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2008年12月3日(水)
言い訳して良いわけ?

…30日あまりのご無沙汰ですか。
確かにマメに更新をしていたワケでもないのですが、さすがに「やめちゃったの?」なんてお声がけをチラホラと頂いたり、「やめたらしい」なんてヒソヒソ声が聞こえてきたものですから。

「やめてはいないぞ、…これでも」
ということで。



何やかんやとバタバタしている間に一日が終わる。こんな日々を大勢さまが送っているのでしょうから、ようよう腰を落ち着けてパソコンの前に座り、更新をする気持ちにになれたコチラの了見にも共感を覚えて頂け…言い訳はもういいですかネ。


11/20に引き受けたお坊さん相手の講習会。これがもとで調べ始めたのが、ほんの少し前の(昭和初期ね)お坊さんが何をしていたのか?というもの。
これがなんとも面白い。

縄文時代とか平安時代とかの遥か遠い過去の話だと、まるで他人事のように感じるけれども、ほんの少し前にあったことというと、「もしかしたら家のお爺さんに聞けば分かるかも」という親しみやすさが無条件についてくる。その反面、資料が乏しいわりに膨大な情報量が埋蔵されていそうな予測が付きやすいんだけれども。

そのせいか、明治、大正、昭和にかけて何が行われていたのか?については、あまり語られていないような。
史料の海に飛び込むのも面倒だし、その当時のことをなまじ覚えている方がいたりすると、文責もとりきれん、ということなどが理由になるんでしょうかネ。

取材するこちらからすれば、朧げながらでも当時の様子を覚えている方は貴重な情報源です。
「オヤジから何とはなしに聞いた」なんて老僧から、「今行けばその当時の話が聞けるのか!」なんて心躍るわけです。字面からは観えてこないリアルの体験が、コチラの頭で救いきれない空白を埋めてくれそうな期待からですが。

勢いあまって、そういった方と面会の約束を取り付け、年明けに取材の称して四国に行く予定。
いやはや、カミサンも「勝手にすれば」という状況です。

ただね、こう書くと大げさなことをしているように聞こえてしまうかもしれませんけど、一貫しているのは、純粋な個人的関心ですので悪しからず。


11/30の西光寺山火祭りは六回目を迎えたこともあり、盛況のうちにつつがなく修めることができました。今年は地域の方も多くお参りいただけたようで、檀家ともども喜んでいます。
横浜ボーイスカウトの皆様には、お山の整備にはじまり、29日の前日準備、当日は丸一日お力添えいただきました。

多くの方に支えられる催しに成長した火祭り。
来年はどんな方との出会いがあるのか、今から楽しみです。

そうそう、今日はJ院さん(板橋区)でのご詠歌でした。久々だったこともあり、喋り倒しのご詠歌講習となりました。

2008年11月1日(土)
お寺は檀家さんあってのものですし

実家のG寺(横浜市緑区)のお檀家さんの葬儀。最近流行りはじめた“式中初七日(葬儀と併せご出棺前に初七日も修める)”で。

葬祭場の控え室へ打ち合わせにきた葬儀屋さんから式中初七日の旨を伝えられたときには、「とうとう来たか」と、お坊さんらしからぬ目付きで担当者をねめつけてしまったのですが、その場に居合わせたお施主さんから「住職さんに「ウチではそういった送り方をしてませんので、お寺をつかって頂いて結構ですから」とは言われたんですけども、お許しをいただいてのことですので…」
お施主さんたってのご要望とあらば致し方もなし。

多くの場合、葬儀〜火葬〜お骨上げ〜繰上げての初七日〜精進落し(地域、住職の方針によって異なります)と日程は進みますが、“式中…”にすると、お骨上げでの散会が可能。その後の日程を削れますのでね、ご遺族や葬儀屋さんのみならず、坊さんも楽なわけです。

ただ、「そんな簡単に一人の人間の最期を送っていいのかョ」と、どうしてもスッキリしない。
式中初七日が時代の流れであれば、それも止むを得ないのでしょう。時代の流れに乗るのであれば、せめて本来の姿を踏まえ乗りこなすつもりでいたいと考えるものですから。

葬儀を修め、直ちに初七日の読経をあげるのも違和感を覚えたもので、上述のような思いのたけをお参りの方に申しあげました。それとあわせ、「七日目には故人のために思いを馳せてください。お家のお仏壇やお墓、お近くのお寺や神社、辻々のお地蔵さんなど、何れでも結構ですから、故人が安らかであるように真心からの祈りを手向けてください」とお願いをしておきました。

どれだけの方が忘れずに仏さまの仲間入りを果たした故人へ衷心を向けてくださるかは分りませんが、個人的には伝えたいことは伝えられたので、ひとまずは納得。

はや11月です。室戸岬で断食護摩のお手伝い、四国遍路、本山、S寺(豊島区巣鴨)での法話、芝刈り、火祭りと目白押しときた。これら全てを乗りこなすべく、まずは体調管理ということで。

2008年10月15日(水)
なかなかどうして

先週の水曜日から、風邪に悩まされております。といっても、入院をするような大げさな症状ではなく、ただ咳きがとまらんという症状です。

たくさん栄養をとってひたすら布団でゴロゴロするだけという独自療法「食っちゃ寝大作戦」も、さほどの効果をみせず。かくなるうえは文明に頼ろうと、身支度を開始。義理の両親へ久方ぶりに顔を見せつつ病院へ行こうとした。

足利での火祭りに横浜での花供養(生花の生産者が主催する花の供養法要。30ウン年目に突入だとか)を土産話に、しばらくぶりに両親と談笑。

2、30分ぐらいしたころキリがいいので、腰を浮かせつつ
「ボチボチ病院に…」
「あら、今日休診日よ」
「え?」
財布からカードを取り出すと、休診日だったよ。

「でもね、病院にはちゃんと行ってはっきりさせとかないとね。おばあちゃんは3ヶ月も咳がとまらないからというので診てもらったら、肺癌で手遅れだったぐらいだから」
「……じゃ、明日朝市で肺がんかどうか診てもらってきます(苦笑)」
思いも寄らないアドバイスに、この切り返しで精一杯でした。

「悪気があって言ってるんじゃないわよ」とはカミサン。
わかってますって。

2008年9月30日(火)
猫アレルギーかと思ってた

M院(港区三田)の彼岸入りにあわせるかのように迷い込んだ茶虎模様のメス猫に、お寺中でメロメロです。というのも、このチャトランがやたら愛想がいい。墓参にいらしたお檀家さんのほとんど全てに愛嬌をふりまいて、とうとう古寺に居ついた次第。

「エサをやりたい」とぐずる家内に、「最後まで面倒をみきれないのであれば、なまじ手を出すのは大人としてというか僧侶として無責任だ」などと冷たく言い放ったものでした。
こそこそ餌付けをはじめたと思ったら、瞬く間に家中がエサやりを競うようになった。
この時点で、コチラの敗北は決定でした。

「きんさん(いつの間にかついていた猫の名前)の目やにがひどいのよ。可愛そうだし、獣医さんに診てもらいたいから犬猫病院に付き合って
「……わかった。チャトランが病気みたいだし」
「きんさんを病院へ連れていくのに抱えていくわけにもいかないじゃない。ペットショップに寄ってから病院に行こう
「……はいはい、そうれもそうだね」

そうこうしてるうちにコチラの心変わりと相成りました。
「きんちゃんを部屋で飼うなら飼うで、トイレは?寝床はどうするのさ?」
「まだケージも来てないじゃない」(実はケージを購入済み。金曜日着)
「今寝床にしてるところも、どうにかしないと」
「……はぁ。そうね、他所の猫が居ついちゃ大変だもんね」

←コチラに腹や尻尾まで毛づくろいさせるきんちゃん

2008年9月24日(水)
私的『たちきれ』 平成20年版

M院(港区三田)でのお彼岸中のお楽しみというとお線香番です。

「それはそれで面白そう…」と思われたアナタ。お察しのとおり、「いいお天気ですね」にはじまる時候の挨拶もそこそこで、何気ない一言や表情からそれとなくお参りの方のお心持ちを察するわけです。
もっとも、これができりゃ「坊主丸儲け」などの坊さんを揶揄する言葉などが生まれる筈もないのですが。
苦労はつきないのですねぇ。

お寺へお越しくださったお檀家さんとのやりとりに許された時間は、お線香に火を点している僅か2・3分の間。煙が立ち上っているのに、ベラベラと喋り続けるのは、スマートじゃありません。

少しでもお檀家さんのお人柄を承知したいと暗い情熱を隠し持つお坊さんの事情に、即妙に応えてくれるのが火鉢。
朝のうちに起こしといた炭に、スッとお線香をあてて火を点すのだけど、加減次第で時間調整も意のまま。

すぐれものです。

2008年9月13日(土)
「おとうと弟子」という同志

きのう西光寺で得度式(お坊さんとしての『初めの一歩』を後押しする儀式とでも)を行いました。細かなことを言いますが、今回催したのは修験道の得度式です。

受者は3人(お坊さん1名、一般の方2名)。
一大事の開式ということで仲間が駆けつけ、同志4名で厳かななかにも温かみを感じられる得度式となりました。

これをきっかけに、御山への峰入りのみならず同志のお寺で行われる火祭りへの参加をお願いすることになります。
今回は、戒師さまから新弟子へ伝法が円に行われたことを見届ける役に回りました。受者のお三方は、今日を境に同じ道を歩む同志ということになります。

それにつけても得度式の雰囲気ったら感動的。
良い感じです。修験道。

2008年8月28日(木)
「失敗の成功なのだ」のココロ

昨夜はコチラで声明ライブ。いつもお世話になっている御大からお声が掛かり、このお方と参じた次第。
柔らか頭のお坊さん2名とワタシ、元気なバンド『輪』のお二人との交互出演でした。

毎度お馴染みのお経にMCをはさみつつ約40分。三人三様の味付けで声明の説明をしますが、いつもながら勉強になるんです、コレが。

来月の出演で(再来月か)6年目に突入するライブですが、そのステージ構成はほぼ同じお経。必然その説明も、さほど変える必要もないし、顔馴染みとなったお客さんからもちょっとばかし目先を変えた話なぞ求められてもいないのかもしれません。
スッキリして分りやすい練り上げられた話を毎度したほうがいいであろうことは、頭ではわかっちゃいるのですが、やめられんのです。

「毎回同じ話しをしちゃ常連さんに申し訳ない」ので説明に工夫をしようと試みるのですが、なんせ出たとこ勝負(準備不足ということですナ)。意味不明瞭な妄言ばかりを言い募るんですから、そろそろ改まってもいいんでしょうけど……突然変異を期待して「とりあえず動く」という厄介な性分、なんでしょう。

昨日のワタシの話しはすごかった。違う意味で。
例えていうと、広げた大風呂敷をキチッと畳めぬまま手早くグジャグジャに丸めたようなMC。客席には「?」マークが林立、まるで立体視野で検索したカーナビの『P』マークみたい。

「この空気をどうする?」という状況で御大の出番。
誰も傷つけることなく空気を一転する凄まじいフォローをいれてもらったうえ、お客さんの誰もが頷けるお喋りのお手本までみせて貰った。

失敗なればこそ貴重な経験ができる、と役得をした気持ちが強いんですがネ、こうした態度で居直るだけなのもねぇ。

カミサンの云う「真摯に反省してない」という見方もできますか。やっぱり。

2008年8月24日(日)
解かると出来るの距離

昨日、両国の江戸東京博物館で催されている『北京故宮 書の名宝展』に行ってきました。土曜日ということもあって人手も多く、この人手であれば都の財政を逼迫することもなかろうなどと要らぬ心配も解消。気持ちよく観覧開始。

展示作品の内容だからでしょうが、書道に親しんでいる方が多くいらしていたようでした。作品の前で、への字口で腕組みをしながら右手の指先を動かしているオジサン、「ここのハネはどうなのかしら」などと言い合うオバチャン連れなどなど。作品の前で長居する方が多いからか、人の流れはゆったりペースでしたか。

私たちは、赤ちゃんの笑顔に自然にんまりするように、身の回りにある物事から影響を受けて暮らしているようです。

コチラの教養不足で読めないながらも巧いということまでは分る展示作品が多い中で、好きな作品がひとつ、ふたつ。どちらも観ているコチラがリラックスできるものです。血の滲む努力が長い期間積み上げたからこそ、力の抜けたものになるんでしょうけど。

この「余計な力を抜く」が、今んとこのテーマでして。法話やご詠歌のみならず身の回りにある凡そにあてはめると、それを観ている方も楽だろうか、と妄想しているからですが。

やってみるとコレがなかなか難しい。「力を抜く」は「だらける」でもなく「怠ける」でもないもんで。
だらだら、うだうだするにかけちゃ円熟の極みに達しているんですが……ままなりませんです。

2008年8月22日(金)
悪くないこと

歩くことは修行になるのだそうで。インドの父ガンジーさまも良く歩いていたというし、真言宗を開いた弘法大師も、若かりし頃は山岳での修行に打ち込み野山を駆け巡っていたとか。

お坊さんとしての自覚がまだまだふらついていた11年前、ふとしたことをきっかけにして四国の歩き遍路をした。以降、長時間の散歩が好きになった。苦しい修行で僧侶としてのスキルアップを…という了見かといえば、さにあらず。貴重な時間を歩くことのみに使って遊んでいる感覚が強いのだけれども。

ふと思い立ってN院(豊島区高田)からM院まで歩いてみた。M院(港区三田)の先代はよく歩く人だったらしく長らく勤めていた豊山高校(今の日大豊山、文京区音羽)から自宅まで歩いて帰ってきていたとか、定年退職後も毎日2,3時間の散歩を日課にしていたとか。
早稲田から牛込、信濃町から青山、広尾から天現寺へいたる、外苑東通り踏破のおよそ3時間。体を動かす小旅行も、それなりに骨は折れるが悪くないと思い立って、というわけで。

曇り空のおかげで涼しい風を受けることができたり、信濃町でいぶかしげな視線を浴びながら歩くかと思えば、広尾では外人さんから興味深げな視線を浴びたり。

やはり自宅までの道程は、思いのほか遠かった。
日本は広いと感じましたとさ。

2008年8月10日(日)
楽しみは続く

実家のG寺(横浜市緑区)でのお施餓鬼も終わり、はや2日が経過。昨日は、M院(港区三田)での今日の法事に備えて掃除三昧。良い感じの疲労が残っているところへ、程よい単純作業にいそしむのも、オツなものです。
筋肉痛をおしてストレッチをするというか、酔い覚ましに迎え酒をひっかけるというかネ(いつかは迎え酒をやってみたいものですが)。

8/13からはお盆がはじまります。1日に30軒ほどのお宅へ出向いてのお参りが続く3日間。日数が限られているので、一軒にかけられる時間は10分から15分。
一年に一度、この期間だけ、お檀家さんのご機嫌を伺える得がたい機会ですから、目一杯楽しみます、もちろん誠心誠意でお参りします。

2008年8月2日(土)
キターッ!!

毎年8月1日に行っているお施餓鬼が、無事に済みました。

今年も西光寺の檀家さんにもお馴染みのお坊さんで賑やかに法要執行(ちなみに実兄と隣寺の若住職、市野谷のご住職。今年のスペシャルゲストは熊谷の御大)。

一寺院の住職にとって、お施餓鬼は年に一度の大仕事。本堂の支度やお勝手仕事の手配、お坊さんの接待からお塔婆の用意などなど。数えあげればキリがないほどの用事に奔走します。それが嫌で「え〜い、こんな面倒ごとなんかやめちまえ」と仰るお坊さんは少なくありません。がね、少ないですねぇ、お施餓鬼をとりやめるお寺さんは。

お施餓鬼の法要そのものは一時間余りのものですが、その準備たるや前述のごとく。先輩のお坊さんから聞いた「準備9割、本番1割」は至言です。

たしかにお施餓鬼は楽じゃない、けれども終えた後の達成感は格別なんですナ。
この気持ちを例えるとすれば

「お坊さんに生まれて良かった〜」
ベタに程がありますかネ……ま、大仕事を終えていくらか弛緩しているということで。
 法要も終盤、参拝者もお焼香。

2008年7月16日(水)
棚経の目的

棚経の醍醐味というと、おつとめを終えたあとでいただくお茶と茶飲み話でしょうか。実際に膝を突き合わせての会話は楽しいものですしネ。中には「オッ、一年ぶり!」なんて方も。心安いお爺さんの相変わらず元気な様子から、コチラも元気を頂いたりなんて。

お檀家さんの中には、月命日のお参りを欠かさずお寺へみえる方もおられるので、ちょいちょい顔をあわせる旦那もいらっしゃいますが、そこはやはり自宅へ坊さんを招き入れるとなると違います。主たる自信というか余裕というか、俄然空気がゆったりしていて良いのです。


昔かたぎを絵に描いたような米屋の旦那と会うのが楽しみで、毎年のお盆を心待ちにしていました。というのも、会話の切り返しが早いうえウイットに富んで。とにかくスゴイ。
そんな旦那が、3年前に脳梗塞をわずらった。不幸中の何とやらで早期の発見でしたが、言語障害が残っちゃった。日ごろの「おはよう」までもが、どもって、とにかく駄目だったらしい。

そのころの旦那はというと、回転数の高いメリハリの利いたお喋りからスローモーションでまどろっこしいものに、そんな自分へのもどかしさや悔しさからなんでしょうが、体中から発散していた明るさがなくなり、意気消沈が服を着て歩いてるような陰鬱さだった。

それが今年は違った。旦那ときたらスッカリ回復してた。
 「いつもお世話になっております、N院です〜」
 「こちらこそ、いつもどうもっ。暑いなかくるんじゃ大変だろうから、部屋に暖房入れて待ってたんだよ(笑)」
 「(笑)…それはありがたいっ、最近カミサンからも痩せるように言われてるんで(笑)」
 「そうよ、新婚だってと聞いてるから、表の温度と同じにしておいた(笑)」
 「(笑)あの、立ち話もいいんですけど、ワタシにも役目というものが…」
 「アハハハ、そういや、そうだったな、」
こんな具合。

旦那の回復が嬉しいやら、前にも増したお喋りが楽しいやら。
久々の「お経10分、お喋り40分コース」となりました。

2008年6月21日(土)
「予定は未定」は、あくまで予定は予定に過ぎないということ

6/19から6/20まで佐渡へ行っておりました。滞在2日目には、「次は10月上旬に来る予定でいますんでっ!」だって。気の早いことで。

前回は、佐渡の最高峰、金北山への調査としてですが峰入りを果たしました。今回も、修験の歴史を紐解く論文書に記述される、檀得山に調査の峰入りを果たそうと、鼻息荒く佐渡島に乗り込みました。たんですがね、今回はひたすらE寺(佐渡市長江)で、境内整備に明け暮れました。

腰丈までスクスク伸びた草に向かっては鎌を振り、得体の知れない虫に刺されたか耐え難い痒みを忘れるように鉈を打ち下ろし、30年以上はゆうに放置された竹薮に初めて扱うチェーンソーで単身覚束ない足取りで立ち向かう…

カミサンはというと、刈られたばかりの草や竹を生乾きのままバンバン燃やし尽くすという荒業。周りのジイサンバアサンがそれとなく様子を見に来る奮闘ぶりでした。

「掃除と作務は違う」とか。「前者は自身の内面をも含み、後者は純粋に作業を対象にする」(たしかコンナ)のだそうな。自身で生涯を閉じたポール牧さんが仰ってたっけ。

夢中で鎌や鉈、チェーンソーを振り回した4日間でしたが、心の掃除はおろか洗濯ができたかどうか。
   
 ↑佐渡での相棒はオマエだ! ↑竹の枝葉が燃える燃える
 
 ↑騒ぎを聞きつけた檀家さんが
  昼食の差し入れ

2008年5月31日(土)
「もっと頑張れ!」と理解するのは、うがちすぎか

長らく住職がいなかった西光寺の住職に就任して10年目。
節目の年だからということで、6/22に日帰りで「大山詣り」を企画して募集をかけたところ、37人もの方が参加してくださるとのこと。準備も順調、打ち合わせも細かなところにおよび、良い時間となりそうで今から楽しみです。

よく言の端にのりますが、月日が経つのってホント早い。前を見続けることにすっかり慣れた頃になって、後ろを振り返るからなのかもしれませんがネ。それなりに気を使って毎日を過ごしているつもりですが、「ムダに過ごした」なんて。
といっても、3650日は馬鹿にもできない時間だから、いつしか紡ぎだされたのか「一昔」という言葉。つくづく先人の言語感覚に頭が下がります。


西光寺のお檀家さんとの初顔合わせは、10年前のお檀家さんだけの新年会でした。その時に頂いたお檀家さんの言葉は効きました。
「ずっと住職がいなかったところに何で今更…住職が必要なわけ?」だもの(そりゃへこむわな)。肝心要の出鼻をスカーンとくじかれちゃった。
もっともコチラはというと、根拠のない自信に裏打ちされた鼻持ちならない了見で、今のようにリハビリが施されてもいないから無理もなかったのですが。
通り一遍の挨拶にも、気分を害してしまうような言葉が、まんべんなく散りばめられていたんでしょう。

とはいえ、「住職が必要なわけ?」がきっかけで、その日に広げた「お坊さんらしく生きよう!」なんて大風呂敷。よほど持続性があったパンチとみえて、飽きっぽいワタシが今のような状態で何とか踏みとどまっています。

その方から、「アナタみたいなお坊さんが、西光寺の住職で良かった」と言ってもらえたときは嬉しかったなぁ。
あまりにも気持ちが高ぶったからか、目からヨダレがでてきたのには驚きましたけど。

2008年5月25日(日)
改革

五月の定例の護摩法要でした。
お世話になっていたN院(豊島区高田)に手伝いに行っていた名残りで、ここんとこ19:00スタートの法要でしたが、所帯を持って環境が変わり、予てから目指していた昼間の護摩法要と相成りました。

西光寺のお檀家さんはというと、「護摩といえば夜やるもんだよな」の意向があったらしく、今一シックリこなかった様子。
とはいえ、お接待の一切をお願いしている西光寺婦人部にとっては、早く終わるぶり好意的に受け止めていただけたような。
もっとも反省会で、どのようなお声掛けをいただけるか、が護摩法要を何時行うかを決める判断材料となりますが。
      
↑かまどでお赤飯を炊きます  ↑けんちん汁もかまどでGo!

     
↑本尊さまへ(勿論手造り)      ↑無事に護摩も済みました。おかげさまで。

2008年5月23日(金)
鼻持ちならない

こちらの都合なぞ、お構いなしの電話セールス。その応対には悩みますねぇ、いつも。
というのも、それらの勧誘を断るにしても断り方があるだろうと。お坊さんらしく応対することで、「あのお坊さんには断られたけど、あれなら許せる」という。

のんびり『笑っていいとも』なんかを観てたクセして「いま忙しいから」と断ったり、「興味ありませんから」と一言も話しを聞かないうちに眉毛さえ動かさないまま電話を切る。こんなことを続けていると、心底嫌な人間になってしまう妄想に、いつだったか駆られることがあります。

コチラの精神衛生のうえでも、ちょっとしたルールを設けたほうが、断るにしても良い判断したわけです。

@「今忙しい」「興味がない」などの決まり文句を使わない
A嘘をつかない
B無理をしない(中にはホントに危ないものもあるでしょうから)
これらのシバリをかけて勧誘を断ると、電話を切った後の心持ちが違います(お暇な方はぜひお試しを)。

夕方、初老の仏具屋さんが訪ねてきました。
熱心なセールストークを繰り広げてくれたのですが、ワタシはというと、そうした話しが始まった途端、お断りスイッチが作動。電話勧誘を断る要領で、「さてどうしたものか…」と心此処にあらず。

40分程度でお帰りになりましたが、帰り道で仏具屋さんがどんな印象を抱いてくださったのかは確認の仕様もありません。

反省も交えて申しあげますが、おそらく表題のものかと。

2008年4月29日(火)
熱い1日
宗派を超えた活動をされているS寺さん(港区愛宕)で行われた、『緊急!臨時仏教ルネッサンス塾』に行ってまいりました。

一連のチベット問題についての公開講座といった雰囲気で開始。上田紀行氏、ペマギャルボ氏をはじめ、興味深い話を伺いました。
会の最後に設けられた祈りの時間で、オリンピック憲章の何条かが読み上げられました。
正直、「結構良いこと言っている」と思いましたのでご紹介します。

2条
オリンピズムは、肉体と意志と知性の資質を高揚させ、全体として
バランスがとれるようこれを結合させることを目ざす人生哲学である。文化や教育スポーツを一体にするオリンピズムが求めるのは、努力のうちに見出される喜び、よい手本となる教育的価値、普遍的・基本的・倫理的諸原則の尊重などをもとにした生き方の創造である。

3条
オリンピズムの
目的は、人間の尊厳を保つことに重きを置く平和社会確立を奨励することを視野に入れ、あらゆる場で調和のとれた人間の発達にスポーツを役立てることにある。この趣意において、オリンピック・ムーブメントは単独又は他組織の協力により、その行使し得る手段の範囲内で平和を推進する活動に携わる。

6条
オリンピック
・ムーブメントの目的は、いかなる差別をも伴うことなく、友情、連帯、フェアプレーの精神をもって相互に理解しあうオリンピック精神に基づいて行なわれるスポーツを通して青少年教育することにより、平和でよりよい世界をつくることに貢献することにある。

北京五輪が、憲章の精神に則って行われ、互いの民族や文化、宗教の違いを尊重しあえる世界を夢見た良い時間でした。

「それでアンタはどんな行動をするわけ?」という大きな宿題を頂きました。
「知識を深めて多くの人にそれを伝える」と頭に浮かんでいるので、とりあえずこのラインで。

2008年4月14日(月)
「今さら」観も否めませんが

彼の国はホンの何十年前に、「圧政からの解放」と御旗を掲げて、慎ましく穏やかに暮らす隣国を侵攻しました。
隣国は、人口の6分の1を失い「自治」という名目で侵略を受け続けて今に至っていることは、TV・新聞・ラジオのみに情報をよらない多くの方がご承知のとおり。

カンガルー問題で大人しくなった捕鯨反対の国のエライ方と、彼の国のエライ方が話しあったのだとか。

その席で、国際的に関心が集中している話題について、彼の国の代表は「内政問題だ」と断じました。

何十年前に自国で掲げた「圧政からの解放」を、求められていることを承知されてはいるのでしょうが、認められない事情があるんでしょうね、きっと。

頭に浮かぶ言葉といえば、「何とかならんもんか」「祈るほかないか」というものばかり。

これから巣鴨のS寺さん(豊島区巣鴨)で法話会です。
境内のお地蔵さんに、犠牲となった・激しい拷問の犠牲となってしまう方が安らかであるように祈って参ります。

2008年4月2日(水)
誰が言い出したんですかね「桜吹雪」って

実家のG寺(横浜市緑区)で御詠歌でした。
講習が行われている座敷から、ハラハラと舞い散る桜の花弁を眺めつつ。
風流、なんでしょうね。

御詠歌を終え境内にでると、近所の4・5人の子供たちが遊びに来ていた。
本堂の脇にある池の中の鯉をみつけ、
「すげぇ〜こんなに近くで鯉を観たの初めて!」
「ホントだ、でけ〜」
「アタシにもみせて」

御詠歌の最中に、座敷からそれとなく視界に入れていた桜を見つけた子供。
「あそこでも雪女ごっこできるよ」
だって。

春風が木々の枝葉をざわつかせると、桜の木の下でクルクルと身体を回転させながら楽しげな声をあげる子供。「オレが桜吹雪を降らせているんだ」と言わんばかり。

子供達が引き上げた後、誰にも観られていないことを確認して桜の木の下で風を待った。

坊主頭に、頬っぺたに、桜のシャワー。
思いのほかいい気分でした。

2008年3月6日(木)
それをハマルという

インドから戻って3日目。帰朝してそのまま実家のG寺(横浜市緑区)で御詠歌、翌日は布教研究所。
昨日はJ院(板橋区前野町)で御詠歌、今日は今日とて西光寺での写経会。
「少しは落ち着け!」と謗りを受けても止むなしの日常に戻りました。


それにつけてもインドは刺激的でした。

高速道路を逆送するバス、アクセルと連動してると思えるほど、至る所で鳴り止まないクラクション。13億人がすべてハンドルを持ったとたんに攻撃性を増す「こち亀」の本田みたいだった。

その印象を一言でいうとすれば、

 土ぼこりと排気ガスと牛糞、カレーと香水とキツイ体臭が綯い交ぜの
 混沌の大気で覆われた国

とでも。やっぱり一言で言い尽くすなんて無理です。全部を観てきたワケじゃないから当たり前か。

何にせよ、常識を覆された彼の国での経験を、今も、これからも、ふと思い出しちゃカレーへの食欲をたくましくするんでしょう。
 ←ガンジス河の沐浴風景。ゴミをよけつつ鈍色の水に身を沈める…                

2008年2月21日(木)
笑顔が笑顔を生み出す

昨日は、東京と神奈川で活動している御詠歌大会でした。
8回を数える比較的新しい催しということもあり、「とにかく楽しみましょう」を合言葉に毎回頭を捻りつつ、手探り状態のまま大会当日を迎えるのが実情でしょうか。

ここんとこ、芸人さんの力に負うことが多くなりました。
三遊亭遊雀さん(柳家の頃ネ)にはじまり、五郎部俊郎さん、故 玉川福太郎師匠。今回は国本武春さんにお越し頂きました。

「御詠歌と関係ないじゃん」と断ずるなかれ。仏教には僧俗の別なぞないのですから。私たちの暮らしに、其のまま仏さまや其の教えが在る。であれば、どんなものも教えと成り得る、ということで。

ただ、今回の国本さんばかりは勝手が違いましたかね。何せ圧巻のステージだったもので、肝心の「御詠歌」が吹っ飛んだような。

個人的には、それも良し。というのも、単なる興味本位で国本さんを呼んだのではないし、参加された皆さんの満足気な顔といったら。
たくさんの笑顔を引き出す便となったものは、元をただせば御詠歌ですから。
←参加者は320名。皆さんノリが良いこと。

2008年2月17日(日)
初ものづくし

平成20年の初入峰を大山(神奈川県伊勢原市)で済ませて参りました。
今回は初めての単独行。山伏仲間との都合がどうしても合わず、致し方なしということで。

大山が国道246号線を下る車窓から見えてくると、気持ちが盛りあがるようになりました。というのも御山の権現様もさることながら、お参りするたびに何かと心配りをしてくださる、元滝のご主人、下社の権禰宜Aさんのご両人のお顔を思い浮かべていたもので。

アポなしでしたが、ご両人ともご在山でした。去年の入峰以来、何の沙汰もしなかったお詫びやら今日の入峰の感想やらを。
すっきりしました。


今日の大山は、下社から奥社までの道のりの3分の1程度ですが、雪が残っていました。
「見慣れた景色への雪化粧も良し」、などと呑気に浮かれていました。考えてみたらアレね、雪が残っているということは、滑りやすいアイスバーンになっている場所もあるということで、足元が滑りやすいということは、怪我の確率をあげるわけネ。


途中での下山を何度か考えました。けどね、天気も良いし空気も澄んでるうえに、火照った身体を癒すような冷たい風が、なにせ気持ち良かったもので。気がつけば山頂、という90分でした。

それにつけても、下山途中にすれ違う登山者は、赤や青のゴアテックスのウインドブレーカーにストック、大げさなスパイクをつけた登山靴にサングラスなどで身を固め、本格的な雪山登山さながらの出で立ち。
コチラは普段着の黒作務衣に白地下足袋、数珠に袈裟……準備不足は否めず、登山としては無謀でした。参拝の出で立ちとしては及第点でしょうが。

だんじりエアー地下足袋とオカゲサマのご加護により、無事帰宅。

   

2008年2月9日(土)
坊主一代

J院さん(板橋区前野町)での、篆刻教室から一夜明けて。つくづくJ院さんのご住職は、魅力的なお寺づくりをなさっておられると思ったわけです。もっとも、ご詠歌でお世話になっている贔屓目もあるかもしれませんが。

格式を高く保ちつつも、其処ここに遊びがある親しみやすさ。心を落ち着かせる空間でありながら、「何か面白いものがあるぞい」とワクワクする不思議。

「お寺は住職の裁量次第」などとも言います。なるほど、お寺には住職の個性が滲みでているんでしょう。何せ、「お手洗いはキレイに使いましょう」「立ち入り禁止」「お墓のお供物は持ち帰りましょう」などの立札を掲げるのは住職ですからね。

    

若手の勉強会の会場案内に、↑ができる還暦近くのお坊さんをワタシは知りません。
「J院に漂う不思議な空気は住職のお人柄だったか」と合点がいきました。

2008年1月30日(水)
茹で損なった生蕎麦

「ねじれ国会」「つなぎ法案」などの言葉を耳にします。これらは受け手の分かりが良いように慮って、ということなので、言葉に平仮名や訓読みが多く含まれる昨今の情勢には個人的には賛成、でしょうか。
矢鱈漢字や難解な熟語、比喩表現を多用した文章は如何なものかとは思いますが、その一方で、平仮名ばかりの文章を読むのもストレスが伴います。
「お早うごさいます。今日は良いお天気ですね」というものが、「おはようございます。きょうはいいおてんきですね」ですからねぇ。

何につけても程度問題ということですか。

ガソリンの特別税を廃止すればガソリンが安くなる、で済むと思っていたところが世の中それほど単純に出来ちゃいなかった。どういう仕組みになってるか具には分かりませんが、それを撤廃すると地方財政に響く、なんてことがわかってきた。

悪いことの代名詞みたいな扱いだった「公共事業」という言葉には、実は生活に必要な医療や教育などが含まれている。

冬になると、G寺(横浜市緑区)の近くにある田んぼ良く凧揚げをした。高々とゲイラカイトを揚げたは良いけど、片付けが面倒だった。凧糸がこんがらがらないように気をつけてた。
というのも、こんがらがって握りこぶしみたいな糸を、エイヤッとばかりに切るのは簡単。ただ、かなり短くなった糸を観て、大きな失敗をしでかした心持ちになった。

先送りする気持ちは分からなくもない。というのも、凧糸を解きほぐすための時間は、人の倍は掛かりましたから。
といっても、程度問題ですが。

2008年1月26日(土)
ということは、やはりムダなものはないと

風邪と水虫の特効薬を開発したらノーベル賞モノなんて話を、耳にしたことがあります。しかもかなり前に。西光寺の近くにあるフィッ○ケア(薬局がやってるスーパー若しくはスーパーがやってる薬局)に置いてある風邪と水虫のクスリの多いこと。なるほど、これだけ多くの種類があるということは、どちらの病気も「根絶」には程遠いことを予想させます。

風邪や水虫にかかってしまうということは、そういう病気にかかる原因を既に持ち合わせているわけだから、遺伝子レベルでやっつけよう、という動きもあるそうですが、遺伝子レベルとなると反対する方が多い。
というのも、「風邪や水虫にかかってしまう遺伝子が、他の病気を抑えているかもしれないじゃんか」という可能性を捨てきれないからとか。

面白いですねぇ、複雑にこんがらがっているカンジが。


風邪が長引いているので、さすがに近場のお医者さんへ。処方された抗生物質を呑んでいるのですが、コレがスゴイ。意外に早く、いつまでも残っていた重だるさをふっ飛ばしました。
其の反面、違う病気にかかるんじゃないか?という不安がむくむくと沸き起こり、心中穏やかならず、のも正直なところ。

きっと、「抗生物質」というカキンとした言葉がイメージさせるんでしょう。効き目があるけど脆いのです、という。

「抗生物質」を「雑殖粘液」と名称をかえるだけで、なかなかいけそうです。効果もリスクもありそうで楽しげなクスリというイメージが湧かなくもない…

もっとも処方されても飲まないか、おっかなくて。

2008年1月19日(土)
正月気分も今しばらく

初詣や挨拶まわりなどの形式ばったことがつつがなく済んで、「ようよう年が改まったわい」という気持ちになる方も多かろうと思います。
個人的な新年の迎え方ですが、抱えてる原稿が片付いて、西光寺のお便りが発送しおえて初めて正月だと。ここしばらく、そんな年始を迎えています。

年の瀬から新年にかけて、ここ十年来原稿作製の日々。といっても、実家のG寺(横浜市緑区)と西光寺の寺報ですから「それなり」の出来でも許されますが、其れは其れで。

何れもコラムを認めますが、之がそれなりに骨が折れる。「他人さまに話したくなるほど面白いことを書いてこそコラム」、なんてシバリを設けた浅はかさが其の原因(もちろん「面白いこと」は自己満足の範疇をでませんので、悪しからず)。

昨年暮れが提出期限の原稿を提出してきました。「これで正月だわい」と心中にて空騒ぎをしたのも束の間、今ひとつ抱えていたことに気がつきました。

正月気分を未だに味わえない方のために旧正月が残されてるとか(ウソ)。