見学してくれました。講習後、世話役の方がアレコレご案内してくださってました。蔭ながらのこうした熱意が、人を引き寄せていくんでしょうねぇ。

見学にいらした方と、世話役が、アレコレとやり取りしているのを、障子を隔てて耳にする。連絡事項も最後かなという頃、「面白かった」と感想を述べてくれたような。主語がないのが気がかりですが。

「話しが」と仰って頂けなかったことは悔しいけれども、「ご詠歌が」となっていたのであれば、そちらの方が尚うれしいことです。いずれにしても最後まで残ってくれて良かった。

2006年7月4日(火)
2度あることは3度、でしょうからね

13:00〜16:00まで宗務所。布教研究所の寄り合いでした。今日で布教研究所としての集まりは9月までお休み。「オイオイ夏休みかよ」とのたもう勿れ。7月と8月はお盆月なので、坊さんにとっちゃ1番忙しい時節なもんで。夏休みとは真逆の趣旨で、休まざるを得ないんだよねぇ。

休みを前に、原稿校正が1本多く、終えてから場所を変えて暑気払い。2次会には行かず、大人しく退却。こないだチャージしたsuicaを使って改札を抜け、宗務所に停めてあるプリウス目指して池袋から護国寺まで腹ごなしに歩く。

こないだ診てもらった血液検査の結果が気になるものの、そりゃ「わかっちゃいるけどやめられない」性質で。小腹が空いたので麺類が無性に気になるわけですよ。しかも護国寺には“ちゃぶ屋”がありますから。

ちゃぶ屋へ向かう道すがら、食べようか食べるまいか逡巡しましたが、「すぐ席につけるようなら食べちゃお」と決めてましたかね。ここで我慢するのもいいのですが、「麺断ちは明日からじゃ」という天の声が聞こえてましたから。

お店の前に行くと休みでした。しかも長期の様子。表参道の再開発で出来た建物に出店したんだとかで、しばらくお休み。麺食いの衝動が抑えきれず、「通り向かいの蕎麦屋ならいいか。お蕎麦は体にも良いし」などと屁理屈をこねてお店へ向かう。暖簾がしまってありました。残念でしたが、声なき内臓は喝采をしているような錯覚。

2006年7月3日(月)
見えないもの

鳳仙寺さん(栃木県足利市)に行ってきました。先日(6/22ネ)修行大師をお迎えしたものの、鳳仙寺さんへ台座になる部分を置いてきたもので。西光寺のお施餓鬼(8/1)に、お大師さんのお披露目をしたいものと思いまして、先方であぶれてる台座を頂いてこようと。

金槌に楔、大小取り混ぜたノミ、蚊取り線香に皮手袋。天然急きをドンと置いた台座ではなく、ピカピカに磨きあげた御影石を、目地止めしてあるように記憶してましたもんで、正直なところ容易く作業も終わると思ってました。

なめてましたね。素人が簡単にバラせるほど脆い台座など、恐くて使えたもんじゃないですもんね。作業を始めて10分。連れが呆れ顔にも余裕が漂っているうちに終えることが出来ました。

思いのほかあっさりと作業が終わった(作業を諦めた)ので、森田屋さんで舌鼓を打ってから、佐野厄除け大師さんへ。案内をしてくれた鳳仙寺の住職さんと別れて、満願寺さんへ行きました。

本堂から15分程度山道をのぼった先にある奥の院には初めて行きましたが、信仰の為せるその佇まいに圧倒されました。厄除け大師大師さんと満願寺さんの対照的な信仰のあり方に、西光寺のお檀家さんをご案内して肌で感じ取って頂きたいものと。

2006年7月2日(日)
喜びのカタチ

9:00〜13:00までN院さん(豊島区高田)。15:00〜実家のG寺(横浜市緑区)の隣り寺、T寺さん(横浜市青葉区)の先代奥様の49日忌でした。

ご親戚だけでなく、お檀家さんの役付きのお歴々もいらしてました。戦後の大変な時代をともに乗り越えてきた同志という気持ちをお持ち頂いているかのよう。「引き際が肝心」と言いますが、そうなんですねぇ。役員サン同士でワイワイ話しながらも、ふと温かい目線を本尊さんの正面に祀られたお位牌へ向ける。羨ましいものです。

お斎の席で隣りに座られた方が、どこぞのお寺さんの役員さん。このご時世にあって、十数億円かけて菩提寺の本堂、庫裏・客殿、鐘楼堂、境内まで手を入れて刷新したのだそうな。とはいえ、全てのお檀家さんを納得を取り付け、借り入れた資金を返済するのにもかなり頭を悩ませたようで、「ほんとに立派になった」と嬉しそう。生涯の一大事を成し遂げた男の表情で、コチラで継いだビールを旨そうに飲み干してました。

お寺は、ご縁ある全ての方の気持ちを集める役割と魅力があるのでしょうかねぇ。隣に座った菩提寺を我がことのように喜ぶオジサンの姿を観るにつけ、西光寺のお檀家さんが、旨そうにビールを飲む姿を重ねてしまうんだよねぇ。

お寺はお檀家さんの生き甲斐にも成り得るんですねえ。張り切らにゃ成りません。