日 記 ど う ?




◆平成19年6月〜12月の日記どう◆


2007年12月19日(水)
朝からガッテン!

M院(港区三田)の木々はスッカリ丸裸になりました。
日課の境内掃除にかかる時間も小1時間必要だったのが30分弱となり、毎朝の作務も随分楽になりました。

朝の冷え込みも本格的になってきたので、温もりを宿す愛しい布団チャンから離れがたいこと。これからしばらくの間は、身を引き裂かれるような思いを毎朝味わうんでしょう。

春の訪れとともに増える境内掃除。冷え込むほどに減っていく作務の時間。
「世の中に、全部良いことなんてない。出来事は、良し悪しごとを大体半分ずつバランスとってある」とは、立川志の輔師匠の曰く。
なるほどなぁと、ガッテンできる言葉です。

食事時にこの話をカミサンにしたところ、「掃除や作務をも楽しめるのが坊さんでしょ」と。

慎んでガッテンさせて頂きました。

2007年12月1日(土)
それを人は“オノボリサン”と云う

『世界の果て』http://www.enjoytokyo.jp/OD004Detail.html?EVENT_ID=94638を観に、渋谷のパルコ劇場にへ行ってきました(昨年の国本武春さんの浪曲以来ですかネ)。興味深い仕掛けが施された舞台に驚かされたりしながら、パントマイム、モダンダンス三昧の90分。アッという間でした。

田町と渋谷を結ぶ87系の都営バスで渋谷駅へ。バスの車窓から眺める景色も良いものです。日頃とは違った一段高い角度から町並みを眺めるせいか、小旅行を味わってるような。

渋谷駅からパルコ劇場へ向けて歩き始めようとしましたが、18:30頃の構内は立錐の余地も無いほどの人手。雑踏をかきわけ、すり抜けてようようたどり着いた先が、道玄坂上だよ…。

平静を装いつつも、「しまったぁ、どこにいるか分からなくなった」と迷子だよ、35…トホホ。
開演15分前でカミサンと電話が繋がり事なきを得ましたが。云われるがままに、ホテル街の如何わしさを突っ切り、開演直前にようやく着席できました。


こないだユニクロで買った黒のジャンパーを雑に畳みながら「だから渋谷は…」などと。

2007年11月22日(木)
ワクワクするのは前々日

いよいよ5回目となった『西光寺山火祭り』に向けて、準備も盛り上がってきました。
「盛り上がってきた」というよりは、火祭り用のギアにカコッとはまった、といったところ。

西光寺発の、年に一度の大騒ぎまで残すところ3日。
おかげさまで、檀家さんの中にも面白がっている方も出てきたような気配です。
もっとも、一番楽しんでるのはワタシ。

長谷寺(奈良県桜井市)では、毎正午に法螺貝が響きます。

2007年11月14日(水)
決戦は土曜日

11月に入ってからというもの、出用事があまりにも多い。

遍路から戻った翌日から、西光寺山の掃除に山梨へ柴刈りと、日曜から暗いうちに出掛けちゃ深夜に帰る日々。
さすがに「マズイ」と思ったところで、今日は今日とて西光寺が所属するお坊さん仲間の講習会…
明日はG寺のご詠歌に火祭りに向けた打ち合わせときた。


世に言う「肩身の狭い婿」からすれば、もはや笑うしかないのが現状か。
「家によりつかない婿」の汚名を返上すつために最大限の努力をしなきゃならんタイミングですな。

そういや、金曜はN院(豊島区高田)、日曜の夕方から水曜まで本山か…

   
 ・日曜日(西光寺山)          ・火曜日(柴刈り)

2007年11月8日(木)
出て合うから出会いとか

四国88札所・別格20霊場の遍路が結願しました。合わせて高野山から根来寺、伊勢神宮から本山 長谷寺へと足を伸ばしてミッチリとお参りをしてきました。

今回の遍路で学んだことといえば、表に出て行くと良いことあるということ、ですかね。今回の遍路に関して言えば、美味しい食事に素敵な出会いで、身体と心を太らせ(!?)、そのうえ目から鱗の自己発見がありましたし。

この再発見についちゃ、もう少し纏めてから文字にしますが、何にせよ素敵な3泊4日でありました。
 ←巡礼を終えてパチリ

2007年10月28日(日)
要は気の持ちよう

西光寺で思うままに時間を使いました。といっても、朝から西光寺の本堂で本尊さまのご供養をして、昼時分にお檀家さんのご法事へ伺って、3時前にお寺へ戻って本尊さまのご供養を5時過ぎまでという、色気も何もない時間でしたが。

M院も西光寺も本尊さまは不動明王。M院に移り住んでからというもの、M院のお不動さんとはご縁が深くなりましたが、西光寺のお不動さんとは向かい合う時間が減ってしまいました。
どちらも同じ仏さまですから、気にすることもないのかもしれません。
ただ、西光寺のお不動さんには、10年近くも叱咤鼓舞して頂いた義理がありますので、やはり思い入れがあるのです。

ご恩ある西光寺のお不動さんと相対した8時間。
おかげで、気分がすこぶる良いのです。

2007年10月9日(火)
今週も熱いのです

怒涛の月初めも、今日は小康日。16日〆切りの原稿、11月初めにある四国遍路、11月25日の『西光寺山火祭り』に向けてパソコン仕事をば。

それにつけても足利は熱かった。熱源はモチロン『鳳仙寺火祭り』(足利市西場町)です。
その核は、同志の不眠不休Gさん。こってりと情熱を注入されてきました(この時の模様はいずれUPします)。
←10/8の準備も佳境

10/14は三重で『上津の火祭り』。
ココにも熱いお坊さんがいるので、前日から助勢仕ります(この時の模様も近いうちにUPします)。

2007年10月6日(土)
一夜明けて

火曜日の朝から昨日の夕方まで佐渡の円徳寺(両津)。
お寺のお掃除、本尊 お薬師さまへのご供養のお作法に、貴重な時間を使わせて頂きました。

今回は、佐渡の最高峰 金北山(きんぽくさん 1172M)に登頂する目的もありまして、こちらも無事おさめることができました。
金北山は、佐渡では信仰のお山ということでしたが、今は自衛隊の分屯地があったり(できる範囲でUPしますので)。
それはそれで、なんですけど。


これからN院(豊島区高田)でのお手伝いです。
そういやN院さんも、お薬師さんでした。

有り難いことです。

2007年9月30日(日)
疾風怒涛の長月

更新が滞ってました。
毎日パソコンを立ち上げちゃいたんですが、巷間を騒がす、楽しげなニュースにかまけておりました。

いやぁ9月は凄かった。月の半ばにカミサンと北海道へ、1週間も行ったシワ寄せで、ギチギチの30日となりました(当たり前だわな)。
さすがに草臥れた。その反動で「忙しいだけで1日過ごしちゃ損だ」と考え、さすがに無理にでも楽しむようにしました。
←北海道のお目当て、タウシュベツ橋梁(士幌町)

そうそう、9月の護摩を昼間にしました。当初から昼間の開催を考えていたんだけど、諸事情で、夜の開催でしたが。極旨のスイトンを拵えてくれた婦人部から、「早くに帰れて楽チン」なんて声が。

コチラも、早くに9月の護摩の後片付けを済ませられて大助かり。
どのくらい助かっているかって?
いつものWEBを覗き終えてから、日記を更新するぐらい。

2007年9月9日(日)
好きな理由

 42年の生涯を閉じたWさんのご法事の後席で、Wさんとは20年以上の付き合いというOさんと向き合いの席になりました。Wさんが大好きだった方の思い出話を沢山聞けて、楽しくも穏やかで、心温まる豊かな時間でした。

 お弔いの斎膳に着くのもそうですが、法事の後席も大好きです。ご馳走にありつける云々ということよりも、縁故の方とお話しすることが、かけがえのない時間を過ごしているように思えるからです。
 こんな了見でいるのも、どんなに大切な思い出も必ず色褪せてしまうと考えているからでしょうかね。

 故人の在りし日の姿、故人にまつわる微細な思い出が沢山残っている現場に居合わせることで、故人が忘れ去られる時間を幾らかでも遅らせることができるかもしれない。
 お坊さんになって程なく、こんなことを考えるようになりました。お坊さんが率先して、故人の話題へとリードすることで、お身内の方の口からは
 「そうそう、その時はそんなことしてた」
 「そんなこともあったっけかね」
なんて言葉が聞けることもあるぐらいですもんね。

 Oさんはしばしば、白血病に侵されたことを知り体力の衰えを自覚したWさんを、怒気を含んで叱り飛ばしたそうです。「そんな弱気でどうすんだっ!」って。
 「旨いマグロが食べたい」というWさんを助手席に乗せて、城ヶ島まで行ったこと。
 疲れた身体に鞭打って、人付き合いで夜更かしを続けるWさんを労って、ゴルフに誘ったこと(草臥れれば夜は寝てくれるだろうという意図で)。
とてもやさしい表情で語られていました。

故人を偲ぶ珠玉の話を聞きながら、「仏さまも、Oさんのような表情なんだろな」なんて。

耳障りなニュースが溢れる巷間にあって、有り難いお顔を間近にできる。
これも、後席が好きな理由です。

2007年8月25日(土)
オヤ、10000超えてる

 日に何万人も閲覧するサイトがあるので、どうということではないのですが、10000ヒットを超えました。アニキに全てを丸投げしてのHP開設当初、ちょいちょいチェックしちゃ、一つ二つヒット数が増えるのを確認してニンマリしたもんです。
 そんな薄気味悪い独り笑いをしなくなったのも、自分のぶりがヒット数に入ってしまうこと、このページの性質上、このサイトに訪れた方が、お独りで何回もカウント出来てしまうことに気がついたからですが。


HP作製の仕組みを未だにまるで理解しちゃいないので、写真を思うように乗っけられない。
法話の枠で紹介したかったものを一つ。
真性寺さんに咲いていた蓮。「今、お地蔵さまの脇に、きれいにハスの花が咲いておりますが、仏教で蓮というと…」なんて。法話のタネとしても紹介させて頂きました。

2007年8月17日(金)
まだ終わっちゃいませんが

年に一度のお経繁多な日々も終了し、クールダウンといったところ。

今年のお棚参りも、充実した3日間でした。日頃はテンで接点のないお檀家さんと、一日中ずうっと顔合わすんですから。しかも否応なく分刻みの交替で、多いときには一日60組と。今年も様々な職種の大勢さまと、それぞれ逢瀬を楽しみました(オヤ何だか艶っぽい)。


今年は、全日程を通じて時間超過気味でした。というのも、この暑さなもんで、「水分補給はできるときにしとかんと…」なんて了見でいましたから。「ま、お茶でも一杯…」というお言葉に悉く甘えました。加えて、こちらの戯言にお付き合いくださる方とは、ついつい話も長くなろうと。

大恩あるお檀家さんに、ご無沙汰ばかりの坊さんができることと言えば、同じ空間にいる間は何としても"喜んで貰う"。モチロン、泣き笑い、時と場合によりけりで、全く同じにはなりませんが。つまるところ、喜んで貰う、コレに尽きるだろうと。

  「この暑さのなか、ご苦労様です。大変でしょう?」
  「……あえて否定はしませんョ。今年は本当に大変です」
  
  「こうして部屋からみても、おもてはすごい日差しですもんねぇ」
  「……負けずに照り返しちゃいるんですがね。今年のお天道さまは本気ですから」

 …許されている僅かな時間を承知で喋ったにしちゃ、反省の残るものばかり。けれども「来年のお棚参りで挽回できるよう精進せにゃ」と、気持ちが引き締まったことも事実。

今年のお棚参りは、暑さで弛緩した己が身に有り難くもキビシイ機会となりました。

2007年7月28日(土)
峰入り

 もっとも有名な懐メロといえば、『水戸黄門』の♪人生〜楽ありゃ苦〜もあるさ〜♪でしょうか。老若男女を問わない番組内容のわかりやすさもさることながら、覚えやすい歌に込められた訓えめいたものに、共感を抱く方も多いんでしょう。
 好きな噺家さんのマクラに「世の中良いことばかりじゃない。良い面もあれば悪い面も必ずあって、バランス良くできてる」というものがあります。ここんとこ苦心しているダイエットなんかも、これがあてはまるような。

 美味しい食事は高カロリーのものが多い。それらを食べたいのであれば、相当の運動をどっかでしとかないと、摂り過ぎたカロリーが悪戯して体調をくずしかねない。といって、身体を動かしたいワケじゃないから、ズボンを買い換えたり、シャツがきつくなったり。
 粗食ばかりを続けられれば、それにこしたことはないけれど、それじゃぁ世にある楽しみを捨ててしまうようなものでしょ。だって、1日に3回しか食事を摂れないんだもの(この了見を何とかしないと、ダイエットなぞは到底ムリでしょう)。
 食欲を理性でコントロールしたいけれどもママならないのは、食べられるものを食べないでおいとかないといけないからなんです。個人的な悩みですが。

 日光の中禅寺湖を見下ろす男体山に、山伏仲間と行って参りました。海抜2486メートルの頂上にたったときには、達成感や充実感が綯い交ぜの、何ともいえない心地でした。それも道中の苦しさがあればこそ。(火祭りどうの枠でも紹介します)

思いのほか早く到来した全身の筋肉痛も、修行をした証、なんですがねぇ。つい動くたんびに「イテテ」「…まったく」なんて言葉が出る出る。

2007年7月25日(水)
創造力増幅装置!?

法話をするにも寺報をだすにも、はじめにイメージありきと言えるでしょうか。
文章化するには言葉が必要で、言葉を紡ぎだすには何がしかの、言葉にしたいアイデアが求められると考えているからなんですが。

ヒラメキを自分の都合で連発できりゃ苦労はないのですが、“伝えたいこと” “面白いこと”なんかがスッと見当たらない人間にとっちゃ、文章化する前の段階で足踏みをするわけです。しかも長い時間。

どっかのニュースを切り貼りできりゃ、生みの苦しみは軽くて済むのですがネ。それは性分ということで。

クドクドとこんなことを書き連ねるのは、難産な原稿を抱えているときに多いことですが、これはヒラメキを待っているときの儀式のようなもの。これらの手順がむしろヒラメキの障害になっているかもしれませんが、それは性分ということなんでしょう。

個人的な悩みでもありますが、文章化に耐えうるアイデアを思い浮かべるには、毎度のことながら骨がおれます。脳にあるであろうソレラを生み出す箇所を刺激しようと、映画を観たり本を読み漁ったり、川べりの砂利道を散歩したりするのですが、ここんところは不発続き。
幾度と無く刺激を受けるうちに、慣れてしまったんでしょう。きっと脳の一部分だけ踵の皮みたくなってるに違いありません。

そんな踵アタマに新兵器投入です。
←座り心地最高のロッキングチェアっす

ゆらゆらしてるうちに、踵アタマもほぐれるだろうと……
一言で言えば、「素晴らしい」に尽きます。

素晴らしい証拠に、すぐ眠くなる。

2007年7月19日(木)
醍醐味

西光寺山の整備に檀家のジイサマと。昨年の『西光寺山火祭り』に向けて、ボーイスカウトの応援を頂いて徹底的に草刈をして以来なので、胸丈の雑草がもっさりと斜面を覆ってました。実は、その光景を通りすがりに見るにつけ手を入れようとは思っていたんです。
人跡未踏のジャングルに単身で立ち向かう勇気(この場合は根気ですかネ)がなかったということで。
↓整備前                  ↓整備後
  

午前中で作業を終えたので、西光寺に戻り昼食。お蕎麦屋さんに「鍋焼きうどん5つ」と出前のお願いしました。涼しいうえに、夜露の名残やら汗やらで濡れ鼠だったことも手伝ってのことですが、季節外れの注文にお蕎麦屋さんも面食らったでしょうな。

心地よい疲労感と一仕事終えた達成感を共有する同志と、爽やかな風を受けて縁側で鍋焼きを食す。季節外れの陽気だからこその贅沢を満喫しました。


「最高の調味料は空腹」
アレが旨いのコレが不味いの口走る我身を反省しつつ、中学時代の校長先生が仰ってたことを思い出しました。

2007年6月22日(金)
探してたお店でした、実を言うとネ。

先日結婚されたコチラの若住職に会いに行ってきました(<http://awano.shokokai-tochigi.or.jp/tiiki_iouji.html>)。先日お祝いごとがあって、遅ればせながらお邪魔したわけです。

小僧さんの修行道場として開放されていた10年ほど前、お手伝いで訪ねて以来。相変わらず良い空気が漂っています。長い歴史を語りかけるかのような、杉木立に囲まれた境内。何とも気持ちがいいものです。極めつけはコチラの古木
<http://www.geocities.jp/ir5o_kjmt2/kigi/kayaiouj.htm>)。

お手伝いでお邪魔したときにご馳走してもらったお蕎麦の味も、良い思い出として残っていました。ただ今回は、あくまでお祝いにお邪魔したのだから、と「あのお蕎麦屋さんは何処?」など聞くのもヤボですからねぇ。

コチラの気持ちを見透かしたように、「お昼は例の店にしましょう」と若住職。そこは「喜んで」これ以上ない二つ返事で応えました。
<http://gourmet.yahoo.co.jp/0003633843/0001600320/ktop/>

10年越しのニラ蕎麦。旨かったっす。


誰に聞いたか「良い思い出は長持ちする」。
全ての出会いがそうなるように、せめてコチラの了見だけでも磨いておきたいものです。

↓はJA下野のお土産です。自宅でニラ蕎麦用に、足つきの笊。

2007年6月6日(水)
邪魔にならないお土産

文化の薫り高い越後の国は佐渡から、今しがた戻ってまいりました。
M院(港区三田)の先々代が、佐渡出身。そんなことから、E寺という兼務寺があるもので、縁がつながっているものですから。

両津港から車で10分程度、E寺に到着。
本尊さんをまつるお堂は、長らく住職がいないこともあって正直散らかっておりました。壇上にある香呂といい燭台といい、もっさりと埃をかぶっていましたが、杖を身体の真ん中に軽く置いた感じで微笑む白髭の老僧の写真を発見。


「もしやこの方が、かの先々代では?」
少しばかり嬉しくなりました。というのも、M院の先々代については、M院の家族や檀家さんのみならず、同じ豊山派の大先輩の坊さんの口から、良い噂と好意的な昔話ばかりを聞いていたからです。

総勢でも20に満たないE寺の檀家さんに、先々代の話をそれとなく聞いてみました。
 「良く拝んでらっしゃった」
 「良くしてくださった」
などなど・・・どなたも相好を崩し懐かしそうに、嬉しそうに語り始める。しかも全てが好意的なもの。というか、亡くなって30年以上も経つのに、はっきりと覚えて貰えてるうえ、先々代の話しが語り継がれていました。

荒れたお堂にある1枚の写真と、檀家さんの昔話のおかげで、また1人の素敵なお坊さんとの出会いを果たしたような。何よりの佐渡土産となりました。