日 記 ど う ?




◆平成18年10月〜12月の日記どう◆


2006年12月23日(土)
やさしさの変遷

「心の在り様を他人様へ伝える手段が言葉であり、話し」という趣旨で、村上さん(故人 元ニッポン放送アナウンサー)が仰ってましたっけ。
 話のみならず、手紙にメール、身振り、手振り。目付きや態度。考えていることを伝える手段は話しだけではないようですが、思索は言葉抜きにはできないようです。「あ〜」という言葉しか頭の中に浮かんでこないとしたら、考え事の収集がつかないですもんねぇ。

 例えて言えば、パソコンのキーボードが“A”しかなかったら、文章ですら作れませんでしょ、とでも。

一年に一度在るか無いかのことですが、考え事と同時進行で喋っている時間があります。モノの何秒という短い時間ですが、これがネ、結構気持ち良いのです。
 頭の中に浮かんでくる言葉をマンマ口に出す、勢いに乗せた喋り。その爽快感といったらないのです。

昨日宗務所で、宗派の頒布する出版物の企画会議がありました。原稿を担当される先生方がお揃いで、それは密度の濃い打ち合わせが為されました。
 その席で飛び交う話しの、テンポが速いこと。半分以上、お茶を啜って愛想笑いを浮かべて、その様子を覗き見しているような時間となりました。というのも、各先生の発言に伴う情報量が多すぎて、展開する発言を聴きながら、その趣旨を追っつけ理解していくような感じ。

日常交わされる会話の多くは、
 「昨日、会議があってさ、それが面白いったらなかった」
 「へ〜」
 「今度、宗派で出すモノなんだけど」
という感じでしょ?それがね。違うのよ、昨日は。
 「昨日、全国のご住職に向けて宗派が出版する資料の打ち合わせがあってさ」
 「へ〜…というか、もう一回言ってくれる?」
もう、先へ先へ行っちゃってるから、着いていけましぇ〜んて。こんなやり取りが90分よ。そりゃ草臥れますわな

村上さんは、気持ちの赴くままの勢いに任せた喋りを良しとしていたことを見かねたのか、こんなことを教えてくれました。
「勢いに乗せた喋りは、やさしさが足りない」
話し手は、聞き手の貴重な時間をも委ねられているのだから、せめて理解できる話しを心がける優しさがないと、ねぇ。

昨日の会議では、「早口で着いていけないんですけど…」という声があがりました。展開の速さに着いて行けない脱落者が出たようですな(ワタシも其の内の一人)。思わず、村上さんの教えを思い出して、「やさしさが足りない」と先生方に説教を垂れてました(モチロン頭の中で)。

収まらない早口のやり取りを耳にしているうちに、これは優しさだ、ということに気が付きました。

「宗派の研究員なんだから、着いてきてもらわんと…」という…

2006年12月16日(土)
メモ

TVの企画モノで一頃もてはやされたラーメン屋さんのご主人が、素材を厳選して拵えた珠玉の一杯に、「…お、美味しいかな」微妙な感想を抱いたことがあります。

新横浜のラーメン博物館に出展するラーメン屋さんで、取り分け自信満々の腕組みで、「どうだオレッチのラーメンは!」といわんばかりの主の写真。正直なところ、「他店の味噌ラーメンのほうが旨いんだけど…」などと、主の自信に違和感を覚えた訳です(手前が味音痴を棚に上げての戯言ですので、悪しからず)。


「これが一番旨い」と信じたところで、それが第三者に支持され得るものでなければ、単なる変わり者になってしまう。周りからとやかく言われるたんびにコロコロと其の姿勢を変えちゃ、信念の欠片もない根無し草に落ちぶれ兼ねないし…難しいトコロですな。

「自分のことは自分が一番わかってる」
「自分のことは他人様にとやかく言われる筋合いのモノじゃない」
「アタシは、○○な人間だから…」なんて仰る方に限って、第三者の批判を受け止める度量に乏しいような。当然、自戒を込めてのものですが。

他人の批判を大切にしよう。
「愛情の反対は無関心」のとおり、何も言われなくなったらお終い。
自身を自分で育てるのだ、と全てを肥やしにして、飲み込む心意気でいよう!

…別に誰に何を言われた訳じゃないんですがね、ふと思いついたことを忘れないように、ということでした。

2006年12月6日(水)
ストレス解消!と言うほど抱えちゃいませんが

日課となりつつあるM院の墓掃除にも、ようよう慣れてきたような。
霊域を取り囲んで建ち並ぶお家。そこから聞こえてくる生活の音を、いくらか覚えてきたもので。「おや、洗濯機の音がしてないな」という具合。

漂ってくる味噌汁の匂い、通りを隔てたマンションの玄関口の慌しさから、其の生活を想像する余裕ができたとでも。
こういうトコロでこんな薄気味悪い告白をするのも憚りましたが、他人様の人生を想像することで、自身がゆとりの有無をチェックができるのではないかと…
明日から違うことを考えるようにします。朝ですから。

M院のお檀家さんへの挨拶状をキャノンのプリンタにお任せし、披露目で祝辞を下さった筑波と越後の両S先生、火祭りに飯坂から駆けつけてくださったY先生に礼状を認める。
豊かな時間でしたねぇ。携帯電話やメール、FAXで何でもしちまおうというご時世に、便箋で筆書き。しかも一筆箋だもの。不恰好な字で紙面を埋めていく間にしていることと言えば、悪筆を眺めてくださる先生に思いを廻らす、ぐらいでしょ?

一筆箋に、二言三言ヤボを書き加えた甲斐あって、サッパリしました。
手紙を暫くぶりでしたからね、何だかスッキリしました。

2006年11月29日(水)
目指せM−1!

ヨコハマで披露宴に呼べなかったご婦人を招いて、披露宴其の2。
10月16日の模様をビデオでごらん頂きながら会食するという企画で…当事者にとっては酷な時間ではありましたがね、「今までも、これからもお世話になるんじゃない!」という母に従ったわけです(「孝行をしたいときには…」などとも言いますし)。

列席者というと、11月26日の『西光寺山火祭り』に1日お付き合いしてくれたオバちゃんが殆ど。いやぁ元気なこと。モノが有り余っている中で育った世代のワタシなんかは、そもそもの気合が違うんでしょうな。

市野谷のご住職(http://princo.fc2web.com/menu.htm)を宴会の司会にとお招きしておりました。
キチッとした喋りから,宴会芸まで何でもござれの御大。幅広く柔軟に対応できるお坊さんに時間を使ってもらえれば、列席のみなさんも喜んでくれるだろうと。

余興を三遊亭遊雀さんにお願いしたところ、遊雀さんの機転で面白いことが起きました。

モニターに映し出される式の模様。これを観て遊雀さんが不思議に思ったことを市野谷のご住職に細々尋ねる。これが面白かった。笑い泣きしたのは、何年か前の松元ヒロさんのマイムを初めて観て以来でしたか。

永久保存版モノだったんですが、こんな面白いことが起きるとは予測してなかったもので。

もったいないことしました、というより贅沢でした。

2006年11月15日(水)
桃太郎かっ!

『第四会 西光寺山の火祭り(H18.11.26正午〜)』が、目の前をちらついております。身に余る規模の催しなので、細かいことを気にし始めたら寝てられやしない、のですが、そこはネ。我ながら呆れる忘却能力と、横になったら爆睡(傍目には縛睡)スイッチが起動。忙しいようでないような。ボンヤリと過ごしているわけです。

仏縁あって横浜から東京に越してきたからというもの、暗闇を体験しにくくなりました。不特定多数が一ッ所に住まうのですから、防犯やら防災やらの関係上、尚のこと暗闇をさけるんでしょう。ですがね、好きなんですよ。暗いところは。

子供の頃に兄弟ではやった遊びが、真っ暗にした中でのかくれんぼ(制限時間以内に暗闇で隠れた子を明るい場所で待機していたオニ役が探すという…説明下手ですな)。
暗闇で隠れるといっても子供のやることだから、たかが知れたもの。クローゼットや押入れの中、埃だらけのベッドの下(かくれんぼをしていた頃だけキレイでしたな)。

アニキか小利口の弟が見つけた隠れ場所が、隠れない、という空間。
暗闇ではオニも見えないけれど、オニにも見えない筈。だから隠れる必要はないのだ、と気付いたんだろう。
神経を研ぎ澄ませオニ背後に回り、オニが探した隠れ場所に後から隠れるという…ダミアンのような所業。
この時でしょうね、コイツらと一生付き合っていこうと決めたのは。

多くの人が携わる火祭り。コチラの手をとっくに離れ、大勢の手が支えるものになっています。さながら大玉ころがしです。

大勢に支えられている心強さはありますが、とりあえず終わってみないと、何も解らない暗闇のような怖さを覚えています。

「今のうちに目を慣らしとこ」という目論見で、早いトコ火祭りに関わっちまおうと思い立ったわけです。
法要に不可欠なヒバと丸太を、西光寺のお世話人さんらと4人で山梨の塩山へ調達に行ってきました。おかげで心晴れ晴れ〜。気分もスッキリ。


じいさんと 山へ柴刈り 午前5時
杲潤

2006年10月20日(金)
皮が剥けたら仏様(居ない居ない仏(ブー))

上野に行ってきました。
東京国立博物館の平成館で催されている『仏像 一木にこめられた祈り』で、先人の情熱を感じてきたわけです。
 円空さんと木喰さん(友達か!)の仏さんは対照的でしたな。
面白かったですねぇ。

雄雄しくも涼しいザックリした円空仏と、やさしく仄々ツルンとした木喰仏の対比。
同じ仏さんを彫り上げるのに、かくも違うか、と。

円空さんと木喰さんも、自分が彫り上げた仏さんには、全てのご縁ある方が幸せでありますようにって祈りながら、拵えたんじゃないんですかねぇ。
なのに、全然違うんだもの。

『十人十色』とは良く言ったものです。


2006年10月12日(木)
涼しい顔=冷たい眼差し

姪っ子たちにプレゼントを買った。恵比寿界隈の地理に明るい連れと、恵比寿駅のアトレへ。

フロアーにいる客の9割が女性。女性が屯する売り場で、連れとプレゼント選びをする。
変われば変わるもんなんですねぇ。中学高校と全寮制の男子校、という香ばしい環境だったからか、多くの女性を前にするのは未だに照れくさい。そんな人間が、女性に混じって女物のアクセサリー売り場をうろついてるんだものね。

お目当ての買い物を終えて、無印良品でマットを購入。パソコンを使うときにね、必要だもんで。

思わずレジ打ちをしている女の子の胸元に目が釘付けになった。
刺青らしい色合いの蝶が見えた。

大人しそうな女の子の様子とかけ離れた刺青。その理由をアレコレ想像する。
「本物だとしたらかなり痛かろうから、マジで彫るワケないか。刺青シールかも。…まてよ、刺青柄のTシャツもありか」
などと、会計そっちのけ。

ここまで考える時間を使ったのだから、と確認したくなった。
レシートとお釣りを財布へ捻じ込みながら、意を決して
「それ本物?」
「ええ」
と涼しい顔。
「さすが恵比寿だ」と妙に納得した次第。

帰り車のハンドルを握りつつ思った。
周りの人間へ向いている好奇心が、「周りから見られている」妄想を上回ると、気恥ずかしさを感じる暇なぞないのだろうって。

2006年10月9日(月)
健全な精神は健全な肉体に宿ってほしいと…


M院さん(江戸川区鹿骨)のNご住職と連れを交えて夕飯(燈乃季<http://www.foodap.com/>)。

今日は「飲むぞ〜」と一人意気込んでおりました。というのも、M院さん(港区三田)からチャリンコで来てたもんで。

日頃の運動不足を解消すべく、可能な範囲の移動手段をチャリにすることにしました。まだ2回ばかしですがね、良い感じです。

連れを強引にチャリ部へ巻き込むべく、N住職と会う前に連れのチャリを同期のMダお薦めのショップ(<http://www.loro.co.jp/lss/lss-mapmap.html>)で購入。

心地良く風を切っての移動は、連れも喜んでくれたようでした。

連れよりも喜んでいるのは、連れを巻き込んだワタシ。

2006年10月5日(木)
蒼い焔

炎は青いほうが熱い。
深みの流れは、穏やかに見えるけれど速くて力強い。
似たようなことかもしれませんが、
ホンモノの893さんは、ニコニコして良い人に見える。
普段怒らない人間が怒ると、手に負えない。
痩せているけど大食い。
太っているけど小食。
ゴツイ虚弱体質に、華奢な体力自慢など、こうした不自然な対比が、ありがちなものにに思えるから不思議です。

M院(港区三田)で結婚式の打ち合わせ。式そのものの責任者にお就き頂いたK院さんのご住職がね、↑の感じなんですよ。

静かで穏やかに、主張すべきことは主張する。
かっこよかった。

K院の住職さんと同じ空間にいたからでしょうか。幾らか時間が経って、ワケも分からず「こうしちゃおれん!」などという心持ち。
遠赤外線ですな。

2006年10月4日(水)
あてにはなりません

『象の時間・ネズミの時間』という本だったか、ゆったりとした動きの象と、チョロチョロとしたネズミの動きを見比べて、「もしかしたら、象はスローモーション、ネズミは早送りで24時間が流れてるかも」と考えた。改めて言われてみると、もしかしたらそうかもな、などと思いません?
心臓の鼓動がそれぞれの動きに合わせているので、寿命もそれなりになるのだそうな。
 象とネズミが体感している時間は、同じ速さで流れている。面白い話ですねぇ。

T寺さん(中野区江古田)でご詠歌。10月26日に福島で行なわれるご詠歌の全国大会に向けて、2時間ミッチリと。

T寺さんで体感する休憩5分を挟んだ120分と、J院さん(板橋区前野町)での休憩2回を挟んだの240分。
実感としては、そう変わらな…「更新しよう」という余力があるのだから、やっぱ別物です。

にしても、ご詠歌で盛り上がった気分がようよう醒めてきました。

2006年10月3日(火)
色々あったんですがね

学校から家に戻り、ランドセルを放り投げて出かけるときには必ず
「アンタどこ行くの!」
と母に聞かれた。

思い返すと、歳を重ねるごとに、母へ伝える情報が少なくなった気がする。
「○○クンと公園で缶ケリする」

「みんなで映画観る」

「別に」

「それを聞いて、何かしたいわけ?」
といった具合。
ホント大人気ないことで。

「具体的なことを言わないのは、相手への優しさが足りないか、知られちゃ困る何かがあるかの何れかです」
村上さんがコンナ趣旨のことを仰ってたっけ。

日記をしばらく休んでおりました。
間にイロイロあったんですがね、今日までのことは抜くことにして、今日からまた改めて書いていくことにしました。

知られちゃいけない何かがあろう筈もなく、優しさを失った自覚もない。
そう、単純に
めん○くさい
もんで。

め○どくさい。
優しさが足りない、と受け取られる方もいらっしゃいますかねぇ。