日 記 ど う ?




◆平成19年1月〜6月の日記どう◆


2007年5月29日(火)
リアル粗忽

テレホン相談員を仰せつかりまして、宗務所(文京区音羽)へ。久々のチャリ。車や電車では味わえない風を身体中で感じつつ移動。折角の機会を楽しみたいので、今日は時間にゆとりを持って。

「ストーカー行為に悩まされている」、「お墓を移したいのだけども」など10件ほどの相談(電話機1台、相談時間は無制限、昼休みで1時間休んでの10:00〜15:00じゃ、こんなものでしょう)。

昨日は、越後の御大のお寺 H院(新潟県燕市)でのお説教でした。コチラの話の出来は兎も角、いやぁ楽しかった(詳細は、“法話どう”で)。
←は、境内から平野を見渡す。

今回の新潟行きで何にも増して思い出深いのは、忘れ物です。
「御大に」と、東京駅で買った中華まんセットを電車に忘れた。

お土産を忘れたことすら忘れていました。迎えの車のトランクに、キャリーケースを入れるときになって、お土産の紙袋を持っていないことに気付いたカミサン
「アレッお土産は?」
「はっ?お土産って。なんかあったっけ?」
「ホラ、東京駅で買った中華まん!」
「アッ!忘れちゃった…」

笑って誤魔化す(笑うしかない、が正確ですが)コチラを見据えたカミサンは、眉間に皺を寄せるでもなく、「…バカじゃないのォ」と寂しげに一言。

そうそう、お説教の題材は、『粗忽の使者』でした。
“落語どう?”の枠で、紹介する予定です…忘れなければ、ネ。

2007年5月21日(月)
初もの

M院(港区三田)でのお施餓鬼でした。お手伝いとしては、5/15に行なわれた市野谷のご住職のお寺(http://entoujide.gozaru.jp/)で経験しましたが、主催者側のスタッフとしては、今年初。これからN院(豊島区高田)、西光寺、実家のG寺となるわけですな。

5:00起床〜庭掃き〜法要準備〜参列者の受付〜法話〜法要〜後片付け〜打ち上げ。それなりに緊張感を求められる1日ですから、打ち上げで飲んだ麦般若の上手いこと。(これは楽しみのうちか…というか、庭掃きを含めた全日程が楽しみでもあるんですが)。

M院のお檀家さんに向けて、法話を担当させてもらいました。
「食うに困らず寝るところもある。エアコンを効かして豊かな暮らし送る私たちが遣り残しているものと云えば、心を磨くことぐらい」などと結ぶ。本堂にいらした100人近くの方全てに届いたかどうかはわかりませんが、M院の跡目を継ぐ坊さんが、どんなヤツかは伝わったことと思います。

長く楽しい1日でした。

 
(左写真は施餓鬼会参列の皆さんへのお弁当。右は本堂の窓を取っ払い気持ちよく開放〜)

2007年5月16日(水)
法話のコーナーにて紹介

昨日は、市野谷のご住職のお寺(http://entoujide.gozaru.jp/)で、大施餓鬼法要が行なわれました。
400年ほど前に開かれたお寺さんでの、初めてのお施餓鬼。長いこと住職さんが、居なかったからだとか。

11:30頃にカミサンと到着、14:00から法要、お寺を出たのが21:00…って何時間お邪魔してたんだ?

…居心地良すぎの素敵なお寺さんでした。

「あんなふうなお寺は良いねぇ」と帰りの車中、助手席のカミサンにも聞こえない声で独り言。

2007年5月14日(月)
2人の母に花束を

昨日、実家のG寺(横浜市緑区)とM院(港区三田)の母に花束を贈りました。母の日には、花束にメッセージを添えて贈るようになったのは、確か10年前。西光寺の住職になってからというもの、実家のG寺に立ち寄るのは、パソコン仕事があるときぐらい。西光寺便りや宗派へ提出する原稿をつくるから、と威張った気持ちで、上げ膳据え膳、昼夜の別なく風呂を使う、洗濯物をポーンと洗濯機に投げ込んでおく等々、我儘し放題。成人男子として、それはどうだろうと、ハタと気がついたからでした。

M院に入寺してからというもの、矢鱈と出る用事があって、さすがにM院の母にも負担が及んでいるだろうと。

花束を贈るぐらいで、それらをチャラにしようとも、できるとも思っちゃいませんが、面目ない気持ちをどこかで発散してスッキリしたかったのだから、我儘のカタチが変わっただけかもしれません。

抑えがたい「お礼を言わなきゃ」という衝動の割りにどこか冷静でした。というのも、コチラも母も気恥ずかしくないように機会を見計らっていましたから。いつも面倒をおっつけて知らんぷりのバカ息子が、いきなり「お母さん、いつもありがとう」なんて神妙な顔したら、むしろ余計な心配をかけるだろうと。
「…ムシの報せかも」なんて嫌な予感をよぎらせるのもねぇ。

“母の日”は、願ったり叶ったりの機会なんですな。

花束に添えるメッセージは、決まって
   いつもありがとう
   健やかでありますように
我ながら何とも素っ気無いものです。

ただ、相手は産みの親ですからね。コチラの贖罪意識や照れ、今までの感謝や「これからもよろしく」なんて図々しさなどが込められている言葉と受け止めてくれるんでしょうけど。


2007年5月9日(水)
チベット土産

写経会にいらした方へ、砂曼荼羅のお砂をお分けしました。護国寺さん(文京区音羽)で行なわれた『チベット スピリチュアル フェスティバル2007』でのお土産としてお授けして貰ったものを、「お砂1粒に無数の仏さまが宿る」としてホンのわずかばかり。それでも喜んで頂けたようでした。

「お砂1粒に…」などと土産話をしながら、ふと湧きでた疑問が一つ。なぜ“小さなものに大きな世界が宿る”なんてことを考えたのか?という、知識不足なればこその愚問といえましょうかねぇ。

そんな話しをしながら、答えとして考えられるものも思いついた。
私たち1人1人に直接関わる両親、ご先祖さん、周りの方々、命を繋げるために頂いている生きとし生けるもの…こんなことをふと考えたから、「砂粒1粒にある大きな世界」をイメージできたのかも、なんて。
自問自答ならぬ、愚問愚答ですな。…我ながら。

閉帳法要を終え記念撮影も済んだ後、チベットの高僧 チャト・リンポチェ師のまわりには、握手を求めるスタッフの輪ができていました。
どさくさに紛れ、師を囲む輪に入ることに成功、ご尊顔を間近で拝し握手を交わすこともできました。

図々しいかも?と恥ながら、輪に入った甲斐がありました。というのも、今までみたこともないほど澄んだ琥珀色の瞳を、チャト師の印象として残すことができたからです。


チャト師のような瞳の深さと輝きがもてる坊さん(人間)に成れたら素敵なことだ、なんていう目標は……大風呂敷を広げるにもホドってもんがネ。

出来ることからコツコツと、行くのが自然ですか。

2007年5月5日(土)
人間万歳

護国寺さん(文京区音羽)で行なわれているチベットの催しの目玉といえば、砂曼荼羅でしょうか。新聞に取り上げられたこともあって「砂曼荼羅はどこにあるんですか?」なんて問い合わせも増えてきました。

連休を海外で過ごす方や、故郷へ戻る家族があるなかで、護国寺にお越しくださる。本尊さんの取り成す、沢山の素敵な出会を、観音堂での案内をさせて頂くなかで、頂戴しております。

チベットのお坊さんから、お薬師さんのお授けを頂ける。個人的な思い入れですが、今回の目玉はどちらかというとコチラです。というのも、今回の砂曼荼羅は、お授けに用いるために拵えているからです。

5/4・5/5の2日間にわけて行なわれるお授けに申し込みました。
お授けくださる阿闍梨は、チャト リンポチェ師。初日の昨晩は、予定時間を1時間近く超過するほど、気持ちを入れてくださいました。

印象に残っているのは、「世の中で一番速いものは、光ではなく、私たちの思い描く心、思念だ」(こんな趣旨)という教え。
太陽から地球まで光が届くには、何分かかかるようですが、私たちの思考・思念は時間や空間を瞬間に渡ることができる、というものです。

「一昨年17回忌の供養をした祖母と、思い浮かべた瞬間にいつでもどこでも会うことができるわなぁ」なんて、思わず頷いてしまいました。

考えようによっちゃ、私たちはすごい力を身につけているんですねぇ。

2007年5月2日(水)
『チベット スピリチュアル フェスティバル2007』

4/29から、護国寺さん(文京区音羽)で行なわれているチベット密教の催しに参加している。
『チベット スピリチュアル フェスティバル2007』と銘打って、ゴールデンウィークの期間、砂曼荼羅や護摩、潅頂(おさずけの儀式)までもが行なわれる大イベントだ。

5/6まで、我が国に根ざした仏教と、乾燥した高地に根ざした仏教の異文化交流が行なわれる。そんな珍しい機会に、企画の段階から関わらせて貰った。もっとも、「出きることをできる範囲でやらせてください」と申し出たからなので、大っぴらに威張るようなことも、誇る気持ちもない。

護国寺さんの案内と併せた法話を仲間と担当することを許して頂いている。総本山 長谷寺(奈良県桜井市)で行なっているゲリラ布教、毎月の真性寺さん(豊島区巣鴨)で行なっている法話会、三ヶ所で行なっているご詠歌の講習などでの経験にすがり、観音堂でベラベラとお喋りを展開中。

チベット密教に造詣が深い方や、チベットそのものに思い入れがある方、興味本位で訪れる方など、様々な気持ちの大勢さんがお見えです。

「仏教はこんなに注目を浴びてたんだ」と正直、驚きました。もっとも、「期待に副えるようにやらなきゃイカン」という気持ちに変わりましたけども。
   
・厄除けの仮面舞踊を待ってます   ・チベット密教の瞑想会場は、連日満員です

2007年4月28日(土)
言い訳して良いわけ

気がついたら一ヶ月過ぎていましたか…更新せぬままで。
この間にもイロイロあったのよ(法話・火祭りの枠で紹介させてくださいな)。

M院にある桜の若葉も落ち着いてきました。愈々、来年の開花に向けて“エネルギー充填”といった装い。一年近く溜めた養分を、開花といったカタチで放出してる。桜からすれば、「オレを見てくれる人に喜んで欲しい」「元気になるように頑張ろう」などの力はいれてないんでしょう。ごく自然に、行なってるさまを、周りが好き勝手に評価してるんでしょうねぇ。

本堂でのお勤めを終えてから、近所の“ケー○ーD2”で買った紺地の地下足袋で、お墓掃除。これも「よし、やるか」と殊更に力をいれなくても、淡々と足が向くようになった。
習慣にしてしまえばコッチのもんで、使ってた力を違う何かに向けようと。

宗派が頒布する、住職向けの資料の原稿も一段落。
西光寺の5月大ゴマに向けた寺報も、企画・構成はできたので、あとは文章化するだけ。
それらに使ってた力を、ようやく日記の更新に向けられて次第。

更新と原稿の何れかを、習慣にしてしまえば…という問題については、この場では考慮にいれないということで。

2007年3月28日(水)
バランス

 宗派の追加原稿をあげてから、なんだかボンヤリしております。もっともG寺さん(新宿区高田馬場)での山伏仲間と勉強会、J院さん(板橋区前野町)でマラソンご詠歌(13:00〜17:00よん)。昨晩はさすがに精神的にも疲れたのか、レイトショーでリラックスを試みました。

 『蟲師』は、想像以上に高品質でした。序盤からディジュリドゥの響きが、何か居そうな雰囲気を醸しだしてたし。最新の映像技術を取り入れたんだか、不思議な画像が沢山でしたな。にしても、先端技術を取り入れた映画の雰囲気づくりに、単なる筒でしかないディジュリドゥがいいアクセントになってる。面白いものです。


M院(港区三田)の部屋から眺める桜が、愈々開き始めました。こう言うと、何だか贅沢なご身分になったかのような気がしますが、そこは掃除をするのも込みですから。強がりよ。
 「きれいだけど花びらを片付けるのが厄介」
 「花びらの後のガクがいつまでもポロポロと」
 「若葉を食べる毛虫の糞がね」
 「落ち葉掃きがなかなか手間がかかることで」
 「風が強いと枝が落ちてくるんだよね」などなど、桜の面倒をみる人間の言い草は、豊かなものです。そうそう「桜は他所のうちのを観るもんだ」を忘れてましたか。

湯船浮かべる蜜柑の皮を干してますが。

2007年3月9日(金)
老女のご利益

宗派の原稿も一段落、四国遍路も一区切り(全5回のうち4回目ネ)。留守中に溜まった野暮用を終えて、今朝から茨城のお仲間の勉強会へお邪魔してきました。
四国帰りの余勢をかって、つくばの御大の講習を吸収!…モチロンできる範囲で、ですが。

10年前に満願した歩き遍路。おえて暫くは、日常の生活に支障を来たしておりました。側溝のフタに溜まった砂埃からアラブの砂漠に立ち並ぶ燃え盛る煙突を想像したり、境内に敷いた砂利をみては奥多摩の大岩の苔に溜まる朝露をイメージしたり。傍目にはボンヤリしていたんでしょうねぇ。

考えてみると、咀嚼や醸造が可能な限られた情報量だからこその心持ちだったのかもしれません。ロマンチックな神経じゃ、不特定多数に囲まれた街は刺激が強すぎたようです。

雨雲を観ては瞼に浮かんだ筈のアマゾン川の色や、ゴミ収集車を見つけるたびにイメージした、眼の周りにたかる蝿のおえない子供。そういった諸々は、脳裏に浮かぶ予兆すら、正直なところ、ここんとこトーンとありませんでした。

区切りの打ち修めで、86番の志渡寺にある忘れ去られたような墓域へ、ベテランガイドさんの案内で足を踏み入れました。
藤原不比等と海女の物語の真偽はともかくとして、夫婦たるものかくあるべし、という訓えを平成の世に語り継ぐ依代となった石塔が6つ7つ。それらはどれも苔むしてているものの、色花と柑橘が供えられていました。

ガイドさんの話しをなぞるような案内板に眼を走らせていると、ステンレスのバケツを持った老女が話しかけてきました。聞くと、「お寺の始まりの方が眠るのに誰も参らないのは気の毒」と2年間欠かさず、お墓掃除をしてるとか。墓前の手向けは老女のものでした。
(毛糸の帽子とマフラーのオバァです)

老女の心意気に感動し握手を求めたところ、鮫肌のわさびおろしのようにガサガサ。
手に残る、高潔な魂に捧げた2年間の感触に、心のアンテナを磨いてもらったような。

その証拠に、言葉がこんなにダラダラと湧く湧く。

2007年2月26日(月)
現実逃避の朝

二本の原稿を抱えちゃいますが、ただ今0:25をもって一つ終わりました。
その記念といっちゃ何ですが、日記の更新も許されるだろうと…誰に咎められることもないのですがネ。

パーパーと無責任に思いつくまま言の葉を紡ぎ出すのは刹那的で好きですが、言葉を文字にして残すと成ると、後々誰の目に止まるのか想像すらつかない領域になるので、大いに不安を覚えます。ライブと録音の何れが好きか?みたいな違いを覚えますね。
確たる論拠に裏打ちされた自信がありさえすれば、文章に残ろうが、誰が読もうが要らぬ心配となるんでしょうが、現時点でその自信は持ち合わせていませんし、わが人生を振り返ってみてもそうした素養を育んできてもいないし、今後もそのような論拠に則った言葉に囲まれて暮らすことも考えていません。何が言いたいかというと、文章をつくるのは嫌いじゃないが得意ではないということです…ちょっと違いますな。得意ではないが嫌いでもない…得意ではあるが好きでもない、チト離れましたな。


世の中は広い。http://www.excite.co.jp/News/odd/00081172202992.html


ボーっとするのも大事ですが、自らすすんで自堕落になることはありません。元々奇跡的な生命力を宿しているんですから。
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081172203317.html


頂いた命を活かしきれますように

2007年2月10日(土)
婉曲表現

「ゴメンで済んだら警察いらない」なんて言葉は、何時、どこで、誰から言い含められたんでしょうかねぇ。それこそ物心がついたときには使ってましたな。

ランドセルを並べて帰る道すがら友達にちょっかいをだされる、腹を立てた、そんなとき。勇気をだしてようやく紡ぎだした友人の「ゴメンネ」へ、ここぞとばかりに「ゴメンで済めば…」なんて憎まれ口を叩く。今さらどうなるものでもありませんが、いけすかないガキでしたかねぇ。


逆に考えれば、「ゴメンなさい」の一言ですべての諍いごとが丸く治まってた時期があったんでしょうか。法による罰がなくても、納得できる心持ちを、加害者も被害者の双方も有していたとでも言いましょうか。

「心のそこから謝っちゃいない」と考えている人間には、どんなに言葉をつくし真摯に詫びたとしても、「誠意が感じられない」の一言で一蹴されるのが関の山なんでしょう。
「涙のひとつも見せときゃ良かんべ」と、折角の善意をあざ笑うかのような気持ちが加害者にもあったのかもしれません。そうした行いの挙句が「ゴメンで済めば…」なのかもね。

懺悔文という短いお経の中に
「悪いおこないは、貪りの心、おろかな心、怒りの心に其の原因がある」
とあります。

真心でもって謝意を表しているにも関わらず「誠意が足りない」と断じる了見は、おろかの心といえるでしょうし、「涙のひとつも見せときゃ良かんべ」とおざなりな気持ちを深々と下げた頭で隠そうという心持ちも、おろかといえるでしょう。

「ゴメンで済めば…」に話しを戻しますけども、法律で定められた罰則の施行で被害者は何とか気持ちを保っていられるのかもしれませんが、考えてみれば法律上のだけの話し。被害者の心情は違う次元を求めているかもしれません。法律と心情は別の話しと言えるでしょうか。

頭に想い浮かべた程度としても、貪り・怒り・おろかの心を生んでしまった罪悪感に悩む方が仮に居たとして、それを裁く法律はないわけで。なんせ、個人的な悩みと言い換えることもできるでしょうから。

貪りの心に代えて施しの心を、おろかの心は他人さま信じる気持ちへ、怒りの心は同じ時間を過ごしていることへの仲間意識に代える。そんなおこないが、もしかしたら自らが生んでしまった貪り・おろか・怒りの心の贖罪になるんじゃないかと。

こんなことをクドクド書き連ねてきたのも、与党の揚げ足だけをとっていれば票が稼げると思うなよ〜なんて愚かな心があったればこそですが。

2007年2月1日(木)
アンバランス

町田天満宮がらくた骨董市http://www.kottouichi.jp/machida.htmに行ってきました。
火鉢にかける鉄瓶の代わりにと、耐熱ガラスのポットを購入。アンバランスですが用は足りるので、「ま、いいか」と。

そもそも骨董市に行ったのも、考え事がまとまらず、抱えている原稿がまるで捗らない様子を見かねたカミサンが「気分転換にどう?」と明るいところで甘く囁いてくれたからでした。

昨年の10月から始まった新生活では、趣味と実生活が綯い交ぜで偶にワケがわからなくなります。
今冬は「火鉢で乗り切るぞ!」と言ったがために、小ぶりの火鉢2つで、かじかんだ手を解しながら朝食なんてこともざら。エアコン・ストーブに囲まれていた生活から、火鉢…。正直ね。

今年はたまさか暖冬で、「やっぱしエアコンを点けよか」とならないうえに、個人的に朝食が面白いことになってるのよ。

海苔を焙りつつお餅を焼いて磯辺焼き、コレぐらいなんですけども、想像以上に旨い。

生活空間の全てが電化されるなか、時代を逆行するかのような生活ですが、焚く炭はネットで見つけた島根県http://www.tarumizu.cc/goods/index.html#goods3のものだし、日々の食材は、ほぼ通販で手に入れているらしい。まんま初め人間ギャートルズの生活でもない。
エアコンのコンセントを抜き、テレビも置かず、暖房器具は火鉢のみ。その反動か、風呂場じゃ防滴DVDを持ち込んで半身浴、ノートパソコンやデジカメ、I−PODなんかをコッソリ持ち出して出かけるし、何よりもパソコンで日記を付けてるし。

こんな出鱈目な生活をしてれば、まとまるものもまとまらないか。

2007年1月27日(土)
心のアンテナちょっぴり発動

N院さん(豊島区高田)で一仕事。ここんとこ地下鉄を乗り継いで、江戸川橋駅からお寺まで神田川沿いを歩いて20分ばかし。

今読んでいる『天才は親が作る』(文春文庫 吉井妙子著)が、バカな面白さ。つい地下鉄出口からしばらく、足を動かしつつ読み進んでました。ふと傍らに、OLさんらしき女性が携帯電話のメールを打ちながら、コチラと同様に余所見歩き。
心の中で「アナタもやってますか」などと。


都心でも比較的自然豊かな江戸川橋公園界隈を歩いているのだからと、本を読むのをあえて終了。モチロン読書よりも良いものが此処にはあると踏んでのことですが。

木々のざわめきに耳を済ませ、身体を通り抜ける風の薫りを味わい、地べたの何がしかをついばむ2・3羽の雀を注視する。五感全てのスイッチを入れるような感覚とでもいいましょうか、たまに良いものを頂くことがあるもんで、こんな薄気味悪いことをしているわけです。


最近のお日柄ですかね、紅白の寒梅がはや満開。それが見事なこと。

面白い本のページをめくるのを、我慢した甲斐がありました。

そうそう、幾らか先の話ですが、実家のG寺で玉川福太郎さんの浪曲会開催が内定しました。詳細が決定次第、改めてお報せしますが、あの圧倒的な芸が目の当たりに出来るとは、うう、うれしいっす。

…これも心のアンテナのおかげ、かどうかわかりませんな。

2007年1月23日(火)
時々マイナス思考

音羽にある豊山派宗務所で、布教研究所の寄り合い。
10:30〜16:00まで、出版物の校正、企画会議でした。

M院(港区三田)から宗務所まで、チャリンコでちょうど1時間。往復で2時間の有酸素運動じゃ〜い。

慶大前を抜けて赤羽橋。東京タワーの脇を登ってお堀に向かって真っ直ぐに桜田門へ出まして。内堀通りを横目に見ながら大手門、気象庁前。平川門、竹橋、九段下へと抜けて飯田橋。首都高5号線の下を江戸川橋まで。ここから護国寺へラストスパート。
護国寺駅の地上出口の脇にある、宗務所へ着く頃には、すっきり爽快。運動を欲していた肉体も喜んでくれたようでした。

それにつけても痛いお尻(というか腿の後ろの上)。クッションを付けているサドルへ交換して貰ったものの何とかならんのかねぇ。
「コレも修行」と考えて、痛みを逸らしちゃいますが何とかなりませんかねぇ。
…「自転車に乗らない」というのは思いついたんですが。

2007年1月17日(水)
もし・たら・れば

海外のニュースですが、水の飲みすぎで亡くなった(検索かけてみたら「おしっ○我慢大会」だって)女性がいるそうな。
「そんな輩がいるとは…世界は広い」と思った次第。

命を賭してそんなことをしたのも、愛する我が子に、賞品のゲーム機をあげたかったからだそうな。
この行為も、結果として子供が悲しむ結果を招いたわけだから、諸手をあげての賛成は出来よう筈も無い。

夜通し泣き続ける赤ん坊に、睡眠時間を削られ、疲労困憊で続けられる子育て。
家族の為なればこそ、残業を繰り返し、心と身体を疲弊させることも厭わない世の旦那衆。
こうしたことを考えると、水を飲んで亡くなった女性の行いも、馬鹿の二文字で断じてしまうのは少しばかり乱暴なような。

「弦楽器の弦は、締めすぎても緩すぎても良い音はならない。ちょうど良くないとダメね。私たちの心持ちも同じ」
ホント昔の方なのに、お釈迦さまは凄いこと考えますな。

「一生懸命頑張ったけどダメだったわ。ゴメンね」
この言葉が、亡くなった女性と其の家族にとっての中道になるかどうかは分かりませんが、大切な方を失うよりはねぇ。

T寺さん(中野区江古田)で、年明けて一回目のご詠歌講習。
皆さんの元気そうな顔を観て、ついうれしくなって力が入ること。

勢い余ってこんな話しを、喋り散らかしてしまいました。
申し訳ない気持ちがありつつも、スッキリ爽快。

「すわコレが中道!?」
違いますかね、やっぱり。

2007年1月6日(土)
松の内、ということで

年の瀬恒例の“原稿空騒ぎ(実家G寺頒布の『G寺だより』がコラム×1、『西光寺だより』のコラム×2)”が沈静すると、西光寺檀信徒の挨拶周りに御札づくり。あいさつ回りも終了し、一連の正月行事が、ようよう落ち着きました。

宗派が頒布する資料用に原稿を拵えていたのですが、中々捗らないのが常。
「ちっともアイデアが浮かんでこないのは、『24X』を観ていないからだ」などと、己が発想の貧困さを棚上げして、進まない筆の責任転嫁をするのも常。

3倍速で観たこともあって、2日で観終わりました(何の自慢にもなりませんな)。

仕事をホドホドにして、『24X』で繰り広げられる目まぐるしい展開に集中。脳みそも幾らかの刺激を貰ったらしい。

オカゲサマで資料用の原稿も佳境を越えましたっ!やっほーいと小躍りをしたのも束の間。
勢いに乗じて校了としたかったのですが、中々続きが降りてこない(「何が?」って聞かれても困りますが)。

パソコンの前に向かいネットサーフィンをしつつ、
「結びまで辿りつけないのは『ウルトラバイオレット』を観ていないからだ」
と一人ごちるワタシ。


パソコンの前でボンヤリとネットサーフィンを続ける背中を観て、
「結びまで辿りつかないのは遊びたいからだ」
と一人ごちるカミサン。


…仲良くやってますって。