JR尾道駅を出て尾道水道側を望むとすぐに大和セットが目に飛び込んでくる。駅から歩いて約3分の尾道渡船乗り場付近から見ると 右舷を真横から見渡すことができる。 右舷側はクレーンや造船所の建物跡にさえぎられる上、骨組みがむき出しなので眺めとしては今ひとつ。 たまたま福本渡船のフェリーから朝霧に煙る姿を 見ることができたが、なにやら艦載艇に乗ってこれから大和に乗り込もうとしているかのような気分になった。
2006/5/2-3に撮影。解体直前、ゴールデンウィーク中でも1日と2日は平日のためやや空いていましたが3日になると大和のみならず、 尾道市内に人があふれかえった。
記事によると尾道市出身で故郷を舞台に数々の作品を撮った大林宣彦監督は記事中で尾道市の姿勢を 批判している。映画のセットはフィルムの中でこそ生きるもので本来残すべきものではない。 それを小学生からも金を取って公開するのは戦争や故郷を商売にしているというのが監督の見方で、 セット公開中は尾道市とは絶縁とまで宣言している。
セットそのものは5月7日の最終公開日を無事に終えたが、監督と尾道市が和解したかどうかについて 5/15現在続報はまだないようだ。
実際に尾道の街を見てきた身として現地の様子はどうかといえば、時の流れに逆らわず 古いものと同居する、言葉を変えると風化に逆らわずに生きる歴史の長い町並みがあった。 しかしそれもものの言いようで、駅前の商店街にならぶ空き店舗や休業した映画館の跡(映画の街なのに)、 午後6時にはほとんどの店舗が店仕舞いしてしまう中央商店街。アーケードの中にもよく見ると 二階が崩れかかった古びた建物があるという具合で、実際には街中で荒廃がすすんでいるのが見て取れる。
このような光景を見てしまうと監督の気持ちも分からなくはないが、いささか酷な態度ではないかと思う。 観光を重要な資源とする土地ならまず衆目を集めることは悪くはあるまい。
確かに尾道と戦艦大和という取り合わせの異様さは否定できない。
それでも大和の大きさを実際に体感できる、というのはおそらく二度とない機会だった。
大きい大きいというだけでずっと想像するしかなかった幻のようなものだったのだから。
そもそもこの映画に出資している朝日新聞が、しかもGWの直前のこの時期に 映画に撮影場所を提供した尾道市の足を引っ張るような記事を載せるのはおかしなことだった。 朝日なりに監督と尾道市双方の立場に配慮した、と言うことなのだろうか。
2005年は広島県尾道市を巡り2つの話題が提供された。
3月、映画「男たちの大和」(公式サイト http://www.yamato-movie.jp/)の撮影のために 戦艦大和の実物大のセットが尾道市の日立造船所跡地に建設された。撮影終了後、7月から2006年3月末の予定で一般公開されている。
尾道とシンクロしたかのように呉にも4月から呉市海事歴史科学館、通称“大和ミュージアム”が開館。 大和の10分の1、全長26メートルにおよぶ破格のスケールの模型が据えられ、予想を遥かに上回るペース で訪問客が足を運んでいる。
時期を同じくして尾道をモデルにした土地を舞台にしたアニメが深夜枠で放送され、密かに人気を集めた。 →こちら
同市のHPでWEBカメラでその様子が売り物のひとつとして公開された。 私もそれによってセットや尾道市の様子を見ることができた。撮影風景は見ることはできなかったものの、そのうちに 7月からセットの一般公開が決まったニュースを聞いて尾道行を決意。 尾道の街は逃げないが、大和はこの半年の期間を逃せば地上から姿を消してしまう。行くべし。 そこで限られた日程(&体力)で尾道を巡り、可能な限り舞台となった風景を写真に収めようとしました。 尾道に到着したのは2005年10月末でした。
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造船所跡の敷地に甲板から下1〜2メートルぐらいを剥がしてきて乗せた感じ。